だいぼうけんズーフォビア
陽一
だいぼうけんズーフォビア
かばんちゃんって、とってもすごい!
わたしからは絶対に出てこないアイデアをたくさん出してくれるんだ!
とぉーっても、頭のいいフレンズなんだね!
かばんちゃんは、わたしのほうがすごいって言ってくれるけど……でも、そんなこと、ないと思う。
かばんちゃんのほうが、絶対に、ぜーったいに、すごい!
その証拠に――この前、こんなことがあったんだ。
■ ■ ■
ツチノコと別れて、ボスの運転するバスが走る。
トンネルを抜けると、久しぶりに感じる砂漠ちほーの景色が、わたしたちの目に映る。
思わず、目を焼かれないように手で目元をガードしたけれど、その必要はなかった。
迷路に迷い込んでいる間に、頭上の太陽はもう暮れかけていて、オレンジ色の光が辺り一面を包んでいた。お昼頃に見た景色とは打って変わって、まるでキンキラの石をそこら中にばら撒いたみたいに、砂の一粒一粒が光り輝いている。
「きれい、だね」
わたしの隣で、かばんちゃんがそう呟いた。
「だねー!」
わたしもちょうど同じことを考えていたからそう返す。かばんちゃんは嬉しそうに笑ってくれた。
サバンナちほーとは違って、砂漠ちほーはわたしにとっては暑すぎる。スナネコならともかく、こんなところで暮らすのは無理だなって思う。
だけど、サバンナちほーにいたままだったら、こんな素敵な景色は見られなかった。
だから……なんていうか、よかったなって思う。かばんちゃんと一緒に、旅に出ることができて。
バスは、砂漠をぐんぐんと走ってゆく。ボスも慣れたのか、砂に引っかかって止まるようなことはもうない。
砂でできた小さな山を三つほど越えると、その先にはまた別の景色が広がっていた。雰囲気ががらりと変わって、砂の金色よりは、ごつごつとした岩肌の灰色や茶色が目立ってくる。
バスの揺れが、ごとごとと、激しくなる。どうやら、走ってる場所によって、乗り心地が変わるみたい。つくづく、不思議な乗り物だなって思う。
「ん……」
と、かばんちゃんが小さく息を吐いた。
「かばんちゃん?」
目が、とろんとしてきていた。わたしは体を支えてあげる。
「眠くなっちゃった?」
「……うん。でも、大丈夫だよ」
「ううん。無理しないで。仕方ないよ、今日もいっぱい走り回ったし」
それから、わたしは、運転席のボスへ声を張り上げる。
「ねー、ボスー! 今日はこの辺りでお休みにしなーい!?」
けれど、ボスから返事は特になし。
「……ラッキーさん。この辺りで休むのは……どう思いますか?」
今度は、目元をこすりながら、かばんちゃんがボスに聞く。すると、
「さばくちほーは、にっちゅうとやかんで、かんだんのさがはげしいから、ここでやすむのは、あんまりおすすめしないよ」
運転席のボスから、淡々とした声が返ってきた。
「かばんにとって、ここのよるは、さむいくらいだとおもうよ」
「……そうなんですか? 夜は、暑さがちょうどよくなって、過ごしやすくなるって思ってました」
「やすむのなら、さばくちほーをぬけたところにある、こはんのそばでやすむのがいいよ」
「わかりました」
……相変わらず、ボスはかばんちゃんとだけ話してる。なんでなんだろう? べつに、わたしが嫌われてるってわけじゃないだろうけど……。
まあそれはともかく。確かに、ここで休むのは、あんまりかばんちゃんにとってはよくないのかもしれない。
けれど、わたしはもう一度ボスへ向けて言う。
「でもでも。そのコハン? ってところ、もう少しかかっちゃうでしょ? じゃあ、少し休憩したほうがいいよ。かばんちゃん、疲れたよね?」
「……ありがと、サーバルちゃん」
かばんちゃんは、わたしに向けて小さく頭を下げた。それからボスへと向き直って、
「じゃあ……ラッキーさん。少しだけ休憩するのはどうですか?」
