幕間

魔術師とラプチノス


「あ、来てくれたんですね」


 こじんまりとした民家の扉をノックすると、中からつい最近世話になった聖魔術師が顔を出した。


「身体はもう平気ですか?」


 そう言って小首を傾げてみせるのは、聖魔術師のアルマだった。

 前回冒険に行ったときの白いローブではなく、今日は上半身に綿を編んで作られたゆったりとした服と、下半身は黒いロングスカートという姿をしている。

 落ち着いた雰囲気の服がよく似合っていて、僕は少しどきりとしてしまった。


「おかげさまで」


 彼女から目を逸らしながら僕がそう答えると、アルマはにこりと微笑んで、扉を大きく開いた。


「さ、どうぞ」


 僕は小さく頷いて、アルマの自宅へ足を踏み入れた。







 遡ること数日前。

 エルシィの自宅から本屋へ帰った僕は、あることを思い出す。


「あれ、ラプチノスはどうなったんだ?」


 僕を守ってくれた大切な相棒だ。

 眠っている間に、あいつはどうなったのだろう。

 エルシィに尋ねると、ああそういえば、と彼女は手をぽんと叩いた。


「ラプチノスはアルマが預かってくれてる」

「アルマが?」


 意外な展開に、僕は思わず眉根を寄せた。

 あのおとなしいアルマが、ラプチノスを連れて帰ったとはどうも想像がつきにくい。


「ちょっとむかつくんだけどさ」


 いつものようにカウンターに頬杖をついて、エルシィは悪態をついた。


「あいつ、私とラッセルのことは蹴とばしたくせに、アルマの言うことは聞いたの。だから、アシタが起きるまではあの子が預かるってことになって」

「ふっ」

「なんで笑ったの今」


 ラプチノスがエルシィを蹴とばす光景を想像して失笑してしまった。


「怪我しなかったか?」

「え、なにが」

「蹴られた時だよ」


 僕が訊くと、エルシィはきょとんとして、すぐに少しだけ頬を赤くした。


「しないよ、子供じゃないんだから」

「いや、ラプチノスに攻撃されたら大人だってひとたまりもないっての……」


 つまりラプチノスも本気で蹴り飛ばしたというわけではないようだ。

 本当に、賢い動物だと思う。

 しかし、アルマの言うことだけは聞いたというのも不思議な話である。

 あれだけの……詳細は省くが、壮絶なやりとりをした僕にラプチノスが懐いたのはまだ納得できる。まあ、それも奇跡に近い何かではあったと思うが。

 ただ、アルマは特にラプチノスと接触をとっていた様子もない。それどころか近づこうともしていないように見えた。


 疑問は残るが、とにかくアルマが預かっているということならば、返してもらいに行かなくてはならない。

 あのラプチノスは僕が手懐けたのだから、僕が飼う。

 妙にラプチノスに対して愛着が湧いてきているのを感じていた。


「アルマの家の場所、知ってるか?」

「……知ってるけど」

「けど?」


 僕が訊くと、エルシィは僕をじとっとした目で見た。


「押しかけて変なことしないよね」

「しねえよ!!」


 相変わらず失礼な奴だ。

 僕をなんだと思っている。


 エルシィは溜め息をついて、僕に何かを要求するように手を差し出してきた。


「え、なに」

「書くものちょうだい」

「ああ……」


 地図でも書いてくれるのだろうか。

 僕はカウンターの下に潜り、積んであるメモ用の裏紙を一枚手に取った。


「お前は来ないのか?」


 紙と羽ペンを手渡しながらエルシィに訊くと、エルシィはスラスラと図のようなものを書きながら答える。


「あたし、ちょっと数日トラトリオに行かなきゃだから。行くなら一人で行って」

「トラトリオ? 何の用だよ」


 トラトリオはここから西に進んだところにある、海沿いの貿易街だ。

 魚料理が美味しく、また、全世界の冒険者ギルドを取りまとめる総本山もそこにある。

 しかし、ここからはかなり距離の離れた街だ。

 商人から魔車ましゃを借りて全速で走らせたとしても、三日か四日はかかるだろう。


 僕の問いに、エルシィは一瞬図を描く手を止めて、ちらりと目線だけ僕に寄越した。


「何の用でもいいでしょ」

「まあ、そうだな……すまん」


 立ち入ったことを訊いてしまった。

 彼女も冒険者だ。いろいろあるのだろう。

 心中で反省していると、エルシィは小声で「別に謝らなくてもいいけどさ」と呟いた。


「はい。これ地図ね」

「おお……」


 エルシィが寄越した地図を受け取って、僕は感嘆の声を漏らした。


「アルマはこの前行ったイシス二番街からちょっと歩いたところに住んでるよ」

「そうみたいだな」


 手渡された地図には、エルシィと防具を買いに行く時に待ち合わせた噴水前広場からのアルマの家までの道筋と目印が書き込んであった。


 な、なんというか……。


「意外だ……」


 僕がつぶやくと、エルシィは首を傾げた。


「何が?」

「いや、エルシィがこんなにきれいに地図を描くタイプだとは思ってなくてな」

「なにそれ」


 エルシィはぷぅと頬を膨らませた。

 改めて地図に目を落とすと、広場からの通路と、目印が本当に細かく書き込まれている。図の綺麗さにも驚くのだが、ここまで街の中の情報を記憶していること自体に驚いてしまう。


