16章 『勝負』 Hyper Battle

 かの商業都市バハラが主催する、年に一度の大規模な闘技大会がある。名を『極限闘技』。貴族の余興で始まった「その年で一番強い者」を決める大会である。


 試合規約は「己の持ちうる技術で、相手を戦闘不能にする」と、いたって簡素。武器はもちろん魔法の使用も認められており、莫大な優勝賞金や戦士の頂点という名誉を目指し、全世界から猛者が集う。


 一流の戦士による息を呑む攻防。大地をも揺るがす見た事もない大魔法。未知の種族や格闘家が見せる、門外不出にして神秘の技。それらが飛び交う戦闘の様子は一般大衆にとって最大級の娯楽であり、そして戦士を志す者にとって憧れの聖地でもあった。


 参加料金は無料。制限も特に無く、戦う意志を持つ者なら子供であれお尋ね物であれ、人間だろうが魔族だろうが、誰でも出場する事ができる。『極限闘技』はいかなる戦士を拒みはしない。


 ただし、課せられた「試練」を乗り越えた者のみだけが、その偉大なる戦場に立つ事を許された。


「ボァアアアア!」


 怪物の咆哮と、力無き戦士たちの悲痛な叫びと、観客の歓声が折り重なる。うねるような轟音が会場を微かに揺らす。刃が弾かれ、鎧が砕け、火の玉や氷塊が飛び散り、血と肉が宙を舞う。


 場内は地獄と化していた。見るからに狂暴かつ凶悪な魔物の群れに、客に被害が出ない様にと防壁魔法で私たちを閉じ込める数十人もの魔法使い。試練は魔物たちと戦い、最後まで残っていた者だけが本戦に出場できるというものだった。


(まったく。ズパーに聞いて出てみたものの恐ろしい行事じゃな……キオとも離れてしまったし)


 どこから掻き集めてきたのか、三つ首で火を吹く巨大な犬に、全身が水晶で覆われた巨人、卓越した剣術で次々参加者を倒す首無し騎士。並の魔物とは一線を喫した強敵たちを相手に参加者は次々と倒れ、救助も兼ねて退場させられていた。


