10

 テーブルに並べられた写真を手に取る。

 若い頃の祖父、両親の結婚式の写真には、一度も逢ったことのない祖母も写っている。


 沢山の写真の中には、私達が子供の頃の写真もあった。懐かしい祖父の笑顔。写真が趣味だった祖父の遺品には、風景や花、平和記念公園で撮影した写真もあった。


 昨年6月に検査入院し、入院中に誤嚥性肺炎ごえんせいはいえんとなり容態が急変。昨年11月この世を去った。


「昏睡状態に陥る前に、お祖父ちゃんが『みんなと写真が撮りたい』って言ってたから、山口の叔母ちゃんがお見舞いに来てくれた時に、病室でみんなと写真を撮ったんよ。それからあとも、集中治療室で何枚か撮影した……」


 昨年9月に祖父は危険な状態に陥り、病院に駆け付けた祖父の妹達と、昏睡状態の祖父を囲んで、泣きながら病室で撮影した。『あと1週間くらいだと思って下さい』と医師から余命宣告されたが、その後集中治療室に移り、祖父は奇跡的に意識を取り戻した。


 容態は安定したように思えたが、誤嚥性肺炎が改善されることはなく絶食したまま点滴だけで2カ月が経過した。酸素マスクが取れるまでに回復したが、口から栄養は取れずふくよかだった祖父の体が、わずか数カ月で骨に皮が張り付くまでに痩せ細った。


 痴呆の状態も若干あるようだったが、私達が耳元で話し掛けるとちゃんと答えてくれた。


 帰り際、いつも『風邪を引くなよ』『ありがとう』と必ず私達を気遣い感謝の言葉を口にした祖父。


「絶食で2カ月なんて……辛かっただろうね」


 テーブルに置かれた大好きな唐揚げ。夕食を食べながら祖父のことを思う。


 偏食で好き嫌いが多い私。生野菜も苦手、みんなが好きなカレーライスやお刺身も苦手。スイーツは大好物だが、生クリームは苦手。


 祖父の口癖は『食べ物を粗末にしたらいけん』、祖父は好き嫌いもなく何でも食べた。食事が取れていたころはミニドーナツや飴を差し入れすると嬉しそうに笑った。あの笑顔ももう見ることが出来ない。


 検査入院が終わったら、家の近くにある介護施設に転院する予定だった。それだけに祖父の急変は悔やまれる。


「もっといっぱい話を聞いてあげればよかった。もっと早く引き取ればよかった……」


 母はひとりごとのように、そう呟き悔いた。


 母方の祖母は白血病で亡くなった。原爆が落ちた当時は10歳か11歳、昭和20年に行われた集団疎開で広島市内を離れていたらしいが、広島に戻った時期は定かではない。


 47歳の若さで亡くなった祖母。直接被爆はしていないが、病気との因果関係は私にはわからない。私達兄弟はまだ生まれていなかったため、祖母に一度も逢ったことはないのだから。


「初めて授かった赤ちゃんを胎内で亡くし、その5ヶ月後に母を亡くしたのよ。あの時の辛さは一生忘れられないわ」


 私にはもう1人兄がいた。母の胎内で小さな命を落とし、産声を上げることがなかった赤ちゃん。榮倉のお墓に小さな遺骨は眠っている。


 もし逢えるものなら、亡くなった祖母に逢ってみたい。どんな人だったのか、話をしてみたい。そして……もう一度、祖父に逢いたい。


 ――夜のニュース番組で、アメリカ大統領のスピーチが流れている。


 16歳の祖父、学徒動員で広島の鉄道寮に来ていなければ、あの原爆投下がなければ、祖父は被爆することもなかったのに。

 

 原爆投下がなければ、祖母が病気になることもなかったのかも知れないと思うと複雑な気持ちだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る