第7話  揺らさないでほしい


「おうアシタ頑張れ! あと1時間もしないうちに休憩地に着くからよ」


 えらく他人事のようにラッセルが言った。

 対して僕は。


「無理無理……もう無理……吐く……」

「吐くなら魔車の外でな」

「う゛ぉえぇぇぇぇ……」


 魔車から外に上半身を乗り出して、嘔吐した。

 移動が始まってから5度目のゲロである。

 吐き気に耐えている間は地獄のような気分だが、吐いてしまえばまた数十分は楽に旅ができるようになる。


「だいじょうぶ?」


 いつの間にか僕の隣まで移動してきていたウーナが背中をさすってくる。


「今大丈夫になった……」

「そう」


 僕の冗談交じりの返事に、ウーナは笑うでもなくこくりと頷いた。


「すっきりしたか?」

「ああ……多少は」

「お前ほんと魔車慣れしてねぇんだなぁ」

「そりゃあね! 書店員が魔車で長距離移動なんて滅多にしないからね!」


 ラッセルと言葉を交わしている間にも、魔車の荷台は縦揺れに横揺れ、やりたい放題に揺れまくっている。


「もうちょい揺れない運転できないもんかね」

「急がせてるんだから無理だろ」


 僕の小言に、ラッセルが手をひらひらと振った。


「片道15日とかかかってもいいならのんびりでもいいけどな。宿に泊まる数も増えて、金もかかる」

「30日以上も読書を我慢しろってのか! 殺す気か!」

「じゃあ揺れは我慢するんだな」


 鼻を鳴らして、ラッセルが魔車の外に向き直った。

 冒険者はとんでもなく揺れる魔車にも慣れっこのようだ。

 それに、ラッセルは冒険者ギルドの元締めだというから、普段から各地を魔車でぐるぐると回っているのだろう。


「お前も、よくこんなのに10日も乗ってきたよな」


 ウーナに言うと、小さく頷いて。


「少しお尻が痛かった」


 と答えた。

 いや、そういう話じゃないんだけども。

 もしかして魔車で酔うのって僕だけ?


 エルシィに至っては、これだけガタガタと揺れまくる魔車の荷台で、荷台の壁にもたれかかるようにしてスゥスゥと寝息を立てていた。

 もう1時間以上もそうしている。

 僕のエルシィに対する視線に気付いたのか、ラッセルが笑い声を上げた。


「そいつはどこでもスッと寝るからな。冒険者の中でも稀に見る睡眠管理の上手さだ。移動の合間でしっかり寝られるやつはダンジョンで確実に活躍できるからな」

「そういうもんか」


 確かに、数か所のダンジョンを連続で移動することもあると聞いた。そういった場合は移動中に睡眠をとっておかねば、十分な睡眠をとれぬままダンジョンに潜ることになる。


「随分、エルシィのこと買ってるみたいだな」


 僕が言うと、ラッセルはゆっくりと頷いた。


「ああ。こいつは優秀な冒険者だよ。トレジャーハンターなんてやってないで、ダンジョン開拓組に加わってほしいくらいだ」


 トレジャーハンターはダンジョンに潜って、金になりそうなものを見つけ出す仕事。ダンジョン開拓組というのは、ダンジョンに玄人の冒険者パーティーで潜り、ダンジョンの構造を解き明かす仕事。という認識でいいだろう。