「爺さん!」


 いきなり呼び止められ、見覚えのある顔が走ってくる。いつしかメラと共に町を走り回り、魔法ギルドを逃げ延びた半裸の快男児ヤックだった。


「久しぶりじゃな。今日はちゃんと服着てるみたいじゃが……」

「年がら年中裸みたいな言い方は止めろ!」


 挨拶もそこそこに、私たちは自然と背中を合わせ、そのまま怪物と応戦を始める。


「爺さんは今日一人か?」

「いや、キオと知人がおる」


 私は顎を動かし、その先をヤックが見た。鮮やかな剣術を披露するズパーと、竜と人の交互に変身し敵を翻弄するキオがいた。


「あいつ、竜人だったのか……それに『剛剣ズパー』だぁ? 怪物揃いじゃねえか!」

「剛剣とは大層な肩書じゃな。もしかして有名人なのか?」

「アンタの次に有名な大剣使いだよ。傭兵としても超一流で、部下の扱いにも長けている。味方にくわえた国は確実に勝利を掴めるらしい」


 気付けば参加者の数は大分減っており、長い激戦を経てか、怪物たちも動きが鈍くなっていた。


「何とか耐え切ったな。選抜も大詰め、そろそろ終わるぜ……」


 ヤックがそう呟いた瞬間、赤い何かが颯爽と飛び出すと、棍棒を振り回していた巨人が動きを止めた。見れば巨人の首から上が綺麗に無くなっている。


「あの赤いやつは?」

「『首切りイゾウ』遠い島国で暴れ回る「ニンジャ」らしい。名の通り首をはねた一撃必殺を得意としている」


 赤装束のイゾウをきっかけに、次々と場内の怪物たちが倒れてく。


「うおっ『魔剣士ヴァニトゥ』に『炎魔えんまアギ』あと『鉄騎てっきチェイミー』に『千拳せんけんフルボ』まで!? おいおい大集合じゃないか!」

「随分と嬉しそうじゃな」

「そりゃそうだ。剣士、魔法使い、格闘家。ありとあらゆる戦士に、しかも名の知れた連中ばかりだ。そんな奴らに『腕試し』出来るんだぜ?」

「確かに貴重な機会じゃが、こっちも無傷じゃ済まないじゃろ」

「なあに、運営側の用意した超一流の魔法使いによる治癒魔法で、試合後の後遺症はおろか蘇生魔法で死亡の心配もない。心置きなく玉砕出来るってもんよ」


 自分以外の猛者をまるで自分のことのように喜んで話すヤックを見て、私は思わず笑みがこぼれた。


「……お前さん、結構真っ直ぐなんじゃな」

「『誰が一番強いか』。男なら誰もが夢見る永久不滅の課題だろ。爺さんだって、そういうのあるんじゃないか?」


 騒ぐヤックに感化されてか、私は強豪たちを前に、密かに武者震いをしていた。


■■■■■□□□□□


 五十人以上はいたはずの戦士たちが次々と破れ去り、残る選手が十六人と切りの良い人数になると、怪物たちは撤収し場内から歓声が湧いた。私とキオ、そしてヤックもズパーも、全員参加資格を得る事が出来た。


 本戦はいわゆるトーナメント制で、最後まで勝ち抜いた者が優勝する。奇しくも私たちは、初戦で全員バラバラに散った。


 互いに順調に勝ち進めば顔を合わせるだろうが、やはり知人を相手にするというのは気が進まない。控え室が個別に与えられ、互いに顔を合わせなくて良いのが救いだった。


「じいちゃん、ぼくが相手でも手加減なしだよ!」

「そうじゃな……」


 それぞれ控え室に案内される前に、キオが残した言葉だった。孫に剣を振るう事にもためらいはあるが、そもそも竜人という人間離れした生物を相手に、自分は勝ち目があるのだろうか? そんな複雑な思いは私に固い笑顔を作らせた。


「ゴウトさん。そろそろ試合時間です。準備はよろしいですか?」


 係員に声をかけられ、私は慌てて返事をした。


「おっと、一回戦はワシだったか」

「あちらの通路へ進んでください」


 私はフラフラと立ち上がった。今まではなりゆきで戦ってきたが、今度は全員が戦うためだけに来ている。その殺気立った空間に一歩ずつ進む度、私は不安に押し潰されそうになっていた。


