3E章 『二人』 Best Partner

 状況は変わりつつあった。『ファンタジー』と呼ばれた異世界からの来訪者は、当初こそ猛威を振るって都市を混乱させていたが、やがて警察の特殊部隊や自衛隊が鎮圧に繰り出すと、圧倒的な武力をもってファンタジーは徐々に駆逐されていった。


 神々には先人より培われてきた知恵と最新鋭の武器がある。何より、死んでいった仲間たちの一矢を報いようとする気迫がある。彼らは情報を掻き集めそれを共有する事により、団結力をもって猛反撃を繰り出した。


 そしてこの非常事態に対し、法治国家である日本で殺人の許可が下ろされたのが、神々を最も変えた最大の理由であった。


「剣に魔法だと? そんなんで現代兵器に適うかよ!」

「原始人が! 死ね! 死ね! 」


 兵士や平民など、並みの人間や低級の魔族はほとんど殺されるか、元の世界へと逃げ帰っていった。今この世界に残っているのは『勇者』と呼ばれた屈強な冒険者か、野望に満ちた腕の立つ悪人か、規格外の怪物や悪魔たちである。彼らの並み外れた戦闘力には、完全武装の神々でさえ手を焼いている。


 技術、火力、経験、意志。一体何が決め手となるのか、神々の戦いは佳境を迎えようとしていた。


(こんな世界に、イターシャはずっと閉じ込められていたのか?)


 魔王は高層ビルの屋上から地上を見下ろしていた。都内は戒厳令が敷かれ、一般市民はおろか報道陣の姿も見えない。戦士たちの怒号と、渇いた銃声や爆音だけが淡々と聞こえる。


『神々の世界』なんて大層な呼び名だが、一皮剥いてしまえば他愛もない、異分子というだけで争いの絶える事の無い、見慣れた戦場の姿がそこにあった。


(違う! 俺が聞きたいのはこんな音じゃない!)


 魔王は耳を研ぎ澄ました。何百人の命を、魂を、力を吸った魔王には、今や星の隅々まで、全ての物音が聞き分けられる気がした。


「……きゃあ!」


 よりにもよって悲鳴が聞こえた。窮地を知らせる本能の叫び、愛する者の魂の叫び。魔王は一瞬にして全身を強張らせる。


「イターシャ! 聞こえたぞ!」


 彼女はやはりこの世界にいて、まだ生きていた。僅かな希望にしがみ付く様に、魔王は無意識の内に魔力で体を浮かべ、全速力で空へ駆け上がった。


■■■■■□□□□□


「イタさん!?」


 声を聞き付けるなり男が慌てて駆け付けると、イターシャは牛小屋の前で尻餅を着いていた。


「あ……失礼しました。よく見たら牛でしたのね」

「もう、驚かせないでくださいよ」


 若い男はそう言うと、安心した様に溜めた空気を吐き出した。


 町から離れた、山に面したとある農家、ここにイターシャが現れたのはつい最近の事だ。見た目は外国人、それもロシア系のとびっきりな美女だが、口を開くなり流暢な日本語を話すあたり素性はよく分かっていない。行く宛てのない彼女を、一家は一先ずその身を預かる事とした。


 見た目に歳が比較的近いと判断されてか、一家の一人息子である九条一輝くじょうかずきが彼女の身の回りの世話をする事になった。年頃の男女を一緒にさせるのも抵抗があるが、「相手が外国人なら萎縮するだろう」とは、保守的な日本人らしい考えである。


(まったく……こんな美人が、俺なんかと普通に話してる……現実味が無さすぎて夢みてえだな)


 そして親の想定通り、一輝は外国人、それもテレビや映画で見るようなモデル並の美女を相手に、日々翻弄されていた。


(パソコンも修理中だからな、ネットが使えれば住んでる場所ぐらいは調べられるんだろうけど)


 聞けば、彼女は男性と旅の途中だったが、気が付いたらこの山奥にいたらしい。財布やパスポートなどは持ち合わせておらず、薄い布切れは神秘的な衣装だが、森なら虫に刺され放題だし、町に下りて治安の悪い場所にでも出たら大変だ。


