19章 『抗戦』 Midnight Resistance
魔王軍がエルフの里に攻めてくる。思いもしなかった、まさか俺が里に侵入者を招き入れるなんて。普段なら絶対にやらないはずのミスが、どうして今日に限って……。
「何ボーッと立ってんだ! お前も早く武器を持て!」
「あ、はい!」
言われるままに、俺は背中にある弓を手にかざす。が、そこには何も無かった。
(弓……もしかして宿屋か!?)
慌てて出たあの時、荷物に気を取られるあまり、俺は一番大事な物を置き去りにしてしまった。ゲームの中でも、忘れ物というのは無くならないらしい。
時に、エルフの武器は木を削り取ったり、石を加工したりと原始的な物が多い。構造は簡素なものの殺傷力は十分にあり、何よりそれらを使いこなせるしなやかな筋力と器用さを彼らは持っている。
そして、武器を手作りするとあってか彼らの思い入れは人一倍強い。武器に名前を付け衣食住を共にし、家族や恋人以上に信頼関係を築く者もいる程だ。愛用の武器をなくした俺も例外ではなく、戦う前から戦意を削がれていた。
(……仕方ねえ)
俺は懐に隠し持っていたナイフを取り出すと、傍にいた木に語り掛ける。
「悪いが、切らせてもらうよ」
【気にしないで、その代わりに必ず勝って! 私たちを守って!】
「任せろ!」
俺は枝を一本切り落とすと、近くの小屋から糸を持ち出し、簡単な加工を施した。耐久力はない即席の弓だが、この戦いを乗り越えるには十分だろう。
「敵はどこまで?」
俺は弓を背負うと、近くにいたエルフに話し掛けた。
「もう中心まで来てるらしい。だが動きに統率が取れてなく、闇雲に暴れ回っているとか」
「そうか、俺も行く。最前線まで案内してくれ」
「お前が来てくれるなら心強い。この道を真っ直ぐ行け」
俺は木から生えた蔓を握ると、ターザンの様に大きく振り、蔓から蔓へと飛び移るエルフ流の高速移動を始める。
「泉に誘導すれば水の精霊も使える。この森の全てが我々の味方だ、それだけは忘れるなよ!」
背後から仲間の声が聞こえる。俺は後ろ手で握り拳を突き上げると、そのまま戦線へ直行した。
■■■■■□□□□□
やはりエルフは手強い。こちらが森を焼き払えば燃え上がる炎を味方に付けて、煙幕に乗じて毒矢を浴びせかけてくる。そして弱った味方がうめき声を上げる前に止めを刺されている。その動きに迷いも躊躇も感じられない。
「陣形を維持しろ! 負傷者は後衛と変われ!」
「恐れるな! 我ら『
動きも統率が取れている。一体の敵に必ず三人はぶつけ、それぞれ近距離、中距離、遠距離と、互いの攻撃範囲を保ちながら無駄なく動いている。個体差があるとはいえ、我が軍の最大戦力であるはずの竜でさえも、巧みな連携で撃破されたのにはさすがに驚いた。
何より、我々とは戦う気迫が違う。半ば暴力に身を任せる様に快楽だけを求め戦う魔族と違い、エルフは一心になって激しい抵抗を見せている。数では勝っているはずの我々が、心持ち押されている様に思えた。
(時期尚早だったか? このままじゃ交渉に持ち込む所か、負け戦になってしまう)
「魔王様! このままでは……」
近くにいた悪魔が、すがる様に指示を乞う。
「怯むな、個々の戦力ではこちらが勝っている。向こうだって無傷じゃないんだ、一点集中で突破しろ」
「しかし……」
「お前も人間に恐れられた上級悪魔だろう、ならば屈するな。誇りがあるなら奮戦しろ」
私は黒竜を呼び寄せると、背中に乗って上空に飛び上がる。見下ろせば、森を焼いて丸裸にしたからこそ、こちらの軍勢が押されているのがはっきり分かる。しかし私はそこである事に気付いた。
一見すると、森を縦横無尽に駆けている様に見えたエルフたちだが、よく見るとある部分に密集し、そこを基点にエルフが行き帰りを繰り返している。前線で負傷した者が、そこに目がけて走っていくのが見えた。
(あれは……そうだ『母樹』だ! 確かイターシャが言っていた)
母樹とは森を支配する巨大な樹である。あふれ出る生気は植物を育み、傷ついた動物を癒すという。話に聞くだけでは宗教めいた存在かと思ったが、どうやら地に足の付いた活力の供給源らしい。
(あそこを叩けば!)
