第4話  安全に歩きたい


「落とした! ラッセル!」

「よしきたァ!!」


 エルシィの掛け声で、ラッセルが大剣を振るい、目の前の魔物を真っ二つにした。


 圧巻だった。

 ダンジョンに突入して初めて、僕はエルシィらの『作戦会議』が適当であった理由を思い知った。


 現在地は洞窟ダンジョンの第三層。

 ゴブリンなどの低級の魔物の数は減り、少しずつ攻撃的な特性を持つ魔物が増えてきた。


 たとえば、今身体を縦一文字に断ち切られ地面に転がっているのは、『ヤミクイ』という飛行生物だ。

 普段は洞窟の天井につる下がるようにとまっていることが多く、彼らの住処を侵しさえしなければ自発的に襲ってくるようなことはない。

 彼らの主食は『暗闇』だと言われていて、光の比較的少ない空間から得られる魔力を、自らの体力に変換する機構を持っているのだという。なんとも無害な生物なのである。

 しかし、冒険者にとっては、彼らの生息地が非常に厄介だった。

 ヤミクイは生息する層の『一番奥』に固まって生息していることが多い、層の一番奥というのはすなわち次の層に降りるための通路がある近辺というわけで、冒険者は先に進もうと思うと必ずそこを通らなければならない。


