第10話-1 本身の片鱗

 アベルたちはすたすたと無造作に歩いてくる。人だかりは中央へ誘うように、生徒たちが自ら後ずさる形で次から次へと道が生まれていった。


「まさか…あれって?!」

「なんで学府に?!」

 生徒たちの反応は、実際にはアベルが単身引き起こしたものではない。


 アベルの後ろにはドゥルガンがいる。二人の間に挟まれた形で、アベルにつき従うものに気付いたリュリュたちも、驚かずにはいられなかった。


 どっしりとした体躯。短めの四足で歩行しているそれの頭は一回り大きく、中でも特に目を引く頬はぶるんぶるんと垂れて愛嬌あるしかめっ面と見れなくも無い。

 街でもちらほら見かけることのあるこいつの種族名が頬垂犬であるという知識を持つ生徒も多いことだろう…頭頂部までの高さがアベルの頭ほどもあることを除けばだが。


 本来の頬垂犬の体高は、成犬でも子供のひざくらいまでしかない。


「ば、ば、化獣!」

 誰かの叫び声のした方へ頬垂犬の化獣の顔が向く。両目の位置には顔の半分もある真っ黒な斑点があり、その中心にある小さな黒目がぎょろりと光った。


 飛びかかろうと頬垂犬の化獣が四肢を屈めた途端。

「駄目だよ」

 振り向くことなくアベルの穏やかな制止の声が飛んだ。


 直後、化獣がくんくんと鼻を鳴らしながら再び大人しく歩き出したのを見て、それまで険しい顔をしていたガンドルスが

「…ほう?」

 と感心の声をあげた。


「校長、遅くなりました」

 アベルと別れたドゥルガンが傍に来るのを待っていたガンドルスが尋ねた。


「ご苦労。ところで聞きたいことがあるのだが…あれは?」

 それまでのドゥルガンのしぶっ面が、よりいっそう渋くなった。


「どうやら数日前アベルのところに現れたらしいのですが…そのとき彼にこっぴどくやられたようで、以来大人しく従っているようです」

 生徒たちは距離を取り、彼らから離れたところで遠巻きにして見ている。化獣は試合場の一隅をあてがわれたアベルの足元でおとなしく寝そべっており、生徒たちに襲い掛かる気配はない。


「学府に化獣が現れたのも驚くべきことだが、人に従う化獣とはまたなんとも珍しい。噂には聞いたことがあったが…」

 ガンドルスが感心したように独り言ちる。


 基本的に化獣は人間も捕食対象としているため、基本懐くことはしない。

 ただし、出自が家畜など懐きやすい温和な性情を持っていた場合に限り、従わせられた事例が過去わずかながら存在する…そうガンドルスも聞いたことがある。


 とはいえ、人里離れたところでないと魔素溜まりができにくいことから家畜が化獣化する可能性は限りなく低く、また仮にできたとしても当初の攻撃本能を何とか鎮めなくてはならないため、狙って起こせることでもない。


「実際に何があったのかは見ておらんのかね?」

 残念そうにドゥルガンは首を振った。


「すみません、私は事情があってその場を離れていました」

「…化獣の出た場所に生徒を一人で残していたのかね」

 ガンドルスに睨みつけられたドゥルガンは素直に頭を下げた。


「はい、怠慢といわれても仕方ありません。申し訳ありませんでした。よもや学府に化獣が現れるとは思いもしませんでしたので…」

 確かに、とガンドルスも内心頷く。


 校長である自分でしか知らないことだが、この学府に魔素溜まりが偶発する訳が無く、また頬垂犬も存在していなかった。ならば、誰かがわざわざ化獣を送り込んだということだ。


 だが、誰が、何の為に?

 色々可能性を考えるも、いずれも何らの証拠が無い為推察の域を出ない。


 ふぅ、とガンドルスはため息を吐いた。今こうして自分だけで考えていても答えは出そうに無い。ならば、知り得そうな相手と相談するしかないだろう。


(…考えようによっては、奴を起こす良い機会かも知れんな。ブレイアのときのことも何か判るかも知れん…問題は、どうやって起こすか…か)


 そこまで考えを纏めたガンドルスはうんざりしたように頭を振るとこれ以上の追求を諦め、ひとまず眼前のお祭りを楽しむことに気持ちを切り替えた。


「君の責任については後で処分を下す。ついでにあの化獣についてもな。ところで彼はどれくらい仕上がっておるのかね? どうせ“あれ”を仕込んだのだろう?」

「ご存知でしたか」

「君の性格を考えれば判るとも。そして来た感じ、結構いいところまで修めている…違うかね?」

 そういうとにいっと笑う。釣られてドゥルガンも苦笑した。


「まったく、校長には適いませんね。私としてはまだまだ物足りないとは思っています、が…自分の力を鼻にかけた一年坊を相手するくらいなら引けを取らないはずです」

「うむうむ」

 満足そうにガンドルスも頷く。


「貴族たちの場合、幼少時から型や技を重点に習う。だが彼の場合、たった数年しかない時間でそうした技術を捨てる代わりに、相手の動きを観る訓練を徹底的に積んでおる。だからこそ短期間に化獣とも渡り合えるだけの技術を為しえた訳だが…」

