第11話  ただただ、読書がしたい


 店長が突然旅に出ると言い出した時、僕は店長に訊いたのだった。


「なんで急に旅になんて行くんですか」


 それは、素朴な疑問だった。

 店長は、常に本を読んでいた。

 僕の二倍以上は生きていたし、その年数だけ、本を読んでいた。

 彼ほど本を愛している人間はいないのではないかと思うほどに、僕から見た彼の人生は、読書と共にあった。

 そんな店長が、急に「旅に出る」と言い出したのである。


 僕の質問に対して、店長は静かに答えた。


「私はね、本が書きたいんだよ」


 そう言って、店長は笑ったのだ。

 僕は、店長の答えに満足が行かず、続けて質問をしてしまった。


「本が書きたいのと、旅に出るのに何の関係が?」

「あるとも、大ありだ」


 店長は肩をすくめて答えた。

 書店のカウンター奥に設置された、彼の愛用するふかふかのチェアに腰掛けて。

 カウンターに置いてあった分厚い本を手に取った店長は、ぱらぱらとそのページをめくる。


「私が本を愛している理由はね」


 ページをめくりながら、店長は静かに語った。


「本が、『人生そのもの』だからだよ」

「……店長の?」

「はは、私の人生も確かに本に捧げているようなものだが、今言っているのはそういうことじゃない」


 けたけたと笑って、店長は本を閉じる。

 そして、表紙に記されている著者の名を指でスッとなぞった。


「著者の『人生』が、本には詰まっているのさ」


 いまいち店長の言っている意味が分からず僕は首を傾げたが、店長は気にせず言葉を続けた。


「著者は、著者が生まれた時代に生き、物を食べ、何かをし、そして、何かに興味を惹かれた。起きたり、眠ったりして。何かに夢中になったり、悩んだりして」


 店長は愛おしそうに、手元の本の表紙を指で撫でる。


「そして、この本を書いた」


 店長は顔を上げて、僕の顔をじっと見た。


「本の中には、“その著者だけの輝き”が詰まっている。すなわちそれは、著者の人生そのものさ」


 そう言って、店長はにこりと笑った。


「……だから、旅に出ると?」


 僕が尋ねると、店長はそれが自明であるように、頷いた。


「そうだよ。私でなくては書けない本を、書くためにね」



 その時は、店長の言葉の意味はいまいち分からなかった。

 しかし、今なら。

 少しだけ、分かるような気がするのだ。


 冒険者に本屋の外に連れ出されて、僕はダンジョンの過酷さを知った。

 それと同時に、冒険者がいかに冒険のプロであるかを知った。

 ラプチノスの恐ろしさと賢さを知ったし、ゴーレムの大きさと、その暴力的なまでの怪力を知った。

 どれも、本で読んだことがあったので、知識としては頭の中にあった。

 しかし、自分で体験して実感の伴ったそれは、本で読んだそれとはまったく別の印象を僕に与えたのだった。


 この体験は、きっと、今の時代を生きる僕だけが得られた体験なのだと思う。


 僕は、本を読んで生きてきた。

 これからも、そうしてゆくつもりだ。


 でも、それだけでは、いけないのだろうか。


 そんなことを考えた途端に、店長が恋しくなった。

 店長に今の気持ちを相談すれば、きっと店長は笑って、何かしらの答えをくれただろう。


 ああ、店長は今どこで、何をしているのだろうか。










「てん……ちょ………………ん」


 何か夢を見ていたような気分の中、ゆっくりと目を開くと、見たことのない天井が目に映った。


「……ん!?」


 僕はガバリと身体を起こし、きょろきょろと周りを見回す。

 ど、どこだここは……。

 記憶を掘り返しても、この部屋は僕の来たことのないところで間違いなかった。


