第11話 ほんとうのさいかい

 グリューとの決闘から一週間が過ぎ、ようやくアベルたちの生活も本来の落ち着きを取り戻した――ということは無く。


「おはようございます先輩方!」

 爽やかな朝の空気を、大音声が切り裂いた。


「今日の分の収穫物、お持ちしました!」

 朝飯の準備をしていたリュリュたちは声のした扉の方を見て、つづいてアベルへ視線を向けた。


 アベルはというと、心底うんざりしたような顔で両手を挙げてそれ以上の言葉はいらないと意思表示をしてみせた。そのまま扉に向かい、引き戸を開ける。


「あのさ、グリュー」

 改めて確認するまでもなく、そこにはびしっと起立したグリューが敬礼していた。


「は、なんでしょうか!」

「前にも言ったと思うんだけど…」

 びりびり、と校舎を振るわせんばかりの声。対比するように、なるべく目立ちたくないアベルはしいっと口元に指を立ててから声量を落として言った。


「その、こういうのは止めてくれないかな。…君だって朝っぱらから大変だと思うし」

 言いながら視線を下へ転じる。グリューの足元には大きな芋や果実、野草が積まれている。


「いえ、そんなことは全くありません! お気遣いいただかなくても大丈夫です!!」

 その間も、びしっとした姿勢を崩さずグリューははきはき答えた。


「いや…お気遣いとかそんなんじゃなくてさ…」

 どう答えたものか迷っていると。


「おや、今日もまた半端者が半端者とつるんでるのか」

 廊下の方から気取った声が聞こえてきた。見ればいつのまにやってきたのか、お供を連れたルークがにやにや笑いを浮かべながらこちらを伺っていた。


「いいご身分だな、アベル。下級生に飯を取ってきてもらって自分は楽をするなんて。学府で勉強するより、おべんちゃらの腕でも磨いたほうが君の才能を伸ばせるんじゃないか?」

 そういってげらげら笑うのを見て、グリューがさっと顔を紅潮させる。しかし、アベルはそれを手で制して推し止めた。


「そういう君はわざわざなんで教室から遠いここまで来たのかな?」

 何を言われるか察し笑みが引っ込んだルークに、アベルはにやっと笑ってみせた。


「ああそうそう、僕も風のうわさに聞いたけんだけどさ。最近どっかの誰かさん、色々ふがいないからお小遣いを減らされてるんだってね? それで今は、僕たちのやり方を真似しようと偵察にきたってところかな?」

「なんだと?!」

 どうやら図星だったらしく、気色ばんで詰め寄ろうとしたファルシネたちだが。

「お、やるか? やっていいのか?」

 ごきごき指を鳴らしながら一歩前へ進み出たグリューの眼光に威圧され、踏みとどまった。


「グリュー、駄目だよ。相手するだけ体力の無駄だ。それよりここで長話してて いいのかい? この間に他の生徒たちも安い定食を食べに行ってるんじゃないかな?」


 噂では、ルークの連日の不甲斐なさに最近は自由に使える金に制限がかかっているらしい。そのため、早めに大食堂に行って安めの料理を確保するのが最近できたルーク班の朝の日課となっているということは、最近校内でも公然の秘密となっていた。


