音々side
92
――翌日、私は桃弥と一緒に平和記念公園に出掛けた。
慰霊碑で手を合わせ、2人で原爆ドームを見つめる。
原爆投下により街は破壊され、変わり果てた広島。モノクロームの世界が、緑溢れる街へと再生を果たした。
空は抜けるように青く、木の葉の緑は太陽に照らされ光り輝く。
カラフルな洋服を身につけた老若男女。弾けんばかりの笑顔。
――平和な日本。
この世界は美しい色彩で溢れている。
広島平和記念資料館に2人で入る。
子供の頃、広島平和記念資料館で目にした写真や再現被爆人形を直視するのが怖かった。
でも今は違う……。
1945年、彼らは戦火の下で懸命に生きたということを知ったから。
母は祖父が生きた証に、『
私は国立広島原爆死没者追悼祈念館で被爆体験記集を閲覧する。
数多く寄せられた体験記の中に……
見覚えのある名前を見つけた。
その名前に、体が震えた。
『守田紘一』それは……紛れもなく私の祖父だった。
祖父は、1981年にタイムスリップした私達にこう言ったのだ。『戦時中のことは思い出しとうもない。原爆で日の丸鉄道学校の寮生の大半は奇跡的に助かったが、大勢の市民は被爆して死んだ』
時正君や広島市民を救うことが出来ず、自責の念に苛まれ身も心もぼろぼろに傷付いた祖父。生前、私や母が聞いても『思い出しとうない』と、被爆体験を口にしなかった祖父。
その祖父が、家族には一言も言わず、すでに被爆体験を広島と長崎の原爆死没者追悼平和祈念館で公開していたなんて……。
祖父の被爆体験を読み、涙が溢れ嗚咽が漏れた。
「……ねね?どうしたんだよ?」
「……もも、お祖父ちゃんだよ。お祖父ちゃんが……ここにいる」
私達には話さなかった辛い被爆体験。
その体験を後世に残すために、祖父は辛い記憶を手繰り寄せここに書き記したのだ。
祖父の被爆体験記を読み……
1945年8月6日以降の祖父に逢えた気がした。
懐かしさと切なさと、悲惨な被爆の惨状を目の当たりし……、苦しくて悲しくて胸が張り裂けそうだった。
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