おもい

 僕の隣の席のクシキさんは、日によって姿が違う。


 初めて出会った始業式の時、彼女はごく普通の女の子だった。

 長い髪をふたつに結って、眼鏡をかけた、理知的なにおいのする娘だった。僕が挨拶をすると読んでいた文庫本から視線を上げ「よろしくね」と笑んでくれたのをよく覚えている。


 そう、よく覚えている。

 だってそれは、『人間の姿をしたクシキさん』を見た最後だったから。


 次の日。

 彼女の顔は、マーブル模様の翡翠みたいな無機質の、のっぺらぼうになっていた。


 正直、絶句した。お面かなにかかと思った。悪戯かなと疑った。

 でも周囲のクラスメイトたちは誰も彼もが、クシキさんの顔についてつっこみを入れなかった。ごく普通に彼女の横を通り過ぎ、ごく普通に彼女へ話しかけ、ごく普通に彼女と接する。そしてクラスメイトたちだけならまだしも別のクラスの奴らや、あまつさえ先生までもが同じようにごく普通なのを見て——ようやく僕は、クシキさんの外見を異常と認識しているのは僕だけなのだと理解した。


 次の日はもっとひどかった。

 クシキさんは首から上が、スピーカーとスプレー缶とゲームのコントローラーをごちゃごちゃに組み合わせたガラクタになっていたのだ。

 もはや彼女の顔はもちろん、あの清楚ですっきりしたお下げすら消え去っていた。首から下がまだ(この頃は)人間だったのが(この頃の僕には)救いだった。


 それから一日ごとに彼女は変貌していった。

 首から下までもが異形に見え始めるのに三日とかからなかった。制服を着ているかどうかわからなくなるのにひと月も要らなかった。

 そして今はもう、人間の形などどこにも残っていない。


 たとえば。

 ある月曜日は水晶に干し肉を貼り付かせた塔。

 ある火曜日は積み重ねた辞書に鯨の内臓を巻きつけた塊。

 ある水曜日は切り取り線が乱雑に印刷された十二本足の犬。

 ある木曜日は膿と血と脂肪をたっぷりとふりかけたウェディングケーキ。

 ある金曜日は目玉と爪と肋骨で構成されたメビウスの輪。

 そんな具合で、そんなふう。

 僕の認識下において、クシキさんの姿は——クシキさんの姿だけが、そんな異形の繰り返しなのだ。


 彼女の変貌に時間的な連続性はない。昨日のクシキさんと今日のクシキさんに共通点はまったくなく、今日のクシキさんと明日のクシキさんにも共通点はなかった。

 ひょっとしたら『月曜日は目玉がくっ付いている』とか『毎月十日は金属パーツの日』とか、構成物質にそういった規則性があるかもしれないと思ったが、発見してなんになるのかという結論に至ったので統計を取るのをすぐにやめた。

 ただ、かろうじて——声だけが最初に会った頃のクシキさんのままで、僕はそれだけが心の拠り所だった。


※ ※ ※


 そして、

「並行世界との位相差にぶれが生じているのよ」

 ある冬の朝のことだった。


 切っ掛けは些細なことだ。

 犬の舌が規則正しく螺旋状に配置されたプラスティックの円筒であるところのクシキさんを見て、思わず僕は、今日はすっきりした形だな、と感想を呟いてしまった。

 それを聞きつけた彼女が問うてきたのだ。

「あなたひょっとして、私の姿が変に見えているの?」と。


 だから僕は正直に頷いた。うん、実はそうなんだ。きみのことが僕だけ、毎日違う姿に見えているんだ。

 すると、件の科白である。

 並行世界との? 位相差に? ぶれが生じている?

 どういうこと? と尋くと。

 彼女は答えた。


「なんてことはないわ。ありふれた事象よ。毎日どこかで……いえ、どこででも起きていることなの」

 これが?

「ええ。この世界の隣に数限りなく存在する並行世界。その位相が少しだけずれることで『この世界』と『別の世界』が重なってしまうことがあるの」

 ……それで?

「それだけよ。ただ、あなたには『ずれ』が見えてしまっているのね。『この世界の私』じゃなくて『別の世界の私』を認識してしまっているのよ。それも、日替わりで、違う世界のものを」

 こういうことって、よくあるの?

「いいえ。普通の人間は並行世界のことなんて認識できないわ。きっと、あなたはセンシティブだから気付いたのね」

 褒められて嬉しいような恥ずかしいような。


 でも、毎日どこかで起きてるなら、どうして僕はクシキさんの異常しか知覚できないのかな。

「それはあなたが、私のことを好きだからよ」

 そうなのかな。

「ええ、間違いないわ」

 本当に僕がきみのことを好きだとして、クシキさんはどう思う?

「気持ち悪いわね。だって私の目にもあなたは毎日違う姿なんだもの」

 えっ。

「人間の耳が足の代わりに生えた大きなムカデが『私のことを好き』だなんて、ぞっとしないわ」

 きみも位相差の影響を受けてるってこと?

「そういうこと」

 というか、なんでクシキさんには僕の姿がそんなふうに見えてるの?

「私もセンシティブで、そしてあなたのことが好きだからよ」

 なんだって。

「ええ、あなたが私のことを好きだと思っているのと同じくね」

 でもきみは僕のことが気持ち悪いんだよね?

「ええ、あなたが私のことを気持ち悪いと思っているのと同じくね」

 つまり、相思相愛ってことなの?

「まさしくね」


「ところで、声と喋り方まで気持ち悪いわ。もう話しかけないでくれる?」

「同感だよ。きみもそうしてくれると助かる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜伽奇譚 〜よとぎばなし〜  藤原祐 @fujiwarayu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