第3話-1 リティアナの秘密

 季節は過ぎ、雨勝月あめがちのつきも終わりに近づいていた。

 降りつづいた雨はようやく過ぎ去り、学府の周囲に生い茂る木々は日に日に背を伸ばして青々とした葉で窓外を彩っている。


 その中で、とにかく体力をつけるためアベルたち一年生はひたすら走り、ひたすら選んだ武器の素振りを続ける基礎体力向上に励む毎日を繰り返していた。入学時点でそれなりに体力があった者も荷物や回数を増やされるなどして課題を調整され、昼前には誰もが等しく痛みと疲労の声しかあげられないという充実した日々を(強制的に)すごしており、そのきつさに音を上げて退学する者もちらほら出てきている。


 そして、鳴雷月を数日後に迎えるこの日もありきたりの一日となる…はずだった。


 食卓に車座に座るアベルたちの前には各人の前に茹でてソイユの汁漬けにした巻貝を盛られた小皿(交換で手に入れた巻貝を保存用に加工した分の余りだ)、そして中央には四人ですり潰した薯蕷芋じょうよいもを油で揚げて薄く塩を振った物が大量に入っている大皿がある。さくっとした外側と、噛むととろっとした味わいの中身の差が快い。

 これらは次の戦技の授業に備えての昼食だ。


「ん、今日も良い味」


 ユーリィンが満足げにうなずく隣で、リュリュもぱくぱく口に放り込んでいる。


「いい加減食べなれた薯蕷芋も、こうするとまた中々味わい深いね~」

「ああ」


 ムクロは言葉少なに返答するが、手の動きは反比例して止まらない。


「お腹にも溜まるのがいいねぇ」

「まあね。けど、さすがに芋ばかりだと飽きるのがなぁ」

「貝があるだけまだマシでしょ」


 その言葉を皮切りに、各自思い思いに貝にも手を伸ばしていく。

 前もって用意した細く硬い枝を身にひっかけ、貝殻をくるりと回すと内臓の先までするりと出てくる。それをソイユの汁にさっとつけて口に放り込むと、ほろ苦くも濃厚な海の幸の味わいが口中に広がるのだ。


「んむぅ…うきぃい! うまく身が取れないぃ!!」

「どれどれ…ほら」

「ありがとっ、アベル!」


 アベルが小さな体で貝をうまくほじれないリュリュの代わりに身を取り出してやる。と、

「食事中失礼します」

 戸口から来客の声がし、振り向いたアベルは驚いた。


「リティアナ?!」


 アベルをちらとも見ず、リティアナはつづける。


「用事さえ済んだらわたしは帰ります」

「何々、なんなの?」

「さあ…」


 驚くリュリュたちにも興味を持たないかのごとく教室内に足を踏み入れると、そこではじめて一同を見渡す。


「わたしが監督官としてあなたたちに就くことになりました。今日はその顔見せです」

「監督官?」


 聞きなれない言葉に、アベルたちは首を傾げるが、リティアナはこほんと小さく咳払いしてそのままつづけていく。


「ここでは新入生には今月末から、各班ごとに監察官が一人就くことになっています」

「何のためにさ?」

「これからの授業において、転送室を使って外へ遺跡の探求や野外における狩猟の知識も身につけてもらうことになります。その際、生徒たちに危険が及ばないように確認・指導するのがわたしたち監督官の任務です」

