32章 『戦争』 VS Mode

 聖剣が完成したその日、巨大な飛行物体がオルエルド帝国の頭上を覆った。すかさず機人きじんたちが飛び出し、その正体と所属を確認する。


「目標ヲ捉エマシタ。メインモニター二映シマス」


 機人に搭載されたカメラが次々と未確認飛行物体を捉え、その全体像を『帝王』の部屋へ送り込む。壁一面に設置されたモニターには巨大戦艦と、その艦首に見える一人の男を映し出した。


(兄さん……やはり来たか)


 向こうもこちらに気付いているのか、小さく映った『魔王』は、機人に向かって軽く手を振った。


「何が起きている? あれもこの国の乗り物なのか?」

「あれは旧世界の戦艦だな。あんな骨董品、さすがにこの国にゃねえよ」


 窓からドイと金王が戦艦を見上げる。二人には彼らがまだ何者か分からない。ただ不穏な空気に自然と緊張感に包まれる。


 帝王と魔王が合間見え、すぐにでも戦闘が始まるかと思ったが、両者は睨み合いを続けながら停滞状態に入る。そして機人を通したやり取りが数回行われると、魔王と帝王の直接対談が運ばれる事となった。


「何を企んでるのやら……剣は没収されてしまったし」


 ゴウト一行は『浄化じょうかの剣』を取り上げられ、近くの宿屋に待機を命じられる。金王とドイも姿を消し、残されたシバと共に困惑するのであった。


「ドイがいないと船で帰れねーし……部外者らしく事を見守れってか」

「しかし帝王も慎重だな。飛行船が来たときも、いきなり攻撃するかと思ってたが」


 乱暴な話ではあるが、敵と分かっているなら先制攻撃ほど有効手段は無い。相手とて攻撃の手順や準備もある、それらを一方的に潰す機会を帝王はあえて見送った。


「ヘタに仕掛けたくないんだろう。ホームグラウンドだから負けはしないだろうが、無闇に国土を傷つけたくはない」

「まぁ、あのデカいのがどれほどの脅威か分からんが……中には魔族がぎっしり詰まってるんだろうな」

「他人事じゃないぞ。いざ戦争が始まったらワシらはどうなる?」

「起きるだろうよ。どういう構図になるか分からないが、聖剣を突き付けられて、何も起きないはずがない」


 メラはふと窓に目を向けると、『審判しんぱんの剣』が視界に映った。巨大な剣はまるで、領域を犯す戦艦を睨みつけているようだった。


■■■■■□□□□□


『審判の剣』の一室にて。真っ白な室内には丸い机と椅子だけが並べられ、窓一つないその部屋は、まるで時間が止まった様な錯覚さえ覚える。


 そこには魔王と、羽を生やした配下の魔族、次に帝王と金王、そして『越境の水鏡』を持ったドイの姿があった。


「久しぶりだね兄さん。隣の魔族は?」

「護衛だ、素早さと用心深さに長けている。妙な動きはしない事だな」


 そう言って魔王は、部下の魔族、翼人鬼ガーゴイルのウェブタクに目をやった。


 ガーゴイルとは翼の生えた生物であり、人並みの器用さと知能を持つ。外見にさえ目をつぶれば人間に近い種族ではあるが、その戦闘能力と残忍さは並の人間が及ぶ所ではない。また戦闘において敵を威嚇するように強張る表情から「鬼」と呼ばれた。


(人間どもめ……しかしあの男、俺を『魔物』じゃなく『魔族』と呼んだな……)


 人は、いかに自分に姿形が似た生物であっても、醜悪な人相や桁外れの力を持つ者を全て、決して人間の倫理や道徳とは交わらない『魔』に属する怪物『魔物』と名付け、一方的に敵対した。