「しかし…一介の狩人であった彼の祖父とやら、一体何者なのでしょうね。物書きも知っているようですし…きちんとした教育を受けた者のようですが」

 ドゥルガンの質問に、ガンドルスはさあてなと答えた。


「まあともかく、あいつを見ていると昔の俺を思い出すな」

 あごひげを手で梳きながら、ガンドルスはやれやれと軽く首を振った。


「竜人族は優れた膂力を誇りに思うのは良いが、少しそれに囚われすぎる悪癖があるからのぅ。はやいうちに目を覚ませばそれだけ後々のびしろが増やせるのに」

「私としては、そういう周りの見えない愚か者に時間を割きたくはないのですが…」


 ガンドルスが何かを言おうとするより早くドゥルガンは先を続けた。

「ですが教師としてはそうもいかないのが辛いところですね」

「いやまったくだ」

 茶化すようにガンドルスが笑った。


「わしの苦労もわかってもらえただろう」

「あなたはいつも私や他の人に仕事を押し付けて、ほとんど好き勝手にほっつき歩いているだけじゃないですか」

 非難がましい目線に居心地悪そうに咳払いしつつ、ガンドルスは顔をそらし。

「おおっ、そろそろはじまるようじゃのぉ」

 下手な芝居に、ドゥルガンはこめかみを押さえたまま嘆息した。


「まったくもう…」

 校長たちがそんなやり取りをしているちょうどそのとき、アベル、グリュー双方も戦いの準備が整ったようだった。


 三十分。何れかが気絶するか、戦闘不能な大怪我を負った時点でアルキュス先生が止めること――そう定められた。


「まったく、授業じゃなくこんな私闘をさせるってと判ってたら賭けたのになぁ…こんな面白いネタ、もったいないったらありゃしないよ。おいお前ら、ただでさえ怪我の治療はあたしが疲れるんだからほどほどにしとけよ」

 半ば押し付けられた形のアルキュス先生はぶつぶつ文句を言いながら中央に立つと、手をひらひらさせながら無造作に言った。


「とっととはじめな。ほら、はじめ! 何ぼさっとしてんだい、さっさとはじめなって!」

 あまりにやる気の無い掛け声に一拍空白の時間ができたが、

「お、おう…いくぜえっ」

 先に動いたのはグリューだった。


「アベル!」

「いや、大丈夫だ」

 速攻に慌てたリュリュへ、ムクロが視線をアベルから外さず答える。

「あいつも気付いている」


 その言葉通り、アベルはゆったり立ち上がるとすたすたグリューに向けて歩いていく。その動きがあまりに自然体に過ぎて、リュリュはまだ合図に気づいていないのではないかと言う錯覚に囚われた。


「くらい、やがれぇっ」

 グリューが大きく振りかぶった戦斧を振り下ろす。

 危ない、という声や女生徒の悲鳴があちこちで沸き起こった。


「おっと!」

 アベルが身をひねってかわすと、鼻先五分の一ディストンを勢いよく戦斧の刃が通り抜ける。数瞬前に彼が立っていた地が、大きく断ち割られていた。


「隙あり!」

 だが、アベルも大人しく見ていない。捻った動きそのままに剣に勢いをつけて叩きつける。


「やったぁ!」

 綺麗に腹に入った一太刀に、リュリュが思わず歓声をあげた、が。

「あぁん?」

 隆々とした腹筋に止められ、剣が弾かれる。生半な力ではかすり傷にもならないようだ。


「なぁんだあ、そんな程度かよ。ドゥルガンの野郎の特訓を受けたと聞いたから期待したが…期待はずれだぜ」

 ちっ、と舌打ちしながら一歩足を引く。渾身の力で戦斧を振り下ろすためだ。しかし、アベルはその動きを見逃さない。


「お?」

 アベルのとった行動に、グリューは思わず驚いた。


 踏み込み、致死部位である喉もとめがけて躊躇なく剣を突き込んできたのだ。

「うおっ、とおっ! へえ、本気ってか…そうこなくちゃよ」


 頭を振っていなすが、つづいて額めがけて剣が飛んでくる。それを首をすくめてやり過ごしたかと思うと更に腹めがけて蹴りが飛んできた。上にばかり意識が向いていたところを蹴り抜かれ、さすがのグリューも顔をしかめる。

