第56話 ひとつひとつ前進です。
ホテルイノウエの玄関前広場には、人だかりが出来ていた。
「か、可愛い」
「何これ、可愛すぎなんだけど」
お客様の中心に立ち、注目され赤面した俺は思わず下を向く。
だが視線を集めているのは俺じゃない、妹たちだ。
いやでも俺だって少しぐらい視界に入ってるよな? ちらっとぐらいは入ってるだろ。な?
ホテルイノウエのホームページの端っこに、ヒナの誕生を載せてみたところ、思いのほか反響があり、ご来店されるお客様の数が増えている。
子犬ほどの大きさになったハヤトとチナツの子供たち9羽は、俺の身体にぎゅうぎゅうと詰めて乗り、その可愛らしいを存分に振りまいていた。
試験的に、仮設で建てられたバードハウスの中で、可愛い妹たち(弟もいると思うが)のお世話をしながら、途切れる事のないお客様からの質問にひとつひとつ、丁寧に答えていく。
一段落したところで通常業務に戻ろうと、1羽ずつ抱っこして、そっととまり木に乗せると素早くハウスから外に出た。
「あの…」
控えめな声に振り向くと、制服姿の小柄な女の子が立っている。よく目にする制服だから、地元の高校生だろうか。
ん? と話を聞く体制を整えたところへ、間に割り込む影があった。
「こんにちはー、何かご用かな? こいつに近寄ると馬鹿がうつっちゃうかもしれないから、こっちでお話聞こうかな」
にっこり微笑む波多野だった。
「おいっ」
馬鹿とはなんだ馬鹿とは、だいたいうつらねーからと口を出そうとした時、そこへ顔を出した有野が困惑気味に呼び掛ける。
「波多野」
そうだろ有野?!くだらねーこと言ってるんじゃねーよと言ってやれ、遠慮はいらん、がつんと言ってやれ!
「波多野、ここじゃなんだから、中にご案内したら」
く......お前も否定しないんだな有野。
今度奢るって約束した焼肉は無しだ、いいな? ロースもカルビもタン塩も無しだ、もちろんお前の大好きな生レモンサワーも無しだ、それでいいんだな有野。
心の中で吠えまくる俺を見て、制服姿の可憐な少女は、クスリと可愛い笑いを残して波多野の後を追う。
「可愛い子だったなあ」
横を見ると、有野がだらしない顔をして2人の姿を目で追っていた。
「お前は波多野推しなんだろ」
脇腹にチョップを食らわせると、やめろってハハハと妙な笑いをさせながら身をくねらせる。
「おいお前ら」
やっべ、刈谷崎さんだ。ピシッと姿勢を正したところへ、よく磨かれたサングラス越しの視線が突き刺さる。
「あと30分後に、一家でご滞在されるお客様が到着予定だ。準備よろしく」
手渡されたカルテを見ると、大型犬だった。バーニーズマウンテンドッグが、7!
それぞれ発育が良いらしく、皆様40キロから50キロを越えている。
ラブラドールレトリバーのジョンが30キロ半ばだったから、かなりでかいぞ。
テラス有りのお部屋をご希望と。テラスか、耐性チェックが必要だな。
「俺、先にテラス点検行くよ、有野、客室頼む」
「了解」
歩き去る2つの背中を見詰めていた刈谷崎の頬が、ふっと緩んだ。
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