「…それならば教師たちがいるだろう。なぜわざわざ学府お抱えの冒険屋が?」


 ムクロの無遠慮な疑問にも、リティアナは淡々と応じる。


「先生方が忙しい上、手が足りないからです。ですので、卒業させるに相応しいかどうかの評価を教師陣へ報告する、という役割も私たちに与えられています」

「つまり、お目付け役…ってこと? あたしたちの」


 淡々と説明するリティアナの言葉に、ユーリィンの表情が険しくなる。


「そう取って貰っても構いません」

「あら。気に入らない生徒をわざわざ見張ってまで追い出そうなんて、ご苦労様なことね」


 とげとげしさを含むユーリィンの言葉にもリティアナの表情は変わらない。


「生憎ですが、他の班にも必ず就きます。何より、わたしたちにとっても教導する素質や技術を確認できる機会として先生方から看られているので不正の心配は不要です」

「…ふぅん。で、来月から付きっ切りであたしたちを懇切丁寧に指導するってこと?」


 ユーリィンの皮肉に、はじめてリティアナが少し考え込むようなそぶりを見せる。


「…いえ。わたしはあくまで監察官なので、いつも一緒にいるわけではありません。わたしにも冒険屋としての自分の活動がありますから。実際にあなたがたと行動を共にするのは、遺跡への野外実習がはじまってからになるでしょう。はっきりした日時で知りたいなら、コツラザール先生に直接聞いてください。…今年の生活実習学科の授業は、一部の生徒のせいで例年より進行が遅れているそうですし」

「あー…まあ、ねぇ…」


 ユーリィンがはじめて納得した。


 確かに、件の(具体的にはルークとその取り巻きたちがほとんどだ)がごねている場面はうんざりするほど目にしている。そのせいで遅れているなら納得だ。


「毎年ある程度は起こることなのですが、今年は特に酷いみたいですね」


 ユーリィンはふむとうなずいた。


「なるほど、そういう事情なら判ったわ。そのあたりはこちらでコツラザール先生に聞いてみる」

「そうしてください。…最後に、アベル=バレスティン」


 名前を呼ばれ、それまで驚きで固まっていたアベルがびくっと身体を震わせた。


「…あなたがここに来た目的は何?」


 アベルは自分を見つめる仲間たちの視線を感じていた。

 これを答えたら彼らがどう思うか…


 正直に答えるかどうか少し迷ったものの、告白のいい機会だと思うことにした。 仲間を見渡し、そして最後にリティアナを正面から見据え口を開く。


「僕はリティアナ…あの男について調べるためにきた」


 誰もが口を噤む中、リティアナだけが変わらぬ口調で尋ねた。


「どういうこと?」

「…君を連れて行ったのはアグストヤラナの関係者だってことは判っていた。だから何があったか、そして君がどうなったのか。それを知るためにここに来たんだ」

「じゃあ…わたしの、ため…?」


 アベルの瞳を見つめ、それからゆっくりと下に転じて彼の拳――剣ダコと無数の傷だらけの拳――に視線が移っていく。


「…ブレイアのことはわたしも話は聞いてる。何より、あのときわたしもほとんど死んでいたのよ。生きてる可能性がほとんど無いのに、それでもわたしの後を追ってきたの? 五年も剣に費やして…あなた、馬鹿だわ」


 率直な物言いにリュリュが気色ばんだ。


「ちょっと! 詳しいこと知らないけどさ、自分を心配してきてくれた相手に幾らなんでもそんな言い方は無いんじゃないの!?」


 が、当のアベルは首を振り、リュリュはそれ以上追及することができなかった。


「ともかく、あなたの考えは…判った。お礼代わりに、わたしからも。忠告してあげる」


 リティアナは一度口をつぐんでから、はっきり告げた。


「校長は…彼はわたしの命を、救ってくれた…恩人なの。それだけじゃない、身寄りの、亡くなったわたしを、ここまで育ててくれた、大切な人」

「リティアナ…!」


 途切れ途切れに告げるリティアナの顔は怒りからなのかいつしか蒼白になり、冷たさすら感じる。アベルは切り返す言葉が見当たらなかった。


「その恩に、報いるためなら、わたしは、なんだってする。もし、彼に危害を、加える相手がいるなら、彼の代わりに…わたしが、全力で排除する。例え、あなたと戦うことになったとしても…うぐっ」


