ごはんの支度ができました

田口あん

第2皿 マグロが食べたい!

 だれだって楽しみなはずの晩ごはんの時間。でも、ここに、ちっとも楽しそうでない男の子がいます。

 彼の名前はカズヤくん。お友達みんなからカッちゃんと呼ばれています。


 カッちゃんは、「また嘘ついちゃった」と深いため息をつきました。それというのも、学校からの帰り道、お友達のヨッちゃんに「今日の晩ごはんは何だろうね」と聞かれて、「うちはマグロ丼だよ」と、自信満々に答えてしまったからでした。

 カッちゃんの目の前にあるのは、白いごはんにイカをてんこもりにした、その名も、白一色丼しろいっしょくどん

 食卓に週4回は登場する、カッちゃんの家の定番メニューです。そう、マグロに似ても似つかない、イカ、なのです。

「どうした、カズヤ。食べないのか」

 とお父さんがけげんな顔をして、カッちゃんの様子をうかがっています。


 お父さんは、イカ釣りの名人です。イカをこよなく愛し、誇りをもって漁師のお仕事をしています。

 お母さんは、献立にイカ料理を欠かしたことがありません。もっと言えば、イカの入っていない料理をめったに出しません。

 そう。何を隠そう、カッちゃんはマグロを食べたことがないのです。


 そんなカッちゃんの家の食卓にのぼるのは、やっぱりイカの話題です。

「おれの顔がまっくろなのは、生まれつきじゃないぞ。イカにやられたんだ。あいつのスミはねばっこいからな、カズヤもよーく気をつけるんだぞ」とお父さんは熱心にカッちゃんに語りかけます。

 でも、お父さん。マグロに夢中なカッちゃんにそんな話をしてもしかたありませんよ。カッちゃんの耳にはちっとも入っていないのです。


「イカはもういいからさ、マグロが食べたいよ」

 とカッちゃんはお父さんに訴えかけます。

 そんなカッちゃんのお願いを、「おイカ様に向かってその言いぐさは何だ。それに赤身の王様はおまえにはまだ早い。イカいっぽん釣れるようになってから言ってみろ」とお父さんはぴしゃりとはねつけます。

 毎晩のように繰り返している、カッちゃんとお父さんのやりとりです。


 今晩もカッちゃんはごはんのあと、自分の部屋に戻ると、カレンダーの今日の日付にバツ印をつけました。マグロへの想いをお父さんに訴えはじめた日から、今日でちょうど100日目。「ひゃっぺん断られるまで負けるもんか!」と、辛抱してきたのです。


 ある日、ヨッちゃんの家に遊びに行くことになりました。ずるずる長居しているうちに日が暮れて、すっかり晩ごはんの時間になってしまったので、ヨッちゃんのママが「よかったら、うちでごはん食べていかない?」と提案してくれて、ごちそうになりました。

「はい、まずは前菜のカルパッチョね」とヨッちゃんママ。

「えー、またこれ?」とヨッちゃん。

 なんと、お皿の上にいるのは、マグロではありませんか。

 カッちゃんは目をみはりました。夢にまでみた赤身の王様が突然、目の前に姿を現したのですから当然ですよね。


 カッちゃんはにわかに緊張しました。ナイフとフォークで慎重に切りわけてから、口に含みます。

 念願のマグロを食べた感想、それは「おいしいけど、なんかちがう」でした。「ふしぎだなぁ」と首をかしげるカッちゃん。

 カッちゃんは、これまで何度も頭の中で描いてきた味を思い浮かべようとしましたが、思い出すのは、お父さんと食べる白一色丼の味ばかりなのでした。


 次の晩も、カッちゃんの家の食卓はイカざんまいです。

「イカは真水まみずに漬つけちゃあいかんぞ。まっしろになっちまうからな」

 とお父さんが言うと、

「ふーん。本当だ。イカってまっしろじゃなくて透明なんだ」とカッちゃん。

 めずらしく、今晩はお父さんが語るイカのお話をちゃんと聞いているようです。

「ねぇ、父さん。今度、イカ釣りに連れてってよ」

 カッちゃんはニヤリと、お父さんに笑いかけました。


 いつの日か、イカ釣り名人の称号はカッちゃんのものかもしれませんね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ごはんの支度ができました 田口あん @AnnTaguchi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