第2話-2 腕試し


 翌朝、迎えに来たリュリュたちと牢外へ出ると、服の隙間を縫って入った冷たい朝の空気にアベルはぶるっと一度大きく身震いする。

 すでに校庭には大勢の生徒たちが集まっていた。


破落戸ごろつきめーぇ…」


 一番遠くに立っていた長身痩身の男から、語尾を間延びさせたやけに甲高い声が発せられる。


 他の生徒たちからも含めた冷ややかな視線が無遠慮に向けられているのをアベルも肌で感じていたが、前もってユーリィンから忠告されたとおりそれを無視して集団の端に着いた。


「校長がお前のような破落戸を何故退学にさせないのーか、我輩不思議なのであーる。故に我輩はーぁ、貴様が退学する機会があれーば、積極的に狙っていくのでーす。覚悟するのでーす」


 鉤鼻の上にぎらぎら輝く釣り目を更に吊り上げ、やや猫背になって怒鳴る痩せぎすな彼の姿に、ふとアベルは大蟷螂おおかまきりを連想し思わず吹き出しそうになった。


「…まあ今はこの辺にしてやりまーす、時間も惜しいですーし。とりあえーず、諸君はこれから日が真上に昇るまーで、週の半分はこの我輩ー、メロサーが担当する戦技の講座を一年ー、受けてもらうことになりまーす」


 生徒たちからどよめきが沸きあがる。


「今の世の中力こそすべてなのでーす! 力なきものが誰かを護ることなーど、不可能であるからしーて! 故にーぃ、まずは自分を護れる力を養ってもらうのでーす! それができないものーは、死ぬ前にとっとと辞めーて、国へ帰るのが幸せなのでーす!!」


 どうやらアグストヤラナの教師陣の考えは一枚岩という訳ではないらしい。


「もちろーん、それはぁ平民も貴族も関係ありませーん! 化獣はーぁ、どんな相手にも平等に襲ってくるからしーて、その前には本人の力だけが頼りなのでーす!!」


 固まっている生徒の一部からはんっと鼻で笑うような声がアベルの耳に届いた。

 どうも船の上で絡んできた騎士の一団から聞こえたようだが、メロサーは聞こえなかったのか、そのまま演説をつづけている。


「それは軍に限らーず、冒険屋をはじめ下請けの者でーも、一緒なのでーす。むしーろ、自分達の身は自分達で護らねばならないからこーそ、冒険屋であれば尚切実な問題となるのであーる」

「冒険屋?」


 はじめて聞いた単語に首を傾げるアベルに、ユーリィンがそっと耳打ちした。


「冒険屋ってのは、軍属しないで街などの斡旋所から様々な依頼を受けて遺跡に潜ったり、化獣を討伐することを生業としている人たちのことだそうよ。卒業生たちの一部は冒険屋になるみたいだけど、昨日アベルを吹っ飛ばしたのもその一人らしいわ」


 リティアナが冒険屋とは…学府に来て以来、アベルは驚かされることばかりだ。

 その間も口角から勢い良く泡を飛ばし、とがったあご先をかくかく反り返らせながらメロサーは熱弁をふるっている。


「そういうわけーで、まーず、今日は諸君同士でーぇ、実技の確認を行うのであーる。何を武器にしても構いませーん。よほど酷くない限り退学はないのーで、心おきなく戦いなさーい」


 生徒たちが一層ざわめいた。

 まったくと言っていいほど腕に覚えが無いものもいるのだ。彼らからしてみればそれを習うために軍学府に来たのにいきなり戦えと言われたわけだから、困惑するのも当然であろう。