「…ちっ、もういい。行くぞ」

 痛いところを突かれたからか、ルークが唾を吐き捨てて立ち去る。彼らが見えなくなったところで、アベルは再びグリューに向き直った。


「えぇと、それでさっきの話のつづきなんだけど。こうやってルークが絡んでくることもあるからさ、あんまり目立つことはしてもらいたくないんだ」

「ぶちのめしてやりゃいいんですよ! あんなひょろこい奴、武器なんて無くても負けませんよ!」

 得意げな顔をするグリューに軽いめまいを覚えたアベルはこめかみを押さえた。


「…そうもいかないっての」

 本当はそうできたらどんなにいいか。アベルはつづく言葉を胸のうちだけにしておくことにした。


「一応、彼も君の先輩なんだからさ。ああいう態度は良くないよ」

「いえ。あいつと先輩は違います!」

 こめかみを押さえたアベルの後ろからムクロが口を挟んだ。


「そこまでにしておけ。どうせ言っても聞かないし、朝飯前の議論など不毛でしかないぞ」

「まあ、そうなんだけどさ…」

「それにこれだけ採ってきてくれたんだ、せっかくだから朝食を一緒に食べていけ…といっても今日もそのつもりだったんだろう? 代わりに運び込むのを手伝え」

「本当っすか?!」

 ムクロからの朝食への誘いに、グリューは揉み手をせんばかりに喜んだ。


「いやぁ、先輩の班は飯が美味いっすからね~。ささっと片付けちまいますね!」

 満面の笑みを浮かべながら、グリューは廊下に散乱している荷物を手早くまとめて担ぎ上げると教室内に足を踏み入れた。


 こうしてグリューとの一悶着後に一緒に食事をし、授業開始前に解散する――これが、最近アベルたちに新しく追加された習慣だった。


 毎日断っているのだが、グリューはけろりとした顔でやってくる。仲間たち――特に礼儀に拘るレニーは殊更―も渋い顔をしているものの、彼の強引さの前に半ば諦め気味だ。


 それというのも、グリューは組んでくれる一年生がいないせいで暇を持て余しているためである。


 一応退学対策として名簿上では組んでいる生徒はいるのだが、現状危険人物でしかない彼と気軽に組もうという酔狂な者はいかなアグストヤラナの生徒とはいえそうそういない。


 授業も採取以外は参加しないため(戦技はメロサーの技術を認めていないこともあるが、何より軽い剣などの武装を主としている彼と戦斧を主武装としているグリューとではすこぶる相性が悪い)、行き場の無いグリューはリティアナを頼り、そのリティアナがアベルを頼るよう指示しているので来ざるを得ないのである。


「ちぇ、そういえば今日もリティアナ先輩がきてねぇんですかい…まあ、しゃあねえか」

 教室内を見渡したグリューは、言うほど残念では無いのかあっけらかんとした表情だ。


「今日も来てない。というか嫌なら来なくても良いんだよ」

「本当ですかい? 嘘言って二人きりになろうったってそうはいきませんぜ」

「なんでそんなことでわざわざ嘘なんてつかないといけないのさ…」

 実際アベルはリティアナとは決闘の日以来会っていないのだが、それでもグリューは毎日顔を出している。二人がリティアナに会えないのは、微妙に時間帯をずらしてグリュー、そしてアベルがいないときに連絡を伝えに来ているらしい。


 もしかして避けられているのかもしれない、という考えはあったが、アベル自身もまた気まずさを感じて積極的に会いに行っていないため、結果会わない日がつづいていたのだ。


「いとしの先輩に言われたことっすからね」

 愛しいかどうかはともかく、その言葉自体は嘘ではない。


 当初はグリューもリティアナの指示とはいえ、厭々ながら従っていたものだ。

 幾ら決闘で負けたとはいえ、納得できないという気持ちがあったからだろう。だが、それも食事にありつくまでの話で、食後からは完全に恭順することに納得したようだった(まともに食えていないところを餌付けされたと陰口を叩く者もいたが、これについてはアベル自身も口にしないものの存外的外れではないと思っている)。

 今も班員たちには負けないと内心では思っているようだが、料理の腕に白旗を揚げたというところか。


 ともかく、こうして今はむやみに暴れまわることが無くなったことはありがたいものの、何かことあるごとに先輩呼ばわりして後をついてこようとするのにはアベルも内心辟易しているのだった。せめてそれさえ止めてくれればまだ我慢できるのに…


 実際の話、その大仰なところさえ無くなればもっとうまく付き合えるのではないかとも思いつつあるのは確かだ。採取を手伝ってくれるのは大いに助かるし、沢山食べるのもどうせまとめて作っている以上あまり苦にはならない。むしろ彼が採取を手伝ってくれることで他の仲間たちの作業量が大幅に減ってありがたいくらいだ。