「だいじょうぶだよ。ちょうじかんバスにのりつづけると、ぎゃくに、たいりょくのしょうもうにつながるんだ。たまにおりてきゅうけいしたほうが、からだにいいよ」
「ありがとうございます、ラッキーさん」
ややあってから、平らな場所にバスが止まった。ボスもかばんちゃんを気遣ってくれているみたい。
「さんじゅっぷんくらい、ゆっくりそのあたりをあるくといいよ」
ボスの声に見送られながら、わたしとかばんちゃんはバスを降りた。
地面に足を下ろすと、意外にも、固い感覚が返ってきた。
「ごつごつしてる」
砂なんかもうほとんどない。ただ、乾いた岩みたいな地面がずーっと広がっている。
「……んん~~~~っ。はぁ……。そうだね。砂っぽくない」
かばんちゃんは、思いっきり伸びをしながら、わたしに答えた。
「さっきまで、砂ばっかりだったのに。何だか鉱山ちほーみたいだね」
「うん。さばく、って言っても、色々あるんだね。ふふっ、たのしーい!」
とはいえ、固い地面は踏み心地がとてもよかった。砂だらけで柔らかかったときと違い、わたしにとっては、走りやすそうな場所だ。
「あははっ。それーーーっ」
だから、わたしは駆けだした。バスと同じくらい――とまではいかないけれど、しっかりと地面を踏みしめて、蹴って、走る、走る、走る。
「あっ、ちょっと待ってよ、サーバルちゃーん!」
「おそいよー、かばんちゃーん!」
かばんちゃんが後ろから追いかけてくる。あれ、休憩するんじゃなかったっけ、と思ったけど、まーいっか。ボスも、体を動かしたほうがいいって言ってたし。
周りには、小さい山や丘が多くなっていく。山があるのは、さっきの砂だらけゾーンと同じだけど、違うのは、ごつごつとした岩肌が剥き出しになっているところだ。この前登った鉱山ほどではないにしろ、なかなか急な山がいっぱいある。
わたしも、いくつも小さな丘を登って越えて、駆け降りる!
「サーバル、ちゃーん!」
丘の向こうから、かばんちゃんの悲鳴が聞こえてくる。……ああっと。さすがに走りすぎた。
「ごめんね、かばんちゃん!」
慌てて振り返って、わたしはかばんちゃんのところへ戻る。かばんちゃんとわたしはかなり離れていたから、合流するまで少し時間がかかってしまった。
「はぁ……はぁ、ふぅ、はぁ……」
かばんちゃんは、肩で息をしている。わたしは地面に座り込んで、口から熱い息を吐いた。
「サーバルちゃん、やっぱり、足速いね……」
かばんちゃんが苦笑いしながらそう言った。わたしは首を振って、
「でも、かばんちゃんのほうこそ、やっぱり“はぁはぁ”しないんだね」
と返した。
いっぱい走ったので、口を開くたびに、わたしの体の中から熱くなった吐息が出ていく。
「それって、いいことなのかな?」
かばんちゃんは、額の汗を腕で拭う。汗こそかいているものの、さっきまで息が切れていたというのに、もうけろっとした顔をしている。
「いいことだよー。……ふぅ、はぁ、ふぅ……」
だから、今度はわたしが入れ替わりに息を吐く。
わたしの顔を覗き込むようにして、かばんちゃんも地面に腰を下ろした。
何回も深呼吸をして、わたしの息がようやく落ち着いてきた。
そうしているうちに、辺りが暗くなってくる。太陽が、遠くの山の向こう側へと吸い込まれていって、空のオレンジが深い青へと変わってゆく。
「……ぼくは、なんのフレンズなんだろう」
「かばんちゃん?」
ぽつり、とかばんちゃんが呟いた。その声は、とっても不安そうだった。
「サーバルちゃんは、足が速くて、力持ちで、とっても高く飛べる。それに……すっごく、明るくて優しい。だから……とっても素敵なフレンズだなって思うんだ」
「……そうかな?」
「そうだよ。だけど……ぼくは、足が遅いし、体力もないから、すぐに眠くなる。……サーバルちゃんに迷惑かけてばっかりで……」
……かばんちゃんが、暗い顔になる。太陽と同じように、表情が少しずつ沈んでゆく。