 そういったわけで、僕たちはちょうど今、そのヤミクイの群生地を抜け、第四層に向かおうとしているところだったのだ。

 ほかの歯に比べて明らかに大きなキバをむき出しにしてこちらに向かって飛んでくる60cmほどのヤミクイはとてつもない迫力を伴っていた。

 僕は怯えてまったく身動きがとれなかったが、エルシィとラッセルの動きは素早かった。

 即座にエルシィがヤミクイの翼を矢で射抜き、上手く飛行できなくなったそれをラッセルが大剣で叩き斬る。

 まるで打ち合わせをしていたかのような連携に僕はただただ感嘆の吐息を漏らすだけであった。

 なるほどこれなら、作戦会議も適当になるわけである。

 作戦など立てなくとも、彼女らはこのあたりの魔物の対処法は身に染みているのだろう。


 こ、これは……もしかすると。

 僕は目を輝かせてしまう。


「今までで一番安全に冒険ができるのでは?」


 つぶやいて、僕は自分の表情が緩むのを感じた。

 怪我もせず、安全に過去の遺物を調査できるというならばそれ以上のことはない。

 僕もダンジョンにもぐるという行為が嫌なだけであって、本で読んだ知識をフル活用して何かを研究するのは嫌いではないのだ。


「よし、今日は少なめだな」


 あたりからヤミクイの羽音がしなくなったのを確認して、エルシィは拳をぐっと握った。

 すでに十匹前後のヤミクイを撃ち落していたと思うが、これで少なめとは普段の冒険の壮絶さが伺える。


「今のうちに進んじゃおう」


 エルシィが四層へ続く通路をランタンで照らし、安全を確認してから全員を誘導する。

 エルシィに続いて急勾配の坂を下ると、また開けた空間へと出る。

 通路の端を見ると、腰をおろすのにちょうどよさそうな大きさの岩に、ナイフか何かで字を彫った後がある。


『第四層』


 と書かれていた。


「ここからが四層ね。三層よりも開けた空間が多くて、その分よく動き回るウルフ系の魔物が多いから、アシタは後ろをとられないように気をつけて」

「わかった」


 エルシィの指示を受けて、アシタはこくりと頷いた。

 こういうのを作戦会議で話しておくべきだったのでは……という言葉は飲み込む。


 数歩歩いたところで、


 ぐにゃ。


「ん?」


 なにかやわらかいものを踏みつけた感覚に、僕は足元に視線を落とした。

 そして、


「ファーーーーーーッ!」


 反射的に、奇声を発していた。


「なになに!!」

「どうした!」


 先行していたエルシィとラッセルがあわててこちらに振り返る。


 僕はあわてて数歩後ずさりして、足元にあったそれを自分が持っていたランタンで照らした。

 落ちていたのは、『ウルフらしき生物の前足』であった。

 前足以外の部分はそこにはなく、前足の付け根から先のみが、血をしたたらせて落ちていた。

 僕は深呼吸をして、呼吸を落ち着けた。


「す、すまん大声出して。突然だったからびっくりしただけだ」


 ここはダンジョンだ。

 ダンジョンの中にも弱肉強食というものがあって、ウルフが何かそれ以上の力を持った魔物に食われていてその残骸が落ちていたって何もおかしいことは……


 そこまで考えて、僕はある違和感を覚える。


「エルシィ」


 僕が呼ぶと、エルシィも同じことに思い当たっていたようで、こちらが何かを問う前に、僕の求めている答えをはっきりと言った。


「第四層には、ふだんは、ウルフを食べるような大きさの魔物はいないはず」


 その通りだ。

 ウルフを引きちぎって食べたとなれば、ウルフより一回り程度は大きい魔物、もしくは武器や道具をつかう知能のある魔物でなければありえない。

 第四層ほどの、冒険者にとってはまだ『安全地帯』と認識されているような地点で、それほどの魔物が普段からうろついていることはない。


「血が固まっていないことから考えると、このウルフがやられてからまだ大して時間は経っていないはず……と考えると……」


 かなりまずい。

 大型の魔物と、こんなに開けた場所で戦うとなると、熟練の冒険者でもそれなりに苦戦を強いられるのではないかと思う。

 その上、ここには僕がいる。

 ダンジョン内でのお荷物の王者といっても過言ではない、僕がいるのである。

 僕をかばいながら戦ったのでは冒険者たちも危険な目に遭わせてしまうかもしれない。


「みんな、提案がある」


 ここは、全員の安全を確保するための最善策をとるほかない。

 僕は顔を上げて、全員の顔を順番に見る。

 そして、事の重大さがしっかりと伝わるように、ゆっくりと、はっきりと、言った。


「今日はもう帰ろう」

「却下」







 結局、調査は『慎重に状況判断しつつ続行』という形に決まり、僕はしぶしぶエルシィやラッセルの後ろについて歩いていた。

 さすがに、休憩なしで四層まで歩いてくるのは、普段から運動をしない身としては相当なつらさがある。

 息が上がってきた。


「疲れちゃいますよね。次の層に着いたら、休憩しましょうか」


 肩で息をしている僕を見かねてか、後ろについて歩いてくれていたアルマが声をかけてくれる。

 天使かよ……。


「君は優しいんだな」

「い、いえ、そんな……」


 僕が言うと、アルマは顔を真っ赤にして、首をふるふると横に振った。

 この子、どんな動きしても可愛いな。


「アルマ」


 若干鼻の下を伸ばし気味にアルマを見つめていたら、先行していたエルシィが振り返って、アルマにぴしゃりと言った。


「あんまりアシタを甘やかさないで」

「あ、ごめんなさい……」


 甘やかされてないし! ちょっと可愛さにあてられてただけだし!