 何より、彼がもう一匹の新しい仲間の注意を引いてくれているのが大変ありがたい。

「ああっ、てめえっ、俺の肉返しやがれっ!」

 と、ちょうどグリューがその相手とまた新しい騒動を起こしていた。


「この野郎、最後に食おうと思って残していた塊肉を…吐け、吐き出しやがれぇっ」

 楽しみにしていた肉を奪われ涙目のグリューがぶるんぶるんとたるんだ頬肉を力の限り引っ張るが、その間も口の隙間からくっちゃくっちゃと咀嚼する音が無常に鳴り響く。程なくして、ごくん…と喉を嚥下する音が部屋に鳴り響いた。


「おぉ…おおぅうう……」

 グリューの声にもならない哀しみだけがしんと静まり返った教室に響く中で、満足げなげっぷの音と共に生臭い息が止めとばかりにグリューに吐きかけられた。


「…この、ド畜生風情が…もう許しちゃおけねぇ…」

 ゆらり、とグリューが立ち上がると台所へつかつか歩いていく。その手に肉切り包丁を握ると、らんらんと血走った目で振り返った。


「…グ、グリュー、聞くまでも無いと思うけど何をするつもりなんだ?」

 よどみなくグリューは答えた。

「今食われた分を払い戻させます」

 その瞳は深い信念をたたえている。


「…止めてよね、朝っぱらから解体なんか見たくないよ…」

 そう制止するアベルの後ろに化獣はくぅんくぅんと鼻を鳴らしながら隠れる。子犬がやるならとても愛らしい仕草なのだが、アベルの両肩から顔面ががっつりはみ出ているのであまりかわいらしさは感じられない。


「だけどそいつが俺の分を勝手に食っちまったんですよ! せ、せっかく先輩が作ってくれた肉なのに…うぉおおん」

 地団太を踏むグリューに、アベルははぁと嘆息を漏らした。


「それなら僕の分を食べるといいよ。…なんか食欲が無くなっちゃったし」

「いいんですか! ありがとうございます!!」

 言うなりすばやい動きで手を伸ばすと、皿に残っていた肉を奪って口に放り込む。満面の笑顔で咀嚼して飲み込むのを見て、思わずアベルもしょうがないなぁと笑みを漏らした。


「お前もだぞ、ダーダ」

 振り返り、化獣に向かって指を突きつける。

 ダーダと呼ばれた化獣はくぅんと鼻を鳴らすと申し訳無さそうに目を伏せた。


「他の人の食べてるものを取るのはダメなんだ。お前だって食べ物取られたら嫌だろ?」

 そういうと、ダーダはわうっと吼えた。

「次に同じことしたら、食事抜きだからな」

 もう一声鳴いて、ダーダはぺたりと床に伏した。


「まったく…煩いこと。あの意地汚い阿呆化獣に神獣ダーダの名前は荷が重いのではなくて、ユーリィン?」

 この間も優雅に塊肉を切り分けていたレニーが呆れたように呟いた。


 ダーダとは、ユーリィンがこの頬垂犬の化獣に名づけた名前だ。

 森人の主祭神である、森と風の神サリュの配下にして家族でもある気の優しくい灰牙狼の王にあやかったものだが、名前負けしてないのはあいにく図体のでかさくらいのものである。


 そんなダーダも、愛嬌たっぷり?な見た目の割りにあまり生徒受けは良くない。


 それというのも、基本アベル以外には懐かないためだ。

 一応それなりに賢い上、リティアナやムクロたち、そして校長にはアベルが好意や敬意を抱いているのを理解しているようで危害を加えることは無いが、他は別だ。うかつに近寄ろうとすると教師であろうと牙を剥いて唸るので、教師陣からアベルたちが面倒をみることを半ば強制的に命じられている。


 アベルとしては修行中に自分の命を狙ってきた相手だから釈然としないが、今では懐いていることもあるし、何より敵意の無い相手を殺すのは憚れる。そこで仲間たちに相談した結果、彼らの新しい仲間として迎え入れることとなったというわけだ。