 それに反感を覚えた彼らは、自らを『魔』に属し、身勝手な人間と対等に戦い抜く一族、『魔族』と名乗るようになる。


 よって、自分を『魔族』と呼んだ帝王に対し、ウェブタクは少しばかり敬意を覚えた。


「これで全員か?」

「もう一人いる。ドイ殿」


 言われてドイは『越境の水鏡』を開く。揺れる水面からファスト国王の顔が現れると、魔王はあからさまに怪訝な顔を浮かべた。


「あんたか。こんな所にまで出てくるとはな」

「顔は正直だな。そんなに私が嫌いかね?」

「白々しい……」

「おっと、まだ椅子にも座らない内に、そう熱くなられては困る」


 バロスが冷静に二人を諫めると、改めて自己紹介を始めた。


「私は帝王バロス。隣にいるのは補佐役の金王だ」

「私はテラワロス。一人じゃ心細くてな、部下を一人連れて来た」

「私はファスト六世。さすがに国を空けるわけにはいかなくてな、部下のドイを通して参加しておる」


 人の王、魔族の王、辺境の地の機械の王が向き合う。そして誰一人威厳に呑まれる事無く、各々が堂々とした面構えで臨んでいた。


「これで全員だ、さあ始めよう」


■■■■■□□□□□


 対談が始まり、真っ先に口を開いたのは魔王だった。


「まずは聞きたい。そこに何故ファスト国王がいる? オルエルドとはどういう関係だ?」


 それに答えたのはファスト国王ではなく、帝王バロスだった。


「我が国はオルエルドと同盟を結んだ。聖剣を修復し、ここに預かってもらっている」

「聖剣? あの巨大な剣が、この部屋に?」


 使者を送っていた以上、聖剣の完成は知っている。しかし魔王が知る聖剣は、到底隠し通せる様な質量ではない。


 そんな魔王の言葉に、バロスは腰にかけていた『浄化の剣』を取り、剣を鞘から抜いた。異様に短く、角ばった刀身に一同は愕然とする。


「まさか、この奇妙な剣が聖剣だと?」

「見てくれこそ小型化したが、本物かどうかは分かるな?」


 言われて魔王は剣を睨んだ。確かに見た目は奇妙だが。刀身から発せられる底知れぬ力強さと得体の知れない威圧感に、思わず目が見開く。『魔王』として過ごす日々で幾度か宝剣や名刀を目にしたものだが、それらと同等かそれ以上の迫力を感じる。


(間違いない。そう思わせる説得力がある)


 魔王はふと部下の様子を見た。『隙があればいつでも聖剣を奪え』と伝えてはいるが、彼も聖剣のただならぬ雰囲気を察してか、下手に動こうとはしなかった。


「テラワロス。お前の目当てはこの剣なのだろう?」


 ファスト国王が念を入れるように尋ねた。


「……ああ。実物を見るまで疑っていたが、こいつなら確実に邪神を倒せる」

「それだ。その邪神復活を止めてくれないか。第一本当にそいつで制御出来ると思っているのか?」

「おいおい、そういう泣き言は、もっと腰を低くして言うもんだろ? やろうと思えば俺は……」


 魔王が言い掛けた所で、剣に手をかけるドイと、懐の拳銃に手をかける金王に気付く。彼らとて魔王を討ち取る絶好の機会なのだろう。聖剣を狙う魔王と対になる態勢は、この場の緊張感を引き立てていた。


「やれやれ、冗談も通じないな」


 いかに魔王と言えどこの場では多勢に無勢。ましてや相手はそこらの冒険者とは格が違う。テラワロスは談笑と共に、大袈裟に両手を上げてみせた。


■■■■■□□□□□


 一同はしばしの沈黙を挟むと、改めてファスト国王が切り出した。


「邪神に頼りたくなるほど、兵力が低下して焦っているのは分かる。聞けば連戦に次ぐ連戦で魔王軍は勢いを失ったからな」

「連戦……貴様、どこまで知っている?」

「どこまでかは知らぬが聞けば最近、勇者による魔王討伐が盛んらしいじゃないか。まあ魔王たる者、敵は多い様だが」


 ファスト国王が呼び掛けた『魔王討伐』は、自称「勇者」こと大勢の暗殺者たちが、不規則に現れては魔王軍に襲撃をかけるというものであった。倒せる見込みの無い相手でも高額の賞金に惹かれる戦士は多く、彼らの攻撃は魔王を撃破できずとも魔王軍の消耗には一定の成果を出していた。


