Nobody needs me

 それから一時間半ほど歩いたところで、遂に夕日が沈んだ。


「今のところに、ちょうど村だか町があったな」

 カイがそこに泊まろう、と提案した。僕もレノも賛成だった。二日間も連続で野宿、などというのは、旅慣れない僕には酷な話である。

 僕たちは道を少し引き返し、そこへと向かった。


 既に日が落ちていたので、ちゃんと宿がとれるか、という心配もあったが、何とか宿はとれたようだった。

 だが、部屋に入ってみると、それは綺麗、とは程遠い環境であった。電球などあるはずもなく、部屋は二、三本の蝋燭ろうそくの光によって照らされるのみ。燭台は他にも数本あるが、蝋燭は燃え尽きてしまっているようで、光はない。

 壁のひびからは虫が出入りし、天井には蜘蛛くもの巣が張り、見事な食物連鎖の関係が築かれている。水道は錆びついて・・・いや、もうやめておこう。


「野宿よりはマシでしょ」


 レノの言うことももっともである。僕はこれで妥協することにした。元々、選択肢などありはしないのだが。


「マース・フレア」

 カイが暖炉に炎をともすと、部屋はだいぶ明るくなり、だんだんと暖かさを増していった。


「じゃ、夕食にするわよ」

 また暖炉の炎で焼き肉でもするのだろう。そう思っていた僕は、レノが出した物に目を疑った。


「レノ・・・オマエ、缶詰なんか持ってたのか?」


 彼女が手にしていたのは、色とりどりの缶詰。まさかこんなものを隠し持っていたとは・・・


「非常食なんだ。俺がいなけりゃ、火もなければ、肉も焼けないからな。でもこの街で新しいのを仕入れるから、こいつは食っちまおう」

 彼の一言に、僕は疑問を抱く。


「あれ、レノも魔法を使えるんじゃないのか?」

「アタシは炎系の魔法は苦手なの」


 魔法には、何か属性のようなものがあるのだろうか。まぁ、それはいいとしても。


「早く食おうぜ」

 今の僕にとって、目の前に並べられた缶詰以上に興味深いものはなかった。


「ちょっと、何よその目は」

 レノが不満の顔色を浮かべる。


「いや、だってさ・・・」

「だっても何もないわ・・・そんなにバナナジュースが気に食わないの?」


 目の前にまたもや堂々と出現したバナナジュース。それを見る度に、僕はその通りだ、と答えたい衝動を抑えなければならない。


「いや、断じて、そんなことはないです」

 これ以上地雷を踏むのはごめんだった。


「だったら、アンタは何が飲みたいのよ」

 そう聞かれ、僕はキョトンとする。


 オレンジジュース、グレープジュース・・・そういえば、いろいろなジュースがあった。だが、僕がとりわけ飲みたい、と思えるジュースは思いつかなかった。あえて言うならば、バナナジュース以外なら何でも良かった。僕は適当に答えておく。


「りんごジュース」


「りんご、ねぇ・・・」

 彼女は考えるような素振りをする。りんごジュースについて、そこまで深く考えることがあるのだろうか?