「これなら絶対に迷わなそうだ。よくここまで正確に覚えてるよな」


 僕が言うと、エルシィは自分の髪の毛をくるくるといじくりながら、少し照れたように答えた。


「普通でしょ」


 いや、どう考えても普通の記憶力ではないと思うのだが……。

 普段から様々な街を渡り歩いているエルシィからすれば、これくらいは朝飯前ということなのだろうか。


「まあ、とりあえず地図は渡したから。好きな時に行けばいいんじゃない」

「今日、行こうかな」

「……アシタにしてはフットワーク軽いね。そんなにアルマに会いたいの」


 エルシィが再びじとっとした視線を送ってくるので、僕は慌てて首を横に振った。


「ラプチノスを迎えに行きたいんだよ! あいつは僕が躾けたんだから」

「ふぅん……」


 半信半疑、といった様子でエルシィは僕から視線をはずして、カウンターからがたりと立ち上がった。


「じゃ、行くね」

「ちょちょ、待て待て」


 店の扉へ歩みを進めようとする彼女を、僕は呼び止めた。


「なに」

「ほら、これ」


 僕がエルシィに手を差し出すと、エルシィは訝しげな表情を浮かべながらカウンターまで戻ってくる。


「なにこれ」

「いいから、手出せよ」


 僕はぎゅっと握った拳を前に出したまま、エルシィに掌を上に向けて差し出すのを促す。

 エルシィは首を傾げながら、言われたとおりに僕の拳の下に手を差し出した。

 僕は握っていた拳をぱっと離し、手に持っていた金貨をエルシィの掌の上に落とした。


「え、なに」


 エルシィは困惑したように掌の上の金貨に目をやって、その後に僕を見た。


「地図書いてくれたろ」

「え、いいよ別に。あんなの」


 エルシィが金貨を返そうとしてきたので、僕はそれをぐいと押し返した。


「地図くれなかったら僕はアルマの家への行き方が分からなくて困っただろうから」

「紙もペンもきみのでしょ」

「情報はタダじゃないんだ」


 僕がダメ押しのように強くそう言うと、エルシィは渋々頷いて金貨をポケットにしまった。

 よし。

 ダンジョンに潜る前に、僕が納得できない金貨をこいつに掴まされたからな。

 ささやかな、仕返しである。


 さて、得るべき情報は得た。

 ラプチノスを迎えに行こう。


 エルシィを見送った後、僕はちょっとした旅支度をして、本屋を出た。








 と、いった事情で、今アルマの家にやってきたわけなのだが。


「どうぞ、楽になさってください」

「あ、はい……」


 妙に、緊張してしまう。

 比較的生活感のなかったエルシィの家に対して、アルマの家はなんというか……。

 視線だけを動かして、居室をぐるりと見回した。

 木でできた食卓の上には、かわいらしい薄ピンク色のテーブルクロスがかかっている。

 アルマが立っている台所にも、小さなお皿やカップなど、それらを使って普段食事をしているだろうことが分かる小物に溢れていた。

 こころなしか、甘い、良い匂いがするような気もする。

 とにかく。

 女の子の部屋だった。


「何か飲みますか?」

「あ、えっと、お任せで」

「ふふ、ではリョクチャでも淹れましょうか」


 にこりと笑って、アルマは床に置いてあった壺のような入れ物から何本かの小枝と薪木を選らんで取り出した。

 そして、火鉢の中に丁寧に並べて。


「ほっ」


 そこにアルマが手をかざすと、薪木と小枝に火がついた。

 何事もなかったかのようにアルマはその上に、水の入ったやかんを吊るした。


「おお……それも聖魔術か?」


 聖魔術については本でいろいろと読んだことがあるが、さすがに火をつけるのに聖魔術を応用するという話は聞いたことがない。

 僕が訊ねると、アルマは少し照れるように視線を火鉢の方にやりながら答える。


「今のは、ちょっとした黒魔術ですね」

「ちょ、ちょっと待て。アルマは聖魔術師なんだよな?」


 僕の質問に、アルマは首を縦に振る。


「そうですね」

「でも、黒魔術を使うのか?」

「ええ。聖魔術をもっぱらとしているだけで、他の魔術も少しはかじっています」


 その答えを聞いて、僕は口をぱくぱくとさせた。

