第6話 あれがないと話にならない
ぺちぺちと頬を叩かれた感触で、僕の意識は少しずつ覚醒した。
ふわふわとした感覚のまま、徐々に目を開ける。
そうか、僕は少し眠っていたのだった。
意識が覚醒してくると、自分の頭が何かの上にもたれかかるようなかたちになっていることに気付く。
後頭部が妙にあたたかい。
「ん……?」
目を開けると、目の前には革の胸当て。
そして、その奥から、エルシィの顔がぬっと現れた。
「あ、起きた」
上から降ってくるようなエルシィの声に、僕は状況を徐々に理解しはじめる。
下から見上げるようなアングル。
そして後頭部の温かさ。
これは……
「なぜ膝枕なんだ」
僕が言うと、エルシィはむっとしたように唇を尖らせた。
「なんだよ、私の膝枕は不服かよ」
いや、そういうことを言っているのではなくて。
僕は地面に寝ころんで寝ていたはずだ。いつの間にエルシィの膝の上に移されたのか。
それに、エルシィ自体、膝枕などをしてくれるような女性にはとうてい見えない。
膝枕を率先してやってくれそうなのは、それこそ……
「アルマの方が良かった?」
「お前エスパーかよ!」
腹をパンチされた。
「気に入らないなら頭上げたら」
「気に入るとか気に入らないとかいう話じゃなくてな」
僕が言うと、エルシィが首を傾げた。
「なんで急にこんなこと」
僕の問いに、エルシィは少し顔を赤くして、わざとらしくどこか遠くを見るように横を向いた。
「……るって話だったのに」
「え?」
小さな声が聞き取れず、聞き返すと、エルシィはバッと僕の方に視線を下げて、もう一度言った。
「私が守るって話だったのに、一人にしちゃったから」
エルシィの言葉に、僕は一瞬きょとんとして、すぐに失笑した。
「な、なんで笑うの」
「そんなこと気にしてたのかお前」
僕が言うと、エルシィは口をパクパクさせた。
「だ、だって約束したし……」
「お前は慎重にやってたろ。不運な事故みたいなもんだ」
「でも……」
「というか」
納得していない様子のエルシィの言葉を遮る。
「守れなかった罪滅ぼしに『膝枕』ってのは随分と自意識過剰なんじゃないのか」
僕が言うと、エルシィはきょとんとした。
畳みかけるように、僕は続ける。
「お前の膝枕に価値があると思ったら大間違いだからな!!」
腹をパンチされた。
守るだのなんだのと言っていた割には迷いのない暴力であった。
「身体の方は大丈夫か?」
エルシィのパンチですっかり目の覚めた僕は、体を起こして伸びをしていた。
アルマの聖魔術のおかげで痛みはもうどこにも残っていない。
「大丈夫だ。少し寝たし、もう活動できるぞ」
僕が言うと、問いかけてきたラッセルは安心したように頷いた。
「よし、それじゃあそろそろ進むとするか!」
ラッセルの掛け声で、座って休んでいたアルマも立ち上がり、尻についた土をぱんぱんと払った。
僕は少し離れたところで身体を丸めていたラプチノスに近寄り、「行くぞ」と声をかける。
言語が通じたとは思えないが、ラプチノスは鼻息ひとつ、のそりと立ち上がった。
「本当に、すごいですね……ラプチノスと心を通わせてしまうなんて」
アルマがおそるおそる近づいてきて、言った。
一番驚いているのは僕である。
まさか自分がラプチノスを調教する日が来るとはつゆにも思っていなかった。
「こいつも、寂しかったんじゃないかな」
首を優しくなでてやると、ラプチノスはこそばゆそうに頭を振った。
「……優しいんですね」
僕とラプチノスの様子を見ていたアルマが静かにそう言ったのを聞いて、僕は失笑した。
「優しいとかそういう話じゃない。お互い生きるのに必死だっただけだよ」
僕が言うと、アルマはくすりと笑った。
「ラプチノスを見て『寂しそう』だなんて言う人、他に会ったことありませんよ」
アルマの視線に、何かあたたかいものがこもるのを感じて、僕は少し気恥ずかしくなる。
