I have nothing except

 再び目が覚めると、今度は真っ暗な世界。

 そこにいたのは、またもレノだった。


「ちょっと、早く起きなさいよ」

「え・・・もう・・・朝?」

 空はまだ暗い。

「そうよ」


 暗がりを見渡すと、そこにはもう一つの人影があった。カイだった。


「まだこんなに暗いのに・・・」

「バカね、こんなトコでモタモタしてられないじゃないの・・・いつ敵が来るかも分からないのに・・・」


 敵・・・そう言われて、今の状況を思い出す。戦時なのだから、敵が襲ってきてもおかしくはないのだろう。

 そういえば、さっき寝ている間にも、何か大きな、おぞましい唸り声を聞いたような気がする。今思い返してみれば、すぐ近くで発せられたような声だった。あれはまさか、敵の音だったのだろうか。僕が思っていたよりも事態は深刻だったのかもしれない。


 そこに、カイが調理された食料を運んでくる。

「じゃ、これが朝飯な。今日も歩くから、しっかり食っとくんだぜ」

 出されたのは、やはり肉。きっとこれが一番手頃で、かつ、お腹持ちがするのだろう。


 そして、肉と共に堂々と違和感を放っているのは、僕にとって三回目、量にして実に五本目のバナナジュース。初めのレジ袋を見ても仕方が無いような気もするが、その仕方なくなる原因の、さらにその原因は何なのだろうか。


「なぁ・・・なんでバナナジュースなんだ?」

 僕は衝動に耐え切れず、遂に質問を口にした。


「それはな・・・」

 カイの意味深な口調を、レノが制する。


「これが一番栄養価が高いのよ。バナナは無敵なんだから」


 確かにバナナは栄養があるかもしれない。だが、いくら無敵のバナナ様だからと言って、流石にここまで買い込むことはないだろう。


「で、この量は何なんだよ・・・」


 呆れた口調で、カイが答える。


「要は、コイツがバナナ大好き星人だってことだ」

「なっ!?・・・カイだって飲んでるじゃない!」

「俺は仕方なく飲んでるだけだ。お前みたいなバナナ病末期患者と一緒にするな」

「うるっさいわね、余計なお世話よ、このバカバカ!」


 レノはむっとする。が、僕はようやく、このバナナジュースの山の意味を理解できた。僕たちはレノの巻き添えを食らっているわけだ。

 僕はパックを握りつぶし、残りのジュースを一気に飲み干した。僕たちは恐らく、レノと一緒にいる限り、バナナジュース以外の飲み物を飲むことを許されないのだろう。たとえこのジュースの山が消えたとしても、きっとそこに待っているのは、さらなるバナナジュースの山、という絶望だけだ。


 こうなったら、遠慮する必要などない。思いっきり飲むほかない。


「いいじゃない・・・おいしいんだから・・・」

 レノは、本日六本目のバナナジュースをじゅるじゅるとすすっていた。


 その日も、僕たちは山道を延々と歩いていた。レノはその間ずっとご機嫌斜めなご様子であった。ぶつぶつ文句を呟いていたり、時にこちらを睨みつけてきたりもした。

 その内容がおそらくバナナジュースの件であることは僕にでも容易に想像ができた。そこまでバナナにぞっこんだったとは知らなかった。僕は今、そのことを心の底から後悔していた。


「バナナはね、栄養満点なのよ。健康にも美容にもいいのよ。分かる?バナナをバカにする奴は大バカバカよ。人類の敵よ。いや、宇宙の敵よ」


 さっきから突然レノがこちらを振り向く度に、何事か、と思えばバナナの話なのである。


「分かったって・・・ごめん、別にバナナを侮辱するつもりはなかったんだよ・・・」


 その都度こうして謝っているのだが、レノの機嫌は一向に直りそうになかった。まさかこんなところにこんなに巨大な地雷があったなどとは、誰が予想できただろうか・・・


 僕は恨めしそうにカイに目を遣る。さっきだって、あれが地雷だと先に教えてくれさえいれば、こんなことにはならなかったはずだ。

 だがカイはというと、助けてくれる様子もつもりもないらしく、じっと何かについて、頭を抱えて考えているようだ。


 そんな先の見えない会話、もとい一方的な愚痴をBGMにしていると、カイがふと、何かに気づいた様子で僕に話しかけてきた。


「なぁ、ソラ、お前って田舎者だったんじゃないのか?」


 突然何を言い出すのだろう。もしかして、さっきまで僕に助け舟を出してくれなかったのは、そのことを考えていたせいだったのだろうか。


 さっきのことについて不満はあったが、僕のことについて考えてくれていたことは、素直に嬉しかった。僕にとっても、それは興味深い話だと言わざるを得ない。


「田舎者?どうして・・・」

「お前は魔法の出現を知らなかったんだろ?だったらきっと、そういう情報すら伝わらないようなド田舎に住んでたんだよ・・・世界の歴史については知識もあるみたいだし、それなら納得だ」


