Bananism

 部屋に戻ると、レノは既にそこに着いていた。床に転がった、大量の荷物と共に。


「また買いやがったな、お前・・・」

 流石のカイも呆れ顔である。


「何だよ、この量は?」

 僕はとりあえず尋ねてみる。


「し、仕方ないじゃない・・・安かったんだから・・・」


 その内訳はおおかたバナナジュースだったわけだが、他にも何やら生活用品のようなものが転がっていた。

 その中の一つを拾い上げ、僕は聞いてみる。


「これは何だ?」

「見ての通り、耳栓よ」

「何に使うんだ?」


 すると、レノは溜め息交じりに答える。

「ソラ、アンタってホントバカバカよね・・・分からないんなら、そんなもの鼻にでも詰めときなさい」

「なるほど、鼻血止めか」

「・・・バカバカ過ぎて冗談が通じないのかしら?」

「それはオマエの方だろ・・・」

 耳栓は耳にするから耳栓なのだ。常識以前の問題である。


「僕は、どんな理由で耳栓を買ったのかって聞いてるんだよ・・・」


 僕がそう聞くと、案の定、レノはそんなこともわからないの、という感じの言葉を口にした。そして、やれやれといった様子でカイを指差す。


 僕は耳栓の意味をやっと理解した。なるほど、あの唸り声は確かに耳に悪い。あんなものを毎朝聞かされては、突発性難聴を引き起こしかねない。

 たった一人カイだけは、会話に乗ることができず、そこにボーっと立ち尽くしていた。


「何の話だ?」


 コイツには自覚が無いのだろうか。



 まだ袋の中には整理するべき大量の荷物が残っていたが、僕たちはとりあえず昼食にした。

 だが、そこに盛られているのは山のような緑。


「おいレノ、お前、肉は買ってきてねぇのかよ」

 カイは野菜だらけの昼食に耐えかね、レノに聞く。


「だって・・・売ってないんだもん」

「売ってない?」

「なんかこの街、ベジタリアンの宗派らしいのよ・・・」


 遂に、宗教は僕たちの昼食まで侵し始めたようだ。こうなっては、ますます神を信じるわけにはいかない。


 最後の希望を託し、僕はレノに尋ねる。

「なぁ、鯖缶」


「ないわよ」

 呆気なく即答を食らった。

 今までの食事がここまでありがたく思えるなんて、きっともう一生ないことだろう。


 野菜とバナナジュースだけの昼食。これが昼食と呼べるのだろうか。ニンジンスティックとセロリをホウレンソウで巻き、バナナジュースと共に口に流し込む。この街の住民は、毎日こんなものを食べているのだろうか・・・


「んなわけねぇだろ・・・」

 カイが呟く。


「だって、ホントのホントに売ってないんだから・・・」

「お前、ホントにちゃんと見たのか?」

「見たわよ・・・でも、牛はゼウスの化身らしいし・・・」

 そういえば、ギリシャ神話にもそんな話があったような気がする。


「だったら、豚とか魚は見たのか?」

「それは・・・」

 レノは黙り込む。なんだかこっちまで可哀想になってきてしまう。


「なぁ、カイ、その辺で・・・」

 僕が言うと、カイはそうだな、という風に頷いた。ちょうどそう思っていたようだった。


「・・・ま、しゃーないか」

 カイの言葉に、レノはゆっくりと顔を上げる。


 カイは続けた。

「明日、みんなでもう一回買い出しに行くか」

「え、うん・・・」

 レノは力なく頷く。


 カイの提案に、僕は尋ねる。

「あれ、何で明日なんだ?」

「だって、もう腹減って動く気しねえし・・・」


 それは同感だが、別に明日でも変わらないような気もする。要は先延ばしにしたいだけなのだ、と解釈し、僕も渋々同意する。腹が減ったらバナナジュースを飲めばいい。野菜はまだまだ残っているが、夕食にまでそれを食べる気にはなれそうもなかった。


 とりあえず緑色の昼食は摂ったのだし、ストックもある。きっと明日までは持つだろう。

 その時、ふっと脳内を掠めることがあった。そうだ、大事なことを忘れていた。


「鯖缶もな」

 僕は釘を刺す。これを忘れられては困る。


 だが、カイはニヤリと答える。

「残念だが、俺はイワシの方が好きなんだ」

 あまり変わらないような気もするが、僕はとりあえず了解した。


 何にしろ、バナナジュースばかりでは頭がおかしくなりそうだ。どんなに栄養があっても、偏食や食べすぎは禁物だ。バナナ人間になってしまう。


 だが、僕の横には、相変わらずバナナジュースばかりを飲んでいるレノの姿があった。ここまでくると、もはや病的だ。バナナ教バナニズムの敬虔な信者め。

 ふと彼女の持っているジュースのパックを見ると、昨日とはデザインが違うようだった。嫌というほど見たから僕でもわかる。


「あれ、『甘みに焦がれるバナナジュース』じゃなくて、『香りに焦がれるバナナジュース』になってるぜ?」


「期間限定なのよ」

 女性が「限定」という言葉に弱いというのは、どうも本当らしい。


「甘いってのは分かるけど、香るってどんなんなんだよ?」

「いい、これは言葉遊びなのよ。バナナは日本語なら甘蕉、中国語なら香蕉なの。甘いと香ばしいの違い。これ、豆知識ね。分かったらバカバカは黙ってなさい」

 草冠が足りないというツッコミはおいておくとして、レノにこんな知識を語られる日が来ようとは。だがきっと、彼女の持っている知識は、ほとんどがバナナの方向を向いているのだろう。


 それにしても、かなりのレベルのバナナファン《バナニスト》を対象とした商品である。レノ専用でもあるまいし。何より、ここぞとばかりにドヤ顔のレノを見ていると、無性に腹が立ってきた。


 すると、突然カイが会話に入ってきた。

「んで、味は?」

 そういえば、質問をすっかり忘れていた。


 レノは今飲み干したパックを捨て、新しいパックを手に取ったところで答える。

「まぁまぁ、ね」


 床には、空のパックがいっぱいに散らばっていた。

「ゴミはちゃんと捨てろよ」

 ドヤ顔の腹いせにそう注意して、僕がパックをゴミ箱へ捨てようとすると、レノはその手を止めた。


「紙ごみはリサイクル、よ」

 レノは勝ち誇ったようにニタリとする。

 カイは笑いをこらえている。


 ・・・さんざんだ。

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神と、記憶と、宗教戦争。 滝兼太郎 @ken_taki

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