キツネの時間

夕星 希

キツネの時間

北半球が雪に覆われているころのこと。

キツネは、干からびた白樺の皮を食むエゾシカに、


「エゾシカくんは、あの真っ白い地平の先には何があると思う?」

と尋ねた。


エゾシカは「……さあね。そんなことよりも早く暖かい春が来てくれないかな。

山ブドウや野イチゴをいっぱい食べたいからね。」と雪まみれのキツネの目の前を通り過ぎていった。


キツネは、自分は北の寒いところに住んでいて、春、暖かいころに生まれて、野ネズミを捕って食べることは知っていた。この限られた場所で、降る雪をかき分けかき分けして生きていくことも。でも、自分はそろそろ、あの真っ白い地平の先に何があるのか知りたいと思った。

それは、成長したキツネにとっては、自然なことだった、



ある時、キツネは父さんギツネに


「旅に出たいんです」


と言った。


父さんギツネは、驚きもせずただ黙ってキツネを見ていた。


キツネは、今いる場所が全てだと信じてきたが、

ここ以外に広がる場所はキツネにとり、何なのか思い至らない。


父さんギツネは、野ネズミを必死に捕まえながら、「見つけられると良いがね」

と言った。


「見つけたいです」

キツネは父さんギツネの顔を見た。


「さあて、見つけられると良いがね」

再びそう言うと、父さんギツネは、野ネズミを咥えて巣に戻って行った。


春が来て、キツネは旅に出た。

綿のような雲がゆったりと西から東に流れている。


「あの雲が流れるほうへ行ってみよう」


ちょろちょろ流れる小川の淵をセキレイが長い尾を振り振り歩いている。

セイヨウタンポポの茎にアブラムシが右往左往している。


「まだ見たことがない何かがそこにあるといいな」


一羽のヒバリが天に吸い込まれそうになりながら、キツネの姿を見た。そしてふいに

「地平の先、雲の流れるほうには、ただ時間だけが流れている」と言った。


「……時間?時間って何?」


キツネは初めて聞いた時間という言葉に驚いて、何度もヒバリに問いかける。

ヒバリは、空中で舞いながら歌うように話す。


「――時間っていうのはね」


「時間っていうのは……?」


「この世界は、それによって成り立っている。君も、僕らも、全て」


「時間ってすごいな」


「今の君が歩んできた道を振り返って見てごらん」


キツネは、ヒバリに言われた通り、来た後ろを振り返った。

しかし、そこには足あともなければ、そこを通ったという形跡もない。


「時間が見えるとでも思ったのかい?」


ヒバリは歌うように笑う。


「しかし、この時間というものが……」


「時間というものが……?」


「君に『地平を見てみたい』と言わせるものなんだ」


「時間というものがなかったら……?」


「『地平を見てみたい』とは考えないだろう」


「だれもが、あの地平の先にあるものに心ひかれて旅立つのさ」


ヒバリは天に吸い込まれるようにしてその場所から消えた。


自分をあの地平に向わせてくれるものは、目には見えないもの、

「時間」であることをキツネは知った。


「この世界は、それによって成り立っている」ヒバリの歌うような声が

キツネの足をふたたび軽くした。


キツネの父さんは、今日も野ネズミを捕まえては、

地平の彼方の息子のことを思っていた。


「見つかると良いが」


―完―































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キツネの時間 夕星 希 @chacha2004

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