「ぷっはぁー、ああ美味かったー!」

 大椀を満たしていた汁物をグリューが一息に飲み干したところで、卓上の食べ物は綺麗さっぱり無くなった。


「さて、それじゃあまだ時間はあるけどさっさと後片付けしようか」

 そういってアベルが立つと、仲間たちも続いて腰を浮かす。そのまま食器を集めようとしたところでユーリィンがあ、と小さく声をあげた。


「ごめん、アベル! あたしとリュリュは次の授業で準備の手伝いをするよう先生に頼まれてたんだった!」

「え、そんな約束してたっ…むぐ」

「ほら、あんた忘れっぽいから! そういうわけでごめんアベル、後片付けやっといてくれない? 貸し一つでいいから! じゃ!!」

 何か言いかけたリュリュをむんずと引っつかみ、ユーリィンはアベルが止める間もなく教室を飛び出していく。


「なんなんだありゃ…なあムクロ」

 思わず呆けていたがムクロに振ろうと振り返ったアベルだが。


「すまん、アベル」

「…はい?」

 鼻先で拝むように手を突き出され、アベルは面食らった。

「二人ので思い出したが、俺とレニーも頼まれてたんだった」

「えっ、ちょっと」

 アベルの後ろにいるレニーが何か言いかけたが、ムクロがちらと目配せしたことで黙り込んだ。


「そういうわけですまないが、俺たちも先に行かせてもらう」

 それだけいうと、レニーを半ば押し出すようにしてムクロは部屋を出て行ってしまった。


「うわっ…な、何だ一体?! 離せ、離せってばこのバカ犬!」

 つづけて背後からグリューの声が聞こえてくる。見ると、ダーダがグリューの脚を咥えたかと思うと器用に背中へ放り投げ、のしのしとそのまま部屋を出て行ってしまった。


 こうしてグリューが食事を終えてからたった数分で、アベルだけがその場に残されることとなった。


「何なんだよもう、一体…」

 訳がわからない。

 とはいえいつまでもそうしているわけにもいかないと、アベルは一度大きく嘆息し食器類を片付け出した。


「あ…アベル」

 食器をまとめ終えたところで、戸口から声が聞こえてアベルは振り向いた。


「…リティアナ」

 そのまま凍てついたように、二人は口も開かずただ立ち尽くしている。


「そ…その……元気?」

 何と言っていいか迷った末、アベルの口から真っ先に出た言葉はそんな間抜けなものだった。


「え、ええ…ぼちぼち」

 そして返ってきた言葉はこの有様。

「ユーリィンに、レニーから手伝って欲しいことがあるから行ってくれと頼まれたのだけど…」

「ユーリィンが? それにレニー?」

 先ほどの様子を思い出し、アベルはどうやら彼らにはめられたらしいことに気づいた。


 ユーリィンたちが丁度今さっきそそくさと席を外したことを伝えると、リティアナもすぐに事情を飲み込んだようだ。


 だが、お互い次に掛ける言葉が見つからない。しばらく無言のままだった。

 会えば言いたいことは色々あったものの、こうして実際にいきなり再会すると何を言っていいか判らない。


「あ、あの」

 相手を探るようにして先に口を開いたのは、リティアナだった。


「腕のほうは…その…どう…?」

「あ、ああ、うん。もう大丈夫」

 大仰にぶんぶんと腕を振り回しながら、アベルはやや早口で答える。


「グリューとの戦いでも問題なかったよ」

「そ、そうよね…うん」

 再びの沈黙。


 次に動いたのはアベルだった。

「えと…あ、そ、そうだ! リティアナはご飯、もう食べた?」

 良い取っ掛かりだ、自分で内心自画自賛したアベルだが。

「え? え、ええ…軽く、だけど」

 あっさり断られ、がっかりする。


「そ、そうなんだ。…あ、でもグリューがごっそり食べていったから無いんだっけ…」

 そう言って自分の迂闊さに頭を掻くアベルの様子に、少し冷静さを取り戻したリティアナが頼んだ。


「あ、それならお茶を一杯、頂けない?」

「う、うん、今淹れるよ! 適当なところに座ってて!」

 嬉しそうにお茶の準備をするアベルの様子に、リティアナもほんの少し表情が和らいだ。


 二つ並んでおかれた杯に、ゆっくりと温かいお茶が注がれていく。自分の分を受け取り、一口啜ってからリティアナは意を決したように切り出した。


「その…ごめん、なさい」

「え? な、何が? 何かされたっけ僕?」

 いきなり謝られ、心当たりの無いアベルは面食らった。