 寸止めした甘ちゃんという前回の印象が、ここまでの数合のやり取りでがらりと変わった。


「ぬ、ぐっ! さ、さすがに今のはちいっと効いたぜ…」

 それでも、決定打になるほどではない。グリューもすぐさま気持ちを切り替え、戦斧を振る動作を大振りから的確に当てる小振りな動きに切り替えた。


「当たるわけにはいかないよっ」

 その動きにも、アベルはひるまない。

 更に前に出ると、戦斧をかいくぐりながら剣を突き込み、払い、切り上げる。


「…あれ?」

 違和感に真っ先に気付いたのはリュリュだった。


「うぅん? あれぇ? なんか、アベル…戦い方、変わった?」

「どういうこと?」

「特に違いがないようだが…」

 他の仲間たちがそういう中、リュリュはアベルの一挙一投足を見逃すまいと目を見開いている。


 やがて、ぽつりと呟いた。

「わかった…気がする。アベル、多分今は本気で倒す気が無いんだ」


 その異変を、当のグリューもまた気がついていた。

「なんだ…このっ、くそっ…! いったい、なんなんだコイツ?!」


 同じ頃、ようやく幾人かの生徒たちも違和感に気付いたようだ。

 グリューはそれまでと同じく苛烈な攻撃を繰り出している。一方で、アベルもこれまた激しい攻撃を応酬していた。


 だが、大きな違いが一つある。

 グリューの攻撃は先刻と変わらず、小振りといえども当たれば必殺の威力を秘めたものだ。


 しかし、アベルのそれは違う。

 胸や腹などの急所を狙った攻撃はほとんどなく、むしろ振るった攻撃の先は戦斧の柄やグリューの腕、膝ばかりだ。圧倒的な攻撃力を維持するグリューに対し、何の決定打にもならない無駄な攻撃を繰り返しつづけるアベル。


「ははっ、何だよそのへっぴり腰は! さっさと片付けちまえ、一年坊!」

 ルークが野次を飛ばすが、ムクロやレニー、ユーリィンのような腕に覚えのある生徒たちはアベルの行動を理解して慄然とした。


「ち、ちくしょう…なんだよ、なんでだよ! 攻撃が、あたらねえ!」

 グリューも、今置かれている状況に焦っていた。


 最初の大振りが避けられたのは当たり前だ。

 元々グリューは派手に倒すのが好きだから、格下の相手には派手に勝つのを信条としている。


 その信条を無視してまで小振りの攻めに変えたのは、アベルを警戒しての事だ。

 だが、その攻撃すら当たらない。以前は大振りでもアベルの剣速にひけを取らなかったはずなのに、今は素早い攻めに切り替えても何故か有効打を得られない…その理由が判らず、グリューは混乱していた。


「ふぅん?」

 違和感を感じていたのは、生徒たちだけではない。

 ガンドルス、そしてドゥルガンもアベルの戦いぶりに怪訝な面持ちを浮かべていた。


「ドゥルガン、彼に教えたのは…」

「いえ、私が教えようとしていたのとは違います」

 ドゥルガンも首を振る。


「…そうだな。君本来の教えならば、あの一年坊が攻撃すればするほど徹底的に痛めつけられる――言わば、肉を切らせず骨を絶つという動きになるはず」

 ガンドルスの視線が今も尚大人しく伏せたままの化獣に向けられる。


 化獣はじっとアベルのことを見続けているが、恐れも怯えもしていないようだ。

「どうやら、彼は独自に君の教えを発展させたらしいな。しかも…肉を切らせず骨も断たず、自分にあったやり方で」

「…その様、ですね」

 ドゥルガンも、校長の言葉には同意せざるを得なかった。


「確か、修行はまだ完成しておらんのだったろう?」

「ええ、そうです。今回の件が終わったら、しばらくはわたし自ら鍛えようと思っています」

 ガンドルスはドゥルガンの苛立ち混じりの返答を聞きしばし目を伏せたが、やがてきっぱりした口調で断った。

「いや…これからはわしが引き受けよう」


「校長ご自身が?」

 驚いて聞き返したドゥルガンが珍しく目を見開いたが、生徒たちは歓声とアベルたちの攻防とに気をとられて誰も気付いていない。

「おう。さっきお前さんも言ってただろう、いつも仕事を押し付けておると。たまにはそうではないところを見せんと、示しがつかんからのぅ」

 そういう校長を、ドゥルガンはじっと注視する。


「…実際は?」

「面白そうだからだ」

 満面の笑みを返すガンドルスを、ドゥルガンは表情を変えないまま睨んでいた。

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