「ゴ……ゴウトさん……これ……」


 振り向くと、壁にかけていた巨剣を、係員が必死に抱えあげようとしていた。


「おお、すまん。忘れる所じゃった」


 私が剣を手に取ると、係員は呆然とした。


「この剣を軽々と……やはりあなたは……」

「ありがとう。誉められるのはやはり嬉しいもんじゃな。お陰で緊張が取れたよ」


 控え室を出て場内に立つと、割れんばかりの歓声が耳を覆った。


「あれが『巨剣のゴウト』? ただのジジイじゃないか」

「バカ言え! ただのジジイはあんな剣持てないだろ!」

「予選じゃ目立って無かったからな……でもちゃんと生き残っている」

「本物か?」

「偽物か?」

「どうなんだ?」


 観客はどうやら『巨剣のゴウト』に興味を持っていた。そのせいか、話題にすら上らない対戦相手は、戦う前から私を強く睨んでいた。


「よう。あんたが噂のゴウトさんかい」


 場内の真ん中で、対戦相手の痩せた男は、複数の短剣をお手玉しながら絡むように話してきた。


「本当にバカでかい剣を持ってるんだな。物好きなもんだぜ」

「……物好き?」

「そうさ。少しでも考えてみろよ、そんなデカくてノロマな剣を振るより先に、俺のナイフでアンタを穴だらけにしてやるよ」


 身なりや口の悪さから見て、おそらくはならず者なのだろう。とはいえあの怪物の猛攻を耐えきったのは事実だ。そこらのチンピラとは格が違うようだ。


【第一試合『巨剣のゴウト』対『ランド』間もなく開始します。両者、所定位置に着いてください】


 どこからともなく司会進行の声が響いてくる。メラも使っていたが、スピーカーやメガホン代わりに、周囲に声を響かせる魔法だった。


「今聞いた通り、俺に通り名は無い。今日お前を倒して、俺は名を上げる」

「そうかいそうかい……」


 私は剣も構えず、手ぶらのままランドに接近した。それは互いの吐息が顔にかかるぐらいの至近距離だ。


【な……ゴウト選手! 近過ぎです! もっと離れてください!】


 戸惑う司会の声が聞こえてくる。


「いいからいいから。ワシは大剣、相手は短剣。このぐらいやらないと不公平じゃろ」

「ジジイ……よほど死にたいみてえだな。この距離で俺のナイフをかわせるとでも?」

「いいぞ! やれやれ!」

「ランドも受けろ! 男だろ!」


 野次馬が一層激しくなり、司会者はやがて諦めた様に声の調子を戻した。


【ったく……もういい! 勝負、始め!】


 言葉を聞くなり、私は無心で右腕を振り上げていた。渾身の鉄拳がランドの顎を捕らえ、体を宙に舞い上げる。


「がはっ……!」

「めでたい奴じゃの。いくら軽い短刀でも、素手よりは重いに決まってるじゃないか」

「そういう問題じゃ……」


 ランドの体が落下を始めると、私は巨剣を構えた。角度よし、速度よし、躊躇なし。剣を刃先から面に変え、雄叫びと共にありったけの力で振りかぶる。


「うおおおおお!」


 剣はランドの胴体に食い込み、圧倒的な衝撃をもって彼方へ突き飛ばす。ランドは遥か後方に射出され、魔法使いの防壁呪文へ衝突した。


「何か……ズリぃぞ……」


 誰にも聞こえない程のか細い声で、ランドは嘆く様にその場に倒れる。同時に止まった時間が流れだした様に、辺りは空気を震わす程の大歓声に包まれた。


■■■■■□□□□□


 控え室に戻る途中、通路でズパーたちが出迎えてくれた。開口一番にヤックが突っ掛かる。


「爺さん! ありゃーねえよ!」

「アリじゃって!」

「ねえって!」

「いいやアリじゃ!」

「有りでしょう」


 ズパーの意外な一声に、私とヤックは振り返った。


「盗賊の様に、機敏さを武器とする連中はまず近付く事が難しい。逃げ回られて、長期戦に持ち込まれる厄介な場合も多いですから……確かに奇抜な策でしたが、審判が認めた以上、立派な戦法ですよ」

「……な? ほら! ワシ間違ってなかった! 狙い通り、ねっ?」

(ジジイ、案外調子に乗りやすいな……)


 私は話しながら、一人ヤックの後ろで微かに震えたキオを見つけた。


「間もなく第二試合を始めます。キオ選手は入場してください」


 館内放送が流れると、キオは驚いた様に体を飛び起こす。私は慌てて声をかけた。


「さっきの元気はどうした?」

「じいちゃん、ぼくの相手が『首切りイゾウ』って奴で、かなり強いらしいんだ」


 かなり小さい声でキオが言った。巨人の首を一撃ではねた謎の忍者、場内の誰もが息を呑んだ光景だが、キオにはより刺激が強かったのだろう。


「キオ、竜の首は太いんじゃ。そう簡単に切られやせん。包丁で丸太が切れるか? ノコギリで電柱を切り倒せるか?」

「……だよね。うん、頑張ってみるよ」


 キオは力の無い笑みを見せると、そのまま戦場へ歩いていった。私はそれを見届けると、すかさずヤックに尋ねた。


「なあ、あのイゾウとやらはどれだけ強いんじゃ?」

「そうだな、一瞬で巨人の首をはねたんだ。機敏さと攻撃力じゃアンタの戦ったランドとは比べ物にならないだろ。それにアイツ常連組でさ、確か前回準優勝だったはず」

「何度もここへ来ているのか!?」

「ああ……」


 ヤックの表情が一層険しくなった。


「だから戦闘経験が段違いだ。坊主には圧倒的に足りてない。いくら伝説の竜人でも、ただ暴れて勝てる程甘い相手じゃない」


 私はそれを聞くと、急いで観客席へと向かった。


■■■■■□□□□□


【第二試合、『竜人キオ』対『首切りイゾウ』試合始め!】


 試合開始と同時に、キオは竜になった。辺りに響く歓声と裏腹に、イゾウは微動だにしない。


(ちょっとぐらいは驚いてくれたっていいじゃん!)


