第2章

第1話  確かでない情報は売りたくない


 肉を、焼いている。

 今朝買ってきたばかりのウルフのもも肉だ。

 火打石を使い、悪戦苦闘しながら小枝に火をつけ、それを薪木に移らせて大きな炎にした。

 そして、その上に金属製の焼き台を置く。

 焼き台が十分に熱くなったら、その上にウルフのブロック肉を置いた。

 ジュッと肉の表面が一気に焼ける音がして、じわじわと肉から油が浮き出てくる。


 なぜこんな朝早くから起き出して、本屋の前で肉を焼いているのかというと。


「ハマグリ、メシだぞ」


 ハマグリの朝食を作ってやっているのだ。

 ラプチノスは肉食動物なので、肉ならばたいていの物を好き嫌いせずに食べるという。

 なので、比較的安価で手に入るウルフの生肉を用意してやったのだが、なぜかハマグリはそれを食べたがらなかった。

 スンスンと匂いを嗅いだ後に、何か言いたげにこちらを見てきて、口にすることはしなかった。

 どうしたものかと困り、「もしかしたら、焼けば食べるんじゃないか」というあまりに適当な予測を立て実行してみたところ、まさかの大当たりだった。

 焼いた肉であれば、ハマグリはもりもりと食べた。

 そういうわけで。

 ハマグリを飼い始めてからというもの、僕は朝には必ず本屋の前で肉を焼いている。

 朝、昼、夜の三食分を朝のうちに焼いてしまうのだ。


「ぜってぇ僕より食費高いよなぁこいつ……」


 三食すべてウルフ肉とは、ずいぶんと贅沢な食事である。

 独りごちながら、美味そうに焼きあがったウルフ肉を3つに切り分け、その一つを平たい石皿に置いた。


「ハマグリ! 起きろ!」


 当のハマグリはというと。

 本屋の前の草地で身体を丸めて、うとうとと目を細めていた。

 こいつの野生は数日でどこかへ消えちまったらしい。

 随分と無警戒で眠っている。

 僕は溜め息をついて、石皿を持ってハマグリの目の前まで歩いて行った。

 ハマグリの鼻先にウルフ肉を置いてやると、ハマグリは鼻をぴくぴくとさせた後に、ぱちりと目を開いた。


「ォァ……」

「おはよう」


 ぼんやりとしたまなこで僕の方を見て、ハマグリの顔がずいと僕の方に近づいてくる。


「うわ」


 ハマグリがべろべろと僕の顔を舐め始めた。

 舌の妙なねばりけとあたたかさに驚いて、僕はぐいぐいとハマグリの顔を押しのけた。


「僕じゃなくてメシ! メシを食え」


 コンコン、と石皿を叩くと、ようやくハマグリは自分の食事がそこにあることを認識したようで、ぺろりと肉の表面を一度舐めた後に、もさもさと肉を噛み始めた。


「よしよし。のんびり食え」


 僕はハマグリの首の後ろを軽くなでて、立ち上がる。

 焼き台に戻り、残りの二かけらの肉を皿にうつして、すぐに焼き台を畳む。

 僕の朝食はパンのみで十分だ。


 ハマグリと暮らし始めてから一週間ほどの時間が経った。

 ラプチノスという生物とうまく暮らしてゆけるかは少し不安だったが、ようやく僕の生活の中にハマグリが溶け込んできたように思う。


「さて、僕もメシを食べ……」


 焼き台を畳み終え、ぐいと背伸びをしながら自分の朝食について考えようとしたその時。

 僕は自分への視線に気が付いた。

 視線を感じる方に目をやると、そこには僕よりもだいぶ身長の低いように見える少女が立っていた。


 その下にどんな服を着ているのか分からないほど分厚く、かつ丈の長いローブを身に着けて、髪の毛は後ろで二つに結び、肩から前に垂らしている。

 淡い赤色の髪の毛が妙に朝の景色に映えていた。


 そんな少女が、こちらをじっと。

 じーーーっと。

