第2話  エルフはもういないかもしれない


 愕然とした。


 一旦読書を中断して、カップ一杯の水を飲んだ。

 そして、店長のお気に入りのチェアに腰をかけ、深くため息をつく。


『古代エルフ文化史書』は本当に興味深い歴史書だった。

 著者の名は、『オクタヴィア=イル=ヴァンダグラフ』というらしい。表紙にそう記してあったが、名前が三節にもなっている、というのは妙だった。どこの地方の人間なのだろうか。


 それはともかく。

 命を懸けてダンジョンに潜った甲斐もあったというものだ。

 死ななくて良かった。

 ああ……。

 生きてて良かった!!

 幸せを噛み締めながら鼻歌交じりに読み進めていたのだが、次第に僕の表情は曇り始める。


 エルフは、高度な魔術を操る種族として、人類と“共存”する形でその文化を築いていたのだという。

 エルフ特有の尖った耳は大気中の『元素』を敏感に感じ取り、魔術へ昇華させるためのアンテナとして機能していた。

 現在人類が行使している魔術の基礎の大半が、エルフによって開拓されたものだということも記されていた。

 そして、エルフは人類に“魔術”を、人類はエルフに“生産技術”を提供し合い相乗効果で文明レベルを高めていったらしい。


 それが、大体千年前くらいの話。


 しかし、エドリズナ王朝時代――つまり、四百年ほど前――に、その関係は崩れ去った。

 なぜなら、エドリズナ王朝は“魔術に頼らない国家”を目指したからである。

 エドリズナの王、エドリックはエルフとの協力関係を一方的に拒否した。そして、ゴーレムを始めとした“対魔術師兵器”を次々と生み出したという。


「対魔術師兵器……ね」


 僕は独りごちて、さらにページをめくった。

 対魔術兵器の恐ろしさの片鱗は、僕もこの身で味わっている。

 ゴーレムのような、物理にも強く魔法も通じない兵器がいくつも作られたとなっては、魔術を主軸に発展した者たちはひとたまりもないだろう。その後の展開は容易に想像がつく。


 エルフは必死に人類との共存をエドリズナに打診し続けたが、すべて拒否された。そして、対魔術兵器によるエルフ族の弾圧が始まった。

 弾圧はあっという間に進行し、エドリズナ王朝人による“狩り”のような快楽的な殺害や性的暴行などの執拗な行使によってエルフはあっという間にその数を減らしたという。


「ひでぇ……」


 思わず声が漏れた。

 後世の人間としては、本当に「なんてことをしてくれたのだ」という感想しかない。

 非道な行いがすべて正当化されていること自体にも腹が立つし、なによりこの行いによって未来の人類は“エルフ族”と“魔術”という二つの宝を失ったのだ。


 しかし、ここまで読んで、僕の中には一つの疑問が浮かび上がってくる。

 確かに、対魔術兵器の威力はすさまじかっただろう。それは自分でも体験したことだから分かる。

 だが、エルフの魔術もエドリズナ王朝が自国の“脅威”だと思うほどには強力だったのだ。魔術を攻略する技術があったとしても、それに対する策を練らないほどにエルフが貧弱だったとはどうも考えにくい。

 ここまでエルフが一方的に弾圧された理由は、他にあるのではないだろうか。


 首を傾げながら僕がページをめくったその時。



 ボトボトボトッ!

 ドスンッ!