私は黒龍を駆り、樹の元へ向かった。
■■■■■□□□□□
「偉大なる『母樹』よ、我らを癒してください」
あまりにも巨大で、もはや壁にしか見えない樹の幹に触れると、瞬く間に体の傷が塞がっていく。どういう力が働いているのか誰も知らないが、この無限にも思える力こそが森を支えている事は誰でも知っている。
「森は奴らには渡しません。だから私たちに力を貸してください」
他の木と違い、母樹は何も語らない。しかし礼節を持ち、感謝の気持ちを言葉に出す。それは掟ではなく自然に生まれた習慣だった。
「ベルか、戦況はどうだ?」
長が声をかける。彼女の様に歳を経たエルフは、前線で戦う力は残ってない。代わりに豊富な戦闘経験を生かし、後方で指揮を執っていた。
「今のところは順調です。ギリギリの所で何とか食い下がってます」
「そうか……地形を利用するのも限界がある。敵が引き次第、反撃で畳み掛ける」
「そいつは困るな」
不意に声が聞こえてくる。その直後、上空から黒い炎が押し寄せてきた。気付いたエルフが風の精霊を呼び出し、突風で何とか火を散らそうとするが、勢いは弱まらずそのまま母樹に直撃する。
「しまった!」
しかし、炎は巨体を前に四散し、樹の表面だけが微かに黒く焦げるだけに留まった。
「竜の炎に耐えるとは、思った以上に頑丈だな」
「お前か……お前だったのか! またも我らに災厄を与えるのか」
長は珍しく、怒りに震えた声で、そいつを睨み付ける。
「テラワロスよ」
(こいつが魔王テラワロス……)
人間でありながら数少ない魔物や魔族を率いる反社会勢力、その存在は噂に聞いていた。もっとも、ほぼ人間が統治するこの世界では冗談みたいな存在にしか思っていなかったのだが……。
(まずいな、本物のボスキャラじゃねえか)
部下も付けずに単独での奇襲、不気味で底知れぬ漆黒の竜、そして大量のエルフに囲まれてもなお堂々と構える度胸。先程の強烈な一撃もあって、俺はこの未知の敵に戦慄を覚えた。
(でもボスキャラらしく部下も付けずに登場とはな! そこが命取りだよ!)
そう思い、弓を構えた俺を遮ったのは意外にも長であった。
「長!」
「先に聞きたい事がある。イターシャはどこだ? 彼女は無事か?」
長を目の前にして、魔王は少し困惑した表情を見せた。
「長……お久し振りです。こんな事になって申し訳ありません」
「話を逸らすな。お前が連れ去ったイターシャは、どこにいるかと聞いているんだ」
(イターシャ? 人間の男と共に消えたエルフ……まさかこいつと!?)