 しかし、その手法は金をちらつかせ、自軍を全く動かさないものである。それをさも他人事の様に、顔色一つ代えずに話す国王を見て魔王は心底苛立ちを覚えた。


「……分かっているなら、早く剣をよこせ。代わりにお前らの国は潰さないでやる」

「もう邪神を呼んだつもりか、つくづく子供じみた男だな。やってもいない事は恫喝にもならんぞ?」

「だが、そうまで言うなら協力出来ない事もない。兄さん……」


 一息吐いて、バロスは続けた。


「邪神なんか当てにしないで、私と組め」


 その言葉に、場が凍り付く。魔王は慎重に応えた。


「本気か?」

「兄貴が率いる魔族に、私の所有する機人。ついでにファスト国の魔導資産が加われば、こんな世界すぐにでも統一出来るだろう」


 その言葉に耐え切れず、寡黙を守っていた魔王の部下が、席を立ち上がり叫んだ。


「ふざけるな! 魔王様、もうこんな話し合いは不要です。魔族が人間と共闘するなど!」

「お前、俺が人間と魔族の混血児ハーフと分かって、そう言うのか?」

「それは……」


 魔王の口調が変わると、部下の魔物は萎縮してしまい、静かに席に座った。


「初耳だな」


 ファスト国王が素直に言った。


「言ってなかったか。父は人間、母は淫魔……私たち二人には魔族の血が流れている」

「なるほど。まさかその魔族が一国の王になっていたとはな……」

「この国じゃ、誰が王になったって不思議じゃないさ」


 そう言って帝王はふと、機械にまみれて不自然なまでに巨大化した自分の体を見た。自分が王にまで上り詰めた時、自分の体はとうに人間とも魔族とも呼べるものではなくなっていた。


「……じゃあ、何故ハーフの、いわば人間とも言えるお前が『魔王』なんて名乗るのだ?」

「今は関係ないだろ」

「聞かせろよ。私たちはしょせん見ず知らずの他人に過ぎない。ならば信頼を勝ち取って、円満に話し合いをするべきだとは思わないか?」

(何が信頼だ、猜疑心の塊の様な男が……)


 ニヤニヤと笑うファスト国王を見て、魔王は諦めにも似た溜め息を吐いた。


「いいだろう。ほんの少しだけ話してやる」


■■■■■□□□□□


 母は淫魔サキュバスと呼ばれる、魔族の中でも希少にして、人間にとっても恐れられる強大な種族だった。生まれながらにして絶大なる美貌と強靭な精神力を持ち、どんな男も瞬く間に魅了し、支配下にする。それが母だった。


「そんな母なら、兄弟なんかそこらにゴロゴロいそうだな」


 ファスト国王の軽口に、バロスが強く睨み付ける。


「母は気高い人だった。父に会うまで、誰にも心を許さなかったのだから」


 一方、父はとある国の兵士長だった。母は敵対する国家に暗殺者として雇われ、人間の女を装い国に侵入した。そこで父と知り合い親しくなる事で、目標となる国王への距離を詰めていく。


「人間が魔族の力を借りる……珍しい話ではないな」


 父は剣の腕もさながら、人望にも厚い国の英雄でもあった。当初は父を懐柔し、国王への謀反をけしかけようとしたが、いつしか二人は惹かれ合っていた。母は任務を、父は国を捨てて、遠い地へ逃げる事を決意する。


「淫魔が本気で恋に落ちたのか? 人を魅了し、他人を騙しても自身は絶対に騙されない、感情操作の達人が?」

「父は寡黙で真っ直ぐな男だった。俺には分からなかったが、母には唯一無二の人だったのだろう。任務を放棄して、二国を敵に回した程の相手だった」


 淫魔はその能力ゆえ、伴侶や恋人に出来ない相手はいないが、それゆえに自身の理想は計り知れない程に高くなる。子孫を残す為に相手を妥協する者も多い中、母は間違いなく理想の相手と出会う事が出来た。


