第8話  泊まらせてほしい


「だから、なんも隠してねぇって言ってんだろ」


 宿に着いた途端、問題は起こった。


 先行して宿に入って行ったラッセルが宿のオーナーと何やら言い合っている。


「どうした」


 僕が後ろから声をかけると、ラッセルが振り向いて、不機嫌そうに言った。


「こいつのローブが気に食わないんだと」


 ウーナを指さした後に、ラッセルは横目で宿のオーナーを見た。


「いや、少し脱いでくれればいいんですよ。爆薬などを持っていないか確認したいだけなんです」


 オーナーも困ったようにそう言っているが、ウーナはきゅっと唇を結んで、斜め下に視線を落としている。


 そういえば、そうであった。

 こいつは肌を他人に晒せないのだ。

 晒さなくても宿には入れず、晒してしまえば『呪印』を見られて、どのみち追い出されてしまう。

 ラッセルにも事情は話しておいたのだが、「まあ、そのへんはなんとかなるだろ」と妙に楽観視していたようだった。


 どうしたものか……。

 考えを巡らせている間に、ウーナが小さな声を上げた。


「私は、野宿でもいい」

「何言ってんだ、夜は冷え込むぞ。野宿の準備もしてねぇのに無茶すんな」


 ラッセルが言うが、ウーナは首を横に振った。


「これ以上は、3人にも、宿のオーナーにも迷惑がかかる」


 その言葉に、ラッセルはぐっと押し黙る。

 実際この旅では、今日の一泊はかなり重要な意味を持っていた。

 この宿での休息を終えた後は、3日ほど宿での休憩は取らずに、野宿と魔車移動だけで過ごすことになる。

 ここで身体を休められないのは、かなり致命的な痛手だ。


「なあ、なんとかならないか。多めに金を払ってもいい」

「そうは言われましても……去年客室を吹き飛ばされたことがありましてね。爆発物のチェックだけは念入りにやっているんです。申し訳ありませんが」


 ラッセルもオーナーも、引くに引けない状況に陥ってしまった。


 僕は、スゥと息を吸った。

 こうなればもう強硬手段だ。


「言いたくなかったが、しょうがない」


 普段とは違った、少し鼻にかかるような声を出す。

 その場にいる全員の視線が、僕に集まった。


 僕はウーナの隣まで歩いてゆき、肩に手を置いた。


「こいつは、僕の購入した“奴隷”だ」

「はぁ?」


 ラッセルが真っ先に声を上げたが、僕が視線を送ると、すぐに意図を理解したようで言葉を飲み込んだ。


「ローブを着ているが、これの下には、一つ前の“持ち主”がつけた凄惨な傷跡がある」


 そう言って、僕はウーナのローブをぐいと掴んだ。


「見たいのであれば、見せても良いが」

「い、いえ、結構です。大変失礼いたしました」


 オーナーはぎょっとしたように両手をぶんぶんと振った。


「あなた方を信用して、今晩の利用は許可いたします。ただし、何かあった際はそれなりの対処をさせていただきますので、その点はご了承ください」

「分かっている」


 僕ができうる限り偉そうに頷いたのを見て、ラッセルは目をぱちくりとさせ、エルシィは小さくため息をついた。

 ウーナの表情は、僕からは見えなかった。







「ほんっっっっとうにごめん」


 部屋についた僕は、ウーナの前で土下座していた。

 嘘とはいえ、彼女のことを『奴隷』などと言ったのである。

 とても他人に対して使ってよい言葉ではない。


「……別にいい」


 ウーナは小さく息を吐いて、言った。


「ああ言ってくれなければ、どのみち宿泊は無理だった。むしろ、感謝してる」

「いや、そうは言ってもだな」


 僕の言葉を最後まで聞かずに、ウーナは僕の頭をぐいと持ち上げた。


「頭上げて」

「いや、でも」

「アシタは私のこと本当に奴隷だと思っているわけ」

「そんなわけないだろ!」

「じゃあ、気にすることはない」


 ウーナはそう言って、つんと僕に背を向けた。

 そして、藁の上に綿と布の敷いてあるベッドまで歩いて行って、ゆっくりと腰をかける。


「……宿のベッドになんて、初めて触った」

「そうか」