「ええ…腕のこと。あのとき、わたしのせいで動きを止めたでしょう?」

 そう言われて、アベルはようやく何のことか思い当たった。

 確かに、腕を切られる寸前リティアナの制止が入ったため剣を振り抜かなかったのだ。


「いや、それは…」

 彼女の心情を慮り否定しかけたところを、リティアナは手を挙げて制した。


「知ってるの。わたしが制止したとき、あなたは動きを止めたのを。腕が切られる瞬間、わたしはあなたのことをはっきり見ていたから…」

 そこまで言われては、アベルも頷くしかなかった。


「…うん。確かに、僕はあの時リティアナの声で止めた。その後で腕を飛ばされた…それは間違いない」

「うん…だから」

 もう一度謝罪しようとするリティアナを制し、アベルはつづける。


「けれど、僕の攻撃はグリューの腹を狙ってた。再戦時に同じところを斬ったときは幸い命に別状は無かったけど、あのとき仮に止めていなかったらグリューが無事じゃなかったかもしれない。もし、仮にグリューがそのせいで命を落としていたら、幾ら挑まれたからといっても僕の厳罰は免れなかっただろう。そう考えれば、止めてくれて助かった…今は、心の底からそう思ってるよ」

「そう…ね。でも、良かった。二人とも支障が無くて、本当に良かったわ」

 寂しげにそう答えたリティアナだが、その理由はすぐに判った。


「だけど、これで思い残すことも無いわ。後は他の人に監督官を引き継いでもらうだけね」

「え? どうして?」

 信じられないように尋ねるアベルに、リティアナは淡々と答える。


「別に驚くことは無いでしょう? わたしのせいで、監督するはずの生徒が大怪我を負ったのよ」

 アベルは我が耳を疑った。


「あれはグリューが原因じゃないか! その彼からももう謝罪されてるし、校長は何も言ってないよ」

「校長が言わないだけでしょう。他の人の目もある、責任はとらないとならないわ」

 頑固なリティアナに、アベルも負けじと言い募る。


「何のためにさ? 被害者である僕も、一番偉い校長も、そして他の生徒からも責めている人はいないのに。何もリティアナが責任を負うことなんてないじゃないか」

 リティアナはかたくなに首を振るだけだ。


 彼女の態度に、アベルは苛立ちを募らせた。

 しばらく、窓外で虫の鳴く声だけが響いていた。


「えと、さ」

 ようやく頭の中身を整理したアベルが、覚悟を決めて口を開く。


 最近ようやく昔のような親しさを取り戻せたように思っていたが、これを言えば軋轢が生じるかもしれない。その可能性を危惧もしたが、このままではいずれにしろまた疎遠になる可能性が高い…そう天秤にかけてのことだ。


「それは、本当にリティアナの本心から出た言葉なの?」

「…どういうこと」

 リティアナはアベルを見ない。


「責任を取る、というのは建前だろ…違う?」

 途端、リティアナの顔がわずかにこわばったのを見たアベルは確証を得た。

 アベルは違和感を感じていたのだ――彼女が、校長から任命された役割を中途半端で投げ出すようなことをするだろうか、と。


 自分への負い目からなのかもとも思ってみたものの、今の彼女にとって、それが校長への義理より大きいとは到底思えなかったのだ。


 他に校長に逆らってまで我侭を押し通そうとする理由に、アベルは心当たりがあった。


 じっと向けられた視線から、リティアナは無言のまま目を反らし顔を俯かせる。

「…本当は、別にあるんじゃないのか? 君が僕から離れようと考えた理由」

 その言葉に、ぴくり…リティアナの肩が小さく跳ねた。


 どうやら図星らしい、そう判断したアベルは黙って部屋を出ようとするリティアナの手首を掴んだ。

「少し、僕の話を聞いてくれ」


 リティアナは返事しない。

 振りほどこうとする様子も無いことから肯定とみなしたアベルは、修行していたときのことを話し出した。


 山奥で目隠しをさせられ、石をよける訓練を経たこと。

 それでも効果が見込めないと言われ、ドゥルガンに放置されたこと。

 そして、そのときにダーダと出会ったこと。


「ダーダが襲ってきたときは、僕は本気で死を覚悟した。あいつ、見た目こそ愛嬌あるけれど化獣だからね。力はあるし、牙も爪もある。偶然がいくつも重なったから殺されなかったけど、殺されてもおかしくなかったと思う」

