第3話-2 校長の実力

 そんなことがあってから一週間後の午後。


「今日のーぉ、基礎訓練は中止なのであーる」


 戦技の授業開始前に言ったメロサーの言葉に生徒たちがざわめく。だが休めると素直に喜ぶ声は無く、どんなきつい訓練が代わりにあるのかという不信の声の方が遥かに多い。


 そして、鍛えられ成長してきている生徒たちの勘は当たっていた。


「あー、久しぶりだな諸君」


 メロサーの挨拶を待って出てきた人物を見て、アベルは思わず歯噛みした。


「ガンドルス…!」


 髭だらけの顔をほころばし、嬉しそうに歩み出てきたのは誰あろう校長その人だ。


「君らもそろそろ基礎体力向上訓練ばかりで飽き飽きしてきたころだろう? だから今日は俺自ら、諸君と手合わせを行おうと思ってな。ま、今後の方針の確認が目的だから気楽にやろうや」


 言葉と裏腹に、ぶんぶん肩を高速で回すやる気満々な態度に不安を覚えたのか、後ろで武器の入った棚を用意していたメロサーが慌てて注意した。


「校長ーぅ、壊さないでくださいーよ! 後で文句を言われるのーは、こちらなんですーよ!」

「わぁってるよ。年寄りのやんちゃだ、本気でやりゃしねえさ。それに」


 ちら、と一瞥を向けられる。その視線が、自分に向けられたようにアベルには感じられた。


「ひよっこ程度、片目を瞑ってたって傷一つ無くあしらえるって」


 明らかな挑発にざわ、と生徒たちがどよめく。

 ムクロやユーリィンも言葉こそ発しないが、表情が険しくなった。


 おおっぴらに口に出す者こそいないが、今尚残っている生徒たちにはここまできつい訓練を耐えてきたという自負が生まれつつある。


 特に入学前から武に勤しんできた者であれば、幾ら校長が強かろうと、かすり傷一つ負わせられないなどということがあるものかという矜持は強かろう。


「んじゃ、とっととはじめるかい。一対一で、俺に攻撃を当てるか、戦意喪失…或いは戦闘不能になるまで。良い具合にやる気出してることだし、おまけで俺は無手で相手してやろう。さあ、誰から来る?」


