第16話 俺はどうしたらいいんですか。

 西脇協同病院裏へお伺いして間もなく、浅野さんは昏睡状態となり、その2週間後に死去された。

 葬儀には、オーナーの仮屋崎さんと藤宮さんが出席し、その日1日、俺は通常業務をこなし過ごしている。


 409号室の扉を開錠し、いつも通り黒く湿った鼻を手の平に押し付けてくるジョンと外へ出る準備をした。お散歩の時間だ。

 敷地全体を背の高い木々に囲まれたホテル裏手には、手入れの行き届いた芝生に小高い丘、ウッドチップで道を整備した林には人工の川があり、水遊びが好きなジョンのような子は暖かい時期に安全に遊べるようになっている。


 外遊びを好む猫用屋根付きのフェンスで囲まれたスペースもあり、中にはトンネルやタワー、ウオーク、ベットなどが設置されている。

 他にもまだ使い方がわからない私設がいくつもあって、とにかく広い。

 歩いていると、自然の中をゆるり散歩しているようで、時折聞こえる野鳥の声に思わず仕事を忘れそうになる。


  給水ポイントで、口の周り中水浸しにしながらうまそうに水を飲むジョンを待ち、水滴をタオルで拭きとった。

 両の頬を軽く押さえながら、黒く吸い込まれそうな瞳を覗き問いかける。

「お前は、お別れに行かなくていいのか」



 西脇協同病院からの帰り、浅野家のリビングをおおよそ元通りにし終わった頃、奥さんから呼び止められた。

「守野君、お願いがあるの。もしも、まだ少し先だと思うけどもしも、その時はうちの人のお別れ会にはジョンを連れてこないで欲しいの」


 その時はなぜ? を思いつけないまま間抜けにも「はい」としか言えなかった俺。

 だけど無邪気にこちらを見上げてくる艶々した黒い顔を目にすると胸がきゅっと苦しくなる。

 いいのか? このままでいいのか? ジョンの気持ちはどうなるんだ? ご主人に会ってあんなに嬉しそうにしてたジョンの気持ちは。


 ホテルに戻り寝床を整え、夕食の準備をしに給仕室へ向かう。

「あのさ」

 突然降ってきたような人の声に飛び上がりそうになる。

 入り口に気難しい顔をした波多野が立っていた。

「今日夜勤だったのか?」

 辛うじて体裁を整え発した言葉はあっさり無視された。


「守野さ、お別れ会に行かなくていいのかって考えたでしょ」

 図星を指され呆けたような顔を向けることしか出来ない。畳みかけるように言葉が続く。

「それってさ、からの視点発想だと思わない?浅野さんはさ、大好きなご主人に会えるかもしれない、それがいつかわからないけど会えるかもしれないって、これからも。って。そのジョンの希望を奪いたくないって思ったんじゃないのかな。だからジョンはここに居るんだよ」


 こちらの気持ちを見透かしたような言い様に無性に腹が立った。

「お前なんで、浅野さんの気持ちがわかるんだよっ、ちゃんと聞いたのかよ? ジョンの気持ちはどうすんだよっ! 人間も犬も一緒だろ会いたい気持ちは一緒だろ、もう会えないんだぞ、ちゃんとお別れさせてあげたいと思うだろうが」


 感情に任せて言い放ち、しまったと思った時は遅かった。





 






 


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