問い詰める長に対し、魔王は歯を食いしばるように黙り込んだ。
「そんな顔をしてどうした。彼女はお前を愛していた。お前は彼女を守ると、この里から連れ出したのだろう?」
「……少し誤解がある様ですが、彼女はこのエルフの里で誰よりも好奇心が強かった。ただ外の世界を見たいと、私はその願いを叶えたかっただけです」
「言い方を変えても駄目だ。お前が彼女をここから連れ去った事実は変わらない」
長は手に持った短剣を魔王へ静かに向けた。斬り付けるには距離が離れ過ぎているが、そんな問題じゃない。それは和解する気が無い事を示した、明らかな宣戦布告であった。
「お前程の男が……我らの一員になる事を拒否してまで、イターシャを連れて……それが何故一緒にいないんだ!? 答えろ!」
魔王は一瞬口を開き、何か返そうとしたが、やがて諦めた様に肩を落とし、静かに告げた。
「彼女は、イターシャは……もう俺には手の届かない、遠い所に……」
それを聞いた長は、深い溜め息を吐いた後、落ち着きを取り戻して続けた。
「教えてくれ、最後にお前が見た彼女は、どんな顔だった?」
「……彼女は幸せそうに笑っていました」
「そうか……」
長が短剣を天に向かって振り上げると、周囲のエルフが一斉に弓を構える。
「せめてもの慈悲だ、向こうに着いたら彼女と暮らせ。それだけは許してやろう」
そして長が短剣を再び魔王に向けると、エルフたちは一斉に矢を放った。
長の合図で、四方八方から矢が一斉に飛ぶ。風を切る音が何重にも重なり、轟音を立てて矢の嵐が魔王と黒龍の下へ向かう。相手が竜だけならまだしも、たった一人の敵に仕掛ける攻撃じゃない。壮絶な処刑を目の当たりにして俺は腰が抜けそうになった。
(決まった! 打破できるわけがない!)
俺は息を呑むと魔王の死を見守った。
(……イターシャがいなくて良かった)
矢を向けられた魔王は、その時心から安堵を覚えていた。彼女の故郷を攻め入るのは心苦しいが、当人はここにいない。それだけが救いだった。
(だから……容赦しない!)
矢が放たれる直前に、魔王は剣を引き抜く。そして矢の嵐が着弾する瞬間、魔王を中心に大爆発が起きた。
「な!?」
爆風が矢を飲み込み、遠くから放たれた矢も風で押し返され、一部の矢がエルフの方へそのまま返ってくる。耳をつんざく轟音の後、辺りはしばらく粉塵と静寂に包まれた。
「長!」
「私はいい……奴は!?」
爆風に気を取られ、攻撃が止まったのも束の間、粉塵の中から電撃と炎が乱れ飛び、エルフを次々と貫いていく。
「バカな!? あの矢を耐え切ったなんて……」
「一斉掃射、構え!」
間髪入れず長の下した命令にベルは驚いた。
「長! また爆発で防がれますよ!」
「あんな大技、そう簡単に連発出来ん! それよりも休ませるな!」
戦いの火蓋は切って落とされた。相手は「一斉に放たれた矢の雨」を耐えてみせた。ならば同等かそれ以上の攻撃を、今度は寸断無く浴びせ続けるのが定石だ。
一体の相手に数で攻める事を始めた以上、同士討ちの危険性がある接近戦はもう許されない。そしてまた、相手に接近戦を持ち込まれないよう、遠距離から釘付けにする必要があった。
(我慢比べか、好都合だ!)
粉塵に包まれ矢の雨を必死にしのぎながら、魔王は母樹に手を付き、不敵な笑みを浮かべていた。
■■■■■□□□□□
一人、また一人と倒れていく仲間を前に、獰猛な魔族は次第に恐怖を覚え始めていた。
エルフの一糸乱れない連携と団結力を前に、魔王軍はもはや崩壊寸前だ。元々一部の部下の暴走で、成り行きに身を任せる様に戦い始めた彼らだが、指揮者のいない散発的な戦闘は、結果として自分たちの首を締める事になった。
初めて遭遇する猛威を前に、魔族たちは選択を迫られる。自らの命と誇りを懸けてでも一矢報いるか、もしくは恥を忍んで勝ち目のない戦から全力で離脱するかである。
(魔王様、俺たちはどうすれば……)
(まだここで戦っていればいいのか? それとも……)
一方で、母樹で激闘を繰り広げるエルフたちもまた、選択を強いられていた。
(強過ぎる。認めたくないが「魔王」を名乗るだけの事はある)
(このままじゃ倒せない……退くべきなのか?)