 今でも思い出す。初めて見た彼女は、ただただ茫然と立ち尽くし、何をしてよいのかも分かってない様だった。山で困った人間には声をかけるもの。一輝は下心もなく、自然と彼女に話し掛けていた。


「誰かとはぐれたのかい? その……見知らぬ男に言われても抵抗あるだろうが、ここは人気も明かりも無いよ。とりあえずうちに来るかい?」


 自分で言ってて不審だった。こんな陳腐な場面、それこそドラマや映画の主人公みたいに、いかに相手を不安させずに親切するかが肝だが、一輝にはそんな器用な真似は出来なかった。だが……。


「ご迷惑でなければ、お願いします」

「……へ?」


 これまた陳腐な話だが、一輝はつい自分の頬をつねった。丁度一週間前の話であった。


「とにかくイタさん。そろそろ日も暮れるから、家に戻るよ」

「はい」


 牛小屋を離れ、イターシャは一輝の後に付いていく。彼女が来てから一週間の間、イターシャは頻繁に庭に出ては、ただただ空を眺めていた。


 その行為に九条家は首をかしげたものの、彼女は本当に家事をよく手伝ってくれるし、何よりその何気ない行為が、彼女にとって大事なのだろうと一輝は察し、なるべく気を遣わせない様にしていた。


「牛がそんなに珍しいかね?」

「いえ、ただ私の故郷では見かけない種類だったので……」

「見かけない……外国の牛はやっぱり違うのかねえ」

「おやじ、おふくろ、牛はどうでもいいだろ」


 一輝は会話を遮る様に、箸をテーブルの上の鍋に伸ばした。


「すいません。ご厚意に甘えて長居してしまって……」

「あ、いやいやいや! 別に問題ないから、気にしないでくださいよ」


 客人を一人迎えて、九条一家の食卓はいつも以上に賑わっていた。夫妻はイターシャが息子の嫁にならないかと、何の宛てもない希望を抱き、一人息子である一輝も、僅かながらそんな夢を見ていた。


 一輝はイターシャを横目で見る。ふと彼女と目が合い、慌てて真正面を向き、お椀のご飯を口にかきいれる。


「なあイタさん、一輝の嫁になってはくれまいか?」


 父親の台詞に、一輝は口に含んだ米粒を一斉に噴き出した。いくら何でも唐突過ぎる。


「結婚……一輝さんと一緒になれという事ですか? それは……」

「イタさん、オヤジの冗談だから。あんま真面目に受け取らなくていいですよ」

「そう……ですか」


 彼女は一切動揺を見せず、淡々とした態度である。結構な爆弾発言の後なのに、まるで何もなかった様に一同は食事を再開した。


(彼女みたいな美人、オレなんか……)


 冷静に考えて、見ず知らずの女が自分を好きになってくれるわけがない。相手はあくまで迷子で、本当に帰るべき場所を探している。


 いつか彼女は目の前から去っていくだろう。待っている人がいるならば、その人の下へ戻らなければならない。一輝は食卓を雑巾で拭きながら、不意に虚しい気分になった。


■■■■■□□□□□


 一輝は夕食を済ませると外へ出た。家の前にある大きな切り株に腰を下ろし、ふと空を見上げる。


 イターシャは一体どこから来たのだろう。外国人とはいえどこか現実離れした神秘的な美貌に、どう聞いても日本人としか思えない、それも俳優か声優の様な精練された声。まるで映画から飛び出してきたとしか言い様が無い。


「一輝さん?」

「わっ!」


 不意に声をかけられ、一輝はまたも心臓が飛び上がるかと思った。「美人は三日で飽きる」なんて言葉があるらしいが、三日過ぎようが慣れないものは一向に慣れない。


「驚かせてしまいましたか、すいません」

「いえいえ、情けない話ですが、オレ女性に免疫が無いんですよ」


 明らかに失礼な言葉だが、こんな時に嘘や適当で流せるほど一輝は小慣れてはいない。幼少より年頃の異性と接する機会が少なかったからこそ、彼のぎこちない態度が露になる。「女は好きだがどうにも苦手」悩める男の大いなる矛盾である。