 僕が状況を把握できずにあたふたとしていると、部屋の扉がガチャと開いた。


「あ、起きた」


 見慣れない部屋に入ってきたのは、見慣れた顔だった。


「……エルシィ」


 僕が呼ぶと、エルシィは少しほっとしたような表情で軽く息を吐いた。


「いやぁ、起きてくれて良かった。そろそろ腹に一発入れて叩き起こそうかと思ってたところだったんだよ~」


 ところだったんだよ~、ではない。

 サラッと恐ろしいことを言うのはやめろ。

 心中で苦言を呈していると、おもむろに表情に出ていたようで、エルシィが失笑する。


「はは、冗談冗談。身体は平気?」


 言われて初めて、僕は自分の身体に意識が向く。

 身体を左右に捻ってみたり、腕を回したり。

 そして手を開いたり閉じたりしてみて。


「……特に問題はなさそうだな」


 僕が答えると、エルシィは今度は本当に安堵したように、深くため息をついた。


「アルマに感謝しなよ。半日くらいつきっきりで魔法かけてくれてたんだからね」


 エルシィがそう言って、僕が寝ていたらしいベッドの横の簡素な椅子に腰かけた。

 エルシィの発言に、僕は自分の体温が一気に上昇するのを感じた。


「ま、まさかここはアルマの家だったりするのか?」


 僕が訊くと、エルシィはふんと鼻を鳴らして、肩をすくめた。


「残念、ここは私の家なんだな」

「…………なんだ」

「本当に残念そうな顔しないでよ」


 エルシィは唇を突き出して、ムッとした表情になる。

 そして、小さな声で続けた。


「ああいうのが好きなわけ」

「え、なにが」


 僕が聞き返すと、エルシィは眉にシワを寄せて僕の寝ているベッドをガンと蹴った。


「だから、ああいう女がいいわけ、って訊いてんの」

「アルマのことか?」

「そう!」


 食い気味で言われて、僕は頭をポリポリと掻いた。

 まあ、可愛いとは思う。本当に。

 素直に、僕は頷いた。


「まあ、好みだな」

「……ふぅん」


 エルシィはなぜか悔しそうに口をへの字に曲げる。


「女に興味がないのかと思ってた」


 そう言って、エルシィはそっぽを向いた。

 待て、何か誤解をされている気がする。

 僕は慌てて補足した。


「好みだけど、別に惚れてるとかそういうんじゃないぞ」

「は? 一緒でしょ」

「いや、違うだろ」


 顔や挙動が好みだからと言って、その人間そのものに惚れきってしまうわけではない。


「女に興味がないわけではないけど、恋愛には興味はない」


 僕は本心からそう言った。

 恋愛は小説などで読む分には面白いが、自分でするには実感が湧かないのだ。

 読書で、“主人公”と“自分”を切り離しているのが常だったせいか、僕は自分の恋愛感情には無頓着になっていた。

 だから、女の子を可愛いと思うことはないとは言わない。

 口にはしないが、エルシィのことも、美人だなとは常々思っているのだ。

 しかし、そこに恋愛感情のようなものは一切ない。

 自分が誰かと男女の仲になることなど、想像もつかない。


 僕が言い切ったのを聞いて、エルシィは再び眉根を寄せた。


「……ふぅん」

「なんだよその顔は」

「別に」


 再びそっぽを向くエルシィに怪訝な視線を投げるが、すぐに僕の思考は他のことに気をとられた。


「それより、あの後どうなったんだよ」


 ゴーレムが活動を停止した、あの後である。

 あそこで記憶が途切れて、現在地がエルシィの家となれば、僕は気を失ったままここに運び込まれたのだろう。それくらいは分かる。


「商人達は動いたのか? ……というか、どれくらい時間が経ったんだ?」


 僕が訊くと、エルシィは苦笑する。

 そして、僕に見えるように右手で三本の指を立てた。


「三日、だよ」


 三日。

 ……三日?


