桃弥side
89
俺は時正の最期を知り、涙が止まらなかった。
中国軍管区司令部の地下壕に留まっていれば、時正は命を失わずにすんだのかもしれない……。
「……どうして、外に出たんだよ。原爆ドームも資料館も見て、原爆の悲惨さは知っていたはずなのに。なんで……だよ」
「時正は鉄道寮の仲間の身を案じ、地下壕から出たんじゃろう。時正は自分だけ生き延びることは最初から望んでなかったんじゃ。視力を失っても、それでもみんなを助けたかったんじゃろう」
「軍士さん……」
「お二人があん時の少年少女なら、自分を責めんでつかあさい。原爆投下で日本が敗北し終戦に追い込まれたことは、誰のせいでもないんじゃ。時正が死んでしもうたことも、広島市民が死んでしもうたことも、わしらが被爆により後遺症で苦しんどることも、全部戦争のせいなんじゃ。戦争が皆の人生を狂わせ、皆の命を奪ったんじゃ」
時折、言葉を詰まらせながら、軍士さんは苦しい胸の内を語った。その一言一句が、心にずしんとのしかかる。
「わしらがしたことは歴史にも残らん小さなことじゃった。それでも桃弥君や時正が配ったビラで救われた命がたくさんあったことだけは覚えとってつかあさい。和男やわしがこうして今も生きとられるんは、あん時の少年少女のお陰じゃ。和男も今では感謝しとる」
軍士さんは俺達の無念な気持ちを察し、そう声を掛けてくれた。
「紘一さんは……」
「……原爆投下時、紘一は和男と鉄道寮の室内におったんじゃ。飛行機の爆音が空に響き、和男と一緒に押し入れに飛び込んだそうじゃ。爆風で窓硝子は破壊され、命からがら鉄道寮を飛び出し裏山へと逃げ込んだ。どこで怪我をしたのか、頭から血を流しとった……」
紘一さんは鉄道寮の仲間と裏山に避難し、戸外で被爆した人達を目にする。
「“家の下敷きで息絶えとる者、川土手を歩く人の露出した体の皮膚は強い熱線で焼かれ”目を覆いたくなるような痛ましい光景じゃった。
紘一は自分も怪我をしていたにも拘わらず、桃弥君と音々さんのことばかり案じていたんじゃ。『2人を原爆で死なせちゃいかん。この戦争で死なせちゃいかん。この時代で死なせちゃいかん』と譫言のように繰り返して言うとった」
軍士さんは当時を思い出し、何度も目を拭った。
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