「免疫って……何か病気持ちなんですか?」

「そうじゃないです。え―っと……ちょっと独特な言葉ですよ。何というか、女性とほとんど話した事が無くて、それで照れちゃうんです」

「そうなんですか」


 そう言って微笑むイターシャを見ると、一輝は瞬く間に顔が赤くなるのを感じた。こんな事は小学校の頃、クラスで好きな女子と席が隣になった時以来だ。これを純真と誇るべきか子供と恥じるべきか、一輝は少しだけ悩む。


「……変な事聞きますけど、イタさんってこの星の人ですか?」

「星……とは?」

「星って、オレたちが今いる場所ですよ。地球とか月とか……」


 一輝は夜空を指差し、気付けば無我夢中で星の話をしていた。月とか太陽があって、たまたま地球だけが生物が繁栄出来る場所だったとか、宇宙はとんでもなく広いだとか、子供でも分かるような幼稚な話を、彼女は真面目に聞いてくれた。


 自分でも突拍子のない話であったが、それを呆れる事無く真面目に聞いてくれる彼女を見て、一輝はやはり違和感を覚える。


(本当に人間なのか?)


 どう見ても外国人なのに、流暢な日本語はまるで映画の吹き替えだ。スクリーンやテレビなら問題ないが、現実での違和感は大きい。そんな人間がいるはずがない。


 つまり、彼女からはとことん現実味が感じられなかったのだ。


「宇宙……私たちがいる場所でさえ、宇宙から見たらほんの小さなものなのですね」


 陳腐な台詞も、彼女が喋ると随分と様になる。何よりわざとらしさがない。彼女はきっと本心で話しているのだろう。


「ええまあ……そんな所です」

「だったら間違いないです。今、私を探してくれる人がいます。もし、この宇宙に私たちの世界が並んでいたら、きっと私の声も届く。そう信じているのです」

「探す……その人って、やっぱり宇宙人?」

「かもしれませんね」


 そう言って彼女はニコリと笑った。細やかな一挙一動にさえ華がある。言ってる事の全てを理解するのは困難だが、少なくとも一輝には彼女が「嘘を吐いていない」という事だけは分かっていた。


「それに……聞いた事があります。私たちの遠い祖先は、巨大な船に乗って旅を続け、その末に広大な緑の世界『ファンタスティック・ファンタジー』に着いたと」


 突然固有名詞が飛び出し、一輝は目を丸くさせた。学友からも話題に上がる、先日発売されるやいなや、瞬く間にヒットを飛ばした人気RPGのタイトルだった。


「何だかゲームみたいな話ですね……」

「ゲーム……そうですよ! 私きっと、ゲームの世界から来たんですよ!」


 彼女は急に目を光らせると、一輝の両手を握り締めた。言っている事はムチャクチャだが、それよりも彼女に両手を握られ、一輝は照れと違和感を同時に抱いた。


(これは……生身なのか?)


 まるで滑らかなプラスチックを触っている様だった。見た目は人間なのに、彼女の質感はまるで無機物の様に冷たく感じる。人の暖かみ、柔らかさといった触感と真逆のものだ。


 そして、一輝はようやく喋る彼女を真正面から捉えた。口の動きと声が合っていない。声に合わせて口が適当に動いているだけで、はた目には腹話術の様だが、違いがあるとすれば人形が無い事だろう。


(人形……まるで動くフィギュアか、人間そっくりのCGのような……)


 嫌な考えが浮かんだ直後、奇しくも違う形で一輝に衝撃が襲った。


「おうおう、見せ付けてくれるじゃねえか」


 男の声に振り向くと、そこには鈍色の鎧に身を包んだ武骨な男がいた。そして奥の林からも、似たような男たちが次々と姿を現す。


 そして彼らもまた、外国人の風貌でありながら、流暢な日本語を披露していた。


■■■■■□□□□□


「ちょっと町から外れたら、こんな山奥で美女に会えるとはな」


 素性が分からないとはいえ、彼らもイターシャと同じ空気を放っている。ただ一つハッキリと分かっているのは、不躾な態度に横柄な言葉、彼らが絵に描いた様な『悪党』という事である。


