第11話 おいそれと骨は折れない
山登りは、死ぬほどキツかった。もちろん、僕にとって、という意味である。
麓のあたりは、まだ良かった。傾斜も緩く、足場もしっかりしていた。とても歩きやすく、「あ、こんなもんなら案外僕でも最後まで登り切れるかもしれない」というようなことを考えた。完全な、フラグであった。
数時間歩いた頃には山の傾斜はとんでもないことになり、途中で拾った木の棒を斜面に引っかけながら歩くような形式になってきた。筋力的にも、体力的にも、かなり厳しい。
「アシタ、大丈夫?」
定期的に、エルシィがこちらを振り返って心配してくれるが、心配をしてもらったところで僕の体力不足はどうにもならない。
「結構きつい……」
「そっか……頑張ってね」
大丈夫? とか訊いてくる割には、まったく気遣いがないのが冒険者だ。どう答えたとしても、結局歩き続けないといけないことには変わりないのだ。何度も、こんなやりとりをした。
先頭を歩くラッセルは元気なもので、ずんずんと先を進んでは、「よし、魔物はいねぇな!」だの、「にしても、めっちゃ天気良いな!」とか大声で言っていた。もちろん、先行して安全の確認をしてくれるのは嬉しい。しかし、僕がヒィヒィ言いながら登っている坂をひょいひょいといとも簡単に登っていく姿を見せられるのは、精神的に圧迫されて、つらかった。
ただ、なんとなく分かっているのは、これでも、他三人の冒険者は僕にペースを合わせて動いてくれているのだろうな、ということ。ラッセルのあの体力の余りようからして、おそらくもっとスピードを出せるんだろうし、エルシィもウーナも、時々こちらのペースを確認するようにちらちらと視線を送ってくる。少し、申し訳ない気持ちになった。
少しだけ、歩幅を大きくとって、歩くペースを早める。僕の歩幅に合わせて少し前を歩いていたウーナの横に並んで、そのまま追い越した。ウーナの驚いたような視線を感じながら、僕はウーナを追い越して……。
「ぐえっ」
追い越す直前で、僕の防具がウーナにがしっと掴まれた。前方向に向いていた力が防具に抑えられて、一瞬息が詰まった。
驚いて振り返ると、ウーナは首を横に振って、小さい声で言った。
「アシタの歩きやすいペースでいい」
僕の心を見透かすようなウーナの発言に、僕は言葉を詰まらせた。
「無理して急いでも、余計に疲れるだけ」
「でも、三人はもっと早く歩けるんだろ。僕が足を引っ張って……んぐ」
僕の言葉を遮るように、ウーナが手を伸ばしてきて、掌を雑に押し付けて僕の口を封じた。
「ひとつ、勘違いをしてる」
ウーナは僕の口を手で封じたまま、淡々とした口調で続けた。
「アシタを無理やり連れてきたのは、私たち。あなたがいないと困るのも、私たち。だから、ペースを合わせるのも、私たち」
そこまで言って、ウーナは僕の口を覆っていた手を離した。そして、小さく首を傾げた。
「わかった?」
「……まあ、そういうことなら」
なんだか諭されてしまったようで微妙にむずがゆい気持ちになりながら、僕は首を縦に振った。確かに彼女の言う通り、ここで無理してペースを早めても、体力の限界が訪れるタイミングを早めるだけのような気もする。
ふと視線を上げると、ラッセルとエルシィもこちらをじっと見ていた。
「無理しなくていいからな!!」
「アシタが体力ないのなんて最初から分かってるんだからさ」
無理しなくていいという割に、休憩はまったくとらせてくれないし、エルシィに至っては労っているのかすら分からない。
ただ、ちゃんと僕の様子や体力の配分はしっかりと気にしてくれているということはよく分かった。基本的にがさつな奴らだが、妙に『仲間』への気配りは繊細に
声をかけてもらったことで、少しだけネガティブな思考が晴れた。
「よし……」
自分の頬をばしりと叩いて、気合を入れなおす。ここまで来たら、限界が来るまで歩き続けてやる。今日中に中腹のダンジョン入口までたどり着ければ、その後の冒険がかなり楽になる。ここが、踏ん張りどころだ。
決意が固まり、少しだけ軽くなったように感じる足で、力強く一歩を踏み出した。
日が傾き、山の視界も悪くなってきた頃に、僕たちは無事、山の中腹にある山内への入口にたどり着くことができた。