 そんな二人が逃げ込んだのは、当時から人間側にも魔族側にも付かない、中立の立場を貫いていたエルフの里だった。二人は長に懇願し、どうにかその地に暮らす事を許された。そこで俺たち兄弟を産み、平穏な日々を過ごしていた。


「あの『人魔統一戦じんまとういつせん』が始まるまではな……」


『人魔統一戦』。それは「人間以外」の種族である魔族が、自身の生き残りと尊厳をかけて、人間相手に仕掛けた長期間に渡る戦争を指す。


 当初は小規模なもので、人間にしてみれば気に掛ける程度ではなかったが、やがて勢力が増し、攻め落とされる村が続出する。そして一国が破られた事により、人間側は国家同士結託して、魔族を迎え撃つ事を決意する。


 戦いはやがて大規模なものへと発展し、とうとう種族の決着を付けられる程の総力戦が開始された。


 その結果、人間側が完全勝利を収め、魔族は勢力のさらなる縮小を強いられた。後に人間たちはこの戦いを人間と魔族の雌雄を決する聖戦と記し、「正義の人間」と「悪の魔族」という構図に仕立て、後世に広めた。


「そうだ。『人魔』の言葉が指す様に、人は魔族の上に立つ者。元々敵では無かったのだ」


 何の負い目もためらいもなく、鼻息荒く語るファスト国王に、兄弟はあからさまに不快な表情を浮かべる。


「そして、両陣営の戦いはエルフの里をも巻き込んだ。父と母は、里や俺たちを守るために戦いに出向き死んだ。最後は人間の手によって殺された」

「なるほど……それで兄は魔王に、弟は帝王か。目的は人間への復讐か?」


 兄弟は『復讐』という言葉に押し黙った。しばらくして魔王が話し出す。


「復讐か……まったく無かったと言えば嘘になるが、別に人間を恨んだつもりはない」

「だが、二人とも権力の座に着いたではないか。戦うつもり……いや、現に戦ってきたんだろ? 人間と」

「違う。俺は人間と戦う為に『魔王』になったんじゃない。俺は……」


 魔王は知らず知らず、両手で拳を作っていた。思い返せば部下の顔が、自分を『魔王』と呼び慕ってくれた、屈強で誇り高い魔族たちの姿が浮かぶ。今も付き添ってくれる者、そして戦いの中で散っていった者、全員が魔王へ親愛と尊敬の眼差しを送っていた。


 一介の流れ者に過ぎなかった魔剣士ワロス。彼は戦いの中でたまたま人を斬り、たまたま魔族を助けた。そんな魔族を敵としない彼を、魔族は味方だと認識した。


 そんなささやかなきっかけを日切に、彼は数々の仲間に巡り合い、やがて彼を中心とした一大勢力を築き上げる。


 そして、いつの日か彼には夢が生まれた。


「そうだ。俺は魔族を導く為に『魔王』になった」


 戦争に負け、失墜した魔族たちを再び世に照らしだす。それこそが魔族の王となった、彼の使命だった。


「魔族を導く為に魔王になった? あははははは!」


 急に笑いだしたファスト国王に、魔王は反射的に剣を向けた。相手がこの場にいない幻影と分かっていても、そうしなければ気が済まなかった。


「人の生き様を笑ったな? 何がおかしい?」

「笑わせるんじゃない。お前が人間を憎み、魔王になったのは見え見えなんだよ」

「何だと? 貴様に何が分かる!」

「『テラワロス』って名前……自分で付けたんだろ? 弟がバロスなら、兄貴のお前はそう……ワロスだ。兄弟らしく似た語感で名付けられた、違うか?」

「……だったら何だ?」

「なら単純だ。テラは古代言語で『恐怖』を指す。直訳すれば『恐怖のワロス』……こいつぁ誰にとっての恐怖なんだろうなぁ?」

「貴様!」


 笑い続けるファスト国王に対し、魔王は歯を食い縛り、ありったけの殺意を込めて睨んだ。もしこの場にいれば、迷わず剣で斬り付けていただろう。


 あの男は重要な話し合いの中で、唯一生身を晒していない。一触即発も考えられるこの空間で、自分だけが安全地帯にいる事。そしてそれを知ってか、何の配慮もなく思った事を次々と言う。そんな横柄な態度に魔王はただただ苛立ちを覚えていた。