 生徒たちのざわめきが大きくなる。

 真っ先に手を挙げようとしたアベルをムクロが制した。


「ムクロ?」

「まずは俺にやらせてもらおう」

「え? でも…」


 反論しようとしたアベルに、ムクロが淡々とした口調で告げる。


「今のお前は気負いすぎだ。先週保健室で何を見た?」

「……」


 無言でいるアベルに構わずムクロがつづけた。


「…言いたくないならそれでも構わん。だが、お前が校長に対し何か含むところがあるのは傍から見てればわかる」

「それは…」

「俺なりに校長の懐を引き出してみる。それでも見てこの間のように策を練るんだな」


 不器用なムクロなりの気遣いに、アベルはぎこちながいながらも頷いた。


「…分った。ありがとう」

「礼には及ばん。俺にも目的があるしな」


 ずい、と前に出たムクロを眺めやったガンドルスはほぅと嘆息した。


「魔人族が他種族の社会に関わるのを見るとは、いやはや長生きするもんだ。さて、武器は取ってこなくてもいいのかね?」

「自前のがある」


 言うなり、どこからか短刀を抜き出した。かつてアベルと戦ったときに用いた愛用の物だ。


「ふむ、よかろう。どこからでも掛かってきたまえ」


 構えを取ると、腕組みをしたまま突っ立っているガンドルスの顔から笑みが消えた。


「く…!」


 ムクロは動かない。いや、動けない。


 放たれる視線が絡みつく。

 どう動こうと叩き潰される、そんな威圧感がある。


「なんだ、威勢の良いのは口だけか? このままだと日が暮れるぞ!!」


 それでも動かないムクロにガンドルスはやれやれと小さく呟くと両腕を解き、無造作に垂らした。


「やぁれやれ、年寄り相手に臆病なことだなぁ。よし、ほれ、これで動きやすくなっただろう」


 あからさまな挑発に乗る形で、ムクロもついに動いた。


 少し腰を落としたかと思うと左右に二度三度、身体がぶれた。

 かと思うと、ムクロの身体がガンドルスの右手に回りこんでいる。一度身体をゆっくりした動きで左右に振ることで視線を誘導しておいてからすばやい動きで回り込んだのだ。


「迅い!?」


 アベルは舌をまいた。

 以前戦ったときよりも数段早い。今戦えば、まともに防げる気がしない。


「取った!」

「甘いのぅ」


 見えないはずの右後方から振られた短刀を、ガンドルスは首を傾けてかわした。


「なにっ?!」


 軽く蹴手繰りをいれられ、前につんのめったところを

「ほい。これで戦闘不能だな。無手では勝てまい」

 背中を押され、ムクロは前のめりに転んだ。 構えようとするが、短刀はいつの間にかガンドルスが持っている。


「お前さんは軸足に動こうとする気配が隠しきれておらん。筋は悪くないがまだまだ経験不足だな。今の調子で進めればよかろう。さあ、次!」

「くぅ…」

 あっさりあしらわれ、すごすごと下がるムクロの表情は暗い。


 アベルがなんと声を掛けようか迷っていると、

「はいっ!」

 その威勢の良い声に、アベルは聞き覚えがあった。


「君は…天人族のレイニストゥエラ君だったかな」

「はい。一手ご指南願いますわ」


 びしっと手を挙げたのは槍を携えた青髪の少女だ。背中の真っ白い翼が目をひく。

 最初の戦技の授業でも優秀な成績を出していたことをアベルはふと思い出した。


「よかろう。いつでもきたまえ」

「では…やあっ」


 本来、槍を使う者は相手の剣が届かない間合いの外から攻撃する。

 それは相手より遠い位置から攻撃できること自体が大きな強みとなるためだ。しかし、レイニストゥエラは違った。

 退くどころか、穂先を下げたままぐんと大きく踏み込み自ら間合いを詰めたのである。虚をつかれたガンドルスの顔が引き締まった。


「むっ」


 その顔を狙い、下からすり上げる槍の穂先が鼻先を掠めるのを、わずかにのけぞることで避ける。


 しかし、レイニストゥエラの攻撃も終わらない。

 流れるような動きで一回転させ地面に突き立てた槍の柄を軸に回転して足を払い、更に反動をつけて胴へ回し蹴りを入れる。ガンドルスも身を引いてかわすが、それらは全て彼女が宙を舞うための布石だった。

 槍を軸に、くるくると回転しながら昇るようにして宙を舞ったレイニストゥエラの動きに、ガンドルスが感心したように唸った。


「ほう、やるな。考えなしに空を飛ぼうとしたら即刻叩き落したのだが」

「ええ、空を飛べない者はそうするしかありませんものね。いかがです校長? どんなに優れた武人とて、あなた方人族のような飛べない者にとって上からの攻撃はいかんともしがたいでしょう?」


 勝ち誇った笑みを浮かべるレイニストゥエラに対し、

「うむ、その通り。だが…」

 ガンドルスも、にやりと口元をゆがめて応じる。


「それは君も変わるまい。まさかその槍を投げつけて終わりとはいかんだろう?」

「勿論ですわ。攻撃を当てれば勝ち…そうでしたわよね?」


 す、と空いている左手を差し向け、小声で何事かを呟く。


「ほう!」


 ガンドルスが感嘆の声をあげた。 生徒たちからも驚きの声が上がる。

 掌大の水の球、しかも五つも作り出したのだ。


「《水》の天幻術セフィラか。それだけ使えれば、鍛えれば面白い術者となろう。槍に関しても悪くない」


 術法を使えるのは才を持つ者のみであり、しかもそれを自在に使いこなすには二年次からの訓練が必要なのだ。虚空から水の塊を、それも五つも作り出した彼女はかなりの基礎能力を持つことになる。


「お褒めに預かり光栄ですわ。さて、それじゃあ幕引きとさせてもらいましょうか」

「さて、そううまく行くかな?」


 勝ち誇ったレイニストゥエラの手が振り下ろされ、水塊がガンドルスに向かっていく。併せて突き込もうと飛び掛るレイニストゥエラだが。


「かああああっ!」


 気合のこもった雄たけびが放たれた瞬間、見えない壁にぶち当たったように空中の水塊がガンドルスから離れたところですべて砕け散った。


「な…?!」

「い、今のはいったい…?!」


 その場にいた生徒たちは誰もが驚いた。


「わっはっは、これは煉気術セイオルムの応用でな。極めればこういうこともできる…むぅうんっ!!」


 ばっ、と大きく広げた掌が驚きに固まるレイニストゥエラにむけて突き出される。次の瞬間、アベルは透明の巨大な掌が放たれたように見えた。


「きゃああっ」


 狙い過たずレイニストゥエラにぶち当たったは、彼女を吹き飛ばして霧散する。華奢な身体があっさり吹き飛ばされ、地面を数度跳ね落ちると生徒たちが慄いた。


「あらま…こりゃダメね」


 さして興味も無さそうにユーリィンが呟いたのをアベルは聞いた。


「ダメって、どうしてさ? まだ戦いははじまったばかりじゃないか」

「そういうことじゃないの。見てみなよ」


 促され、視線をレイニストゥエラに戻す。


「そ、そんな…こんなこと……嘘よ…嘘だわ……」


 彼女は地面にへたり込んだまま呆然としていた。先ほど転がり落ちたときに捻ったのか、泥に塗れねじれた右翼が痛々しい。


「虎の子の天幻術まで出してよっぽど自信があったのに、あっさり破られたのが堪えたってとこかしらね。あれだともう今日は無理でしょ。…いや、あの様子だと、もしかしたらこのまま学府を辞めるかも」