 一方で、先の騎士連中をはじめ腕に覚えのあるらしい集団は待ち遠しそうにそわそわしている。


「何でいきなり実技の確認なんかをするんだろう? 素人ばかりで意味無さそうなのに…」

「アベルは大丈夫?」


 不安そうに見上げてきたリュリュにはっとしたアベルは、まあなんとかなるさと応じて落とし挿しにした剣の柄をぽんぽんと軽く叩いた。


「それに…多分」

「多分、何?」

「…いや、何でもない。単なる推測だからあまり気にしないで」


 ユーリィンはというと、アベルの仕草に逆に剣を持ち始めたぽっと出のような印象を受けている。


「どういうつもりか判らないけどしっかりしてよね、約束したばかりでいきなり退学になんてなられたらあたしらも困るんだからさ」

「そうならないよう頑張るよ。ところでそういう二人はどうなのさ?」


 アベルの質問に、リュリュたちは一度互いの顔を見合わせる。が、にっと笑んでみせただけで、

「ま、見てなさい」

「びっくりさせてあげるよ!」

と答えるにとどめた。


「まあ、いいけどさ…」


 アベルからすれば二人も、そんなに強そうには見えない。船上では二人は結局戦っていないから、判断がつかないのだ。


「それでーは、まず武器はこちらに用意してあるのであーる。我輩がーぁ、対戦相手の調整を行う間、各自使う武器を決めておくのでーす。あぁー、言うまでもぉ無いことですーが、慣れてる武器があるなーら、それを使っても構いませーん。飛び道具もーぉ、使ってかまいませーん」