 キオは相手を睨み付けたが、頭巾ですっぽりと覆われた顔からは表情が読み取れない。だからといって、安易に攻め込ませない威圧感をキオは感じていた。


 やがて不安を断ち切る様に、キオは火を吹くが、あっさりと避けられる。続けて爪や尾で攻撃を繰り返すが、どれも当たらない。


「焦ってやがる。まずいぜ……」


 隣で観戦するヤックが自分の事のように不安を洩らす。


「でも攻撃が来ないじゃないか。避けるので精一杯、とは取れないか?」

「違う。回避に余力が見える、わざと手を出してない。キオの戦術を出来るだけ引き出そうとしているんだ」

「そんな、もっと前向きに見たって良いじゃろ……」


 突如歓声が上がった。慌てて場内を見ると、キオが人の姿になっていた。私は驚いた。


「まさか! あれじゃ首切りに……」

「いや、竜のままじゃ行動が遅すぎる。竜人がいかなる強さを秘めているかは知りませんが、適切な判断だと思いますよ」


 隣のズパーが落ち着いた様に話す。


「まあ、お前さんがそう言うなら……」

「おいジジイ! 何で俺の言う事がダメで、ズパーは良いんだよ!?」

「ちょっと、静かにせんか!」


 キオは上空に飛び上がると、反転してイゾウ目がけて急降下した。攻撃自体は簡単に避けられたものの、拳が地面に当たると、衝撃で辺り一面に粉塵と土砂が巻き上がる。


(今だ!)


 それを隠れ蓑にする様に、キオは竜になると辺りに火を吹いた。考えられる中でも電撃的な連携、直撃せずともあの赤装束ぐらいは燃やせるはずだった。


「ソノ首モラッタ」


 それは爆音を突き抜けて聞こえてきた。血の通って無い、ひどく棒読みの声がキオの身体を金縛りにする。そして二つの赤い光を見たかと思うと、その景色はどんどん遠くなっていった。


(頭が、ボーッとする……前も確かこんな時が……)


 視界が定まらない。砂塵を抜けて飛び込んで来るのは、観客席、青空、太陽、地面。目まぐるしく変わる景色の中、キオは首のない竜を見つけると、完全に意識が途絶えた。


 キオの首が地面に叩きつけられた瞬間、場内が凍り付いた。そして間を空ける事無く、係員たちが一斉に駆け付ける。


「救護班急げ! まずは首を回収しろ!」

「竜の体が倒れている。搬送はできない、この場で治療する」

「まだ時間は経ってない、とにかく胴体に繋ぎ合わせるぞ」


 どよめく場内を尻目に、係員たちはキオの死体を前に集まり、テキパキと機敏に動き始める。


(死んでしまったのか?)


 以前見た歴史のドキュメンタリー番組を思い出す。ギロチンにかけられた首は即死のように見えて、実は数分程意識が残されているらしい。孫の首が飛んでいる時に不謹慎だが、もしあれが死亡と判定されて現実に戻されたら、香は学を放してくれるだろうか?


 その時、私は場内に舞い散る物に気付いた。手にとってみると、何やら古代文字の様なものが書き込まれていた。


「これは?」

「外れ券だな。こんだけ出るって事は、坊主もかなり期待されてたな」

「外れって……賭けでもやっておるのか」

「そうさ。最初の試練で客は選手を見極め、どっちが勝つか予想する」

「人の生死さえ、娯楽としか見てないのか。悪趣味な……」

「そう言うなって。選手の中には自分の勝ちに賭けて、一攫千金を狙う奴だっているんだから」


 話している内に治療が終わったらしく、キオがフラフラと立ち上がった。私は安堵したものの、それを見た観客たちは次々と罵声を浴びせかけた。


「何が竜人だ! 簡単に負けやがって」

「子供が生意気に! もう二度と来るなよ!」


 控え室に戻ったキオは、嗚咽に満ちた苦痛の表情を浮かべていた。泣きたくても泣けないというのは、一体どれ程辛いものなのだろう。


「じいちゃん……」

「学。よく頑張った」

「じいちゃん……じいちゃん!」


 そして私の顔を見た瞬間、キオは大声を張り上げた。涙は出ない、涙の代わりにありったけの悔しさと悲しみが伝わってくる。


「ぼく……悔しいよ! もっともっと、強くなる!」

「……じゃったら、なれ! 強くなれ! 強く……」

「なるよ! 強くなる! 強くなるから!」


 私は、半ば自分に言い聞かせる様に言い続ける。それに応える様に学もひたすら「強くなる」と言い返した。


■■■■■□□□□□


【『炎魔アギ』対『剛剣ズパー』試合開始!】


『炎魔アギ』は名の知れた魔法使い。彼もまた「法衣を纏って杖を振る」という典型的なイメージを破り、動きやすそうなジャケットと思しき黒い服に、冬場は暖かそうな分厚いグローブを付けていた。