「まあ、僕も普段は本屋に引きこもって本ばかり読んでるような寂しいやつだからな。シンパシーだよ、シンパシー」
おどけて僕が言うと、アルマは肩をすくめて、可笑しそうにくすくす笑った。
「そういうことにしておいてあげます」
ああ本当に、笑っている顔も可愛いなあこの子。
顔が好みということもあるが、一挙一動が可愛くて困る。
「そんなに喋ってる元気があるなら、さっさと出発する……よっ!」
「痛ってぇ!!」
スッと隣に現れたエルシィが、僕の尻を蹴とばした。
「なにすんだお前!」
「べつに」
ふんと鼻を鳴らして、エルシィはすたすたと歩いて行った。
「折れたらどうすんだ!」
僕がエルシィの背中になんとも情けない批難の声を投げつけると、エルシィは歩みを止めて、こちらをギロリと睨んだ。
「アルマに治してもらえば?」
吐き捨てて、エルシィはまたスタスタと歩き出した。
今日の彼女は、妙に機嫌が悪い。
アルマの方を見やると、アルマもエルシィの様子に苦笑いをしていた。
何か思い当たることでもあるのだろうか。
「ほら、行くぞ」
ラッセルが僕の背中をぽんと押した。
優しい。あまりにも優しいタッチに感動すら覚える。
僕の背中の骨にヒビを入れたのを相当気にしているようだ。
「そうだな」
僕は頷いて、ラプチノスを引き連れて歩き出す。
ラッセルも案外いいやつである。
学習能力の高い人間は好きだ。
「へぇ……これが」
目の前にそびえる、金属とも機械とも見分けのつかないオブジェクトを見上げる。
第四層でのいざこざが今回の冒険のピークだったようで、その後は拍子抜けするほどに順調に進んでしまった。
あっという間に第六層にたどり着き、僕たちは今回の調査対象である『前時代の遺物らしきもの』の前にいた。
「そのへんで遊んでていいぞ」
僕が言うと、ラプチノスはきょろきょろとあたりを見回したのちに壁際へと歩いてゆき、ドスッと腰を下ろした。
あいつも運動はあまり好きではないのかもしれない。分かるぞ、その気持ち。
「よし……」
再び、目の前の遺物に向き直り、いざ調べんと僕はいつものように尻ポケットに手を突っ込んだ。
そして、そこにあるべきものがないことに気付く。
「……え、嘘だろ」
尻ポケットをまさぐり、続いて冒険用ツナギのポケットにも手をつっこむ。
ない。
ルーペがない!
「どしたの?」
僕の様子を見ていたエルシィが尋ねてくる。
「ルーペがないんだよ!」
「ありゃ、途中で落とした?」
「……かもしれない」
四層から五層に落下したときか?
もしくはジニア・ゴブリンからラプチノスを守ったときか?
今日は激しく運動をしすぎたせいで、思い当たるシーンが多すぎた。
「ルーペなしじゃダメなの?」
「あれがないと話にならない!!」
僕が大声を出すと、ぎょっとしたようにエルシィが肩を震わせる。
しまった。つい興奮してしまった。
咳ばらいをひとつ、僕は声のトーンを落として続けた。
「細かい紋様とか、文字の種類とかを判別しないと分からないことが多いんだよ」
「あんなに大きいんだし、文字も大きいんじゃないの?」
エルシィに言われて遺物に目をやる。
確かに、この距離でも目に見えるくらいの大きさで掘られている装飾や文字も多いように見える。
ないものをあてにしても仕方がない。
「はぁ……」
あのルーペ、お気に入りだったのになぁ。
ある友人からプレゼントされた大切なものだった。
まさかダンジョンでなくしてしまうとは。
やはりダンジョンになんて来るものではない。
僕は思い切り気分を萎えさせたまま、遺物に向かってのろのろと歩いて行った。
さっさと調べて、さっさと帰ろう。
その時は、そんな気楽なことを考えていた。
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