 メロサーの指図を合図に、わっと生徒たちが武器の置かれている棚に殺到する。


「それじゃあ、早速昨日決めた通りに行ってくるよ」


 棚に向かう気配の無いユーリィンたちにそう告げ、アベルは視界を巡らせた。


「…いた」


 アベルの求める相手も、動こうとせずその場で腕組みをして立っていた。


「ちょっと、いいかな」


 彼の前に立ったアベルに、緑髪の男――ムクロはちらりと顔だけを向けた。


「…言ったはずだ、俺には関わるなとな」

「それは君が勝手にそう言っただけだろ。関わるか関わらないかは僕が決めるよ」

「ふん…何のようだ。今の俺は機嫌が悪い、手短に話せ」


 言葉通り怒っているのか、仮面をつけているせいでどうも分りにくい。アベルは臆せずつづけた。


「じゃあ、はっきり言わせてもらうよ。僕たちと組んでくれないか?」

「……何?」


 今度は明らかにいぶかしんでいる様子が伺える。


「聞いたんだろ、これからは班で行動するって。だから、一緒に組まないかと言ってるんだ」


 しばしの沈黙の後、ムクロから発せられたのは冷たい言葉だった。


「ふん…狙いはわかっている。使い捨ての盾として使い潰そうという魂胆だろう?」

「違うよ!」

「では、飼い殺しにするつもりか」

「それも違う」


 即答しつづけるアベルに、初めてムクロの顔がちらと向いた。


「…何が目的だ」

「僕は、単に君と組みたい、そう思ったから誘っているだけだよ」


 ムクロは硬く口をつぐんだままアベルを値踏みするように睨み付けている。 たっぷりした間を置いて出たのは

「…解せん」

 の一言だった。


 どうやら本当に理解できないらしい。

 ふと、アベルには思いついたことがあった。


「なら、この模擬戦で僕と勝負しないか?」

「どういうことだ?」


 ムクロの眉がひそめられる。


「君に認められたら、利用するつもりじゃないって納得できる…だろ?」

「ふぅん…なるほど」


 一応は納得してくれたようだ。


「だが、そんな賭けを持ち出すということは余程自分の力に自信があるというわけか」

「…いいや。純粋な戦闘力なら君には適わないと思う…多分」


 船上でルークを抑えたときの立ち回りを見て普通に戦ったら適わないことくらいは分っている。


「ほう?」


 はじめてムクロが面白そうに反応した。


「では、貴様には何か目算があるというわけか。勝てないが俺を納得させるだけの何かが」

「…目算と呼べるほどのものかどうかはまだ分らないけどね」

「ふん…まあいい、少し興味がわいた」

「じゃあ?」

「いいだろう、貴様の挑戦を受けよう。だが、やるからには本気で行く。死んでも恨むなよ」

「それは困るな」

「俺の知ったことか。お前の蒔いた種だろう、自分で刈り取って見せるんだな」


 そういうと、ムクロはふいと視線を外した。もうこれ以上話すことは無いということなのだろう。


「どうだった、アベル?」


 リュリュは頭をかきかき戻ってきたアベルを心配そうに出迎える。


「断られたけど…それも概ね予定していた通りかな。問題は次だね。どうするかは大まかに考えてはいるけど…」


 そういうと、ムクロとの対戦を希望するためアベルはメロサーの元へ向かった。

 最初、戦いたい相手がいると告げられたメロサーはあからさまにしぶい表情になった…が、その相手がムクロであると告げると急転して実に嬉しそうな笑みになる。


「アレはかなり強い相手だけーど、そういうことなら特例として許すのであーる」


 明らかに、叩きのめされることを期待している顔だ。

 ともかくこれでアベルにとっても望みどおりの展開となったわけである。ムクロにも許可が出たことを手短に伝え、模擬試験の順番を待つ列に並んだ。


「さて、どうなるかな…やれるだけやってみないと」


 すぐに試験がはじまり、校庭の左右に分かれた生徒たちが順繰りに呼び出されていく。


 最初に前に出たのはルークだった。

 よほど自信があるのか、自ら挙手して訴えたのである。

 どう戦うのかと興味をそそられて見ていたアベルは仰天した。


「な、なんだよあれ?!」


 腰に華美な装飾を施した長剣を佩いている、それは良い。…抜く気配は無いが。


 問題は、彼の前に二人の武装した男たちがいることだ。


 ひょろりとやたら背の長い茶色い胴着を着た男(船上でまっ先に切りかかってきた男だ)は長剣を持っており、ずんぐりした禿頭の男は片手剣に円形の盾を装備している。当のルークはというと後ろでにやにや笑って腕組みしたままだ。


「幾らなんでもずるくないか?!」


 周囲でもざわめく声がするが、ルークはふんと鼻で笑った。


「何を騒ぐことがある。俺の武器は俺の部下だ。それにこの学府では班を作って戦いに備えるのだろう? なら何も問題は無いだろうが」


 メロサーもうなずいたため、ルークを止める者はいなくなった。


 気の毒な対戦相手は二人相手に好き放題小突かれまくった結果大泣きして戦意喪失し、ルークは意気揚々と元いた場所に戻るとふんぞり返って腰掛けた。


 幸いにもその後は自ら武器を取り戦う者だけになり、アベルはちょっとほっとした。

 幾人かはルークの真似をしようと勧誘していたが、急場では誰も上手く行かなかったようだ。その点からすれば、ルークは先見の明があると言えそうである。


「さすがに軍学校と言うだけあって、強い人が結構いるなぁ」


 アベルも五年学んだとはいえ、本格的に専念して学んだわけではない。


 中にはそれこそ物心つく前から空いている時間すべてを武技に費やしたであろう猛者もちらほらおり、彼らは訓練生とは到底呼べない力量を見せ付けた。


「さっきの子、すごかったな…」


 例えばその一人、先刻試験を終えた蒼い髪の天人族の少女は特に生徒たちの目を引いた。

 細身の刺突剣使いと対したが、長さに優れる長槍の利点を生かし、たっぷり翻弄した上で相手を降参させている。白い翼を持つ見た目の美しさとあいまってその戦いぶりはまるで華麗な舞踏でも見ているかのようだった。


「次ーぃ、太陽の組はーぁ、ユーリィン=ディアルフルセフとムーガン=ハッセルー…ふむ。森人とーは、また珍しいのであーる」


 メロサーの声に何人かがちらちらと好奇の視線を向けたが、ユーリィンは気付かない風を装っていた。


「月の組はーぁ、ファルシネ=ビオロとーぉ、リュぅリュ=ノイ=シュタイルヘッツーぅ。…小翅族とはこれもまた珍しいですねーぇ。ともあーれ、呼ばれた者はーぁ、前にでなさーい」


 ちょうど二人同時に行うようだ。名前を呼ばれたユーリィンとリュリュが前に出る。


 ついでに言えば、対戦相手のムーガンとファルシネにも見覚えがあった。先ほどルークと一緒に出た者たちで、ユーリィンの相手が長剣を使うほう、リュリュの相手は盾持ちだ。


 どちらもずぶの素人でないらしいことは先刻の動きから見て取れた。いずれもアベルであれば負けこそしなくとも長引きそうな相手だ。


「ユーリィンは弓、か」


 船上で握った弓の弦を何度か爪弾き、張り具合を確かめている。他の武器は持っていないようだ。


「それとリュリュは…ん? あれはなんだ?」


 リュリュはというとどこから取り出したものか、自分の身長よりも一回り大きい黒衣の人形を抱えている。よくよく目を凝らすと両の袖口から二本の大きな鉤爪がにょっきり突き出ていて剣呑極まりない。