皮肉な事に、母樹の傍にいる魔王は体力と魔力を常時供給しながら戦っていた。魔王もそれを知っての事か、母樹の破壊を最小限に止めている。疲弊しているのは包囲しているエルフの方だった。
「テラワロス……今知らせが入った、部下は既に敗走したぞ。放っておいていいのか?」
長の言葉に魔王は一瞬止まった。主力である竜や、総指揮者である自分を欠いたままでの戦闘は容易に想像が付く。おそらく引っ掛けでもない事実だろう。だが……。
「ご心配なく。私はあなた方を追い詰めている。外のエルフが帰ってきても、状況は変わらないでしょう」
「下手な強がりを……仲間がいないんじゃ、せっかくの拠点も無駄になるぞ?」
「だったら、一からまたやり直せばいい。世界は広い、そして魔族もまだまだいる」
魔王は薄ら汗をかきながら、不敵な笑みを浮かべた。長の言う事も間違っていないが、自分が追い詰めているのもまた事実。どれだけ犠牲を出しても、勝利をみすみす逃すわけにはいかない。
「さて、一つ和平交渉でも……」
魔王は勝ち誇った様に、剣をエルフたちに向ける。それはおそらく戦いを最終局面へと向かわせるであろう、運命を決する話し合いの機会でもあった。
■■■■■□□□□□
「キオーっ!」
僅かな月明かりが照らす夜の下、私は足を引きずる様にして必死に歩くキオの姿を見つけた。
「じいちゃん……」
「待ってろ、今回復してやる!」
すぐに道具袋をまさぐり、取り出した薬草をあてがう。患部に当てた葉っぱは「回復しました」と言わんばかりに、傷の修復と共に消滅する。外見と裏腹に体力が多いのか、数十枚の薬草を消費してキオはようやく完治した。
「こっぴどくやられた様じゃな……今度から薬草は持ち歩いた方が良いぞ」
「じいちゃん……魔王が来たんだ。それで一撃でやられて……」
「魔王!?」
「いっぱいモンスターを連れて、あのおじちゃんを追ってた。今頃は戦ってるのかも……」
「急がないとな……治りかけで悪いが、飛べるか?」
「もう少し経てば、また元気になると思う」
私はとにかく肩を貸すと、再び歩き始めた。
「しかし魔王か……狙いは侵略じゃろうな」
「侵略って、戦争の事? その国と戦うつもりなの?」
「戦って奪うのじゃ。その国の資源、住民、土地、全部な」
「じゃあ、悪い奴なんだね」
「どうじゃろうな、日本人だって昔は戦争をした。大昔から世界中の人間があらゆる場所で戦争を経て生きてきた。それが良いか悪いかなんて、後にならないと分からんよ」
自分でも思いがけない事を口にしていた。魔王が単純に「悪」と考えられないほど、この世界は入り組んでいる様に見える。変な話だが自分で率先して動いているだけ、自らは手を下さないファスト王国の王よりは筋の通った人間にも思えた。
「うーん……そんなの変だよ。人の物を奪うなんて、どう考えても悪いじゃん」
「そうじゃな。それも間違ってはおらん」
その時、水晶玉が微かに鳴動した。
「どうやら見つかったようじゃな。おそらく魔王と交戦中、それもまだ続いている」
「さっきは色々言ってたけど、おじちゃんを助けるんだよね?」
「もちろん!」
「だったら!」
キオは私の腕を肩から外すと、竜に変身した。
「ゴールはもう目の前だよ、さぁじいちゃん!」
「よっしゃ!」
私はキオの背に飛び乗った。この戦いの結末がどうあれ、新たな仲間を迎えにいかなければならない。それだけは間違いなかった。
(折角会えた仲間だ。どうか、生きていてくれ!)