 高位の魔術師は自分が得意とする魔術以外を行使することもある、ということは本にも記述があったが、そんなことができる魔術師を自分が目にするとは思ってもいなかった。


「アルマは高位魔術師なんだな……」


 僕が呟くと、アルマはうーんと唸ったあとに、小さく頷いた。


「一般では……そう呼ばれる程度の実力はあるのかもしれませんね」

「謙遜するなよ。すごいことじゃないか」

「い、いえ……なんというか」


 アルマは僕に背中を向けて、もじもじと身体を揺すった。


「褒められることにはあまり慣れていないので……」

「そうなのか」


 これだけの魔術の才があれば、普段から多くの人に褒められそうなものだが……。

 僕が疑問に思っていると、やかんがカタカタと震えだし、湯気が立ち上りはじめた。


「あ、沸きましたね」

「早いな……」


 まだ火をつけてから数分しか経っていないような気がするが……。

 火を見ると、普段目にする赤い炎とは違い、青い光を放っていた。


「温度が高いのか……」

「え?」

「あ、いや、すまん独り言だ」


 炎は、その純度が高まれば高まるほど温度が上がり、そして青く燃えるという。

 僕たちがふだん焚火をするときは炎は赤く燃え、とうてい青くなるようなことはないが……。

“かじった”程度の黒魔術でも、純度の高い炎を起こすことくらいは容易だということなのだろうか。

 黒魔術師と会ったことがないので、なんとも判断がつけづらい。

 僕が炎をまじまじと見つめていると、台所からふわりと、苦いとも甘いとも言えない香りが漂ってくる。


「ん……?」


 僕がその香りに反応を示すと、アルマはぱぁと表情を明るくした。


「リョクチャの香りですよ」

「リョクチャって……確か極東の飲み物だったよな」

「そうです、そうです」


 アルマは頷いて、僕に小さなカップを寄越してきた。


「どうぞ」

「ありがとう」


 カップからはあたたかい湯気が立ち、中には薄緑色の液体が入っていた。


「す、すごい色だな……」

「ふふ、こっちの人に出すと皆そういう顔をするんですよ」


 アルマは楽しそうに微笑んで、自分の手に持ったカップを傾けた。

 こくりと一口液体を飲み込んで、アルマはふぅと溜め息をついた。


「落ち着くんですよ、これ」

「故郷の味ってやつか」

「そう、そう。それです」


 アルマが満足げに頷いて、もう一口飲んでいるのを見て、僕もその味に興味が湧いてきた。

 おそるおそる、カップに口をつけて中身を啜る。


「……はぁ」


 溜め息が出た。

 喉を通って、全身に温かさが行き渡るような感覚を覚える。

 鼻を抜けてゆく渋い香りが、妙に心地よい。

 舌の上には渋さの奥に潜んでいた甘みが残って、不思議な快感があった。


「美味い」

「そうでしょう!」


 アルマは嬉しそうにうんうんと頷いて、自分も僕の座っている椅子の、テーブルを挟んで向かい側に腰をかけた。

 そして、僕をじっと見て、言った。


「ラプチノスを迎えに来たんでしたっけ」

「ああ、そうだった」


 リョクチャの美味しさに感動して、本題を忘れていた。


「あいつはどこに?」


 僕が訊くと、アルマは視線をゆっくりと動かして、その後に僕の後ろ側にある扉を指さした。


「そのお部屋の中にいますよ」

「家に上げたのか? 暴れたりしなかったか」

「いやもう、私も驚くくらいに大人しくて。手のかからない子でしたよ」


 そうなのか……。

 エルシィやアルマの話を聞けば聞くほど、疑問は大きくなってくる。

 ラプチノスはそこまで人間に対して警戒心の薄い魔物ではなかったはずだが……。


「開けてもいいのか?」

「ええ、どうぞ」


 アルマの指さした扉に手をかける。

 そして、ゆっくりその扉を開けた。


「ォアッ!!」

「うおっ!」


 中から、元気よくラプチノスが飛び出してきた。


「ぐぇっ」


 僕は床に押し倒されるような形でラプチノスに飛びかかられた。


「おいおい、僕! 僕だから!!」


 敵だと思われたのかと焦った僕はラプチノスの胴をぺちぺちと叩くが、ラプチノスは僕の上半身に頭をこすりつけている。


「ォアッ!!」


 頭を上げたラプチノスが僕の方をまじまじと見つめて、顔を近づけてくる。


「や、やめ……」


 食われる!

