第10話-2 すれ違う思惑
そんなやりとりが行われているとは露知らず、アベルとグリューの戦闘はつづいている。
いつまでもつづくかと思われた二人の戦いだが、変化は着実に起こっていた。戦いの決着を齎すきっかけに真っ先に気付いたのはユーリィンだった。
「…これは、勝敗が見えたわね」
「うん、これならアベルが勝てるよ! 前はまったく相手になってなかったけど、今は十分戦えてる!!」
そういうリュリュの言葉に、ユーリィンの表情は曇ったままだ。
「…ユーリィン?」
「逆よ」
「え? でも、ちゃんと戦えてるよ?」
「戦えてるだけ、ね」
ユーリィンはもどかしそうに頭を振る。
「ここからだと良く見えないかもしれないけど…アベルの顔、汗びっしょりよ。あっちの竜人はまだ余裕綽々だけど…」
そう言われ、目を凝らしてみた各人があっと小さな声をあげた。
遠目では気付きにくいが、確かにアベルは尋常じゃない量の汗にまみれている。反面、グリューは余裕と言わないまでもそれなりに余力を残しているのが見て取れた。
同じ頃、ガンドルスたちもまたアベルの危険な兆候に気付いていた。
「うぅむ…ここに来て種族の差がはっきりと出始めたのぅ」
「少し、修行をはじめるのが遅かったかもしれません」
眉根を寄せるガンドルスの言葉に、ドゥルガンも悔しそうに唇を噛む。
「今更言っても仕方あるまい。それに、もしかしたらまた君の望む形に軌道修正できるかも知れんぞ」
何か言いたげに横目で見やったガンドルスの視線を、ドゥルガンはあえて無視した。
「いずれにせよ、今が正念場だな。さて、どうするアベル…」
ガンドルスも、険しい表情に戻って二人の動向を見守った。
「どうしたどうしたぁ、息が上がってきてるぜぇ?」
アベルの異変には、真正面にいるグリューも勿論気付いている。
「俺の攻撃が何故か当たらないのには最初はびっくりしたが、やっぱり所詮はひ弱な人族だな。俺はまだまだ振り続けられるが、いつまでそうやっていられるかなぁ!」
そう喋りかける間、アベルは無言のまま必死になって剣を振りつづける。最初のほころびは、それからすぐに訪れた。
「うわっ」
アベルが幾度目か、戦斧を払い上げようとしたときにがくりと膝が沈んだ。直後、跳ね上げ切れなかった戦斧の柄がアベルの側頭部を強かに打ち据えた。
「いやあああっ」
リュリュの悲鳴と同時に、アベルの体が吹っ飛ばされる。刃がついていなくとも、頭に直撃をすれば簡単に命を奪えそうな一撃に観客たちは黙り込んだ。
「アベル!」
駆け寄ろうとしたムクロたちを、傍で見守っていたアルキュス先生が片手を挙げて踏みとどまらせた。
「命に別状はないよ」
その言葉通り、すぐにアベルは片膝をついた。どうやら体勢を崩したときに、偶然中途半端に剣を振り上げていた肩口で受けたことで衝撃を抑えられたのだろう。
「ざっと診て骨折とかはなさそうだね。まだつづけるかい?」
一瞥して続行するのに問題がなさそうなことをざっと見て取ると、アルキュス先生はアベルに試合を続行するか確認した。立ち上がると剣を構えたアベルの顔を見て、アルキュスはうなずいた。
「…まだやる気はあるって事ね」
確認し終えたアルキュスが離れたところを見計らい、グリューが突進してきた。
「おおおらあああっ」
大上段から大きく弧を描いた戦斧の刃がアベルめがけて振り下ろされる。今のアベルならば、もはや警戒しなくても問題ないとグリューは判断していた。
「ぜぇっ…はぁっ……」
アベルは言葉を発さず、気力を振り絞り回避に専念する。
しかし、一度攻撃をもらったことが響いているのか。
「だ、だめだ…」
「かわしきれてねぇな…」
他の生徒たちでもはっきりとわかるくらい、アベルの動きは精彩を欠いている。直撃こそ免れているものの、グリューの攻撃をいなしきれていない。
試合が終わらないのは、大技での決着にグリューが拘っているためでしかないのはムクロたちから見ても明らかだった――ただ一人を除いて。
「おらおらぁっ、いいかげん諦めろよ!」
決着方法にこそ拘っているものの、グリューは油断していなかった。
それというのも、アベルの目がまだ死んでいないからだ。
入学時直後のムクロとの戦いがアベルの脳裏をよぎったが、あのときより状況は悪い。