「こ……この人たちは?」

「どこぞの荒くれ者ですね、見れば山賊か兵隊崩れか……おそらく私と同じ世界から来たのでしょう」


 意外にも、彼女は物怖じ付かず、堂々と男たちを見据えて言い放った。心なしか、彼女が少し殺気立っている気がする。この一週間では見せなかった彼女の強気な態度、静かな怒りが感じ取れる。


「その立ち振舞い……さては、お前もあの世界から抜け出してきたみたいだな。だったら仲間同士、俺たちと一緒に来ないか?」

「ご厚意は感謝しますが、私は人を待っています。あなた方とは行けません」

「気丈だな。大方世間知らずな良家の娘か、もしや誇り高き王族か……何にせよ上玉には違いなさそうだな」


 口調の強さが彼女の決意を示していた。男たちは武器を構え、じりじりと距離を詰める。


「あんな大勢の悪漢……逃げましょうよ!」

「私は逃げません。しかし一輝さん、あなたは逃げてください」

「イタさんは? まさかあいつらと戦う気ですか!?」

「せめてものお礼です。あなた方の生活は、私の命に代えてでも守ってみせます」


 彼女が両手を構えると、急に強い風が吹いてきた。風はイターシャの長髪をかきあげ、人間とは思えない鋭く長い耳を曝け出す。


「その耳……まさかエルフか!?」


 男たちが目の色を変えると、武器と盾を握り直す。高圧的で緩慢な立ち回りから、攻防を想定した実戦的な構えへと変わる。彼らは彼女の素性を聞くなり、明らかに戦慄している。


「私なら絶対に負けません。早く家に隠れてください」

「イタさん! そんな……」

「一輝さん、本当にお世話になりました」


 そして彼女が男たちに手を向けると、風は一層激しくなり、鋭い風切り音をたてて、次々と男たちを吹き飛ばしていった。


■■■■■□□□□□


 イターシャが戦闘を始めた途端、一輝はすぐ玄関に駆け込み、扉の鍵を閉めた。恐怖と悔しさが頭の中をぐるぐると周り、自然と涙が溢れてくる。


(あいつら何だよ! 一体何が起きてるんだよ!)


 何もできない無力感。武器を持った集団を前に、彼女の言われるがままに自分は逃げ出した。戦う術を持たない自分は、あの場にいた所で無駄死にするだけ、その判断と行動は間違っていなかったはずだ。


(分かってる、俺はヒーローでも何でもない! 女一人助けられない、非力な若者だよ!)


 不意に携帯電話が鳴り、一輝はすがりつくように携帯の着信相手を見る。町にいる友人だった。


「もしもし? やっと繋がったか。カズー、お前んち大丈夫か!?」

「大丈夫って、どういう事だよ?」

「どういうって……ああテレビもパソコンも壊れてたっけ、とにかく『ファンタジー』だよ! ロープレ(RPGの略称)みてーな連中が町中にワラワラいんの! オレのアパートも壊されて……とにかくお前んちに入れてくれよ!」

「ファンタジー……ロープレみたいな連中?」


 一輝は窓から外を見た。イターシャに近寄ろうとする男たちが次々と吹き飛ばされ、あるいは全身から血しぶきを上げて倒れていく。彼女の手には何もない、超能力か神通力か、まさにファンタジーとしか言い様が無い。


 そして彼女が先ほど言った『ファンタスティック・ファンタジー』という単語が、彼らがどこから現れたのかを自然と結び付けていた。


「おい、カズー?」

「目の前にいるよファンタジー……はは、まいったな……」

「目の前? どういう事だ!?」

「悪いな。うちはもう手遅れみてえだ。絶対来るなよ」

「手遅れ? どういう事だよカズー?」


 一輝は一方的に通話を切ると窓の外を見た。改めて状況を整理するとゲームキャラがゲームキャラと交戦中で、今は大勢の男が一人の女性を取り囲んでいる。


 彼女が負けたらどうなるのか。あれだけ仲間を苦しめたのだ、男たちはただでは済まさないだろう。年頃の若者らしく、安易で低俗な展開が頭をよぎった。


(いいのかよ、このままで……!)