 目をぎゅっとつぶると、顔の表面にヌメリとした感触が這った。


「ん……?」


 おそるおそる目を開けると、ラプチノスがべろべろと僕の顔を舐めていた。


「……なんだよ、驚かせやがって」


 僕は安堵して、身体をぐいと起こした。

 ラプチノスも素直に僕から降りて、舌を出したままハァハァと息をしている。

 一部始終を見ていたアルマは可笑しそうに肩を震わせていた。


「本当に、仲が良いんですね」

「まあ、懐かれてはいるらしい……」


 僕が答えると、アルマはふと思い立ったように言った。


「そういえば、名前は付けてあげないんですか?」

「名前?」

「そうですよ。ずっとラプチノスって呼んでるでしょう」


 言われてみれば、確かにそうだ。

 ラプチノスはこいつの便宜的な名称のようなもので、本人を呼称する呼び名とはいえない。

 物語で、ドラゴンが主人公のことを「おい人間」と呼ぶようなものだ。


「名前……かぁ」


 ぼんやりと考える。

 このラプチノスは、賢く、足が速く、そして、僕を何度も助けてくれた。

 そういうところから名前を付けてやりたいところだが……。


「極東では、愛玩動物には食べ物の名前をつけたりすることもありましたよ」


 アルマがふとそんなことを言った。


「食べ物の名前?」

「そうです。例えば、“ヒジキ”とか“シジミ”とか」


 ヒジキ、シジミといえばどちらも極東でとれる海産物だった気がする。


「食べ物か……」


 ふと思い返して、最近目にした食べ物を想像する。


「ウルフ肉サンド……」

「さすがにそれは呼びづらくないですか」


 ふと口に出した食べ物の名前をアルマは耳ざとく聞き取った。

 いや、言ってみただけだから。

 名前にならないことくらい分かってるから。


「じゃ、じゃあアルマはどういう名前がいいと思うんだよ」

「え、私ですか」


 僕が照れを隠すようにアルマに話を振ると、アルマは顎に手を当てて考え込んだ。


「うーん……」

「好きな食べ物とかでもいいぞ」


 僕が助け舟を出すと、アルマはハッと顔を上げる。


「ハマグリ! ハマグリが好きです!」

「ハマグリ?」


 ハマグリ、という食べ物は聞いたことがないが、おそらくそれも極東の料理なのだろう。

 しかし。

 ハマグリ、か。


「ハマグリ」


 ラプチノスの顔を見ながら、そう言ってみる。

 ラプチノスは小首を傾げながらこちらをじっと見ていた。


 妙に、しっくり来てしまった。


「うん、ハマグリ」


 僕は頷いて、アルマの方を見た。


「こいつの名前、ハマグリにするわ」


 僕が言うと、アルマは目を丸くした。

 そして、アルマにしては大きめな声で、言う。


「正気ですか!」


 お前が言ったんだろうが。