 そこまで話したところで、リティアナは小さくうめくと突然胸を押さえてその場にへたり込んだ。


「リティアナ?!」

「ちょっ、ちょっと急に何?! 大丈夫あんた?!」


 慌てて駆け寄ると、リティアナの意識が無いのが見て取れた。少し前までの威勢が嘘のように、顔を真っ白にして苦痛に喘いでいる。顔色が変わったのは怒りからではなく、体調不良が原因だったらしい。


「な、なんだ一体?! どうしたんだよリティアナ!」

「アベル! 良いから、保健室!」

「う、うん」


 ユーリィンに叱責されたアベルはリティアナを両腕に抱きかかえ、慌てて教室を飛び出した。


「これこれ、廊下を走ってはいかん…む?」


 廊下の角を曲がったところで向こうからきたガンドルスと鉢合わせしたが、ぐったりしたリティアナに気付いて顔色を変えた。


「…いつ倒れたのかね?」

「い、今さっきだけど…です」


 珍しく見せた真剣な雰囲気に押し切られてアベルがどもりつつ答えると、ガンドルスは太い眉根を寄せる。手を伸ばし、首筋に宛がうと更に表情が険しくなった。


「…かなり強い感情を顕にしたか。症状が激しいな。最近無かったが…」

「あんた…」


 アベルが言いかけるのをガンドルスが制した。


「言いたいこと、聞きたいことはいろいろあろうが、今はそれどころではない。まずはリティアナの治療が先だ」

「治療?」


 首を傾げるリュリュに、ガンドルスは大きく頷いてみせる。


「うむ。色々あってな…とにかく、俺が保健室へ連れて行こう」


 有無を言わさず半ばひったくるようにしてリティアナを奪うと、両腕に抱えたままガンドルスは大股で立ち去っていった。


「あ、アベル?!」

「僕も行ってくる!」


 呆然としていたアベルだが、すぐにはっと我に返ると仲間をその場に捨て置いたまま慌ててガンドルスの後を追って駆け出した。


 遅れて保健室についたアベルが扉を開けようとしたが、

「あれ、空いてる…」

 急いで締めたが締まりきらなかったのだろう、扉はわずかな隙間を残して開いている。それに気付いたせいで、逆にアベルは無遠慮に開けることへの抵抗感が生まれてしまった。


 しばし迷ったアベルは折衷案――扉の隙間から中をうかがうことにした。


「どうだ、リティアナ」


 寝台に向かって話しかけるガンドルスの声はとても穏やかだった。


「それにしてもその症状が出るのも久しぶりだな。久しぶりに気持ちが昂ぶったようだが…彼か」


 何かリティアナが返しているが、小声でかつひゅうひゅうという苦しそうな喘鳴音が混じっているため聞き取れない。

 ガンドルスも彼女のことを気遣ってか、小さく首を振る。


「無理せんでいい。はじめるぞ、いいな?」


 言われたリティアナは辛そうに身を起こし、上着にそっと手をかけた。


「…え?」


 アベルの目の前で、リティアナが上着を脱いだ。躊躇無いその為様しざまから、ガンドルスを心から信頼しているのが伺える。


 づついて下の襯衣しんいも肌蹴け、真っ白な肩が露になったところでアベルはとうとう耐えられなくなり、その場を逃げ出した。


「お帰り…アベル、どうしたの?」


 教室に戻ったアベルへ仲間たちが心配そうに尋ねるが、アベルは無理に笑顔を作って応じた。


「いや、何でもないよ」

「…本当か」


 ムクロの言葉にアベルは内心ぎくりとする。だが、今は到底事情を説明する気にはなれなかった。


「…うん」


「…どう思う?」

「保健室で何かあったっぽい?」

「…あまり面白くないものでも見たのかもしれんな」


 用を思い出したから、と言い残しそそくさと教室を出て行ってしまったアベルを見送った三人は互いに顔を見合わせた。

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