「思ったより、ずっとふかふかなんだ」


 ウーナはぽふぽふとベッドを手で触ってから、こちらに視線を寄越した。

 そして、少しだけ口角を上げる。


「ありがとう」

「え、いや……どういたしまして?」


 僕は少しどきりとして彼女から視線を逸らした。

 本当に『奴隷』と言ってしまったことに対しては気にしていないようだった。

 僕が気にしすぎなのだろうか。

 しかし、今後は二度とこんな手は使いたくないものだ。禁じ手にしよう。


「アシタ」


 ウーナに呼ばれて、視線を彼女に戻すと、部屋の外を指さしていた。


「お風呂、入ってきたら」

「ああ……そうだな。明日出発したら当分風呂には入れないもんなぁ」


 そこまで言って、僕はふと思い立つ。


「お前はどうすんだよ、風呂」

「この身体じゃ浴場には行けない」

「だから」


 僕が答えを促すと、ウーナは頬を少し染めて、小さく呟いた。


「アシタが風呂に入っている間に、私はここで身体を拭く。……だから早く行って」

「はいわかりました」


 何故か僕まで恥ずかしくなり、そそくさと着替えを持って部屋を出た。





「お、アシタじゃん」


 部屋を出て少し歩いた廊下で、エルシィとばったり会った。


「ウーナとやらしいことしてないだろうね」

「してねぇよ……勘弁してくれ」


 僕が苦笑すると、エルシィはけらけらと笑った。


 そもそも。

 なぜ部屋割りが『アシタ、ラッセル』と『エルシィ、ウーナ』ではなく、『アシタ、ウーナ』と『エルシィ、ラッセル』になってしまっているのかと言うと。


「“奴隷”とのただれた主従関係……そういう話、あたし聞いたことある」

「やめろほんとに」


 俺が顔をしかめると、エルシィは「おっと」というように自分の口に手を当てて、続けて「ごめん」と軽く頭を下げた。


「ただでさえボインの女の子と同室になって参ってるんだ僕は」

「まあ、あの話の流れじゃあ当然そうなるよね」


 僕は頷いて、頭を掻いた。

 そうなのだ。自分の奴隷です、だなんて言ってしまった日には、当然ながら同室で寝泊まりするものだと思われてしまう。

 こちらに確認をとるまでもなくそういった部屋割りにされ、しかも、厄介なことにこの宿の部屋は“特別製”であった。


 当然、こんな流れになれば僕は部屋替えを提案した。

 僕がラッセルの部屋に泊まり、逆にエルシィがウーナと一緒の部屋に泊まれば万事解決である。

 しかし、お互いの部屋に入ろうとしたときに、問題は発生した。

 なぜか部屋に入ろうとすると足が止まった。進もうとしても、なぜか足が前に出せなくなるのだ。エルシィも同じ現象に見舞われたようで、首を傾げながら戻ってきた。

 そして、お互いに、最初に決められていた自室に入ると、すんなりと入れるのである。

 困ってオーナーに問い合わせてみると。


「この宿と、宿の台帳には高度な魔術が組んでありまして。台帳に記入したお名前のお客様以外は部屋に入り込めないようになっております。暴力事件や窃盗事件の防止のためですね」


 なんだそのすさまじい魔術は。

 爆発物のチェックの時も感じたことだが、この宿は妙に危機回避に努めているようだった。いや、宿としてはそれで正解だと思うのだけれど。


 とにかく。

 その仕組みのせいで、僕はウーナと一晩を共にしなければならなくなってしまったのである。


「お風呂行くの?」

「ああ。今のうちにな」


 僕が頷くと、エルシィも口角をニッと上げた。


「あたしも、今から入るんだ」

「そうなのか。ごゆっくり」


 頷いて、再び歩き出す。一瞬エルシィがむっとしたような表情をした気がしないでもないが、わざわざ振り返って確認するほどのことでもないだろう。

 大きい風呂に浸かるのなんて、いつぶりだろうか。

 普段は本屋の裏にあるとってつけたようなトイレと浴室だけで過ごしていたのだ。

 少し、ワクワクする。

 軽い足取りで、浴場へと向かった。



 やめておけば、良かった。

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