それでもアベルは諦めず、直撃だけは避けるようしっかりと動いている。その目が、グリューは気に入らなかった。
「ちぃいっ…なんだよ、なんなんだその目はぁっ! 往生際が悪いぜ、いい加減諦めろっての!!」
頭に血を上らせたグリューの攻撃が更に苛烈を増していく。その様はまるで竜巻を人間大にまで凝縮したようで、周囲の土を巻き上げ、大地を割らんばかりの勢いだ。その中でなおアベルは有効打を逸らし、かわしつづけている。
「すごい…アベル、すごいよ」
「ああ。これは、俺でも捉えるのにてこずるな…」
リュリュの感嘆にムクロも頷く。
「でも、どうして? アベルはもう疲労困憊のようですのに、どうして一撃ももらわずにいられるんですの?!」
レニーの疑問はもっともだ。その問いに、ユーリィンが片時も視線を外さないまま答えた。
「そうか…アベルはこれを待ってたんだわ。あたし、勘違いしてたかも知れない」
「どういうこと?」とリュリュ。
「あたしは、最初グリューの攻撃を回避しながら少しでも攻撃を与えていくつもりなんだと思ってた。けど、そうじゃなかったんだわ。多分、アベルの狙いは最初から一つだけだったのよ」
「狙っていたって、何をですの?」
レニーの方を向くことなく、ユーリィンは説明をつづけていく。
「恐らくだけど…グリューの動きに慣れるため。だから、最初はちくちくと攻撃して、グリューがわざと素早く小刻みな動きをするように誘導していた」
「何のためにそんな回りくどいことをしたんだ?」
ムクロが首を捻ったが、仲間たちも同様だった。
「自分の狙いを悟らせないためよ。事実、あたしたちも含めて誰もがグリューを疲れさせるためだと誤解した。グリュー自体もそう思いこんだからこそ、自分の力をリティアナへ見せ付ける機会を逃さないため大振りに戻したんだわ」
「本当に疲れさせるのが目的ではなくて?」
「それなら小回りも効く相手にわざわざ接近戦を挑む綱渡りみたいなことをしないで、間合いを取って引きずり回せば済む話よ。アベルの体力ならそのくらい余裕なはず。あの竜人は頭に血が上ってるから、そこまで考えが回らないみたいだけど」
ユーリィンの説明に、仲間たちはなるほどと納得した。
「だけど、それじゃあアベルは本当は何を狙っているの?」
「あたしの読みが当たってるなら…もうすぐわかるわ。はっきりした形でね」
そして、その時が訪れた。
「うおぉおおお!」
幾度目かの雄たけびと共に、渾身の力を込めて振るわれた戦斧。
アベルはここでようやく、渾身の力を込めて剣を振る。
空中で白銀の軌跡が交叉した瞬間、一際甲高い金属音が鳴り響いた。
「ああっ」
一瞬の間を置いて、曇り空を切り裂いて走った稲光が二人の動きを写し止める。
誰もが動かない中、やがてくるくると回転しながら宙を舞っていた戦斧の先端部が、どさりと重い音を立てて地面に突き刺さった。それを合図としたように、勝ち誇ったグリューの口元がかすかに引きつったかと思うと、一言ぐわっとうめいて膝を付いた。
「勝負あった!」
無音の世界が、わあっと喫驚と歓呼の声に取って代わられる。
肩で荒い息をつきながらも、アベルはしっかり立ってグリューを見下ろしていた。
「なに、が…え? なん…で、…なんだ、これ」
膝をついたままのグリューは、腹からぼたぼた血をこぼしたまま手にした先端の無い戦斧の柄を見て自分の身に何が起こったのかようやく理解した。
愛用の戦斧の折れた部分に、親指大の大きさだけ真新しい切り傷が無数についている。
ドゥルガンとの特訓でアベルは相手の気配を察知して攻撃をあしらうことを覚えた。
しかし、竜人の底なしの体力の前には防御だけではいずれ追いつかなくなると前回の手合わせで実感していたアベルは、相手の隙を狙っているように見せ掛け斧頭から六分の一ディストン下、その位置だけを集中して狙っていた。
同じところを延々と傷つけられていたにも関わらず竜人の剛力で振り回されつづけた結果、頑丈な戦斧といえども到底耐え切れない負担が蓄積する。最後は使い手の振り下ろす力も加わったことで刃の部分が切り飛ばされ、グリュー自らも突っ込んできた勢いがほとんど殺されないままアベルの刃に飛び込んだ形になったのだ。