そんなかばんちゃんの顔は――見たくないな、って心から思った。
「大丈夫! 大丈夫だよ! 図書館に行けば、ぜーったいに、かばんちゃんがどんなフレンズか、分かるよ!」
「……サーバルちゃん」
「それに――わたしだって、かばんちゃんがとっても素敵なフレンズだってことを知ってる! だから――その、絶対にだいじょーぶ!」
ああ。上手く言葉が出てこないな。こういうとき、かばんちゃんなら、きっと素敵な言葉を見つけられるんだろう。
わたしは、そういうのが苦手なフレンズなんだ。
だから――わたしだって、かばんちゃんが羨ましいって思うよ。
「……ありがとう」
だけど、そう言って、かばんちゃんが笑った。とっても安心したように。
「不思議だね。サーバルちゃんが言うと、本当に、そう思えてくるよ。……サーバルちゃんは、やっぱり、すごい」
「……えへへ」
よかった。わたしの足りない言葉が、うまくかばんちゃんに届いてくれた。
やっぱり、かばんちゃんは、笑顔じゃないと。
だってかばんちゃんは、笑顔がとっても可愛いフレンズだから――
「……っ!」
音がした。
――ついでに、嫌な気配も感じる。
わたしはピンと耳を立たせて、音の正体を確かめる。
「セルリアン……」
「えっ!?」
ジャパリまんをぐっちゃぐちゃにしてかき混ぜたような、セルリアンの不思議な音が聞こえる。かばんちゃんにはまだ聞こえていないようだ。
おそらく……一番手前にある丘の向こう側に、セルリアンがいる。
「ど、どうしよう……バスからは離れちゃったし……」
「…………」
かばんちゃんの言う通りだ。わたしがふざけて走り回ったせいで、バスからは遠く離れてしまっている。
かばんちゃんは、不安そうに眉をひそめている。
……わたしが守らないと。
「だいじょーぶ! たぶん、一体しかいないと思うから……それくらいなら、わたしの爪でやっつけちゃうんだから!」
「ほ、ホントに……?」
「わたしに任せて!」
そうと決まれば、さっさとやっつけてしまおう。
「かばんちゃんはここで待ってて!」
「あ、サーバルちゃんっ!」
わたしはもう一度地面を蹴った。息はとっくの昔に整っている。
全力疾走で駆けだすと、地面の砂が高く舞い上がった。小高い丘を一息に登り切る。“登ること”が得意なサーバルにかかれば、これくらいは平らな道とおんなじだ。
「――いた!」
丘を乗り越えた先に――セルリアンが見えた。坂を下った窪地を、うろうろと行ったり来たりしている。
……まだわたしのことを見つけてないみたい。
大きさは……あんまり大きくない。わたしの体よりちょっと大きいくらい。今日、迷路の中で出会ったセルリアンたちよりは、だいぶ小さい。
あの窪地のセルリアンさえ倒してしまえば――バスまで真っ直ぐ戻れる。かばんちゃんと、安全に帰ることができる。
「よーし……」
わたしは、左右に軽くステップ。
足の調子を確かめてから――下り坂へ足を踏み出した。
「うみゃみゃみゃみゃ――ッ!」
先ほどより高らかに砂を舞い上がらせて、わたしは駆けだした。坂を下ることの勢いが加わって、風を全身に浴びながら走る。
それから――
「やぁああ―――――ッ!」
坂の途中で、わたしは強く地面を蹴った。
高く高く、ジャンプする。その気になれば鳥のフレンズだって掴めるだろう高さまで、飛び上がる。窪地のセルリアンが、豆粒みたいな小ささになる。
頂点にまで達すると、わたしの体が落下し始める。今度は風を浴びるのではなく、切り裂くようにして落ちてゆく。びゅんびゅんと、空気の流れる音がわたしの耳を強く叩く。
落下地点は――ちょうど、セルリアンの真上!
「それ――――ッ!」
わたしの声に気付いたセルリアンが、ぐるりと体を回して上を見た。
けれど、もう、遅い!
わたしはタイミングを合わせながら、爪を振りかぶり――
落下の勢いを全て乗せて、腕を振り下ろす!