「……大分話が逸れたな。だが兄さん、どうやら考えはほぼ一緒の様で安心したよ」


 やっとの思いで、帝王が口を開く。


「俺も、人間と魔族の平等な社会を目指し、その一歩としてこの国の王となれた。あんな理不尽な戦争を起こすぐらいなら、俺たちが上に立って世界を制御するべきだ」

「世界を制御だと?」

「そうさ。人間の脆さと魔族の強さ、そのどちらも俺たち兄弟は知っている。うってつけだと思わないか? それに……」


 帝王は国王の方を見た。


「相変わらず人間は傲慢で、信用に足らないと分かったからな」


 その視線は冷たく、信頼の欠片もないものだった。


(やはり兄弟は駄目だな。離れて生きた所で、根本が似ていやがる……)


 兄弟に睨まれた国王は、眉一つ変える事のない不敵な笑みを浮かべる。それは何の策も後ろ盾もない、いわば虚勢である。


 そんな虚勢も、兄弟の前には見え透いた、ただの強がりにしか見えない。ゆえにこの場においても特別な意味を成してはいない。しかしこれは策略でも何でもない、国王自身の強い意志の現れだった。


(やってやる。何事も躊躇なくやり抜く、それもまた『王道』だ)


 国王はなるべく水鏡から顔を離さず、ぎこちない動きで腕だけを伸ばした。兄弟は話に夢中になってか、既に国王の事は眼中に無い様だ。


 あと一歩、国王がそう身構えた瞬間だった。


「王様、何やら落ち着かない様子だが?」


 不意に金王に声を掛けられ、国王は少し動きを止める。急な対応だが、国王は慎重に切り返した。


「……尻が痒いんだ。万年椅子の上で過ごすからな、ちょっとした職業病だよ」

「おいおい、ちゃんと体は洗っているか?」

「失礼な……っと!」


 国王は一瞬水鏡から顔を離す。その様子に金王は懐の拳銃に手をかけたが、すぐに顔を戻した国王を見て、そっと銃を戻した。


「すまんな、もう大丈夫だ」


 国王が愛想笑いをすると、場はまた兄弟の話し合いに戻った。


「……俺は魔族と結託した。人間を敵に回したんだぞ?」

「俺だって世界を敵に回した。配下も機人を中心に、人間はほとんどいない」

「だが、お前は国王と同盟を組んだだろ?」

「聖剣は手中にある。この場にいない男の口約束など、誰が守る?」


 その言葉に、ドイがすかさず声を上げた。


「貴様、我が国を裏切るつもりか!?」

「裏切る? 私はオルエルド帝国の王だ。他人に指図される筋合いはない」

(何だこれは?)


 最初に違和感に気付いたのは金王だった。理由は簡単で、自国の事なのにファスト国王は何も言いださず、ただニヤニヤと笑っている。


 兄弟とドイは目もくれていない。魔物は魔王に一喝されてから、ただただ沈黙を貫いている。誰もこの異変に気付いていない。


(さっきまでお喋りだった男が……!?)


 その時、金王は見た。国王が何かを引き抜く動きを。そしてこの場にいないはずの人間に対し、金王は反射的に拳銃を取り出していた。


 その直後、この世の者と思えないおぞましい絶叫が、室内に響き渡った。


■■■■■□□□□□


(何だこれは……超音波……?)


 いくら映像だけの相手とはいえ、金王はファスト国王を十分警戒していたつもりだった。しかし彼は攻撃の正体も分からないまま、金切り声の前に命を散らした。


「魔王様!」


 その場にいた中で、魔王の部下が一番早く動けた。死を招く絶叫を僅かに感知した際、それが耳に届くより先に、彼は魔王の耳を両手で塞いだ。


「ウェブタク!?」

「魔王様! このまま……」


 閉ざされた耳の向こうから、微かに音が聞こえる。それは男とも女とも思えない、ゾッとする様な金切り声だった。


(死に至る絶叫……まさか!?)


