第4話 絶対に笑わない
「なあ、いつまでそうしてるんだよ」
カウンター前でむくれているウーナに声をかけると、彼女はキッとこちらに鋭い視線を投げてきた。
「気が済むまで」
「そうですか……」
同行を断ってからずっとこんな調子である。
窓の外はすっかり暗闇だ。日はすっかり暮れてしまっている。
数時間、カウンター前でこちらをちらちらと見たり、手持無沙汰に本棚の前をウロウロとしていたウーナに若干集中を妨げられながら読書を続けていたが、ついに集中が完全に切れてしまった。
「あれは完全に一緒に来てくれる流れだった」
「だから、一緒に行ったって足手まといなんだって」
僕が説明すると、ウーナは少しムキになったように語気を強めた。
「私が守るから平気」
「いや、さすがに子供に守られるわけには……」
僕の言葉をウーナがカウンターをダンと叩いて遮った。
先ほど以上に露骨に表情が変化している。
一言で言うと、めっちゃ怒っている。
「な、なんだよ」
「子供じゃない」
「え?」
「子供じゃない!」
ウーナがカウンターに手をついてこちらに身を乗り出さんとする勢いで声を上げた。
僕は彼女が身を乗り出した分だけ身体を逸らせて、同じ距離を保つ。
「分かった、分かったから」
「分かってない!」
何をそんなにムキになっているのだろう。
子供扱いしたのは確かに悪かったかもしれないが、ウーナがどう言おうと、どこからどう見ても彼女は僕よりかなりの年下にしか見えない。
ウーナがぐいと乗り出してきたこともあってか、ふと彼女の
じっとりと汗が浮かんでいた。
「それより、もしかして暑いんじゃないのか」
話を逸らすのも兼ねて言うと、ウーナはびくりと肩を跳ねさせた。
「……そんなことないけど」
「いや、汗かいてるだろ。室内でそんな分厚いローブ羽織ったままでさ」
ローブを指さすと、さらにウーナはぎくりとしたような表情を見せた。
「べ、べつにいいでしょ。ちょっと暑いくらいなら問題ない」
「いや、そうは言っても暑いの我慢すると体調崩すぞ。ローブだけでも脱げよ」
ぐっとウーナが唾を飲み込んだ。
何をそんなに躊躇しているのだろうか。ローブを脱ぐくらい大したことじゃないだろう。
そこまで考えて、ふっと一つの懸念が浮かび上がった。
僕はうかつにも、そのまま口に出してしまう。
「もしかして、その下に何も着てないとか、そういうわけじゃないよな?」
訊くと、ウーナは耳を真っ赤にして僕に拳をふりかざした。
「そんなわけないでしょ!」
「いや、訊いただけだろ! 確認だよ確認!」
「デリカシーなさすぎ!」
「じゃあなんでそんなに脱ぎたがらないんだよ!」
ウーナがぽかぽかと拳を繰り出してくるのを腕でガードしながら訊く。
ウッ、とウーナが言葉に詰まった。
「……引かないなら、脱ぐけど」
「またそれか」
「引いたり、笑ったり、避けたりしないなら」
「ウーナ」
僕はウーナの目をじっと見た。
「さっきからお前の言うこと全部信じたし、一切笑ってないだろ。ちょっとくらい信用してくれよ」
僕が言うと、彼女はしばらく視線を彷徨わせた後に、覚悟を決めたようにこくりと頷いた。
「約束だからね」
念押しをするように、ウーナが言う。
その必死さに、僕は少し違和感を覚えた。
ローブを脱ぐだけでそこまで避けられたり笑われたりした経験があるということなのだろうか。
いまいち、想像がつかない。
ウーナがゆっくりとローブのボタンをはずしてゆく。
そして、上から下まですべてをはずし終えて、ローブをぱさりと後ろに落とすように脱いだ。
思わず絶句してしまった。
ローブの下に、ウーナは黒いぴっちりとした袖なしの服と、以前エルシィが履いていたような尻の下までしか布のない、丈の短いズボンを履いていた。
たわわに膨らんだ胸と、むちりと肉付きの良い脚。分厚いローブの上からは想像もつかないプロポーションがそこにあった。
……と、この際そのあたりはどうでも良い。
僕が絶句したのはそこではない。
彼女の、僕に比べてだいぶ白く見える肌の表面だ。
肌の表面には、蛇の這ったような、いや、ツタが絡みついたような、黒い模様が張り巡らされていた。
それも、どこか一部ではなく、全身に、だ。
「お前、それ……」
僕が目を見開きながら、ウーナの肌を指さすと、ウーナは目を伏せた。
「やっぱり、気持ち悪いでしょ……見た人はみんな」
「ジュナイトスの
僕は椅子から飛び上がる勢いで立ち上がり、ウーナの腕をつかんだ。
「ひゃ」
「初めて見た! 本物なのか?」
彼女の腕をまじまじと見つめる。黒いツタのような模様が絡み合うように肌の表面を走っている。どう見ても、自分で描いたようなものではない。
