第39話 始末をつけましょう。
俺は情けないことに動けなかった。と言うか、どうしたらいいのか本気でわからなかった。
刈谷崎さんがカウンターの扉をパタリと開けて、つかつかと藤宮さんに歩みよるとその胸に抱えているバインダーから、複写になっている1枚をピリッと切り取った。
「こちらが、サインして頂いたものの控えになりますね」
両手を添え、丁寧に男へと差し出すと、はっとしたように受け取った加藤は、どこか気まずそうにポケットにねじ込むと踵を返し入り口のドアへと向かう。
どうにもたまらない気持ちになり、力の緩んだ有野の手を振り払い、加藤の前に走り込む。
「な、なんだよ」
困惑する男の前に、俺は猛烈な勢いで頭を下げた。
「本当に、本当に申し訳ありませんでした!俺はっ、俺は勝手に熱くなって勝手な気持ちをあなたに押し付けました!正義面した俺の馬鹿面をぶん殴ってください!」
途端、襟首をすごい力で掴まれ息が詰まる。
「だーかーら、それが馬鹿だっての。お客様にあるまじき無礼を働いた上に重ねて困らせるってさ、ここに馬鹿極めたりなんだって」
そこには、俺の首元を締め上げ仁王立ちしたいつもの波多野の姿があった。
あっけに取られ口を半開きにする加藤へ、波多野は首だけくいと向けると文字通り天使のような笑顔を見せた。
「こいつの始末は私がつけておきますから、お客様はどうぞお気になさらないで下さいね」
「え、始末って、え、ああ、え?」
動揺する男を藤宮さんが「大丈夫ですから」とご案内する後ろ姿を最後まで目にすることなく、俺は首根っこを押さえつけられたままずるずると、調理室の方へと連行される。
なるほど、あそこにはぶん殴るのにちょうどいいもんが沢山あるもんな。っておい誰か止めろ。
刈谷崎さんが俺に対する気の毒そうな視線を外し、有野が肩をすくめ、佐久間をはじめ女子たちはなぜかクスクスって、おまえら何か予想して喜んでるんじゃねえぞ!
心の凄みが届くはずもなく、明りの落とされた調理室へ放り込まれ、厚い扉がぴしゃりと閉ざされる。
ここは、衛生管理の点からも2つある扉が厚く作られているのだ。よって、中の音も漏れにくい。
覚悟を決めた。
鉄拳に回し蹴り、鍋パンチにフライパンアッパー、こうなったらなんだって受け入れる。
衝撃に備え、全身の筋肉に力を入れる。
8.9.10秒経過……? 不気味な沈黙に耐えられず、思わず口を開いてしまう。
「波多野すまん。みんなにも謝る。あのさ、俺どんな始末でも――」
俺の情けない声は、全身で受け止めた衝撃で完全に封じられた。
柔らかい衝撃に。
え?
とても柔らかくて温かくていい香りのするものに俺は、抱きしめられている?
完全に混乱していた、飛んできたものは固いチタンのお玉ではなく波多野だった。
「え?」
「守野、ありがとう」
「え?」
「ありがと」
「え、って言うかああって言うか、うん」
触れ合った部分が熱を持ち始め、鼓動が暴れだす。
俺はそっと、華奢な背中に腕を伸ばして抱きとめた。
俺は――。
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