 これで百パーセント納得が行ったかと言われればノーであるが、今のところはそれが一番説得力のある説明なのだろう。いや、だが・・・


「そもそも、魔法はどこで現れたんだ?」


 僕はそのことが気にかかった。彼の言い方からすると、それは田舎ではないようだった。


「正確には分からない。だが、最初に発見されたのはどこかの大都市だったと思うぜ。でもそれは『発見された』場所であって、発祥地とは限らない。その時には、もう既にたくさんの人が魔法を持ってたんだよ」

「つまり、魔法は大都市から広まって行ったってこと・・・なのか?」

「そう考えられている。現に、魔法は都市部でどんどん発達していって・・・その結果が現在だ」


 現在、とは、一体何のことを指しているのだろうか?彼らが魔法を使えるというのは現在の事象で、その結果であることは確かだったが、彼の言い方からは、何か他のことを示唆しているように思えた。


「現在ってのは、つまり・・・どういう状態のこと?」

「えっとだな・・・」


 彼は、少し考え、そして続ける。

「さっきの村で、何か違和感を感じなかったか?」


「違和感、というか・・・朽ち果てた都市、って言う感じがした気がする」

 そう言うと、カイはそうだ、と頷く。


「魔法が出現して以来、科学は急速な後退を見せている」


 魔法の出現と科学の後退。その二つをリンクさせることくらいは、僕にもできる。


「その代わり、魔法が発展した?」

 彼の言いたいことは、だいたい予想がついていた。


「その通り。日常生活の、大半の仕事は魔法で事足りる。だったら、必要のなくなった科学が衰退するのは必然、ってことさ」


 科学の衰退。少なくとも、僕の辞書にそんな文字はなかった。僕の記憶が正確に、いつで途絶えているのかは分からなかったが、少なくとも、科学の発達がストップしたという記憶はなかった。

 彼の言う通り、もし僕が田舎者なら、都市での魔法の発展を知らないことも何とか説明できる。


「既に、物理学や化学は目に見えて衰退してる。学校の教科書も薄くなる一方さ。他の分野はまだ粘ってるところもあるが、消えるのも時間の問題だな」


 十数年前に発現した魔法。それは、古代ギリシャの代から培われてきた人類の遺産をも食いつくしているようだ。それも、見るも無残な速度で。にわかには信じ難い話である。記憶の中の常識と、現実との矛盾の解消に悪戦苦闘している僕。


 今日で、僕の人生が始まってからまだ二日目だ。この程度の期間では無理もないのかもしれない。だが、できることなら、早々にこの闘いとおさらば、と行きたいものである。


「お前も大変だな」


 カイは僕の混乱を察したのか、同情するような口調でそう言った。


 その昼、僕たちはとりあえず休憩をとった。と言っても、十分あるかないかの時間は、休憩と呼べるものではなかった。もはや三食では恒例となったバナナジュースを、僕とカイは一本、レノは五本飲み終えた後、僕たちはすぐ、再び歩き出さなければならなかった。



 今日一日で、僕たちは一体どれくらいの距離を歩いたのだろう。彼らは本当に道を知っているのだろうか?だが、僕に分かるのは方角だけであった。僕は探求をやめた。そもそもどれくらい歩こうとも距離に変わりはないのだし、やめることもできない。今は、彼らに付いて行くことしかできないのだ。


 そんなことを考えているうちに、思考回路がどう繋がったのかは分からないが、一つの言葉が再び脳内で再生された。


「戦時、だからな」


 と同時に、僕は今の自分の立たされている状況と、昨日の晩のことを思い出した。レノが受けてきた教育。それは、彼女にとっては苦痛ではなかったのだろうか?彼女は、戦争に行くことをどう思っているのだろうか?


「なぁ、レノ・・・」

 バナナジュースのほとぼりが冷めたころを見計らい、僕はレノに質問をしてみる。


「何?」

「レノは・・・その・・・戦争に行きたくない、ってことはないのか?」


 レノは人を殺したがらない。カイは昨夜、確かにそう言った。ならば、彼女自身、戦争が好き、などということは・・・


「ないわ」


 予想外の答えだった。カイの言ったことは嘘だったのだろうか?それとも、僕の聞き間違いだったのだろうか。


 そんな僕をよそに、彼女は続ける。


「アタシには、魔法と命しかないわ。この二つで出来ることは・・・戦争に行くことだけなの。命を捨てて、それが何かの、誰かの役に立つなら、中途半端に生きてるよりずっとマシじゃない」


 自分は戦争をするために生まれてきた、というような言い草。僕には理解不能な理由。戦争ともなると、みんなそんな思想の持ち主になってしまうのだろうか・・・どちらにせよ、僕は否定する以外の答えを持ち合わせていなかった。


「オマエ・・・バカじゃねぇのか」


 僕がそう言い捨てても、彼女は表情を変えず、ただ、自分の歩く方角のみをじっと見つめていた。怒っているのだろうか。しかし、考え直してみると、普段の態度と大差ないことも事実だった。


 カイはただ、無言だった。単に考え事をしていたようにも見えた。今の会話を彼が聞いていたのかどうかは分からないが、僕に何かを言おうとする気配はなかった。


 僕も彼らに続き、無言で歩く。



 僕は今の会話を心の中で反芻しながら、レノにとっての幸せとは何なのだろう、などと、無意識のうちに考えていた。

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