やはり、本物だ。
ジュナイトスの呪印。
エドリズナ王朝時代に、エドリック王に仕えた呪術師『ジュナイトス』がエルフに対して施したとされる呪印だ。さきほど読んだばかりの本にそう記されていた。
この呪術に体を蝕まれると、『元素』を身体で認識することができなくなる。つまり、元素を媒体に魔術を行使していたエルフ族は、魔法が一切使えなくなったのだ。
対魔術師兵器と、この呪術の組み合わせでエルフ族は劣勢に追い込まれ、そして、絶滅したのだと言われている。
「ちょ、ちょっと」
困ったように僕の掴んだ腕をくいくいとウーナが引っ張ったところで初めて、僕は我に返った。
「ああ、ごめん。つい……」
僕はパッとウーナの腕を離す。
しまった。引かないし笑わないとは言ったが、これはこれでデリカシーのない行動をとってしまった。
「呪いなのに、こんな風に興味本位で騒がれるのは嫌だったよな……すまん」
「え……」
僕が頭を下げると、頭上から驚いたような声が聞こえる。
顔を上げると、ウーナが信じられない、というような表情を浮かべていた。
「な、なんだよ」
「いや、だって……気持ち悪くないの?」
「気持ち悪い? なんで?」
僕が質問を返すと、ウーナは目を丸く見開いた。
「だ、だって、今までこれを村の人以外に見せたら、露骨に避けられたし……宿屋からも追い出されたし……触れただけで手を振り払われたことも」
「ウーナ」
過去を振り返りながら少しずつ涙目になってゆくウーナの言葉を、遮る。
「それはそいつらが皆、その呪印のことを知らなかったからだ。何も知らなけりゃ、確かにそれは不気味かもしれない。でも」
僕はカウンターから出て、ウーナの両肩にぽんと手を置いた。
「僕はこれが何だか知ってるから、こわくない」
「……ッ!」
じわりと、ウーナの目尻に涙が急速に溜まってゆくのが見えた。
そして、彼女はぐいと僕に近づいて。
「うわ、どうした」
僕にひしと抱き着いた。
肩が震えている。
僕の仕事用のシャツがじわとあたたかい何かで湿ってゆくのを感じた。
「なに泣いてんだよ」
「だって」
ウーナがぐすぐすと鼻を鳴らす。
今まで、村の人間以外には常に肌を見せないようにしていたということか。
見せてしまえば、必ず拒絶されるから。
そんなの、絶対に心細かったにきまっている。誰の前でも常に気を張っていないといけなかったということだ。
「苦労したんだな」
そう声をかけると、ウーナはさらに嗚咽を漏らした。
気が済むまで泣かせてやろう。
そんなことを考えながら顔を上げて、ウーナに抱き着かれたままになっていると、ふと、疑問が頭をよぎった。
ジュナイトスの呪印は、ジュナイトスが“エルフ”にかけた呪いだったはずだ。
それが、なぜ現代の人間であるウーナの身体に現れているのだろうか。
妙な違和感が胸につかえた。
「なあ、ウーナ」
「……?」
涙でくしゃくしゃの顔でウーナが僕を見上げてくる。
「その呪印って……」
僕が口を開くのと同時に、店のドアが乱暴に開かれた。
「やっほーアシタ! あたしが全然店に来なくて寂しかっ……た……?」
大きな麻袋を担いで、店内に飛び込んできたのはエルシィだった。
そういえば、所用でトラトリオに行くとか言っていたっけか。
ハマグリの飼育に必死すぎて、存在を忘れていた。
そんなエルシィの視線が、まず僕を捉えて。次に、僕に抱き着いているウーナにゆっくりと移った。
そして、また僕の方を見た。
「あっ」
エルシィは大口を開けて。妙にカチコチとぎこちない動きで頷いた。
「あ~~~~、そっかそっか」
うんうん、と頷いて、エルシィは踵を返す。
「邪魔しちゃったか! ごめん! また来るね!」
不自然なほどに明るい声を出して、エルシィが店のドアを出てゆく。
パタン、とドアが閉まったところで、理解した。
これ、誤解されたんじゃないか?
夜ということもあり、ろうそくだけで光を確保している店内は少し薄暗い。
加えて、僕に抱き着いているのは身長は低いながらにボインボインでムチムチの女の子だ。
気付いたとたんに、僕は店のドアに向かって走り出していた。
ガチャリとドアを開けて、驚くほど早足で店を去ってゆくエルシィの背中に大声を投げつける。
「待て待て!!! 違うから!!!」
振り返ったエルシィは、にこにこと笑っていた。
「いいからいいから! 大丈夫! お邪魔しました!」
「だから、違うんだって!!!」
その後、エルシィの誤解を解くのに数十分を要した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます