応援コメント

「本文」への応援コメント

  • 現実とは異なる世界を描くときに、物理法則や概念、宗教、気候、科学技術の発展などを考えるのは必須ですが、同時に最も困難なことなんだなあと改めて思いました。

    作者からの返信

     返信遅くなりましたが、コメント有難うございます。
     幅広い知識がないと異世界作るのって難しいんだな、というのを痛感しています。

  • こういう設定について、自分も同じようなことを考えますね。
    大抵の異世界物って当然のように単位を使ってますけど、海外でさえドルやらフィートやら色々な単位が存在しているくらいですし、そういった設定に凝った作品もあるべきだと思います!

    まあ読者受けするかは別ですが(笑)

    作者からの返信

     返信遅くなりましたが、コメント、それにレビューまで有難うございます!

     単位に凝った話、きっと読者受けはしないと思うのですが(笑)。
     カクヨム内の、異世界の言語を丸々作ったFafs F. Sashimiさんの『異世界転生したけど日本語が通じなかった』くらいに設定極めれば、読んでもらえるのかも?
     ……私が書くのは無理だと思いますが。

  • 異世界人の時間の体感についてですが、「マリーの村から、領主さまの館まで、歩いて一時間」という文章は成立するものかと思います。
    そもそも「歩く」という動作の概念がある時点で(全てが静止していないため)この世界に物理学的な意味で「時間経過」の概念が存在していることは確かです。
    そうなると時間が何進数だろうと1日が何時間だろうとそもそも1日という発想が存在しなかろうと、何らかの時間の単位はこの世界に存在するものかと思われます。
    だとすれば、あとはこの世界の時間が何進数だろうが関係ありません。屋敷までの時間が現地単位で13フォンだろうが18652ロマだろうが「それを現実世界に翻訳すると1時間だった」の理屈でいけるかと思われます。
    というのも「館」や「歩く」という概念にも当然現地語で単語があるはずなのに、本文では当たり前のように日本語で書かれています。本文を全て現地語で書いていない時点で、時間だけ翻訳しない理屈もないかと。
    つまり、「異世界語で異世界人のために書かれた異世界の物語を、作者が日本人向けに翻訳している」という体を取っていると考えれば「現実世界で言うと○○」が通じるかと思うのです。
    なのでたとえ現地の天体事情や時間の進数がどうであろうと1時間という表記は成立するのだと、少なくとも私は考えます。

    作者からの返信

     お返事遅くなりました。
     今、「異世界に恐らく、地球のモモと同一の植物はないけれど、色の名前を“桃色”と呼んでいいか」的なことを悩んでいるのですが、この辺も“現地の言葉を日本語に翻訳している”説を採るとOKになりそうだなぁ、と思いました。
     コメント有難うございます。

  • いわゆる「と学会」的な中二病を発症してますね。私もそうでした。現代科学で解決できないことを現代科学的に考察する俺ってかっこいいだろ?的なのにはまって泥沼でした。

    90年ほど前の科学小説・冒険小説は、粗があった当時の科学の隙間に「こういう解釈もあるんじゃないの?」という提言することで乗り越えました。
    科学が進んでくると、日本では「空想科学小説」という翻訳を逆手にとって、「空想なのだから現実と違いがあってもよい」という方向に行って、大発展したのだと思います。

    最近でも科学の常識が覆されるという発見があることを知ってからは、そこまで気にすることはないと思うようになりましたね。

    作者からの返信

     コメント有難うございます。
     私は、実在する物と自分の空想の折り合いをつけるのが苦手で、現実の科学の延長線上であることを求められるようなSFは書けません。
     異世界ファンタジーならば、全てを自分の裁量で決められる。と思ったのですが……この通り泥沼に(汗)。

  •  異世界だけど、「時間」という単位はあるのか? という疑問に対する、私なりの考察です。

     例文・マリーの村から、領主さまの館まで、歩いて一時間。

     この一文が作中で成り立つかどうかは、その作品が『どのような視点と人称で書かれているか』によると私は考えます。

     その作品の主人公が地球人(もしくは地球からの転生者)で、本文が一人称主人公視点、もしくは三人称主人公視点ならば、上記の一文は成り立つと私は考えます。理由は、主人公の【体感時間】だからです。長い説明だの、科学的根拠もいりません。読み手も特に違和感なく読み進める事が出来るでしょう。

     しかし、作品の主人公が純粋な異世界人の場合と、三人称多視点、もしくは三人称神視点ならば、時間という単位は使わないほうが無難です。読み手がストレスを感じる可能性がありますので。

     時間に限らず、地球の単位が異世界で使えるかどうかは、その作品の主人公と、作品を描く上での視点で判断すればよいのではないでしょうか?

     考え過ぎて書けなくなるのは本末転倒である——という教訓には全面的に賛同いたします。長文、失礼いたしました。

    作者からの返信

     私が、地球人が転生・転移する作品を書いたことがないため、「本文」執筆時点で、“純粋な異世界人しか出てこない”という無意識の前提があったようです。
     地球出身主人公の【体感時間】ならばOK、というのは完全に盲点でした。
     興味深い考察を有難うございました。

  • カクヨムで読んだ異世界ファンタジーの中では、

    カスイ漁池さんの『罪人のレプリカ』(異世界転移)で、主人公が飛ばされた先が南半球であること、
    石之宮カントさんの『始まりの魔法使い』(異世界転生)で、主人公が生まれ変わった先の星の1年が地球より長い400日ほどであること、

    上記の2作で惑星サイズの地勢や暦に触れてあったのを印象的に記憶しています。後者ではドラゴンの年齢の数え方についても、星の暦に合わせた独自のスタイルが提示されていました。
    転移も転生もしない異世界ものだと地球との比較ができなくなり、表現するのが一段と難しくなりますね。

    異世界ものではありませんが、歴史小説を書くときにも時間感覚の描写には悩みます。「高台寺から祇園まで男の足で15分もかからないよね」とお気楽に書こうとして、はたと、彼が現代の時計を持っていないことに気付きました。

    作者からの返信

     コメント有難うございます。ご紹介頂いた作品、どちらも未読なので読んでみようと思います。

     地球人が転移したり転生したりする先は、何らかの形でこの世界と関係があるということなので、ある程度この世界と似たような環境で、似た形の人類がいても納得できるんですが。
     完全に無縁の異世界だった場合。

     ……生物が二足歩行する方向に進化してなかったらどうしよう、と考えると、悩みがどつぼに嵌まります。
     あと、世界が球体である必要すらないんじゃないか、とか。太陽の神と月の神が昼夜交替して、春夏秋冬それぞれの神がバトンタッチするような神話と世界を設定してしまえば、別に平面状でも構わないわけで……。

     歴史小説だと、長さや距離の単位も大変そうですよね。身長何尺何寸、と言われても現代人にはピンと来ませんし。