 ユーリィンの説明にアベルは言葉を失った。


「そんな…」


 愕然とするアベルに、ユーリィンは冷たく言い放つ。


「良いじゃない。あの子、ルークたちの仲間よ? ここ最近一緒にいるところをあたしやリュリュもよく見かけてるし、噂だとルークに取り入ってもらうのに必死だったみたい。ああやって名乗りあげたのも、大方ルークに認めてもらうためだったんじゃないの。ほっとけば?」


 そのルークたちには動揺した様子は見えない。どころか、よく耳を澄ませばざまあみろ、といった野次や嘲るようなくすくす笑いがもれ聞こえてきた。


「ほっとけばって…そうかも知れないけどさ」


 何故か、釈然としない。


「うむ、今後に期待というところだな」


 その間にガンドルスは一瞥をくれ、総評を下していた。


 立ち直れないレイニストゥエラ、彼女に一方的に告げるガンドルス、そして好き勝手なことを喋っているルークたちに、アベルは不意にやり場の無い怒りがこみ上げてきた。


「さあ、次は…」

「諦めるな!!」


 気付けば、叫んでいた。


「アベル?!」


 口を挟んだ理由は自分でも判らない。「何だあいつ」や「でしゃばるな」という声がどこからか(主にルークたちからのようだ)聞こえてきたが、アベルは気にせず続けた。


「まだはじまったばかりじゃないか、それとも威勢が良いのは口だけなのかよ!」


 ぴくり、とレイニストゥエラの肩が揺れる。


「それならそこで好きなだけ休んでろ! 次は僕が相手する!!」

「やれやれ…」


 アベルからは、ガンドルスの微笑んだ口元は見えない。


「彼は元気が有り余ってるようだな。少し本腰入れて相手するとしようか…む?」


 次の挑戦者に備えて向き直ろうとしたガンドルスの動きが止まる。立ち上がったレイニストゥエラが槍を構えたためだ。


「君の番は終わった。保健室へ行きたまえ」

「ま、まだやれますわ」


 そう答え、駆け寄り槍を突き出すレイニストゥエラ。


 しかし、その速度は気の毒なほど遅く、痛みからぶれているのが傍目にも判る。折れた心はどうにか奮い立たせることはできても、翼の傷の影響は誤魔化しようもなかった。


 二度三度と顔を狙って突き出された穂先をガンドルスが表情を変えることなく首を捻っていなし脚払いを掛けると、レイニストゥエラは無様に引っかかりつんのめった。


「う、ぐ…」


 それでもレイニストゥエラは槍を支えにして立ちつづける。その間、黙ってみていたガンドルスは

「…ただの力試しでも退けぬ訳がある、か」

 横目でルークの方をちらりと見てから、感情を表に出さない瞳でレイニストゥエラを見下ろした。


「己を侮る相手に下僕として諂ってまで守りたい誇り、か。他に無いのかね?」

「言うな!」


 レイニストゥエラは再び突き込むが、逆にその横腹に痛烈な蹴りを受け、もんどりうって倒れる。なおも槍を支えに立ち上がろうとするが、激しく咳き込んだ。


「言葉で言っても判らんか。時間も惜しいし、これで終わりにしてやろう」


 ガンドルスは硬く手刀をつくると、足元もおぼつかない彼女の首筋めがけ振り下ろす。次の瞬間を予想した生徒たちから悲鳴が上がった。


「させるかっ」

 がつっ、と鈍い音が響いた。


 間に割り入ったアベルが柄でガンドルスの手刀を受け止めた音だ。


「今度は僕が相手だ!」

「…よかろう」


 レイニストゥエラは二、三歩進んでも尚頭をふらつかせており、朦朧としていた。

 が、すぐに自分が庇われたという現状を把握すると。


「余計な…こと、しないで…」


 振り返り拳を握り締め、アベルの背を叩こうとする…が、それも適わず、そのままもたれるようにして倒れ込んでしまった。


「ユーリィン君、彼女を保健室へ連れて行きたまえ」

「わ、分かりました」


 ガンドルスに命じられ、足早に駆け寄ったユーリィンがぐったりしたレイニストゥエラに肩を貸して保健室へ連れて行く。


 それを確認して振り向いたガンドルスへ、憎しみを隠そうともしないアベルは口を開いた。


「丁度良い、あんたには聞きたいことがあるんだ…無理やりにでも聞きだす!」

「ふふ…よかろう。もし俺に傷を一つでも負わせられたなら、何でも好きなことをおしえてやろう。だが、負けたら…そうだな、まずは言葉遣いを目上に対するものに直してもらおうか」


 肩を鳴らしながらガンドルスがうなずいたのを皮切りに、アベルは雄たけびを上げて踏み出した。

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