「――――ッ!」
セルリアンが声にならない悲鳴をあげる。その全身が、ジャパリまんを思い切り踏んだみたいに大きく凹んだ。爪の衝撃はセルリアンを突き抜けて、固い地面にヒビが入るのが見えた。
やがて、セルリアンの体がバラバラに砕けた。体の破片が、窪地一袋に飛び散った。掃除が大変そうだ。
「……ふー」
上手くいった。まんぞくまんぞく。
砕け散ったセルリアンは、もうぴくりとも動かない。
「サーバルちゃーん! だいじょうぶー!?」
丘の上から、かばんちゃんの声が聞こえた。わたしは振り返って、笑顔で答える。
「もう、だいじょうぶだよー!」
わたしが叫ぶと、かばんちゃんが慌てて丘を降りてきた。わたしと違って飛び降りたりせず、走って丘を下ってくる。
「よかった……」
かばんちゃんはわたしの側まで来ると、ほうっと息を吐いた。
「でも、セルリアンは危険なんでしょ? あんまり無茶したら危ないよ」
とっても心配そうな顔だった。だからわたしは、安心させるようにドンっと胸を叩く。
「だいじょーぶだいじょーぶ。これくらいなら、何とでもなるってば」
「もう……」
まだわたしを気遣うような様子だったけど、かばんちゃんの顔に笑顔が浮かんだ。
「でも……ありがとう。やっぱり、サーバルちゃんは、すごいね」
「あはは。まあ……もとはと言えば、バスから離れちゃったわたしのせいだから……」
頬をかく。こういう危険があるから、やっぱり、あんまり勝手な行動をするのはやめておこう。かばんちゃんは、わたしが守ってあげなきゃいけないんだから。
わたしは空を見上げる。ほとんどが深いブルーに包まれて、あと数十分もしないうちに、辺りは暗くなってしまうだろう。
「……バスまで戻ろっか、かばんちゃん」
「うん。そうだね」
わたしたちは、バスへと向けて歩き出した。少し長い休憩になっちゃったけど、まあ、ボスは許してくれるよね。かばんちゃんには優しいし。
だけど――
「……っ!」
思わず立ち止まって、もう一度、耳をピンと立たせる。
「さ、サーバルちゃん?」
「……うぅ。なーんでぇ……?」
「一体どうしたの……って、あ……」
今度は、かばんちゃんもすぐに気づいた。
遠くに目線をやると。
ちょうど、バスへ戻る道を塞ぐようにして――
セルリアンが、いた。
ただのセルリアンじゃない。サバンナちほーのゲートにいたやつよりも、一回り大きかった。あいつより長い手足を何本も、うにょうにょと動かしている。
しかも、そのぎょろりとした目で、わたしたちをしっかりと見ていて――
「バレてる~~~~~っ!」
わたしの悲鳴とともに、セルリアンがこっちに向かって近づいてきた……!
「さ、サーバルちゃん、どうしよう……っ!?」
「と、とにかく……」
わたしは咄嗟にかばんちゃんの手を引いて、走り出した。
「いったん、逃げよう!」
「う、うん、分かった……っ!」
かばんちゃんが、わたしの手をぎゅっと握り返してくる。
その感覚を、少しだけ頼もしく思いながら、わたしは駆け続けた。
* * *
セルリアンの移動は、それなりに速い。地面を歩いているわけではなく(そもそも足はあるの?)、ふよふよと宙に浮いているから、ごつごつした地面でも関係なく走ることができる。
とはいえ、それはあくまで“それなりに”なので、“すっごく”速いというわけではない。わたしが全力を出して走れば、十分に置いてけぼりにすることはできる。ぐるっと遠回りして、バスに戻ることだってできるだろう。
けれど――かばんちゃんは、そういうわけにもいかない。
「はぁ、ふぅ、はぁ……ふぅ」
三分くらい走っただけで、かばんちゃんの息はもう切れている。この辺りは、移動のために丘や山を登ったり下ったりしなければいけないので、無理もないって思う。けど、“はぁはぁ”はしないのに、すぐに走れなくなってしまうのは、不思議な体の作りだとも思う。
でも、かばんちゃんのペースで走っていたら、セルリアンに追いつかれてしまう。
わたしは走りながら後ろを見る。セルリアンは――まだ遠い。わたしたちに追いつくまでに、一分くらいの余裕はありそう。
だけど、追いかけるのを諦めたわけじゃないみたい。まだ、ふよふよと浮きながら、いくつも丘を越えてわたしたちに迫ってきている。大きいから速度は遅いんじゃないかと思ったけど、そんなこともない。いつものセルリアンの速さで、わたしたちへ一直線に走ってきている。
このままじゃ……まずい。
「かばんちゃん、もう少し早く走れる!?」
「が、頑張って、みる、よ……」
