第3話 これはラッキーと言えると思います。

 小高い丘を回り込むように伸びた急な坂道に、自転車のギアを切り替えながら進んでいく。太ももの筋肉がそろそろ休ませてくれと信号を伝えてくる。

 緑ヶ丘は閑静な住宅街と思っていたが、こんな丘の頂上のような場所に宿泊施設があったとは知らなかった。

 周囲を背の高い木々が囲むように植えられているせいもあるだろう。


 駐車場案内の看板に従って敷地内に入ると、予想をはるかに越える広大さに驚く。建物自体も、画像で見るよりも年代を感じさせる印象で、エントランス前に設置された池を組み上げている石のひとつひとつまで立派に感じられる。池中央に寝そべった石のライオンの口から流れる水音だけが静かに聞こえてきた。


 これってあれか、もしかして由緒正しく格式高く伝統深いみたいなとこじゃないのか。思いっきり場違いじゃねーのか俺。いやだけど来たからには行くしかない。

 自転車を駐車場のはじに停めると、リュックから取り出したペットボトルをごくりと口にふくみ一歩踏み出した。


 エントランスまでゆるやかなカーブを描いたアプローチの左右には、名前はひとつもわからないが草花がセンス良く植えられている。寒さに強い花なんだな、とちらっと思いつつスーツのすそをピシッと直し顔をあげ、すっと息を吸うと自動ドアの前に立った。


「おかえりなさい」

 迎えられた柔らかい声と共に暖かい空気が頬にふれる。おかえりなさい?受付に立つ笑みを浮かべた女性に視線を当てた俺の心臓が跳ね上がる。ヤバいドストライクめっちゃタイプ。

 白い肌にほんのりピンクがかった頬、栗色の柔らかそうな髪の左右は後ろでとめられており、肩下まで伸びた毛先がゆるいカーブを描いている。

 優し気にカーブした眉の下には、少したれめがかった綺麗な二重の瞳が開かれていて、薄く清潔感のある口元には……って、俺どんだけ描写してんだよ。


「えっと、ただいま、じゃなくてこんにちは。先ほどお電話いただいた守野です」

 くっそ噛み噛みじゃねーか。

「2時にお約束の守野様ですね、お待ちしておりました。ご案内いたします」

 美しい頬がくすっと微笑んだような気がしたのは気のせいか。

 足運びの美しい藤宮さん(名札を見て勝手に読んでいる)の後を、案内されるまま毛足の長い絨毯の上を進んでいき、右へすすみ右に曲がり突き当りの扉の前でとまった。

 コンコン。

「守野様をお連れ致しました」

「どうぞ」

 緊張がピークに達する。ダメでもなんでも藤宮さんと出会えただけでもラッキーだ。出会ったわけじゃねーけど。


「失礼します」

 一礼して中に入ると、後ろでドアが静かに閉じられる気配が感じられた。






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