Zeusism
翌朝、僕が初めに目にしたものは、暗闇ではなく、光だった。一瞬、置いて行かれたのかという妄想にも憑りつかれたが、僕の脳はすぐさまそれを否定した。眩しい中、無理矢理重い瞼を上げると、部屋の中にはカイ一人だけだった。
「あれ、レノは?」
僕は少々寝ぼけた声でカイに尋ねる。
「買い物だ。本当なら今回は俺の番のハズだったんだが、思わぬ拾いもので順番が狂ったからな」
ここは申し訳なく思うべき場所なのだろうか。しかし、カイの言葉は皮肉と言うより、単にからかっているだけのようだった。
「それにアイツ、バナナジュースが切れた途端に買い物に行くとか言い出したんだぜ」
あれだけの量をよくもまあ、こんな短期間で消費できたものだ。
「じゃあ、僕たちはずっとここで待機なの?」
カイは笑う。
「ソラの好きなようにしていいぜ。暇だし、街でも回るか?」
僕は一瞬決断を迷ったが、首を縦に振った。ここで退屈していても仕方がない。
「レノには昼過ぎぐらいに帰ってくるように言ってあるから・・・まぁ、街を一周するには十分だろう」
街。村ではなく、街。昨夜は暗くてよく見えなかったが、彼の言葉から、この街には少々期待できそうだった。このボロ宿の内装にはうんざりだったので、僕はすぐに支度を始めた。
「早く行こう」
僕は言った。
宿の部屋の扉を開けると、昨日の夜空は、白い雲の混じった青空になっていた。
街の外観は「都会」と呼べるものではなかったが、少なくとも、昨日の村より大きいことは確かだった。なのに、この、どうしようもない、物寂しい雰囲気は何なのだろう。まぁ、大都会のようなごみごみとした場所より、散歩に適していることは確かだった。
「どこへ行きたい?」
カイが僕に聞く。だが、僕はそんなアテもなければ、この街に何があるのかも知らない。
「とりあえず、そこら辺をブラブラしたい」
山道でも、急ぎ道でもない道。それはただの道に見えても、僕にとっては特別な道だった。ところどころ、アスファルトの禿げた道。それは修復される予定もないようで、街のあちこちにある亀裂は、既に街の景観の一部に溶け込んでいた。道を直す必要が無いのだろうか。確かに、見渡してみても、車は一台もない。ただ、何人かの住民と思われる人々が歩いているだけだった。
僕はカイに聞いてみる。
「なぁ、移動手段は徒歩だけなのか?」
カイは辺りを一度見まわし、答える。
「いや、車もあるにはあるぞ。普通の都会には、な。この街には、きっと需要が無いんだろう」
確かに、これではドライブに出かける気にもなれない。しかし、僕はここへ来るまで、一度も戦争を感じさせるものを目にしていない。そうしょっちゅうあられても困るものだが、ここまでないとなると、逆に戦争というものを疑ってしまう。
ただ一つその存在を実感できるのは、街中に漂う名状しがたい異様な雰囲気だけだった。
この街で目にしたものは、全てが新鮮だった。良い意味でも、悪い意味でも。都会の情景とは裏腹に流れる雰囲気。戦時を彷彿とさせる寂れ。人々の様子も、活気のあるものだとは言えなかった。僕に記憶が無くとも、どこかが違うということだけは理解できた。だがその中に、ひと際僕の目を引いたものがあった。
「あれは何だ?」
僕は、今数人が入っていった、一風変わった一つの建物を指差す。
「何って・・・教会だよ」
よく見ると、確かにそれは教会のようでもあった。屋根の上にはシンボルのようなものがついているようだ。
しかし、その建物のデザインは記憶にない、もとい、僕の常識に載っている限りではない。
「どこかの宗教?」
「ああ、あれはな・・・」
と、カイはそこで言葉を止め、言葉を変える。
「行ってみるか?」
建物の中で、彼らの前に置かれていたのは一つの巨大な、真っ白な偶像だった。どこかで見たことのあるような像。それに向かって必死に何かを念じている信仰者たちの様子は、祈っているというよりは、むしろ、完全にそれに帰依しているように見えた。そのためか、その像は一段と強い威厳を発しているかのようだった。
「あれが・・・ゼウスだ」
カイはそう言った。
「あれが・・・?」
どこかで見たことがあるような気がしたのは、そのせいだったのか。
「あいつらはみんな、
ズーシズム。聞きなれない言葉だが、ゼウスを崇める宗教だということは何となく分かる。
ゼウスは神だ。神を崇めることに何ら異存はない。
僕は信者の一人に声をかけようとする。だが、その手をカイが押さえた。
「お祈り中には話しかけない方が賢明だぜ」
忠告に感謝する。
「で、ゼウス教ってどういう宗教なんだ?」
「つまりは、ゼウスを魔法の起源だ、って言い張る奴らの集まりさ」
「ちょっと待って、だったらお前も・・・」
カイもレノも、ゼウスの存在はあたかも一般論であるかのように語っていた。つまり、コイツらもゼウスを信じているということ。だということだ。
「ああ、俺も一応、信者の一人だよ」
これで、僕の記憶奪還への希望はさらに半減した。
今まで、ゼウスの存在は一般的な見解だとばかり思っていた。だが、宗教が絡んでいるとなると、それはUFOやツチノコの何倍も性質が悪い。
「つっても、俺は信仰なんてしやしない。単に訓練所で無理矢理埋め込まれただけだ」
純粋な信者ではない、というわけか。とりあえず、希望が五パーセントほど回復した。
「じゃあ、訓練所は布教施設なのか?」
「ん、あ、あぁ・・・」