 しばらくして一輝の中に怒りが芽生える。それは彼女一人に大勢で攻め入る、卑劣なる男たちへの怒り。そんな彼女が、自分を戦力として認めてくれなかった事への怒り。そして何より、彼女の言葉に甘んじて、戦場を易々と放棄した自分への怒りだった。


(何がファンタジーだ! 好きな女一人守れないで、どんな男になれるってんだよ!)


 一輝は走りだした。勢いに全てを委ね、若さ故の暴走に身を焦がす様に。


■■■■■□□□□□


「森の番人エルフ、生粋の戦闘部族とは聞いていたが、まさかここまでとはな」


 男は周囲を見渡した。仲間たちは鋭い突風で頸動脈を斬られ、あるいは強風で地面や木に叩きつけられ昏倒していた。魔法使いはどんな相手にせよ面倒なものだが、彼女は明らかに格が違った。


「だが知ってるぞ、精霊魔法ってのはえらく体力を使うらしいじゃないか。せっかくの美人が台無しだぜ?」


 男の指摘通り、イターシャは息も切れ切れに、体中の生気が抜け切ったかの様に疲れた顔付きになっていた。心なしか、歳までとった様にも見える。


(知られている……私の能力の限界……)


 エルフの精霊魔法はいわば奥の手だ。自然の力を借りる代償として、肉体から抽出したエネルギーを差し出す。要するに命を削って発動するのだ。


 よって長い歴史の中でエルフの寿命は少しずつ伸ばされ、魔法に頼らないよう肉体も強化され、あらゆる戦闘技術も磨かれてきた。しかし個数の少なさゆえに、人間や魔族との争いには加わらなかった。言い換えれば実戦経験に乏しいとも取れる。


(相手はあと三から四人……もう少し!)


 イターシャはエルフの中では体が病弱で、戦闘経験も皆無に等しい。先祖から受け継がれてきた知恵と経験だけで凌いではいるが、敵を全て追い払った所で、自分も決して生き残る事はないだろう。


 だが、それでも覚悟をせざるを得なかった。


「風の……精霊よ! 我が身を捧げます、だから……」


 精霊に語り掛けようとした時、男が一人飛び掛かって来た。距離が近過ぎる、もはや回避も間に合わない。振り下ろされる斧を前に、イターシャは歯を食い縛った。


「ぐえっ!」


 予想外の出来事が起きた。男の顔に掃除用デッキブラシが当たっている。ナイロン製の剛毛に勢い良く顔面を叩きつけた男は、斧を手放し後方に倒れた。


「だから死ぬって? そりゃ無いですよイタさん」


 イターシャが振り向くと、体中に農具や工具、刃物などをくくりつけ、防災用ヘルメットを被った一輝が立っていた。


「一輝さん!」

「あいにく、俺は盾になる事しか出来ません。なんなら俺ごと風で吹き飛ばしていいぐらいです」

「何を馬鹿な事を……」

「『馬鹿は死ななきゃ治らない』。悪いですけど、馬鹿は言う事を聞けないんですよ!」


 一輝は背中からスキを取り出すと、雄叫びを上げながら男たちへ突進した。


「ぐあっ!」


 予想通り、一輝は男たちに吹っ飛ばされていた。いくら武器を持った所で、連中とは体の鍛え方も武器の使い方も違う。突き出したスキはあっさり避けられ、振り下ろしたクワはそのまま相手に奪われてしまった。


「農民風情が、戦士に勝てると思っているのか!?」


 倒れた所に横っ腹を思い切り蹴られ、一輝は呻き声を上げた。さっき食べた夕食が胃を逆流し、痛みと酸味で気が遠くなりそうになる。


「一輝さん、あなたでは勝てません! 逃げてください!」

「そ……そんな惨めな事、大声で言わないでくださいよ」


 一輝はフラフラと立ち上がる。男は半ば侮辱する様に、ニヤニヤと笑いながら一輝を見据える。


「それにご心配なく。農大生は……頑丈に出来てるんですから」

「しかしこれじゃ……」

「少しは……カッコつけさせてくださいよ。久々なんです……好きな人が出来たの」


 一輝は足元に落ちている角材を抱えると、男たちを睨み付けた。


「さっきから恥ずかしい男だな。女の前で格好付ける余裕があんのか?」

「余裕じゃねえ……理屈じゃねえ!」


 一輝は落とした角材を両腕でしっかりと抱き締める。出来る事は力の限り振り回すのみ。倒せなくても構わない、イターシャが相手の迎撃に専念出来る様に、自分は弾除けにさえなれれば良いのだ。


(とにかく、当てさえすれば……!)