 じーーーーーーーーーっと見ていた。


 見つめ合うこと数十秒。

 沈黙に耐えきれなくなった僕はついに少女に声をかけることにした。


「えっと、なにか?」


 僕が訊くと、少女は表情を一切変えずに、つかつかと僕の目の前まで歩いてきた。


「あなたが、アシタ・ユーリアス?」


 表情を一切変えずにそう訊いてくる少女に、僕は半ば困惑しながら首を縦に振った。


「そうだけど……」

「情報屋の」

「いや、本屋の」


 実質情報屋と言ってしまっても間違いではないのかもしれないが、僕は本屋の店員である。そこは譲れない。

 僕が首を横に振ると、少女はまたもや表情を変えずに、首だけを小さく傾げた。


「ここに来れば情報が買えると聞いた」

「本屋だけど、情報は売ってるよ」


 僕の言葉に、少女ははっと息を吸い込んで、すぐに自分のローブの中に手を突っ込んでごそごそと何かを探り始めた。

 そして、掌ほどの大きさの麻袋を取り出して、僕にぐいと押し付けた。


「これは?」


 状況が飲み込めず、僕が首を傾げると、少女はもう一度麻袋を僕に押し付ける。


「“エルフ”について、知っていることを全部教えて。これ全部あげるから」


 麻袋を受け取って中身を見ると、パッと見た限りで二十枚以上の金貨が入っていた。


「こんなにもらえないよ。それに……」


 僕はそこで言葉を区切って、頭をぽりぽりと掻く。

 エルフ、と来たか……。

 僕は苦笑して、少女にゆっくりと言った。


「僕も、エルフについては勉強中なんだよ。教えられることは少ないと思う」

「勉強中」

「そう。今ちょうどエルフについて書かれた本を読んでいるところなんだ。まだ正確なことは君に教えられない」

「……なんでも知ってる人がいる、って聞いたから来たのに」


 誰だそんなことを言ったやつは。

 信用されること自体は構わないと思うが、僕の知らないところでこの店の期待値を無駄に上げるのはやめてもらいたい。結果的にがっかりされてしまっては逆にこの店の価値が下がってしまう。


「まあ、立ち話もなんだし、中で話そう」


 僕が本屋をゆびさしてそう提案すると、少女もこくりと頷いた。





 カウンターを挟んで僕の向かいに立っているのは、ウーナ・エルペティアという名の少女だ。

 詳しい事情は分からないが、“エルフ”の情報を求めてエルノス地方からやってきたらしい。


「エルノス地方って……魔車ましゃをどれだけ乗り継いで来たんだよ」


 僕が訊くと、ウーナは掌をパッと開いて言った。


「五つ。一つにつき二日くらい乗った」

「うわ、十日もかけて来たのかよ……」


 困った。

 それでけ時間をかけてここまで来てくれたというのに、僕から提示できる情報は少ない。

 エルシィからもらった『古代エルフ文化史書』だが、あの冒険から帰って来てからというものハマグリのためにラプチノスの飼育方法を調べたり、それを元に試行錯誤したりで、あまり読み進められていないのだ。

 もちろん少し読んだだけで分かったこともたくさんあるし、そのすべてが目に新しい情報だった。

 しかし、本というのは一冊すべて読み終わるまではその情報が“指している”ことがわからないパターンが多い。

 つまり、読み終える前にその情報の“活用の仕方”や“真意”を勝手に想像して使ってはいけないのだ。そういう浅い読み方で情報を蓄えると、大抵肝心なときに情報の使い道を間違える。


 パッと見たところ、ウーナの羽織っているローブはどう見ても冒険者のまとうそれだ。ところどころに焦げ跡や何かをこすったような傷がついているところから見ても、彼女が普段から冒険者として活動していることは手に取るように分かる。