■■■■■□□□□□
魔王は深い溜め息を吐いて、ゆっくり母樹の幹へ腰を降ろした。俺は弓を構えるが、まったく力が入らない。
時間にして僅か数十分ぐらいだろうか。魔王からの全面降伏に近い提案を受ける事は出来ず、改めて我々は戦闘を再開した。
しかし、エルフの総攻撃と魔王の大魔法、どちらも大損害を与える高火力のぶつかり合いは、呆気ない程の短期決戦に発展した。
「徹底抗戦ですか、誇り高いエルフとはいえ、無謀な選択だったかと」
「……黙れ」
申し訳なさそうに、しかし淡々と事務的に話す魔王を前に、長は押し殺す様に言った。
「この惨状を見てください。私がやった事であり、あなたが選んだ結果だ。部下に戦闘を命じ、私が返り討ちにした」
「黙れ!」
長の怒声に、辺りが沈黙に包まれる。息が絶え絶えのエルフたちも、その尋常ではない様子に気を取られていた。
「元々、我々には選択肢など無い。人間とも魔族とも関わるのを避け、この地に生涯住み着くと決めたからだ!」
長は地面に落ちていた弓を拾うと、魔王に向けて矢を引いた。高齢と怒りからか、体が激しく震えている。
「他に行く場所なんてない、死ぬならここで死ぬ、それが宿命であり答えだ! 小僧が!」
放たれた矢に、魔王は微動だにしない。ゆっくりと手の平を差し出し、矢が手を貫くと、魔王は苦痛に顔を歪めた。
「……気は済みましたか?」
魔王が刺さった矢を引き抜くと、その手を母樹に向ける。瞬く間に血が止まり、傷口が塞がる。何度も繰り返される完全回復だ、もう奴に致命傷を与える術はない。
「ベル……逃げろ。ここまで付き合ってもらう必要はない」
「長?」
そう言うと、長は風の精霊を呼び出し、俺の体を浮かべた。同時に金縛りにあったように、俺の体は身動きが取れなくなる。
「長、俺はまだ戦える! 仲間だろ!? 俺だって誇り高いエルフだ!」
「残念ながら……お前は違うよ。ベルとは似ても似つかない、たまたま同名だった他人さ」
「長……そんな事言わないでくれよ。俺はこれからどうすれば……」
「お前はお前の仲間を探し、本当の世界を目指せ。ここは、お前がいるべき場所じゃない」
風は俺を包み込むと、ジェットコースターの様に、戦場からどんどんかけ離れていく。
「長! おさーっ!」
体はまるで動かない。俺はありったけの大声で叫ぶしかなかった。
■■■■■□□□□□
「……用事は済んだみたいですね。そろそろ楽にしてあげます」
魔王は母樹に手を掲げた。樹は激しい攻撃で外装が剥がれ、中には配電盤や電線らしきものがびっしり埋め込まれた、機械の半身を晒していた。
「旧世界の遺産ですか。御神木も一皮剥けば味気ないものですね、とはいえ軍事拠点として有効活用させていただきますよ」
「これで母樹も森もお前の物というわけか……ふふ……」
長は力なく笑った。
「……何かおかしい事でも?」
「そうだな……お前は我々の攻撃から母樹を守り切れなかった。それが致命的だよ。私たちは勝ったのだ」
【修復します】
どこからともなく冷たい声が聞こえたかと思うと、母樹から大量の蔓が伸び、次々とエルフの死体を捕まえる。そして母体に運び込まれるとエルフが液体で溶かされ、代わりに樹の外装が作られる。
「な、何だ!?」
「母樹の再生だよ。この森で生きる全ての者は、死ねばその身を大地に埋める。イターシャから聞かなかったか?」
「まさか……冗談じゃない……俺は死んでねえ!」
慌てて魔王は母樹に攻撃を加えるが、巨大な生体コンピューターは怯む事無く、機械の蔓を執拗に伸ばす。
(電撃も炎も、こいつには何も通用しないのか!?)
「この森はお前一人なんぞに屈しはしない。そして誰にも、決して!」
蔓に捕まったエルフの長は声を高らかに叫んだ。それを尻目に魔王は黒龍を駆り、何とか脱出を試みようとする。
(しまった!)
機械の蔓は逃げようとする魔王と黒龍を捕えた。四肢を的確に押さえ付けられ、身動きが取れない。おまけに口も塞がれ、魔法も助けを呼ぶ声も封じられた。
「もはやこれまで」そう思い目を閉じた瞬間、魔王は体がゆっくりと落下する感覚に陥っていた。見れば機械の蔓は、巨大な牛男の斧によって両断されていた。
「スレタイ!」
「魔王様、早く脱出を! 長くは持ちません!」
「何故だ、俺はお前を見限って……助ける義理など……」
「馬鹿にしないでください! このスレタイ、激情に身を焦がされても、魔王様の事は決して忘れません!」
牛男は咆哮を上げ、力任せに斧を振り回す。やがて蔓は捕縛を諦め、その先端を尖らせて、牛男を突き刺していく。
「早く逃げてください! 『ニューゲーム』を迎えるにはまだ早過ぎます! あなたはそんな人じゃないでしょう!?」
「スレタイ! くそっ、許してくれ!」
魔王は黒龍を抑える蔓を切り払うと、全速力で駆け出す。
(負けだ……チクショウ! 貴重な仲間たちを失って、大失敗だ!)