 愛と勇気が身体中を駆け抜け、エンジンが暖まる様に一輝の命と魂を燃やす。そしてイターシャの顔を今一度見ると、一輝はどうにか笑ってみせた。


「イターシャさん、好きです」


 それだけ言うと一輝は腹の底から声を出し、角材を持って走りだした。イターシャは慌てて止めようとしたが、魔力を使い過ぎて風をうまく操れない。


(ダメ! このままじゃ一輝さんが無駄死にに!)


 イターシャは、一輝が落としていった包丁を拾い上げると、一輝に続く形で突進する。


(せめて、ありったけの一撃を!)


 一輝が角材を大きく振りかぶった瞬間、閃光に視界が覆われる。バイクのテールランプみたいな青い光が男たちを次々と貫き、そして角材までを一撃でもぎ取った。あまりの衝撃に一輝はその場に立ち尽くす。


「イターシャの傍で戦う様に見えた。お前は敵か? 味方か?」


 見上げると、マントをなびかせた美男子が、こちらを見下ろしていた。


■■■■■□□□□□


「一輝さん!」


 走ってきたイターシャは包丁を放り投げると、一輝の頬に思い切り平手打ちをした。見ると彼女は涙を流している。


「い……イタさん?」

「無謀です! 何がカッコつけですか。死んだらそれまでです!」

「それは……」

「じゃあイターシャ、君は死んでも良かったのか?」


 懐かしい声がする。イターシャが顔を上げると、そこには最愛の人がいた。


「ワロス……ワロスなの?」

「やっと会えたね」


 絵に書いた様な美男美女、二人が並ぶと、一輝は海外のアニメ映画を思い出していた。まるでおとぎの国の王子様とお姫様。現実味のない完成された二人こそ、誰も入り込む隙が無いベストカップルに見えた。


 彼女の溢れる涙を隠すように、男はマントを颯爽と翻し、優しく抱き締める。それがドラマのワンシーンみたいに様になる、嫉妬も悔しさも湧かない不思議な光景だった。


(そうか……これで良かったんだ……)


 一輝の短い春が終わった。釣り合うとか釣り合わないとか、人間や人間じゃないとか、そんなものは最初から問題では無かった。彼女には初めから決められた相手がいたのだ。


 男の顔を見る。やや目付きが鋭いが、肌荒れ一つなく凛とした美男子だ。体付きも屈強で、集団相手に魔法で一蹴。勝てる要素なんて一つもない。完敗だった。


(分かってる……分かってるのに!)


 それでも、一輝の目からは涙が止まらない。目を剃らそうとして、正面すら満足に見れない。もうすぐ彼女と別れの時が来る。それが今の自分には到底堪え切れるものではない。二人を置いて、一輝はそっと離れようとした。


「一輝さん」

「はいい!?」


 顔を上げると、いつの間にかイターシャが目の前にいた。


「今までお世話になりました。両親の方には申し訳ありませんが……」

「あ、ああ……気にしなくて良いですよ。オレが言っときますから……」

「本当にご迷惑おかけしました。それと……」


 イターシャは不意に耳元で囁いた。


「これはさっきのお礼です」


 イターシャの唇がそっと、一輝の頬に触れた。一輝は一瞬、自分の身に何が起きたか理解出来ず、混乱したままイターシャに別れを告げる。


「世話になったな」


 男がそう告げると、二人は手を繋いでそのまま空へと飛びあがる。


(あーあ……)


 一輝は頬を触りながら、ずっと夜空を見上げていた。


(こんなの、忘れられるわけがないよな……)


 二人のファンタジーが飛び去って行った、星が瞬く広大な空を。

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