カイはそこで口を濁す。
僕は改めて、神へと必死に祈りを捧げる信者たちを見た。そこまで祈ることに何の意味があるのだろう。神など本当に存在するのだろうか。僕には何も分からないし、理解もできない。
だが、よくよく考えて見れば、僕も信者の一人なのかもしれない。理由はどうあれ、ゼウスを探し、その存在を望んでいることは確かだ。祈りを捧げるつもりはないにしろ、僕の中に神というものが存在していることは否定できない。
もしかすると、宗教とはそういうものなのかもしれない。自分でも不確かなうちに生まれてくる神への信仰。それこそが、宗教と呼ばれるものなのかもしれない。ならばここは一つ、祈りでも捧げておこうか。それが僕の記憶の代償だと考えれば、安いものだ。
しかし、その時、カイが突然話を再開した。
「・・・ソラ」
改まって、何だというのだろう。
「・・・お前に、俺たちが戦争をしてる理由、言ったっけか?」
その言葉に、カイのその真面目な口調に、僕はふと、しかしはっきりと、意識を取り戻した。
「理由?」
「・・・」
そう言えば聞いていなかったかもしれない。考えて見ればおかしい。戦争が起こるのにはそれなりの理由があるハズだ。その理由を聞きもせずにホイホイ付いて来てしまった自分を恥じる。
カイは思い切った口調で続ける。その声には、若干の嗤いと、やりきれない感情とが入り混じっていた。
「これ、なんだよ」
カイは何かを指差しはしなかったが、代わりに、教会を目で一周させた。
これ、とは、まさか・・・
「
僕がそう尋ねると、カイは苦笑いを浮かべながら、そっと頷いた。
カイが言うには、今僕のいる国はゼウス教国であり、敵国は他の宗教国らしい。魔法の起源に関する、別の宗教だ。そして、宗教上の摩擦が原因で戦争を起こしている、と・・・
宗教戦争、などという言葉は、遥か昔に歴史の彼方へと消滅してしまったものだと思っていた。どうやら、人間の考えることはルネサンスの時代から何も変わってはいないようだ。
たかが宗教のことで、空想如きのために、大勢の人々が死ぬ。そんな事実が現代に許されていいのだろうか?
その時、カイが僕に問う。
「でも、お前もいてほしいって願ってるんだろ?」
「えっ?」
「ゼウスが、だよ」
やはり僕はその事実を否定することができなかった。僕は既にこちら側の人間なのだ。
僕は人々を非難する思考回路を、自分を擁護するための回路へとつなぎ直した。僕は戦争を始めるような人間とは違う、ということへの証明が欲しかった。
「宗教は悪くないと思う」
僕がそう言うと、カイは頷き、その続きを促す。
「でも、それを使う奴らに問題があれば、それは悪になり得る。力と結び付けば、宗教は信仰の対象じゃなくて、ただの権力のための手段になる」
カイはさっきよりも大きく頷いた。そして言う。
「この世には、自分たちの知識では説明できないことなんて、ゴマンとある。それに理由をこじつけることが宗教。それを信じるのが信仰、だ。要は、頭の中にあるモヤモヤをスッキリさせたいんだよ。だが、それが今、こうやって人々を苦しめてる。皮肉なもんだ」
改めて、宗教の存在の理由を疑う。そして、僕の目の前にいる信者たちは、いったい何を求めて祈っているのだろう。今以上の安らぎだろうか。だが、そうすることで、本当の安らぎが得られるのだろうか?
今の戦争を止めるのに必要なのは、これ以上の信仰か、それとも信仰をやめることなのか。
宗教が悪いわけではない。信仰は悪ではない。だが、神など生み出されなければ、戦争が起きることもなかった。神がいないとなれば、僕の記憶が戻ることはないだろう。それでも、それ以上に大事なことがあることを、僕はこの教会と、戦争と言う事実の中で目にした。
「僕は神なんか信じない」
カイはその一言で全てを理解したようで、何も言わず、ただ目を閉じていた。
こう結論を出すことでしか、僕に戦争に対して反抗する術はない。そう思った。
僕たちは建物を出た。あんな狭苦しい聖域に囚われることは、僕にとっては苦痛以外の何でもなかった。
空を見上げると、雲は消え、ただ青の広がるばかりとなっていた。青空ではなく、青天と言うべきか。澄み渡った空。それは霹靂を思わせるようでもあり・・・
空を仰ぎながら、僕はカイに尋ねる。
「そう言えば、カイはお祈りしなくても良かったのか?」
「あぁ・・・あんまりコレを言うとまずいんだが、正直言って、俺は神様を崇める気なんてサラサラ無いんだ」
カイは辺りを見回し、誰もいないことを確認してから答えた。そして、慌てたように付け加える。
「もちろん、存在するかしないかは別として、だぞ」
今更カイが神を信じようと信じまいと、何も変わらないのに。
「ありがとう、な」
僕は彼の気遣いに対し礼を述べる。
「じゃ、次はどこ行く?」
カイがそう尋ねるが、どこと言っても、やはりアテがあるわけではない。ただ街の風景を楽しむだけである。
街をブラブラ・・・と、僕がそう答えようとするのと同時に、効果音が空気を轟かせた。
「グゥ~」
何とも情けないその効果音は、カイのものだった。
「帰るか」
カイは少し照れて言う。腹が減っては散歩もできない。
僕はどうしようかと一瞬迷ったが、決断はすぐに下された。
「グゥ~」
僕の腹の虫は、待ってましたとばかりにそう答えた。
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