「え、三日も寝てたのか?」

「そう。だからそろそろ腹にパンチしてでも起こそうかなって思ってたの」


 さっきそれは冗談だと言っていなかったか。


 僕が間抜けに口を開けて自分の眠っていた日数に驚いていると、エルシィは構わず状況説明を続けた。


「あの後、私が砕いちゃった魔晄石を拾い集めて、ついでにアシタも回収して帰ったんだけど」

「ついでとか言うなよ」

「商人たち、魔晄石で大喜びしちゃって。それでゴーレムの話したらもうひっくり返って驚いてて」


 それは、そうだろうなぁと僕は苦笑する。

 魔晄石もゴーレムも、もはや伝説に等しい物質や兵器だ。

 まさか辺境の洞窟ダンジョンに埋まっているとは誰も思ってもみなかっただろう。


「とりあえず、魔晄石とゴーレムの“ボディ”の分の報酬はもらえたから、すでに山分けして、ラッセルとアルマは自分の拠点に帰ったよ」

「そうか……」


 僕が気を失っている間に、いろいろなことが済んでしまっていたようだ。


「アルマとラッセルには、礼を言いたかったんだけどな」


 僕が呟くと、エルシィは一瞬きょとんとした後に、ふふ、と笑い声を漏らした。


「そういうとこ、義理堅いよね、アシタって」

「いや、別に……」


 散々迷惑かけたしな。

 ラッセルには迷惑もかけられたと言えないでもないが。

 ラッセルがいなければゴーレムの意識を逸らし続けることは不可能だったろうし、アルマが何度も聖魔術をかけてくれたおかげで僕は生き残ることができた。

 命を救われた礼は、直接したいものだ。


「まあ、生きてればまた会えるって」


 エルシィはあっけらかんと言って、そんなことより、と近くのテーブルに置いてあった麻袋を手に取った。

 そして、僕にずいと渡してきた。


「ん」

「え、なんだよ」

「分け前」


 ああ、そうか。

 そういえば魔晄石とゴーレムの身体は商人が買い取ったということだったな。

 僕は頷いて、その麻袋を受けとる。

 そして、その重さに腕が持っていかれかける。

 麻袋と共に一気に、地面まで落ちそうになる腕を、ぐいと力を入れて止めた。


「重っ!!!」


 僕が慌てながら感想を言うと、エルシィはにんまりと笑って、言った。


「金貨六百枚入ってるからね」

「ろっぴゃ……は!?」


 僕は口をあんぐりと開けて、すぐに麻袋の紐をほどいた。


「うわ……」


 本当に、麻袋の口いっぱいに、金貨が入っていた。

 金貨六百枚と言ったら、僕が情報を売って稼いでいる“一年間の”売上の倍を軽々と飛び越えるような額だ。


「え、四人で割って、これってことだよな……?」

「もちろん」


 エルシィはうんうんと頷く。


「それもこれも、あれが魔晄石だってアシタが気付いたおかげ」

「え、でも砕いちゃっただろ?」


 エルシィが放った矢で、魔晄石は砕け散ったものだと思っていた。

 僕の問いに、エルシィは頷いて、すぐに首を横に振った。


「砕けたんだけど、魔力は消えなかったみたい。それどころか砕けた破片のそれぞれが魔力を発し始めてね」

「ま、まじか……」


 結晶としての価値は下がったが、結果としては魔晄石の数が増えたのと同義、ということか。

 不幸中の幸いとはこのことだ。


「だから、普通に売れた。で、その分け前ってことだから、遠慮せずに受け取って」

「で、でも僕、ひたすら足手まといだったし」

「いいから。受け取る!」


 エルシィは僕に麻袋をぐいと押し付ける。

 そして、今度は、背後から一冊の分厚い本を取り出した。

 そ、それは……。

 僕の目が輝く。


「あと……はい、これ。約束してた」

「古代エルフ文化史書!!!!!」


 僕は飛びつくように本を受け取る。


「金貨より全然嬉しそうじゃん……」


 エルシィが苦笑する。


 やっと。

 やっと手に入った。

 パラパラと中身をめくると、落丁もなく、文字もはっきりとしている。

 きちんと、読むことのできる状態で手に入ったのだ。


「やった……!」


 僕が感動に打ち震えていると、エルシィは、自分の膝に頬杖をついて、首をかしげた。


「ねえ、アシタってさ」


 そこで言葉を区切って、彼女は僕をじっと見る。


「なんでそんなに、本が好きなの?」


 その質問に、僕は一瞬言葉を詰まらせた。

 なぜ、僕は本が好きなのだろうか。

 考えたこともなかった。


 ふと、旅に出た店長の言葉が、脳裏をよぎる。


 本は、人生そのものだ。

 と。


 それを思い出した途端に、僕の口から自然と言葉が零れていた。


「本が……本が僕に、『体験』を与えてくれるからだ」


 そう。体験。

 僕の生きる人生では到底手の届かないような、多くの体験。


「椅子に座って、ページをめくる。僕はそれしかしていないのに、本の中にはたくさんの歴史や物語、真実、感情……いろいろなものが詰まっているんだ」


 僕がゆっくりと語るのを、エルシィは目を細めて、黙って聞いていた。


「これは店長の受け売りだけど、本には『著者の人生』が詰まってるんだ。著者が人生の中で書いた、命のこもった“文字”が、本となって僕の前にある。……だから、僕は読まなければいけないんだ」


