第5章 正しさと間違い

第17話 伝えたいことがあるんです。

「ごめん」 


「でかい声出してすまん」


「今のは俺が悪かった」


 どれもこれも伝える前に、波多野は視界から消えていた。


 俺は馬鹿だ、救いようのない馬鹿だ、この大馬鹿野郎、頭をガシガシと乱暴にかき回し、急に体の向きを変えたのがいけなかった。

 勢いよく肘が当たり、調理台からトレーごとジョンの夕食が派手な音をたて床にぶちまけられる。

 勢いよく転がったステンレス容器は、テーブルの下をくぐり室内を横切ると、そのまま廊下へ飛び出した。


 追って出ようとすると壁、ではなく分厚い胸にぶち当たった。

「ほい」

「サンキュ」

 有野の右手から食器を受け取りながらバツ悪い顔を上げると、左手に持たれた4段重ねのトレーに所せましと並んだ小さな食器へ目が吸い寄せられる。

 細かい上に数が多い、と素直に思った。


「今日は23食分。小さな子たちは食べる量が少ないからね。投薬もあるから混ざらないよう1段増えてるんだ。僕はまだ出来ないけど、波多野はいつも8段重ねだよ」

 そこでハッとするが、なんと答えていいかわからない情けない俺。


「ここへご来店されるお客様にとって僕たちの関わりとは、彼らが過ごす一生の中で、ただの点にしか過ぎないんだ」

 一瞬、何を言われたのか頭がついていかない。


「しかもその点は、マッキーとかポスカとか大きな点じゃなく、ボールペンの0.28とか、もっと言うなら針で刺したような点でしかない」

 なんとなくわかってきた、人で言うなら人生の繋がった線にはなれないってことだよな。


「そんな僕らが、感情に溺れあろうことか彼らへの接し方を見失うことは、その小さな点からインクを周囲にまき散らし汚しまくるぐらい迷惑なことんだよ、間違いなくプロ失格だ」

 温度の下がった頭に、その言葉は真っすぐ入って来る。


「そうなったらホテルイノウエが目指す、お客様へ宇宙一のサービスを提供することなど出来やしない。そうだろう?僕たちは彼らにとって一生を共にする家族じゃないんだ。はき違えるなよ守野」


 脳天をひっぱたかれた気分だった。当たり前のことだった。それなのに、ここまで言われないとわからない自分が情け無さ過ぎた。

 水分が飛んで、カラカラになった喉を振り絞り言えたのはこれだけ。

「ごめん、ホントごめん」


「それ、僕じゃなくて波多野にね。ここ、やっとくから409号室へ食事を。20分遅れ」

 我に返り、この上なく食事を楽しみにしているジョンの艶々した顔を思い浮かべ、いや戻ったら俺がやると言いながら急いで準備するとワゴンを押してエレベーターへ向かった。

















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