 本屋入口の本棚の方から何かが崩れたような音が聴こえてくる。


「なんだ、どうした!」


 椅子から立ち上がってそちらを覗き込むと、崩れた本の前で、ウーナが慌てていた。


「な、なんか崩れた」

「崩したんだろ……」


 溜め息をついて、ウーナのところまで歩いてゆく。

 足元を見ると、本棚の上段あたりにあった本がバラバラと落ちて散らばっていた。


「お前なぁ……」


 ウーナをじとっと睨むと、彼女はふいとこちらから視線を逸らす。


「本棚のホコリを払っておいてくれ、って頼んだだろ? どういうホコリの払い方をしたらこんなに崩れるんだよ」


 訊くと、ウーナはバツが悪そうに視線を床に落としながら答えた。


「本の高さが、合ってなかったから。気になって並べ替えてたら……」

「余計な事しなくていいから! 作者の名前順で並んでるの!」


 僕が嗜めると、ウーナは少しムキになったように僕の目をキッと睨んできた。


「でも、本の高さが合ってないと見栄えが悪い」

「見栄えよりも探しやすいほうが大事だろ」

「見栄えが悪い店は儲からない」

「ここは僕が預かってる店だ。僕の言うことを聞かないなら出て行ってくれ」


 僕が殺し文句を口にすると、ウーナはぐっと言葉を飲み込むように黙り込んだ。

 まったく。

 言った通りにやってくれればいいものを。

 しかし、言われてみると。

 バラバラな大きさの本が横に並んでいる様子は、雑然としたイメージをこちらに与えてくるのは確かだ。

 無言で本棚を見つめていると、ウーナが脇腹を小突いてくる。


「気になるでしょ」

「別に」


 僕は口をへの字にして、散らばった本を拾った。

 この雑然とした感じが良いのだ。古き良き本屋、という感じがするじゃないか。

 一人心中で頷く。


 ウーナも地面の本を拾って、僕に手渡してきた。


「なんで僕に渡すんだ」

「背伸びしないと届かないから」

「僕にしまえと」

「そう」


 当たり前のように頷くんじゃない。

 僕は溜め息をついて、本棚の上段に本をしまい始める。

 まあ、無理にやらせてまた崩されてはたまったものではない。さきほどまでは真面目にホコリを払ってくれていたわけだし、これくらいは僕がやってもいいだろう。


「きいてもいい」

「なんだよ」


 僕が本をしまう様子をじっと見ながら、ウーナが口を開いた。


「アシタはこの店の店長なの?」


 ちらりとウーナに視線をやる。


「違うよ。店長が旅に出てるから、僕が店を預かってるんだ」

「ほかに店員はいないの」

「いないよ。僕だけ」


 ウーナは頷いて、僕の答えに納得したようだった。


「僕も、質問していいか?」

「なに」


 きちんと作者名順になっているかを指でさして確認しながら、僕はウーナに問いを投げかける。


「なんで、そんなにエルフのことを知りたがってるんだ? わざわざ十日もかけてここまで来たんだろ」


 ウーナは、ぐっと言葉を飲み込むように下唇を噛んだ。

 何か、言えない事情があるのだろうか。

 それならば、無理に訊くようなことでもない。


「ああ、言いたくないなら別に……」

「笑わないなら言う」


 言いたくなければ言わなくて良い、と付け足そうとしたところを、ウーナに遮られた。

 彼女を横目に見ると、少し怯えるような顔でこちらをじっと見ていた。

 僕は本棚にまた視線を戻す。


「笑わないよ」

「嘘だって言わないなら言う」

「言わないよ」


 彼女の表情を見ていれば分かる。

 相当な強い決意をもって、ここまで来たのだ。

 僕が本を読み終えるのをわざわざここで待つほど、彼女にとっては重要なことなのだ。

 それを笑うものか。

 ただ、それほどに彼女がエルフの情報を欲する理由に、単純に興味があった。


 ウーナは小さく頷いて、ぽつりと、言った。


「エルフは絶滅したって言われてる」

「そうだな」

「アシタはそれを信じる?」


 ウーナは真剣な表情で僕に問いかけてきた。

 僕は眉を寄せて、首を傾げた。


「なんとも言い難いな。絶滅した、ということになっているわけだから、『そうなんだ』と思うしかない。この目でエルフの実在を確認することができれば、認識を改めるかもしれないけど」


 僕の言葉に、ウーナは目を丸くした。


「見間違いだとか思わないの」

「エルフ以外に耳の長い人種がいるか? もし見たなら、見間違うはずがない」


 僕がそう言った途端に、彼女は僕の腕をガシッと掴んだ。

 驚いてウーナの顔を見ると、今までの無表情さからは考えられないほどに、目がきらきらと輝いていた。

 な、なんだ。どうしたんだ。


「みんな嘘だって言うの!」


 今までより大きな声で、ウーナは言った。


「何を?」


 僕が訊くと、ウーナはこくこくと首を縦に振って、答えた。


「私、エルフを見たの」


 ウーナの言葉に、僕の思考は一瞬フリーズした。


「は?」


 エルフを見た、と。

 そう言ったのか?


「くわしく聞かせてくれ」


 気付けば、そう口走っていた。


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