燃え盛る森を突き抜け、魔王は命からがら離脱に成功した。同じくかろうじて脱出できた魔王軍と合流するも、その数は出撃前の半分以下まで減っていた。
そしてエルフの里もまた、大部分の森林の損壊と大量のエルフの犠牲を出し、事実上の壊滅状態へと陥った。
魔王軍は侵略に失敗し、エルフは里を守り切れなかった。双方に多数の犠牲者を出し、この戦いは痛み分けに終わった。
■■■■■□□□□□
ようやく森の入り口に着いた時、私たちは倒れたエルフを見つけた。出っ張ったお腹と眼鏡のお陰で、一目でベルだと分かった。
「じいちゃん……」
「どうやら遅かった様じゃな……」
声を掛けようとした時、彼は急に叫びだし、両腕で地面を叩き付けた。
「チキショウ! 俺だけが……どうして俺だけが!」
空から竜の鳴き声が聞こえる。するとベルは、私が持ってきた弓を奪い取り、空に目がけて矢を放った。矢は虚しく空を切り、竜は空へ消えていく。
「今のは魔王? 戦いが終わったのか?」
「うるせえ! アンタにゃ関係ない! もう終わりだよ!」
「落ち着けって!」
「そうだ! あんたが来なければ……俺がちゃんといつも通り里に戻れていれば! あんたがイベントさえ起こさなければ!」
堪らず私はベルの頬を殴っていた。少し加減を間違えてしまい、ベルは少し宙に投げ出された後、地面に這いつくばった。
「手荒ですまんな。ただ、少しは頭も冷えたじゃろう」
「……守れなかった。里も母樹も長も仲間も、皆やられちまった」
「おじちゃん……」
私はベルを見下ろして言った。
「あんた、ワシが来なければと言ったな。じゃあなんだ、ワシが来なければずっとここでそんな恰好で暮らし続ける気だったのか?」
「……好き好んでこんな格好してるんじゃねえ」
「ワシだって好き好んで勇者してるわけじゃないぞ。ワシらは元の世界に帰る為に、魔王を追って旅をしている。お前さんはこれからどうする? ここでずっとメソメソ泣いているか?」
「じいちゃん! そんな言い方無いよ……」
私はあえて挑発する様に言った。ここで偽りの故郷にしがみ付いて離れない様なら、もう仲間になる見込みは無い。しかし宿屋の一件から、私はこの男が少し揺らいでいる様に思えた。
彼には本当の家族がいて、帰るべき場所がある。ただその帰り道が分からず、自分の気持ちを偽っていただけなのだろう。
「……ベルじゃねえ、
「そうか。名前までは忘れていなかったみたいじゃな」
「でも、今はベルだ。魔王をぶちのめして、エンディングを拝むまではな」
そう言うとベルは立ち上がり、私に手を差し向けた。
「一緒にいれば魔王とも戦えるんだろ? 頼む。俺も連れてってくれ。敵も討ちたいんだ」
「もちろんじゃ。同胞よ」
私はその手を強く握り返す。私よりも大きな手の平は、メラとはまた違った、力強さに溢れていた。
残念ながら、今回の戦いでは誰かを助ける事は叶わなかった。なればこそ、同じ過ちは二度と繰り返してはならない。ゲームの世界とはいえ、そこに流れる命と時間は単なる絵空事ではない。守るべき善が立ち向かうべき悪に屈してはいけない。
願わくは、この新たな出会いが我々により大きな力をもたらす事を。そして、冒険に更なる希望が見出だせる事を。
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