第10話  これはさすがに登れない


「暑い……死ぬ……」


 魔車に揺られながら、僕は口から垂れ流すように、呻いた。


「こんなに暑いなんて聞いてねぇよ……」

「いいじゃん、男は脱ぎたいだけ脱げるんだからさ……」


 僕の呟きに、エルシィはラッセルを指さして言った。指を刺されたラッセルは口角を少しだけ上げて、鼻から息を吐いた。


「脱いでても、暑いぞ」


 ラッセルは、上半身の防具をすっかりはずして、おまけに衣服まで完全に脱ぎ捨てて、鍛え上げた筋肉を晒していた。それでも、彼の皮膚の表面には汗がにじんでいる。

 魔車をかなり急がせて十日も移動すれば、気候も変わるのは分かってはいたことだが、ここまで露骨に変化するとは思ってもみなかった。

 僕もラッセルのように身体ががっちりとしていれば恥ずかしげもなく上半身裸になれるのだろうが、こんなひょろひょろの身体を見せるのも恥ずかしいし、見せられる方も迷惑だと思う。主に、反応に困るという意味で。

 ふと隣を見ると、ウーナはローブにくるまったまま、一点を見つめたままじっとしていた。しかし、その目はどこか虚ろで、一点を見つめているのか、もしくは何も見ていないのか、はっきりとしない。こめかみのあたりを見ると、汗がじっとりと滲んでいた。


「ウーナ、お前、それ暑くないのか」


 僕が声をかけると、ウーナは目だけを動かして、僕を見た。


「……暑くないように見える?」

「ですよね」


 僕は苦笑して、ウーナのローブを指でつまんだ。


「それ、脱げばいいだろ。どう見てもそれ防寒用の素材じゃないか」

「これは脱げない」


 ローブの下から伸びてきたウーナの手が、僕の指をぱんと払いのける。


「なんでだよ」


 追及すると、ウーナは少しだけ唇を尖らせて、うつむいた。


「あんな気味の悪い模様を、皆に晒すわけにはいかない」


 僕は溜め息をつく。まだ、そんなことを気にしていたのか。他の二人を交互に指さして、僕は言った。


「気にするような奴らじゃないって」

「でも」

「僕は気にしない」

「魔車の運転手が」

「運転中に荷台の中は見えないだろ」


 ウーナはぐっと言葉に詰まって、僕を睨んだ。


「あの手この手で脱がせようと」

「ち、違う! 暑くて体調悪くしたら良くないと思っただけだよ」


 あらぬ疑いをかけられてあたふたとすると、ウーナは失笑して、再びローブの中に手をひっこめた。


「もうすぐ着くんでしょ。平気だから」

「そうは言ってもなぁ……」


 再びウーナのこめかみに目をやると、ちょうど、こめかみからたらりと汗が垂れて、彼女の頬を伝うのが見えた。

 どう見ても、暑そうだし、目も座ってきているし、良い状況には見えない。

 ため息をついた。こうなれば、自棄である。


「あー、もう!」


 僕は声を上げて、自分のシャツに手をかけた。暑すぎて、革の防具はとっくにはずしていたのだ。冒険用に作られた、しっかりとした布のシャツをがばっと下から思い切り脱いでやる。僕の、栄養の足りない木の小枝みたいな身体が晒される。


「いいか! こんなひょろい、クソみたいな身体を見てもこいつらは笑いも……」


 笑いもしないんだぞ!

 と続けようと思い、エルシィとラッセルの方を見ると。

 エルシィは口元を抑えてぶるぶると肩を震わせている。ラッセルは隠しもせずに、大笑いだった。


「木の枝みてぇだ!!」

「お前らちょっとは空気を読め!!!」


 僕が叫ぶと、耐えきれないとばかりにエルシィも噴き出して、腹を抱えて笑い出した。


「何回見ても……くっ……細すぎて笑っちゃう……んふっ……はっはっ! ひぃ……」


 つらそうだ。貧弱ですまない。

 二人が好き放題笑っているのはまあ置いておくとして、ともかくウーナを説得せねば、と彼女の方に視線を戻すと。


「…………」


 ウーナも不自然に口をぴったりと閉じて、口角が上がりそうになるのをぷるぷると身体を震わせて、こらえていた。

 そうか、そんなに面白いか、僕の身体は。

 僕は深く息を吐いてから、言った。


「僕のオモシロボディに比べれば、ウーナのそんなのは大したことないだろ。身体に絵が描いてあるみたいなもんだ」

「オモシロボディ!! ひーっ! 死ぬ……お腹痛い……んっはっは……!」

「うるせえぞ!!!」


 のたうち回るエルシィに怒号を投げつけると、ウーナもついに我慢できなかったようで、ぷっと噴き出した。


「……もう、どうでも良くなった」


 にやにやと口角を上げながら、ウーナはそう言って、ローブのボタンをぷちぷちとはずして、思い切り脱いだ。中から、例の“呪印”が現れたが、一度見ているから、大した驚きもない。