かばんちゃんはそう言ってくれるけど、そのペースは一向にあがらない。わたしが腕を引っ張ることで、なんとか速度を保っているけれど、このままじゃ、わたしが“はぁはぁ”してしまう。
「……でも、このまま逃げても、まずいと思うよ、サーバルちゃん……」
「だって、逃げるしかないよ! さすがにわたしでも、あんな大きいのを相手には……!」
「そうじゃなくて……!」
と、かばんちゃんが、逆にわたしの手を引っ張った。わたしはびっくりして、思わず足を止めてしまう。
「か、かばんちゃん?」
「このまま逃げ続けてもダメだ、ってことだよ。だって……このままじゃ、バスに帰れなくなっちゃう」
「それは……」
わたしたちは結局、セルリアンから逃げるままに、バスから離れてしまっている。
それに、空はどんどん暗くなってきている。今すぐにでもバスに戻らないと、この砂漠ちほーで朝まで過ごさなきゃいけなくなる。
確かにかばんちゃんの言う通りだ。でも――
「どうするの?」
「……やっつけるしかないよ」
かばんちゃんは、息を整えながらそう言った。
「で、でも……どうやって? また、“紙ひこーき”、作る?」
「……それは、ダメそう。カバン、バスに置いてきちゃったし……材料の紙がないから」
「そんなぁ……」
あの作戦は使えないらしい。
そうこうしているうちに、セルリアンが近づいてきている。ああ……あの不思議な音が、すぐそこまで聞こえてくる!
「…………」
だけど――かばんちゃんは、落ち着いていた。
静かに息を吸って吐きながら、辺りを見回した。
顎に手を当てて、考えるような仕草をする。
その目が、すぅ、と引き締まる。
――まただ、とわたしは思った。
かばんちゃんは、気づいていないようだけど……
何かを考えているとき、かばんちゃんの黒い目は、深く光る。太陽ではなく、薄暗く辺りを照らす月明かりのような光。すぐそこまで、セルリアンという危険が迫っているというのに、まったく慌てた様子がない。
じっと見ていると、吸い込まれてしまいそうな……黒い瞳。
その目に、わたしは少し――変な気持ちを覚える。
胸がざわつく。肌がブツブツっとして、震えが起きる。
……かばんちゃんがそんな目をしていたのは、たった一瞬のことだった。
でも、わたしにとっては、何時間にも感じた。
「砂漠……。地面……。あの、山……」
かばんちゃんは、そんなことを呟いてから、わたしに向き直って――
「……サーバルちゃん、こういうのは、どうかな?」
嬉しそうに、にっこりと笑った。
* * *
わたしは一人で、砂漠ちほーの小さな山を駆けあがっていた。
かばんちゃんは、山の下に取り残されている。
――わたしは危ないよって反対した。だけどかばんちゃんは、上手くいけば、とっても安全にセルリアンを倒せるから、と言った。
かばんちゃんが言うことが、間違っていたことは今までに一度もない。だから、わたしはそれを信じることにした。
でも、かばんちゃんが危ないことには変わりはない。
だから――わたしは走った。
なだらかな他の丘とは違って、この山の坂はとっても急だ。
体中が熱くなって、口からお湯みたいな息が噴き出てくる。足がパンパンに膨れ上がる感覚がしてくる。
でも、わたしがサボったら危ないのはかばんちゃんだ。
だから――走った。足を大きく踏み込んで、地面をしっかりと蹴って、坂を駆けあがった。
首だけで後ろを振り返る。
山の下では、窪地をかばんちゃんが走っている。その背中を、おっきなセルリアンが追いかけている。こうして見ると、かばんちゃんが十人は飲み込まれてしまいそうな大きさだ。
かばんちゃんは必死になって逃げているけれど、それよりセルリアンのほうが早い。少しずつ、少しずつ、かばんちゃんは追い詰められていく。
だけど、かばんちゃんは、わたしのために時間を稼ごうと、ひたすら走り続けている。もうとっくに疲れて、倒れそうになっているはずなのに。
わたしは走った。もっともっともっともっと走った。体が熱くて、溶けそうになりながら、それでも足を動かした。
そうして――
「……とう、ちゃくっ!」
かばんちゃんが言った場所にまで到着した。ここは、山のほとんどてっぺん近くだ。
わたしは、声の限りに叫んだ。
「かばんちゃ――んっ!」
かばんちゃんが、わたしの声に振り返った。
セルリアンはもう、かばんちゃんの目の前にまで来ていた。うにょうにょっとした長い手足を、かばんちゃんへ向けて伸ばしてきている。
かばんちゃんは、口を大きく開いて、わたしに叫び返した。遠くから、それでもはっきりとその声が聞こえた。
――お願い、サーバルちゃんっ!