未だ荒い息で声を発することもできないアベルは無言で見下ろしたまま、グリューへ剣を突きつける。両膝をついたグリューは命にこそ別状は無いが、この深手ではもはや立つこともままならないだろう。
「アベル!!」
仲間たちが声を弾ませて駆け寄ってきたのを聞いてようやくアベルは剣を下ろすと振り向いた。
疲労と今頃襲ってきている激しいめまいとでよたよたと歩き出したアベル。その先にリティアナがいるのが目に入ったグリューはぎり、と歯軋りした。
「ぐ、うう…」
「アベル!」
「やったな!!」
仲間たちの歓声に、アベルは笑顔で応えるので精一杯だった。
腕も足も、自分のものとは思えないほどに重い。剣を握っている指を引き剥がすことすら億劫なほどだ。
「すごかったよ、アベル!」
真っ先に飛び寄ってきたリュリュがアベルの胸に飛び込む。あまりに勢いが付きすぎていて、アベルは思わず数歩後ろへたたらを踏んでしまった。
「お疲れ様」
仲間たちの輪に少し遅れてリティアナも到着する。
いつものようにあまり表情に変化は見られなかったが、それでも掛けてくれた言葉が普段より優しいようにアベルには感じられた。
「なん…とか、…勝てたよ」
ようやく、それだけ搾り出せた。喉がからからだ。
その声に、リティアナも今度は確かに微笑んだ。
「やったな、アベル。おかげで胸がすっとしたぜ!」
これはクゥロンだろうか。声のしたほうを向こうとしたそのとき、それまで大人しくしていた化獣がばうっと一声吼えた。
「うおおおおお!!」
すぐに新たな吼え声が取って代わった。
何者が発しているのだろう、それを確かめるより早くアベルの体は敵意に反応していた。
疲れ切っていたはずの体が自分でも驚くほどなめらかに動き反転する。
視界に飛び込んできたのは、自分めがけて振り下ろされるグリューの大きな拳。そこに、何かきらめくものを握りこんでいるのが見えた。
後ろに彼女がいる!
反射的にアベルがリティアナを庇うようにして前に立ちふさがり、渾身の力を込めて剣を握っていたままの拳を突き上げた。
生徒たちが息を呑む音が、わずかに遅れて聞こえた。
まるで突っ込んでくるグリューに抱え込まれるような形になったまま、アベルは動かない。
「ぐ…が……」
グリューの手にしていた戦斧の先端は、アベルのこめかみに触れるぎりぎりのところで止まっている。数拍遅れてその手から戦斧を落としたグリューは、やや遅れてどうと大きな音を立ててその場にうつ伏せでぶっ倒れた。
「やれやれ…最後まで手間を掛けさせおる」
いつの間にかグリューの背後まで近寄っていたガンドルスが首筋を打ち据えた手刀を構えたまま見下ろしていた。彼がグリューを昏倒させたのだ。
「無事かの? アベル」
まるで何事も無かったかのように問いかけるガンドルス。
「は…はい…」
「うむ、それは重畳…む?」
その視線は、気息奄々に頷いたアベルの手先に注がれていた。
迎撃のため突きの構えを取ったアベルの拳の内にある剣は、刃先を外に向けている。
先刻ガンドルスが一撃を与えるとほぼ同時にアベルは反撃したが、その際に無駄な殺生を避けとっさに剣を引いていた。
(とっさのことでも我が身を投げ打つか。まったく、つくづく面白い男よ)
ガンドルスは過去に見た同じような光景を思い出していた。
ただ、そのときアベルの立場にいた少年――幼い日のドゥルガンは、躊躇せずに相手を切り殺したという違いがある。
きっと、ドゥルガンは内心ではアベルが同じようにすることを期待していたのであろう――ガンドルスはそう看破していた。
二人の本質の違いか、歩んできた人生の道のりによる差異か、はたまた護りたい者の有無がそうさせたのか。ガンドルスにも答えは出せない。
「いやはや…教育とは、ままならぬものだのぅ」
あごひげを掻きつつ、思案げにガンドルスは呟く。
ドゥルガンはというと生徒たちの喧騒を気にする風もなく、外套を翻し足早に校舎へ戻っていくところだった。
「ま、だからこそ面白いとも言えるか…」
視線を戻した先にいたアベルは、ちょうどユーリィンたちをはじめとして大勢の生徒に胴上げされているところだった。
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