 かくして、ラプチノスの名前は『ハマグリ』に決まった。

 名前が決まってハマグリも少し満足げだ。気のせいかもしれないが。


「さて、ハマグリとも会えたことだし。こいつ連れてそろそろ帰るよ」

「あ、待ってください」


 僕がテーブルを立とうとすると、アルマが僕を呼び止めた。


「なんだよ」

「あの……その……」


 アルマは妙に歯切れ悪く、視線をきょろきょろと動かしている。


「どうした」


 僕が椅子に座りなおして訊くと、アルマは首を縦に小さく振った。


「実は……少し見てほしいものがあって」

「ん?」


 アルマが席を立ち、ハマグリのいた部屋に入ってゆく。

 そして、すぐに何か小さな箱を持って戻ってきた。

 僕の向かい側に座りなおしたアルマは、小さな箱を僕の目の前で開いて見せた。


「これ、何だかわかりますか?」

「これは……」


 箱の中に入っていたのは、黒い色の結晶だった。

 一言で『黒い』と言ったが、その黒さは異常だった。


「これは、何かの、結晶なんだよな?」


 僕が確認すると、アルマは小さく頷いた。

 そんな確認をとった理由は、その塊の『黒さ』にある。

 その塊は、“黒い色をしている”というよりも、“黒色そのもの”だった。

 その空間にだけ真っ黒い穴があいてしまったような、そこだけ空間を切り取られたような、そういう異質な“黒さ”がそこにはあった。


「……分からない」


 考えるまでもなく、僕の口から言葉が漏れていた。

 本でもこんな物体についての記述は読んだことがない。

 物がそこにあるということが分からないほどの黒、ということは、こいつが一切光を反射していないということだ。

 光を反射しない物体など、聞いたこともない。


「これを、どこで?」

「……それは、諸事情により言えません」


 僕の問いに対して、アルマは首を横に振った。

 しかし、すぐに僕の目をまじまじと見つめて、「場所は言えませんが、別のことならお教えできます」と付け加えた。

 別のこと、とはなんだろうか。


「アシタさんは口が堅い人ですよね?」

「ま、まあ人並以上には」


 僕が答えると、アルマは頷いて、テーブルの上で手を組んで、自分の両手の指と指をからませた。


「私たちがダンジョンに潜った日の、前日のことです」


 アルマは神妙な面持ちで、言葉を続けた。


「例の洞窟ダンジョンの近辺に訪れていた、“賢者”が一人、忽然と姿を消しました」

「……姿を消した? それは、見つからなくなったとかそういうことじゃなくて?」


 僕が訊き返すと、アルマは首を縦に振った。


「消息不明になった、ということではないんです。“魔力ごと、きれいさっぱり存在が消えた”んです。他の“賢者”が彼女の魔力を探知しても、どこにも見つからなくなったんです」