 抗議の視線をエルシィに送ると、彼女は面白くなさそうに鼻をスンと鳴らして、また前方に向き直った。

 なんだあいつは……。

 突然『甘やかすな』などと教育ママみたいなことを言い出さないでほしい。


「ん! ストップ!」


 エルシィが急に歩みを止めて、ほかの全員に向けて手をバッと振りかざして、静止するように促した。

 そして、そろりと前に出していた足を地面から上げる。


「ここ、こんなに足場悪かったかな……」


 エルシィはつぶやいて、自分の足元を軽く靴でコンコンと叩いた。

 僕は四層まで来たことは一度もないので、地盤のことはまったく分からないが、普段からここを出入りしているエルシィにはどうも違和感があるらしい。

 普段あっけらかんとしている彼女とは見違えるほど、真剣にダンジョンの状況を確認していた。


「いつもこんなもんじゃなかったか?」


 僕の数歩ほど前方に立っていたラッセルが、軽く地面を自分の足で叩くと、異変はすぐさま起こった。


 ボコッ……


「えっ」


 ガラガラガラ……


 そこからはスローモーションのように、すべてがゆっくりに感じた。


 ラッセルが地面を叩いた直後、なぜか僕の立っている地点に向けてヒビが入り、僕の立っていた地面が、割れた。


「あっ」


 振り返るエルシィとラッセルがスローモーションで目に映る。


「アシタさん!?」


 背後からアルマの悲鳴のような高い声が聞こえたころには、僕は吸い込まれるように割れた地面の中に落ちていた。







「アシタ!?」


 何が起こったのかわからないままに、ぽかりと開いた地面の穴に駆け寄ったが、下の様子をまったく見ることができない。

 おそらくだが、きれいに一層下に落ちたのだと思う。

 アシタの身体で、落下に耐えられるとは思えない。


「……ッ!」


 焦燥感が胸の中を支配して、私はその穴に自らも飛び込まんとする。

 そして、すぐにラッセルに肩を掴まれた。


「おい! 飛び込む気か!?」

「なんで止めるの!!」

「下の様子も分からないんだぞ! 正気か!?」

「元はといえばラッセルが……!」


 言いかけて、すぐに不毛だと口をつぐむ。

 今仲間割れをしてもしょうがない。

 ラッセルが悪いのではない。地盤の状況があまりにも悪くなっていたのだ。


「走って追うよ」


 そう言うのと同時か、もしかしたらそれよりも早く、私は第五層に向けて走り出していた。

 本当なら、ダンジョンの中で安易に走り回るなどという行為はとんでもない。

 しかし今は悠長なことを言っている場合ではなかった。

 アシタの命は、自分が守らなくてはならない。

 約束を違えるような冒険者に、なるわけにはいかない。







「……痛ってぇ」


 四層の地面が割れて、僕はおそらく一つ下の階層に落ちたのだろう。

 腰を思い切り強打した。

 しかし、その割にはどの骨も折れた様子はないし、そして尻の下には妙にやわらかい感触が……。

 誘導されるように視線を下に下げて、


「マーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」


 またもや僕は奇声を上げ、はねるように立ち上がった。


 ウルフである。

 いや、ウルフだったもの、というのが正しいかもしれない。

 ウルフの死骸が、僕の尻の下に血だまりを作っていた。


「はぁ……ハァー」


 一日で何度も魔物の死骸を見るとは、なんて日だ。

 幸いランタンを持ったまま下層に落ちたのが幸いだった。

 視界の明るさは確保できている。

 足元のウルフを照らして、状況を確認する。


「命の恩人だな……」


 変な声を出してすまない。少しびっくりしただけなんだ。

 開いたままになっているウルフの目を閉じてやって、手を合わせる。

 そしてどこか目立たないところに移動させてやろうと考えたところで、僕はウルフの身体の状態の異常に気づく。


「……前足が、ない」


 右の前足が、付け根からちぎられるように欠損していた。

 そして、そこからまだ少しだけ血がしたたっている。

 これは、まさか……。


 四層で見たウルフの前足が脳内によぎる。

 そして、僕は自分の置かれている立場をようやく理解した。


 息を殺して、周りの音に全ての集中力を注いだ。


 フーッ、フーッ……


 思ったとおりだ。

 最悪の展開だ。


 恐る恐る振り返ると、口元を血で塗らした、自分と同じくらいの体長の魔物が、鼻息荒くこちらを見つめていた。

 瞳孔は開き、こちらを警戒している。


「ラプチノス……」


 僕は冷や汗が体中からあふれ出すのを感じながら、一歩後ずさった。


 対峙したのは、冒険者の間で『狩人』とも呼ばれている、ラプチノスという、肉食獣であった。



 誰だ、安全に冒険ができそうだとか言ったやつは。

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