 アベルは自分の幸運を思い返し身震いする。


「それで、その偶然だけど…一番は、鼻先にあいつの吐息を感じたときのことだ。今でもはっきり印象に残ってる。――リティアナ、君のことだった」

 自分の名前が出てきたことで驚いたリティアナが顔を上げた。アベルは意に介さずつづけていく。


「何も見えない中で、今にもこの喉に牙が食い込むんじゃないかって思ったとき、僕は死の恐怖におびえた。そのとき、不意に思い出したんだ。リティアナ、僕がグリューに腕を斬られたとき、君の姿を見たときのことを」

「…わたしの、姿…?」

 リティアナが強張るのが、握ったままの手を通し伝わってくる。


 だが、アベルにはあえて今こそ言わねばならないという強い信念があった。

 今までお互いに十分避けつづけてきたのだ。仲間たちも気を使ってくれている、リティアナだけでなくアベル自身もいい加減誤魔化しの時間を終わらせなくてはならない。


「リティアナだって判ってるんだろう? 怒り…だと思うけど、感情の迸るままにしていたあのときのことだ」

「…どう、だったかしら」

 はぐらかそうとするが、アベルはそれを許さない。


「これは推測だ。だけど、多分当たっているんじゃないかな。リティアナ、君がハルトネク隊…いや、僕から離れようとしているのはその姿を見られたから…違う?」

 リティアナは拳を硬く握ったまま答えない。


「校長から聞いたんだ。以前、君が激しく激昂したことで傷つけた生徒がいたって」

 リティアナは辛そうに顔をゆがめる。


 その表情を見たアベルは、自分のしようとしていることがただの自己満足かもしれないという不安を必死で押さえ込んだ。


「あの時からリティアナ、君は…自分におびえている。違うかい?」

 たっぷりした間を置いて、リティアナが口を開いた。


「…ええ、そうよ。わたしは…わたしが、怖いわ」

 その言葉を皮切りに、リティアナの切れ長な目じりに大粒の涙が溜まっていく。

「それで、何? あなたも怖いんじゃないの? 怖いでしょ?! …そうよね、どうみたって化け物だもの! 化獣…ううん、化獣すら自害させる力を持ってる。なのにそれが自分で制御できない。とんだ化け物よね…怖くないはず、無いわよね!!」

 表情の変わらない顔面を涙がほろほろと滴り落ちていく。


「だから深入りされる前にわたしから離れるのよ! そうすれば、学府に、いられる! あなたたちだっておびえたりしないで済む! 化け物扱いされないで済むの!」

 リティアナは食いしばった歯の隙間から言った。


「あなたが来るまでは、何とか抑えられていたのに! あなたが来たから、あなたと再会してから…わたしは、自分が抑えられなくなってる! それが自分でも判るの!! だったら、あなたから距離を置くしかないじゃない!!」

 リティアナの激昂を聞き終えたアベルはゆっくりと口を開いた。


「…見くびるなよ」

 アベルの珍しく露にした怒気に、リティアナは小さく息を呑んだ。


「凄い力…確かにそうだね、凄いよ。でも、それがどうだって言うのさ」

「どうだ、って…」

「さっき、僕だって言ったじゃないか。僕の手は剣を握っていた。そして、すんでのところで人を殺めそうになった。殺しそうになったっていうなら同じことだろ」

「でも、アベルの場合はそうならなかったじゃない…」

「ああ、そうだ」

 アベルは大きく頷くも、きっぱり反論した。


「だけど、それはリティアナ、君が止めてくれたじゃないか。それと同じだ。あのとき、君が制止していなかったら僕はあの気の良い後輩を殺していたかもしれない。結局は同じことなんだよ、リティアナ」