 少し離れたところでそれを見ていたラッセルが、「でけぇ」と呟いたのを聞いて、僕は失笑した。

 ウーナは目を閉じて、呟いた。


「涼しい」

「そりゃ、そうだろ」


 ついウーナの身体を見ると、全身が汗でしっとりとしていた。慌てて、目を逸らす。そんなに汗をかくまで、我慢するようなことではないと思った。


「アシタ」


 荷台に腰掛けなおした僕に、ウーナが声をかけた。


「なんだよ」


 訊き返すと、ウーナは目線だけこちらに寄越して、ゆっくりと言った。


「もう少し、鍛えた方がいいよ」

「ぶっ」


 僕が何かを言い返すよりも先に、エルシィが噴き出した。

 こいつら、他人の身体を馬鹿にして散々楽しみやがって……。心中で毒づきながらも、自分の身体をちらりと見下ろすと。

 確かに、僕も、もう少し鍛えたほうがいいなと、思った。






 魔車が停止して、ラッセルが運転手に料金を支払っている間、僕は半ば放心状態で目の前の“ダンジョン”を眺めていた。後から魔車から降りてきたエルシィが、僕を横目で見ながら、にやにやと笑った。


「びっくりした?」

「……こんなにでかいとは思ってなかった」


 言葉の通り、目の前の山は、僕の想像を絶する大きさだった。目線を正面に固定したまま、首だけを動かして山の頂上を見ようとすると、90度に近い角度で首を動かさなければならない。それほどに、目の前の山は大きかった。


「大丈夫だよ、頂上まで行くわけじゃないし」

「そうなのか……安心した」

「中腹くらいに、山の中への入口があるから」

「中腹……」


 このサイズの山となると、中腹まで行くだけでも丸一日ほどかかってしまうのではないかという不安を感じる。僕の体力は、そう長くはもたないぞ。


 魔車の料金を払い終えたラッセルが、喝を入れるように、大きな声を上げた。


「よっしゃ! じゃあ、明るいうちにさっさと登っちまおうか! 日が暮れる前には洞窟の近辺まではたどり着いておきたい!」


 その言葉から、やはり中腹にたどり着くのも半日以上は歩き続けないとならないのだと理解した。だが、ついてくると言った以上は、文句は言えない。

 前回と同様に、特に具体的な打ち合わせもなしに、ラッセルは山へと歩き始めた。こうなれば、ついてゆくしかない。

 溜め息を一つ、僕は自分の頬を叩いて。


「よし」


 山を登る、覚悟を決めた。










 張り巡らせた、糸が揺れた。微細な、魔力の糸だ。

 何者かが、山に足を踏み入れた合図。


「……やれやれ」


 溜め息が漏れた。

 薄々、自分は冒険者に追いかけられているのではと思う。ただ、毎回、私を見つける冒険者は別の人物だった。意図的に私を追いかけているとは考えづらい。

 ただ、私が安住の地を求めてダンジョンを移動する度に、数日と経たずに冒険者が私の前に現れる。正直に言って、目障りだった。


「冒険者でないことを、祈るばかりです」


 小さく呟いて、私は地面に指で円を描いて、魔力を込めた。円の中に、映像がぼんやりと浮かび上がる。山の麓を歩く、四人組が映っていた。

 そして、映っている四人を見て、私は、自然と舌を打っていた。


「また、あなた達ですか……」


 私が最も心を安らげて過ごしていたダンジョンに踏み入り、保険として放置していたゴーレムまでもを破壊してしまった、あの冒険者達。そして、あの背の低い褐色の少女も、北の山で見た記憶がある。確か、私を見つけたのが、あの少女だったはずだ。いや、正確には少女ではない、か。

 兎に角、面倒ごとが舞い込んできたのは間違いない。それに、北の山で私を見つけたあの女冒険者が、中央の洞窟ダンジョンで見たあの3人を連れてやってきた。それだけで、私が意図的に追われているのは明白だった。

 時計回りに、山を移動したのは安直すぎたか。


「どうして、放っておいてくれないのでしょうね」


 苦笑交じりに呟いて、私は地面に書いた円を手でかき消した。映像も、光の粉になって、消える。

 数百年の間、誰にも出会わずに生きてきたというのに、ここ最近は何度も冒険者に見つかってしまう。隠れ家にしていた場所の入口が、なぜか、開かれている。

 それもこれも、各地のダンジョンの崩落を引き起こしている魔力の“乱れ”が原因なのは分かっている。ただ、新しく開けた場所を見つけると目を輝かせて飛び込んでくる冒険者には、ほとほと呆れてしまうのだ。人間の好奇心はいつだって、新しいものを創造し、そして、破壊した。


「見つかってしまったら、また移動ですね」


 見つからないことを祈りながらも、私はそう、小さく呟いた。

 ただ、そう言うのと同時に、今回も見つかってしまうのだろうな、と何となく思った。





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