 客が冒険者であるなら余計に、適当な情報を売ることはできない。

 その情報が本人の命を左右することもあるのだ。


 ウーナをじっと見つめながらぐるぐると考えを巡らせていると、ウーナは少し頬を赤くして身じろぎした。


「な、なに」

「ああ、いや、すまん」


 僕は慌ててウーナから目を逸らす。


「悪いけど、数日経ってからまた来てくれないかな。今読んでいる本がちょうどエルフに関する内容なんだよ」

「今の時点で分かっていることを教えて」


 まあ、そうなるよなぁ。

 何故だか分からないが、彼女は妙にエルフの情報に執着しているようだった。

 しかし、やはり本を読んでいる途中でその情報を安易に受け渡すことはしたくない。


「情報って言うのは一つだけ持っていても仕方がないんだよ。組み合わせ方が重要なんだ。だから、本を読んでいる途中で情報を売ることはできない」

「どうして」


 常に表情の変化が乏しいウーナだが、その時だけは少しムッとしたのが雰囲気から感じ取れた。

 僕は、語気を少し強める。


「どうしてもと言うなら、売ってやってもいい」

「どうしても……」

「でも、僕が売った情報が正しいかどうか、君は判断できるのか? それに、断片的な情報だけ買い取って、それを活用できるのか?」


 僕が訊くと、ウーナは言葉を詰まらせた。


「そんな不確かなものに、お金を払うもんじゃない」


 ウーナはうつむいて、苦し紛れに、反論してくる。


「あなたは、情報を売りたいの、売りたくないの」


 僕は失笑した。


「売りたいに決まってるだろ。金を稼がなきゃ生きてけないんだから」

「じゃあどうして」

「適当な仕事して金はもらえないだろ」


 僕の言葉に、再びウーナは言葉を詰まらせた。

 手詰まり、といったように下唇を噛んでいる。


「それに、使えない情報ばっかり売ってたら客が来なくなる。客が来なくなったら商売にならない。分かったか?」

「……それは、分かった。けど」


 ウーナは視線をうろうろとさせた後に、僕の目の前にある『古代エルフ文化史書』を指さした。


「……それ、いつ読み終わる?」

「数日はかかる。情報として売るなら最低でも二周は読みたいしな」


 僕が答えると、ウーナはこくりと頷いた。


「じゃあ、それまで待つ」

「そうしてくれ」

「ここで」

「ああ、構わな…………ん?」


 ここで、と言ったか?


「僕が読み終わるまでここで待つって?」

「そう」

「それは困る」

「どうして」


 どうして、と来たか。


「お前の分の寝床もないし、メシもない」

「寝床なら気にしなくていい。床でも寝られる」

「そういう問題じゃなくてな……」

「ご飯も、自分で買ってくる」

「宿をとれよ。半日も歩かずにイシスっていう良い街があるぞ」


 僕の言葉に、ウーナは明確に表情を曇らせた。

 さきほどまで表情がピクリとも変化しなかった彼女が、初めて見せた表情の変化に僕は少し戸惑う。


「宿は、嫌」

「なんでだよ」

「……嫌なものは、嫌」


 下唇をぐっと噛んで、ウーナは俯いてしまった。

 ……これでは埒が明かない。

 僕は深くため息をついて、首を縦に振った。


「分かった。僕が読み終わるまでここにいていい」

「……本当?」


 僕の言葉に、ウーナが顔を上げて、僕をじっと見た。


「本当だ。でも、本屋の仕事はしてもらうぞ」

「わかった」


 ウーナは頷いて、すぐに視線を宙でうろうろさせた。

 そして、少し頬を赤くして、言った。


「……ありがとう」


 僕は再びため息をつく。

 面倒なことになった。

『古代エルフ文化史書』に目をやる。

 ゆっくり、じっくり読もうと思っていたのになぁ……。

 急かされながら読書をするのは嫌いなのだ。


 それに。

 ウーナをちらりと見る。

 宿に泊まりたがらないということから考えるに、どうも彼女は“ワケあり”らしい。

 問題に巻き込まれるのはごめんだぞ。

 数日は店を閉めておこうか。


 そこまで考えて、首を横に振った。

 ただでさえここ一週間以上まともに営業できていなかったのだ。

 魔晄石やゴーレムの売却金で貯蓄が増えたとはいえ、そろそろ仕事をしないとあっという間に貯蓄はなくなってしまう。


「はぁ……本当に、最近はどうなってんだ」


 小さく呟く。


 頼むから、静かに読書をさせてくれ。








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