――うん!
返事の代わりに、わたしは、目の前の“それ”に思い切り体当たりした。
「せー、のっ!」
“それ”……山の途中にある出っ張りに引っかかっていた――巨大な岩に。
さっき、かばんちゃんが探していたのはこれだ。
砂漠ちほーのごつごつとした地面から予想して、ちょうどよく転がせそうな岩がないかって、辺りを見回していたんだ!
「落ち、ろぉお――っ!」
わたしの――サーバルの力を全て出して、突き落とす。
岩はやがて、出っ張りから押し出されて――斜面の流れに沿って、山を転がり落ちていく。
最初はゆっくりと。だんだんと早く、速く、疾く――
ほとんどバスのような速度まで加速して、岩は山を滑る。巨大な岩は、その勢いで地面をガリガリと削り、破片を水しぶきみたいに周囲に撒き散らしていく。
やがて。
「…………っ!」
巨大セルリアンが、かばんちゃんに触れようとしたところで――その寸前で、かばんちゃんは横っ飛びに体を投げ出すのが見えた。
……一体、セルリアンには、どういう風に見えたのだろう。
かばんちゃんを押しのけるようにして、斜面を風のような勢いで転がり落ちてきた岩が現れたんだから。
「~~~~~~~~っ!?!?」
避ける暇も、そして抵抗する暇もなかった。
岩はセルリアンにぶつかって、壊して、砕いた。
どんなに大きなセルリアンでも、山の上から転がってくる岩を相手にしたら、それはもうジャパリまんと同じだ。
まばたきのうちに、岩がセルリアンの体を食い破った。激突したのは体の正面だったけれど、岩はセルリアンの体を貫通して、弱点である“石”を叩き割った。
そして、大噴火でも起こったみたいに、セルリアンの破片が飛び散った。山の上にいるわたしの足元にまで飛んできたくらいの勢いだった。
濃い夜のブルーに包まれた砂漠ちほーを、キラキラと光の粒が舞う。
岩はその勢いのままに転がって行って、もう一つ丘を乗り越えて、どこかへと消えていった。
「すご……い……」
わたしの口から――
思わずそんな言葉が出た。
かばんちゃんが……また、セルリアンを倒した。
たった一人の力で。
わたしでも敵わないと思った巨大セルリアンを、やっつけてしまった。
けれど、惚けてからすぐに、わたしは気づく。
「かばんちゃん!」
山を慌てて駆け降りる。かばんちゃんは……岩は、上手く避けたみたいだけど……!