 読まなければいけない。

 自然と、そう口に出た。

 読みたい、ではない。

 読まなければいけない、と、そう言った。


「僕が読めば、著者の書いた本に“意味”が生まれる。あなたの書いた本は、ちゃんと、後世の誰かに届いたよと。僕が受け取ったよと。僕が証明する」


 そこまで言って、僕は深く息を吐いた。

 そして、最後に、ぽつりと言う。


「だから、僕は本を読む。読める限りの、本を」


 そう言って視線を上げると、エルシィはいつの間にか椅子の上で器用に体育座りをしていた。

 そして、なんとも言えない微笑みをたたえて、僕をじっと見ていた。


「な、なんだよ……」

「んーん」


 今更になって、恥ずかしいことを熱く語りすぎたと思い、顔が熱くなる。

 しかし、エルシィは首を横に小さく振って、その後に一言。



「なんか、いいね」



 ただ一言、そう言った。

 それ以上の意味も、それ以下の意味も持たない言葉。

 しかし、きっぱりと言い放たれたその言葉は、妙に僕の心に気持ちよく響いた。


 少しの静寂が訪れる。

 僕もエルシィも、何も言わなかった。


 しかし、僕はエルシィに言わねばならないことがある。

 正直、あまり言いたくはない。

 しかし、言わねばならぬものは、言わねばならぬ。


「エルシィ」


 僕が呼ぶと、エルシィは小首を傾げて僕を見た。

 僕はエルシィから目を逸らし、非常に、非常に小さい声で言った。



「……助けてくれてありがとう」



 エルシィは、目をまんまるに広げて、その後に、急に吹き出した。


「ぷっ、あはは!」

「おい! なんだよ人が真面目に!」

「だ、だって……」


 エルシィは体育座りをやめて、足をぴょんと伸ばした。

 そして伸ばした足をばたばたと振りながら、可笑しそうに肩を震わせる。


 な、なんだよ……何度も助けてもらったから礼を言っただけだろうに。

 納得のいかない気持ちで、クスクスと笑うエルシィを見ていると、エルシィは笑いから出た目尻の涙をすくいながら、言った。


「アシタはほんっっっとに弱っちいんだからさ。そりゃ助けるって!」

「お前な……」

「ふふっ、でも、そうだね。どういたしまして、と言っとこう」


 そう言ってエルシィは、今日一番の笑顔を浮かべたのだった。

 その屈託のない笑顔に、僕は少し頬が熱くなるのを感じながら、視線を床に泳がせた。


「さ、起きたんなら本屋まで送ってくよ」


 椅子からひょこりと立ち上がってエルシィが言う。


「早く本、読みたいもんね?」

「ああ、そうだな……」


 僕の手元にある『古代エルフ文化史書』に目線を送りながら彼女はくつくつと肩を震わせた。


 ようやく、帰って読書ができる。

 本当に長く感じる冒険だった。


 手元の本をぎゅっと握る。

 やはり僕はダンジョンに潜るよりも、本を読んで過ごす方が合っているのだ。

 当分は、ダンジョンになど潜ってやるものか。

 ひたすら本を読んで過ごすのだ。


 そこまで考えて、僕はふと自分の思考を疑った。


 ……“当分は、ダンジョンになど潜ってやるものか”、だと?


“当分”ではない。

“一生”だろう。


 二度と、冒険などするものか。

 思いなおして、僕は鼻を鳴らした。


 しかし、胸の中には、ラプチノスと、そしてゴーレムと対峙したときの、良い意味とも悪い意味とも言える“ドキドキ”がこびりつくように残っていた。


「ほら、なにぼーっとしてんの」

「え? あ、ああ……」


 エルシィに声をかけられて、僕はハッとした。


「さっさと荷物まとめて。本屋行くよ」

「おう」


 本と、金貨の詰まった麻袋をぎゅっと握る。

 読みたかった本は手に入った。

 そして、資金も増えた。

 これからは読書にどっぷりひたることができる毎日に戻るのだ。


 そう思った僕の胸中に、“嬉しさ”とそれと同時に“物足りなさ”が生まれていたのを、僕は気付かないふりをした。





                            第一章  完

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