 そして、

「『鎧よ!』」

 一声。

 次の瞬間、まばゆい光と共に赤を基調とした鎧のような防具を身にまとっていた。


「ふむ。錬金術士のようですーが、あなたの武器はそれでいいのですーか?」


 メロサーが人形を指差して確認するも、問題ないよと返されたのでそれ以上の追及は無かった。


「それではぁ、はじめーぇ!」


 開始の合図と共に、ユーリィンは対手とほぼ同時に動いた。


 武器を大きく振りかぶったまま間合いをつめようと駆け出したムーガンが大きく剣を左右に振るが、ユーリィンはひょいひょい右に左に避けながら懐に飛び込むと低い体勢のまますばやくやじりを番え射放つ。


 がつっと鈍い音をして鍔を撃たれた剣が跳ね上がったが、アベルが驚いたのはほぼ同じ場所に二本矢が突き刺さっていたことだ。


「いつの間に?!」


 番えたときは一本だけだったはず…そもそもアベルも猟のとき弓を使うことはあったが、動きながら小さな鍔に当てる腕前といいとても真似できるものではない。


「言うだけの事はあるってことか…」


 そうこうしているうち、ムーガンは手に握りこんだ鏃を喉元に突きつけるユーリィンに促されて武器を投げ捨てて降参した。


「リュリュの方は…?」


 リュリュはと言うと、迫りながら振り回されている片手剣をひらりひらりと避けつつ、何かを謳う様に韻を踏んで呟いている。ひらひらと数回避けたところで、人形の首筋に添えたリュリュの右手が一瞬赤く光った。


「今のは…?」


 すぐに光は人形に移り、更に吸い込まれるようにして消えてしまう。そこまでを確認したリュリュは人形を地面に落とすとファルシネの剣がちょうど届かない高さに飛び上がった。


(人形を投げ捨ててどうするつもりなんだ?)


 その疑問はすぐに解けることとなる。


「う、うわああっ」


 ファルシネもアベル同様、空中へ逃げたリュリュに意識を向けた…が、それが勝敗を分けた。

 投げ出された人形が胸元へ飛び掛り、反動で後ろにすっころんだ彼の首元に鉤爪を突きつけたのだ。跳ね除けようにも器用に首根っこを押さえつけられ、どうにもできない。


「ここまでだねー。んふふ、降参する?」


 眼前を漂いながらくすくす笑うリュリュに、ファルシネは無言でこくこくと頷いた。


「ふ、二人とも凄いな…」


 確かに、びっくりさせられた。


「…こりゃあ、僕も頑張らないと」


 あの二人の期待を裏切らないようにしなくては。

 アベルも自ら頬を張り、気合を入れなおした。


「次ーぃ、太陽の組ーぃ。アベル=バレスティンとムクロであーる。殺しさえしなければ何をやっても構わないのであーる」


 ついにアベルの出番が来た。


「それじゃあ、頑張るか…」


 使い慣れた剣を手に、 生徒たちの輪の中心に進み出る。緊張で心臓がどくどくと激しく脈を打つのが自分でも判る。


「魔人族は叩きのめせ!」

「その田舎者をこてんぱんにしてやれ!!」


 生徒たちは好き勝手に野次や罵声を飛ばしている。

 違う意味で注目の一戦なのだろう。

 同様に進み出てきたムクロは一振りの短刀を手にしている。


「俺は慣れてるが、お互い嫌われたもんだな」

 珍しく、ムクロから声を掛けてきた。


「あはは…あんまり慣れたいもんじゃないね」

「まあな。それには同意する」


 ぶっきらぼうに言い捨てたきり黙り込むムクロだが、


(もしかしてこちらの気持ちをほぐしてくれたのかな?)


 事実、これだけのちょっとしたやり取りのおかげでアベルも緊張はほぐれた。


「ふぅ」


 剣を握り締め、やや腰を落とし正眼に構える。

 対するムクロも腰を落とし、片刃の短刀を引いて構えている。


 そして、メロサーが告げた。


「はじめーぇ!」

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