「かばんちゃーん!」
叫びながら、かばんちゃんのもとへと辿り着く。
地面に倒れ込むかばんちゃんの前に屈んで、体をがたがた揺さぶる。
「大丈夫!? ねえ、大丈夫!?」
「だ、だい、だいじょうぶ、だよ、サーバル、ちゃ……ん」
息を切らしてはいたけれど、はっきりした声が返ってきた。手も足もついている。目もぱっちり開いている。怪我をしてる様子はない。
「よかったぁ……」
ほっと息を吐く。体の力が抜けて……地面に深く座り込んでしまった。
かばんちゃんは、上半身を起こしながら、わたしを真っ直ぐに見た。
「ありがとう、サーバルちゃん。サーバルちゃんのおかげで、上手くいったよ!」
「ううん。わたしは、何もしてないよ……」
わたしは首を振る。けれど、
「違うよ。サーバルちゃんが、頑張ってくれたおかげだよ。ぼくだったら、絶対に、あんな岩を動かせなかったから……」
かばんちゃんは、ありがとう、とわたしに向けてにっこりと笑った。
その笑顔に、わたしは心の底から安心した。
ああ――いつもの、かばんちゃんの笑顔だって。
わたしの好きなかばんちゃんだって。
「……でも」
一つだけ、疑問が残る。
「なに?」
「どうして、わたしが転がした岩のところに、ちょうどセルリアンがいたの?」
わたしの質問に、ああ、とかばんちゃんは口を開いた。
「ちょうど、岩の転がる位置にセルリアンが来るように、調整しながら逃げてたんだ」
「え……」
その返答に、わたしはぽかんと口を開けた。
「ただ、逃げてるだけじゃ……なかったの?」
「うん」
わたしの質問に、かばんちゃんは当たり前のように頷いて、
「岩の通るラインに、目についた障害物はなかったし……サーバルちゃんが上手く動かしてさえくれば、一直線に転がってくれるかなって」
そう言った。
「今日の、ツチノコさんのおかげで……セルリアンを罠にかけられる、っていうことが分かったから。……だから、サーバルちゃんはもちろんだけど、ツチノコさんのおかげ、かな?」
かばんちゃんは、少し恥ずかしそうに、頬をかいている。
「…………」
でも――そんなこと、できるんだろうか?
だって、セルリアンに捕まったら、食べられちゃうかもしれないのに。
それなのにかばんちゃんは――そんな危険な状況で、岩を確実にセルリアンに当てられるように、逃げてたっていうの?
……わたしは。
そんなこと、絶対にできない。
「ありがとう、サーバルちゃん」
かばんちゃんは、わたしの大好きな笑顔で、わたしにお礼を言う。
でも――深く、暗い、月明かりみたいな光をたたえた目で。
「ぼく、サーバルちゃんに、助けられてばっかりだね」
胸がざわつく。肌がブツブツっとして、震えが起きる。
「……なに言ってるの。すごいのは、かばんちゃんだよ」
わたしは、首を強く振りながら、かばんちゃんに言い返す。
なんとか、笑顔を作って。
「さ、バスに帰ろ!」
「うん!」
* * *
それから、わたしたちは、ゆっくりと歩きながらバスに戻った。
辺りはすっかり夜になっていたけれど、わたしは夜目が利くから、特に問題なくバスへと戻れた。
ボスは、相変わらず運転席にじっと座っていた。
でも、かばんちゃんの顔を見ると、「おそかったね。しんぱいしたよ」と言った。ボスでも心配することがあるらしい。
少し遅くなったけど、わたしたちは砂漠ちほーを出発して、予定通り、湖畔の辺りまで走った。
気温がだいぶ快適になったのを実感してから、その日は、かばんちゃんと一緒に眠りについた。
■ ■ ■
――これが、少し前にあった話だよ。
ね? かばんちゃんって、すごいでしょ?
本人は、サーバルちゃんのおかげだよ、なんて言うけど……
たぶん、わたしなんかいなくても、かばんちゃんは一人で何とかしてたんじゃないかな。
かばんちゃん。
わたしは、かばんちゃんが、とっても素敵なフレンズだって知ってるよ。
たとえ、図書館で、かばんちゃんがどんなフレンズか分かったとしても――わたしは、かばんちゃんの友達だよ。
でも。
でもね。
かばんちゃんは、わたしたちみたいなフレンズに、絶対にないものを持ってる。
わたしたちが、絶対に思いつかないことを思いつける。
あのとき。かばんちゃんが、笑顔でわたしにお礼を言ったとき。
セルリアンをやっつけたことが、大したことじゃないって顔をしてたとき。
わたしはね。
少し。
少しだけだけど。
――怖かったの。
だいぼうけんズーフォビア 陽一 @youichi_9393
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