「違う!」

 リティアナは激しく頭を振る。


「あなたは剣を手放せば済む。だけどわたしは、そうじゃない! そうできない!」

「いいや。やっぱり同じだよ」

 アベルは辛抱強くつづける。


「手放せないっていうけど、それは今はまだ取り消せないってだけの話だろ? もしかしたら数年後には自然に消えているかもしれない。そんな都合よく行かないにしても、ひょっとしたら消せる手段が見つかるかもしれない。あるいは逆に、完全に制御できるようになっているかもしれないじゃないか」

「それは…楽観的過ぎる見方だわ」

 リティアナが苦々しげに吐き捨てた言葉にアベルも頷いて同意する。


「そうだね、確かに楽観的だと思う。だけど、悲観的に考える必要だって無いだろう? この先何があるかなんて誰にも…僕にも、リティアナにだって判りっこないじゃないか。それを今から諦めてどうするんだよ!」

「いつまでつづくか判らないのよ?! その間周りの人がどれだけ危険にさらされるか…判らないじゃない!」

「大丈夫」

 アベルが断言する。


「君が抑えられないっていうなら、今度は僕が止める。僕を助けてくれたように、君を僕が護る。これからは一人にさせたりしない! だから…お願いだから、もう簡単に仲間を切り捨てるような真似はしないでくれ」

「だけど…わたしは…そうやって護ってくれようとするあなたをも傷つけるかも知れないじゃない…」

 普段のリティアナからは似つかわしくない、消え入りそうな声。


 だが、アベルはひるまなかった。

「だったら尚のことだよ。班員たちは少なくとも一年以上、そして僕にいたっては十年近い付き合いがあるんだ。君の力になれることに掛けては他の生徒より上だと思ってるけど。それともリティアナ、君はこれからもたった一人でその力を解消する手立てを探せる自信があるの?」

「そんなの…あるわけない」

 リティアナはあえぐように答えた。


「だったら残念だけど、僕の提案を呑むしかないね。僕にとってはリティアナ、今じゃ君も大事なハルトネク班の一員だ。ねえ、仲間たちが僕に力を貸してくれたように、僕も君の力にならせてくれないかな」

「でも――」

 返答をためらっていたリティアナだが、とうとう反論の材料が見つからなくなったようだった。


 やがてとびきり大きなため息を吐くと、目じりを拭って言った。

「…判ったわよ、もう。責任の取り方については…もう少し、考えてみる」

「え、責任は取るの?!」

 まだそんなことを言うなんて、と驚くアベルにリティアナは口を尖らせて答えた。


「当たり前でしょ。どんなことにだって、何か問題が起きたらその責任を負う人はいるのよ。それが社会ってものなの。例えば、あなたたちが抜け出たときに使った転送球のこととかもわたしが対応したのよ」

 そう言ったリティアナに睨みつけられ、アベルは思わずうへぇと首をすくめた。

「知らなかったよ…」


 そんなアベルに、リティアナはちょっとはにかみながらも意地悪な反撃を返した。

「それじゃあこれからはそういったことにも気を払うようにしてね。今後は学府の外に出る機会もある訳だし」

「え? もう?!」

 驚くアベルを、リティアナが呆れたように半眼で見やった。


「忘れたの? あなたたち、年末に肩章を貰ったでしょう? あれには代表という意味もあるのよ。すぐにとは言わないまでも、他の班よりは機会が増えると思って間違いないわね」

 これはまた厄介そうだ、そう感じたアベルは頭を掻く。


「そうなんだ…判ったよ。でも、僕で判るかなぁ」

 不安そうに呟くアベルに、リティアナはちょっと顔を赤らめて言った。

「大丈夫よ。…わたしがついているから」

「リティアナ…うん!」

 明るい笑顔を浮かべるアベルに、お姉さんぶったリティアナが胸を張って言う。


「しっかりしてよね、わたしの力を解消できる手段を探す手伝いもしてくれるんでしょ。なら、まずはあちこちに行けるような立派な冒険屋を目指してもらわないと…ね」

 そう言って片手を伸ばすと、昔よくやったようにアベルの髪をくしゃくしゃにした。


「あはは…お手柔らかに頼むよ」


 アベルはようやくリティアナと真に以前のような関係に戻れたことを感じ、そしてこの機会をお膳立てしてくれた仲間たちの心遣いに心の内で感謝したのだった。

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