 突然カイが横から口を挟む。

「なぁ、ソラ。その缶詰は残ってるのか?」


 彼が指差していたのは、僕が後で食べようと大事に取っておいた缶詰。


「いや、これは僕が食べる」

「なぁ、ちょっとだけ、な?」

「駄目だ」


 残念ながら、これだけは譲れない。だが、カイはしつこく攻め寄ってくる。

 それを見かねたレノが間に入る。


「るっさいわねぇ・・・バカじゃないの?どうせまた明日買うんだから、我慢したらどう?」

 まるで喧嘩する兄弟を止める姉である。いつもの立場が行方不明だ。


「ったく、冗談だっつーの・・・」

 カイは渋々引き下がり、ニヤッとした表情でこちらを向いた。僕は慌てて残りの缶詰を口に入れた。


 サバの味噌煮は最高だった。



 その夜は、眠くて仕方がなかった。いくらなんでも歩き過ぎた。足もパンパンだ。

 レノもカイも眠ったようだったので、僕は暖炉の火を消し、ベッドへと潜り込んだ。


 夜中。心地よい眠りを、何かに妨害される。


「起きなさいよ・・・」


 レノの声。

 まだ外は暗い。部屋の中で僅かに点った数本の蝋燭以外、光はどこにもない。


「もう出発なのか?一生のお願いだ、あと十分寝かせてくれ・・・」


 レノは少し落ち込んだ表情を見せる。こんな表情を見せられては、寝ているわけにもいかなかった。


「ったく・・・どうしたんだ?」

「ト・・・イレ・・・」


 レノは小さい声で言う。その顔は、恥ずかしさをこらえているようにも見えた。。蝋燭の暗さのせいかもしれないが。


 この宿はボロ宿だったため、トイレは部屋にはついておらず、外にある公衆トイレだけだった。確かに夜中に一人で行くには心細い。光もない。だが、それなら炎を使えるカイを起こせば良い話である。


「なんでカイを起こさないんだ?」


 レノは答える。

「カイは寝起きが酷いのよ・・・あの唸り声はカンゼンに近所迷惑だわ。アイツを起こすくらいなら、一人で行った方がマシよ」


 カイはそんなに寝起きが悪いのだろうか。だが、僕はその唸り声に心当たりがあったような気がした。


「・・・分かった」

 僕は眠い目をこすりながらも、承諾することにした。



 トイレへ向かう途中、と言っても、あまり距離はないのだが、その間、レノは何も話さなかった。こんな夜中に何かを話すというのも微妙だが、何も話さないというのはかえって不気味だった。


 夜の道は当然ながら静かで、環境音と星空だけがその空間を装飾していた。


 トイレへ着き、外でレノのことを待っている間、僕は星空を見上げていた。この得体の知れない僕の「常識」のおかげか、僕はその星空を読むことができた。


 僕の目の前に広がるのは、さそり座、いて座、そしてその間に輝く明るい星、木星。ゼウスが象徴する星。昔から変わることのない夜空に浮かぶその星に、古代ギリシャ時代の人々は名前を付け、空想の物語を作りあげた。


 ゼウス、天空神。


 その言葉の意味こそ違えど、それは今、こうして現代へと語り継がれている。

 そんな空想が残り、論理によって組み上げられた科学が朽ちようとしている、というのは何たる皮肉だろうか。


「ねぇ、そこにいるわよね?」

 トイレの中からレノの声が聞こえる。


「あぁ、ちゃんと待ってるよ」

 電気もない、真っ暗なトイレは、不気味なのにも程がある。誰かの声を聞きたくなる気持ちをも分かる。


 しばらくすると、水が流れる音がした。流石にボットン便所ではなかったらしい。レノが扉を開け、こちらを見る。僕も既にかなり目が慣れていたので、彼女をはっきりと認識することができた。


 レノは僕の姿を確認すると、早歩きで部屋の方へと向かった。僕はそれについていく。



「可哀想、なんて思ってるんじゃないでしょうね?」


 ふと、レノが僕に尋ねた。


「何が?」

「今日、変なこと聞いたじゃない」


 今日のレノとの会話は専らバナナ関連であったような気がするが、その中で確かに、僕は彼女に質問をぶつけたことを記憶していた。


「戦争に行くのが・・・っていう話か?」

 レノは頷く。


「僕は・・・」


 答えに迷いながらもそう言いかけると、レノはそれを遮るように続ける。


「アタシは戦争に行くための存在。星の数ほどいる兵士の一人。それ以上でも、以下でもない。アンタに可哀想、なんて思われる筋合いはないからね」


 暗いせいで良くは見えなかったが、彼女の表情は、どこか、言葉にできない哀愁を漂わせているように思えた。


「アタシなんて・・・誰も必要としないのよ」


 ふと、レノがそう呟いたような気がした。だがそれは、風の音に吹かれ、虫の音の彼方へと消えた。


 レノの言葉は、衝撃的というよりは、想像通りだった。腑に落ちなかった。だが少なくとも、彼女の口調は怒っているようには聞こえなかった。それだけがせめてもの救いである。


 気が付くと、僕とレノとの間には既に、かなりの距離が開いていた。僕は早歩きの速度をさらに早め、部屋へと戻った。



 帰りの道は、行きのように不気味ではなかった。

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