「着いた……のは良いが、こりゃちょっと予想外だな……」
ラッセルは、彼にしては珍しく、声色に困惑の色を滲ませた。彼の視線が、まずダンジョンの入口を見て、それから、自分の足元に移動した。
そう、派手に、崩れているのだ。
ダンジョンの入口から30メートルほど離れた崖の上に、僕たちは立っていた。崖は、元からあった、という様子ではなく、どう見ても『つい最近崩落してできた』というのがありありと分かる状態になっていた。10メートル弱ほどありそうな高さを覗き込むと、下には崩れ落ちた地盤の残骸がごろごろと転がっている。しかも、辺りを見回しても、ダンジョンの入口を取り囲むように崖ができてしまっており、これを迂回してダンジョンに入り込むのは難しそうだった。
ラッセルは困ったように腕を組んで、ううんと唸った。
「俺は、これくらいの高さなら飛び降りられるが……」
「本気で言ってんのか」
10メートル弱だぞ? どう見ても生身の人間が飛び降りて着地できる高さではない。だが、ラッセルは当然、といった様子で頷いた。
「鍛えてるしな」
「おかしい……」
鍛えてどうにかなるものだとは到底思えないが、ラッセルが冒険において自己分析を誤るとも思えない。できると言っているのだから、きっとできるのだろう。人間じゃねえ。
黙っていたエルシィも、小さく息を吐いて、言った。
「まあ、あたしも、ちょっと時間かかるかもだけど、崖の岩掴んで降りられないこともない、かな……でも……」
そこまで言って、エルシィの視線が僕に移ってくる。
言わんとしていることは、分かる。
「僕にそんな腕力はない」
「だよね……」
10メートルもある崖を、岩に掴まりながら降りるなんて芸当が、僕にできるはずがなかった。
嫌な沈黙が立ち込めた。
「アルマがいればな……」
ラッセルが、ぽつりと言った。
「アルマがいれば、とりあえずアシタを飛び降りさせて、後から治療するって手もあったんだが……」
「なあそれめっちゃ痛いやつだよな!? 簡単に言うけどさ!!」
治してもらえるのが分かっているとはいっても、痛いものは痛いのだ。とんでもないことを言い出しやがる。
しかし。
冷静になって考えても、正直、僕がここを無事に――その後も活動できる程度の身体のままで――崖を降りきるには、ラッセルの言った手段しかないように思える。アルマがいない今、以前の洞窟ダンジョンの時のように、好き放題骨を折れるわけではないのだ。
ラッセルが考え込むように黙り込むと、他のメンバーも視線を崖下に落として、沈黙した。
「……非常用にとっておきたかったけど、手がないわけじゃない」
今まで沈黙を貫いていたウーナが、ぽつりと言った。
全員の視線が、彼女に集まった。
ウーナは、三人が自分に注目したのを確認してから、言葉を続けた。
「とりあえず、アシタ以外の三人は、なんとかして、下に降りる。その後、アシタを下で、キャッチする」
その言葉に、ラッセルが失笑した。
「キャッチするって、簡単に言うけどよ、さすがに10メートルの高さから落ちてきた人間をキャッチするのは無理があるだろ」
このパーティー内で最も身体のしっかりしているラッセルがそう言うのだから、他の誰にもそんなことができないことは明白だった。僕もラッセルの言葉に頷く。
しかし、ウーナは首を横に振った。
「物理的にキャッチするってことじゃない」
ウーナはそう言って、ローブの中に手を突っ込んだ。ローブが少しめくれて、彼女の太腿に巻き付いた『ホルスター』がちらついた。いつの間にそんなものを装着していたのだろう。少なくとも魔車に乗っている間は着けていなかったはずだ。
ウーナは慣れた手つきでホルスターから、掌二つ分ほどの大きさの『銃器』を取り出した。そして、ゆっくりと言った。
「キャッチには、これを使う」
三人が、絶句する。
「うん? それ、銃だよな?」
「そう」
身体をキャッチするのに、銃を使うというのは、どういうふうに考えてもよく分からない発想だった。
説明を求めるように、ウーナの目を見ると、彼女はもう一度強く頷いて。
「これを、使う」
再度、そう言った。
まったく、意味が分からない。
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