 周りを見ると、金王とドイが倒れている。部下ウェブタクも立ったまま絶命し、無事なのは帝王と水面に映る国王だけだ。見れば国王は、いつの間にか植木鉢と、気色の悪い人面植物を手にしていた。


(『マンドラゴラ』! 無差別殺人兵器を、暗殺に使いやがった!)


 一方で、バロスは何が起きたのか瞬時に把握出来なかった。少し遅れて、自分の頭に付いている防護ガラスが音を弱めて、どうにか直撃を免れたと推測した。


(音波兵器? 発信源はあれか!)


 銃を取り出すと、机の上に置かれた『越境の水鏡』を目がけて何度も撃つ。弾丸が数発命中した後、箱は煙を上げて沈黙した。


「兄さん無事か!?」


 しばしの沈黙の後、魔王は静かに口を開く。


「……なるほどな。部下まで犠牲にして、手の込んだ真似を」

「……何の事だ?」


 魔王は自分の両耳を塞いでいた、魔族の両手をそっと外す。直後に魔族は消滅し、幾分かの金貨や紙幣に身を変えた。


「古代兵器『マンドラゴラ』。人の形をした植物を鉢から抜くと、おぞましい絶叫を上げ、声を聞いた者の命を奪う。防音対策をしたお前たち二人を除いて……」

「なっ!?」


 帝王は無表情から、微かに眉を動かした。感覚の無い顔はほとんど動かす事が出来ない。それほどまでに帝王は動揺していた。


「違う! あれはファスト国王が……」

「同盟は継続していた。お前の答えはよく分かった。残念だよ」


 魔王は腰の剣を引き抜いた。


■■■■■□□□□□


(さすがに二人とも始末は出来なかったか)


 ファスト国王は波紋一つ立てず、何も映し出さない『越境の水鏡』を閉じる。そしてマンドラゴラを植木鉢に戻し、箱の中へ厳重にしまうと、ようやく耳栓を外した。


(通信には若干時間差が生じる。その僅かな音のずれで、あの魔物はマンドラゴラを感知した……とでも考えるべきか)


 急ごしらえとは言え、それなりの算段を持って望んだ魔王と帝王の抹殺は失敗に終わった。しかし国王は勝ち誇った笑みを浮かべる。


(二人とも生き残ってくれるとはな、それも悪くない。後は血の気の多い魔王が、好き勝手にやってくれるだろう)


 国王の目論見通り、オルエルドでは新たな火種が生まれようとしていた。


 後悔という言葉がある様に、人は過ちを犯す生き物である。何かを迫られた時、その場の感情に流され、それを考えるよりも先に実行してしまう。


(やっちまった。いつも通りに……)


 弟バロスを肩から袈裟斬りし、マントを切り裂き機械の体を暴いても、兄ワロスは剣を鞘に収めなかった。結局兄弟の絆よりも、長きに渡る魔王としての戦いの日々が、弟を問いただすよりも先に兄に剣を取らせていた。


 そして後悔は戦場において隙を生み、命取りになる。だからワロスは無意識の内に、闘志で後悔を必死に押さえ込んでいた。


「兄さん……本気か?」

「さすがは機械の体、頑丈だな」


 思ってもいない言葉がスラスラと出る。


(違う、俺はこんな事を言いたいんじゃない。「早とちりだった」、そう言って謝らなければならないのに!)


 頭と体が別々に動き続ける。命令内容は「疑わしき者は斬るべし」。『魔王』の熟練した戦闘経験は、既に彼を臨戦体制へと固定させていた。


「継ぎ目が見えたぞ。次は突き刺す」


 自分自身でしか止められないと言うのに、魔王の体は自然に必殺剣の構えを取る。絶対不可避にして、確実な死を与える、無情の剣が振り下ろされようとしていた。だが……。


「兄さん、俺も残念だ」

「ようやくやる気になったか」

「ああ。強敵には違いないが……」


 帝王は片腕を前に突き出すと、もう片手で何かの操作を始める。


「侵略者は、全力で排除する」


 室内を警報が鳴り響く。無抵抗だった帝王が音を立てて変形していくのを、魔王はどこか安堵を覚えながら見守った。

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