「こいつの『ダンジョン内での勘』みたいなものは本当に鋭い。ほら、この前も、こいつがいち早く4層の地盤の変化に気付いたろ」

「ああ、お前が踏み抜いて僕が落ちたやつな」

「悪かったって」


 ラッセルは俺の小言に苦笑して、続ける。


「あの注意深さは、未開拓ダンジョンの調査には最も必要な素養だ。だから、こいつにも参加してほしいんだが……」

「嫌がるのか?」

「嫌がるというか……」


 ラッセルは困ったように、寝息を立てるエルシィに目をやった。


「『冒険は好き勝手にやるものだから』って言ってな」

「ああ、言いそうだナッ……ウッ……!」


 ガタン、ガタンと二回魔車が飛び跳ねるように揺れた。

 舌を噛みそうになった。


「畜生! 運転手に文句言ってくる!」

「馬鹿、やめとけやめとけ。この辺はデコボコ道だからしょうがねえって」


 いい加減、我慢の限界である。ラッセルの制止も無視して、立ち上がる。

 だが、僕が立ち上がったと同時に再び荷台がガタンと揺れた。


「うわっ」


 僕はバランスを崩して、荷台の上で思い切り転倒した。

 やれやれ、とラッセルが肩をすくめる。


「言わんこっちゃない」

「くそ……」


 立ち上がろうとした瞬間、ぐらりと視界がゆらいだ。

 あ、まずい。

 おそらく転んだ振動で脳みそが思い切り振られたせいで、魔車酔いが再び襲ってきたのだ。


「吐きそう……」


 俺がぽつりと言うと、ラッセルは失笑して、馬車の外を指さした。


「吐くなら魔車の外でな」

「う゛ぉえぇぇぇぇ……」


 本日、6度目。






「休憩地着いたみたいだぞ。おいエルシィ起きろ。アシタ……は、ゆっくりでいいからとりあえず魔車から降りようか」


 魔車の休息地点についた頃には夕方になっていた。

 そして、僕の魔車酔いも限界点に達していた。

 生まれたてのウルフのように足をがくがくとさせながら立ち上がったが、地面に足をつけている感覚があまりない。

 さっさと荷台から降りてしまったウーナとラッセルに続いて自分も降りようとするが、足の感覚がない分慎重にならないとおそらく着地したあとに転倒する。

 僕がまごまごとしていると、いつの間にか僕の横にエルシィが立っていた。


「すごい顔してんね。酔ったの?」

「お前は気持ちよさそうに寝てたな」

「あんまり揺れなかったしね」

「冗談だろ……」


 あれで揺れてないなんて言ったら、揺れる魔車はどうなるんだ。噴火中の火山の山肌に立っているくらいの揺れ方になってしまう。


「だいじょうぶ? 降りられる?」

「微妙」

「じゃ、肩貸す」


 ぐいと僕の右腕の下から自分の左腕を滑り込ませて、肩を組んでくるエルシィ。

 突然のその行動に、僕は一瞬きょとんとしてしまった。


「どしたの? 降りるよ」

「お、おう……」


 エルシィはあっけらかんと言って、魔車の荷台の淵まで僕を誘導した。


「せーの」


 エルシィの掛け声で、荷台からジャンプするように降りた。

 やはり、着地の感覚がふわふわとしていて、足がもつれた。


「っとと……」


 しかし、エルシィがぐっとこらえてくれたおかげで僕は転ばずに済んだ。


「……ありがとう」

「魔車酔いつらいよねぇ。あたしも冒険者なりたてのときは何回も吐いたなぁ」


 エルシィはにこっと笑って、僕の肩を離した。


「んー! よく寝た!」

「よく寝れるもんだぜ、ほんと」


 エルシィは伸びをしながら、ラッセルの方へと歩いていく。

 その後ろ姿を、ぼんやりと眺める。


 あいつは、僕の身体が貧弱なことを特別視しない。

「それはそれ」というような顔をして、嫌な顔ひとつせずに手を貸してくれる。


 そういった点は、本当に信頼できる仲間だと、少しだけ思った。


 ふと気付くと、隣にウーナがいた。

 ウーナはじっと僕を見て、口を開いた。


「アシタは、エルシィのバディなの」

「バディ?」


 僕が訊き返すと、ウーナは「なんだ違うのか」というように視線を横に振った。

 そして、言う。


「冒険の、相棒のこと」

「ああ……そういうんじゃないな。そもそも僕は冒険者じゃない」


 言うと、ウーナは少し口角を上げた。


「たしかに。そんなんじゃ冒険者はできない」

「だろ」


 明らかに皮肉だったが、嫌味のこもったものではなかったので僕も笑って受け流す。


「でも、息ぴったりって感じだったから。てっきりそうなのかと」

「僕とあいつが? まさか」


 息がぴったりなわけじゃない。

 エルシィが、合わせてくれているのだ。

 それくらいは考えなくても分かることだった。


「どう考えても、足手まといだ」


 僕がつぶやくのをウーナは聞いていたと思うが、彼女は何も言わなかった。


 もし足手まといでなかったとしても。

 僕が彼女と率先してダンジョンに潜るかと言われれば、答えはノーだ。

 しかし。


 ラッセルと話すエルシィの後ろ姿を見ていると、なぜか。

 自分の貧弱さが、少し悔しく感じた。



「よっしゃ、宿行くぞ」


 ラッセルがこちらに手招きをした。


「早く来いよ。休みたいだろ!」

「超休みたい……」


 僕は頷いて、だんだんと感覚の戻ってきた足をゆっくりとラッセルの方へ向けた。






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