 賢者が消える。

 聞いたこともない話だ。


 この世界には、“七賢人”という、高位魔術師の集団がいるといわれている。

 魔術を極めた七人の賢者のことを、俗にそう呼ぶ。

 魔術を使う者たちを束ね、厳格に規則を制定し、魔術が悪用されることのないように管理しているのだ。

 その七賢人のうちの一人が消えた、となっては魔術師の界隈は大騒ぎになるだろう。


「そして、彼女の魔力が最後に感知できた地点に足をはこんでみたところ……これが落ちていたんです」


 これ、と指さしたものは、目の前の“黒い”結晶だった。


 そこまで言って、アルマは小さくため息を吐いて、箱を閉じた。


「アシタさんでも分からない……と。これではお手上げですね」

「賢者の間でもこれがなんなのか分からないってことか?」


 僕が訊くと、アルマは苦笑いをしながら頷いた。


「恥ずかしながら」


 そこで、アルマの発言に何かひっかかるものがあった。


「……どうして賢者の見解をアルマが知っているんだ? それに、どうしてそんな重要なものをアルマが持っているんだよ」


 胸に浮かんだ疑問を口に出すと、アルマはにこりと微笑んで、それに答える。


「身近に賢者がいるんですよ。そして、これについて知っているかもしれない人がいる、と言ったら快く貸し出してくれました」

「そうなのか……」


 完全に疑問が解消されたわけではないが、一応アルマの答えで、納得はできる。

 僕は食い下がらずに、首を縦に振った。


「呼び止めてすみませんでした。お帰りになりますよね」


 アルマは重い話はおしまいだ、というように頷いて、席を立った。


「役に立たなくて悪いな。調べておくよ」

「いえいえ、とんでもない」


 アルマはぶんぶんと両手を身体の前で振った。


「私の知っている中で最も博識なアシタさんでも知らないことだ、というのが分かっただけでも進歩です」

「そういうものなのか……」


 よく研究者の言う、“分からないということが分かった”というやつか。

 僕は“分からない”こと自体にストレスを感じる人間だ。

 研究者には向かないのだろうな、と心の中で呟いた。


「さて、イシスの外まで送っていきますよ」

「え、いいよ。面倒だろ」


 僕が言うと、アルマは首を横に振った。


「私も今から出ないといけないので」

「何か用事か?」


 答えながら白いローブを羽織るアルマに僕が訊ねると、アルマはこちらを振り返って、にこりと笑った。



「賢人会に行くんですよ」

「なるほど、賢人会に…………は!?」


 僕は大声を上げてしまう。

 アルマはくすくすと笑って、僕に構わずに身支度を続けている。


 賢人会、というのは。

 七賢人のみが参加を許される、魔術師界隈の最高決定機関のことだ。

 それに参加する、と彼女は言ったのだ。


「先に言ってくれよ……」


 僕は溜め息交じりに、そう呟いた。


「すみません……言い出しづらくて」


 アルマも少し申し訳なさそうに、そう答える。


“知人に賢者がいる”、とはずいぶんと遠回しな言い方だ。

 自分も賢者なのだ、と言われた方がその意味は分かりやすかっただろう。


「さて、行きましょうか」


 素早く出発の準備を整えたアルマが、家の扉を開ける。

 僕はハマグリを連れて、半ば茫然としながらアルマの家を出た。


 家の扉の鍵を閉めながら、アルマは少しいたずらっぽく言ったのだった。


「みんなには、秘密ですよ」

「……言えるか」


 とんでもない人物と一緒に冒険をしたのだという事実にいまさらになって冷や汗が止まらない。


「謙虚も度を越えれば嫌味になる」、とはよく聞く話だが。

 アルマとのやりとりで、僕はそんな言葉を思い出していた。




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