 アギが両手を構えると、灼熱の球が飛び出す。ズパーは腰から素早く『風の剣』を抜き出し一振りすると、風刄で火を相殺させる。


「ただの筋肉馬鹿と思っていたが、便利な物を持ってんな」

「攻め手は多く用意するもの。あなたとて、ただ火を飛ばすだけが芸では無いでしょう」

「そうだな。なら斬り合ってみるか」


 アギは両手から火を出した。それは細長くハッキリとした形で、まるで工場で使うバーナーの様にも見える。


 素早い動きでアギは間合いを詰め、両手の炎を突き出し、それをズパーは大剣で受ける。炎は大剣を前に四散していた。


「名工シバの大剣はドラゴンの炎さえ防ぐ。覚えておくと良い」

「そうかい、それなら!」


 アギは片手の火炎放射を維持しながら、もう片手でしなる様な細い炎を編み出した。それを鞭の様に振り回すと、大剣の向こう側に繰り出す。


(反応が無いな、痩せ我慢か?)


 大剣と、剣を前に四散する炎が視界を遮る以上、ズパーの様子が分からない。かといって、攻撃の手を緩める事は出来ない。大剣があるからこそズパーは火を防ぎ、生き長らえているのだ。


 数秒の思考の後、アギは火炎放射を仕掛けたまま、なるべく距離を離しつつ、慎重に大剣を迂回し始めた。片手を炎の剣に変え、接近戦の準備を整える。


(さあ、出て来いよ)


 その時だった。目の前の大剣が急にアギへ倒れかかって来たのだ。咄嗟の事で、半ば条件反射で後方に飛び退く。その宙に浮いた瞬間を、ズパーは見逃さなかった。


「ふんっ!」


 ズパーが大剣の向こう側から飛び出し、長剣を振るう。しかし剣はあと一歩の所でアギに届かない。


(もらった!)


 アギがすかさず両手で火を繰り出し、反撃に移ろうとする。しかし注意深い視線は、剣の刃先から生まれる微かな空気の振動を見つけた。


(こいつは、まさか!)


 空気の揺れは鋭い風を巻き起こす。『風の剣』から発生した小型の突風はアギの身体に食らい付き、そのまま遥か後方へ押し倒す。態勢を崩したアギの目の前には、ズパーの怪力から振り下ろされた剛剣があった。


■■■■■□□□□□


 俺はヤック。今日は休日を利用してここに来た。もちろん腕に自信はあるが、ここで優勝出来る程ではない。ちょっと強い奴と戦って、後は賭けでも楽しむつもりだった。


 だが、今回はハナっから相手が悪かった。俺は撃たれた右肩を手で抑え、真っ青な空を見上げていた。


 ふと傍を見れば、彼女は巨大な車輪を二つ付けた奇妙な鉄の塊に乗って、見たこともないような長銃を構えて俺を見下ろしていた。


 俺は試合に負ける。だが、そんな事はどうでも良かった。むしろ俺の中の勝負が今から始まろうとしていた。


「『鉄騎チェイミー』……なぁ、そいつはアンタが作ったのかい?」


 彼女は無視する様に、黙々と銃に弾を装填していた。こちらが虫の息だというのに、彼女は油断も隙も見せてはくれない。


「それもすげえ銃だな。1発撃っただけで一度に弾が飛ぶ、ウチの騎士団のとは比べものにならねぇな」


 俺に銃を向けた時、彼女はようやく口を開いた。


「命乞いか、隙を伺ってるのか知らないけど、お喋りな男は嫌われるよ」


 初めて聞く彼女の声は、思ったより高くか細かった。そして俺は確信した。


 今日、ここに来て良かった。負けたって構わない。俺は心から幸福だと感じる。こんな奇跡はそうそうあるもんじゃない。


 俺の心に間違いはない。今のこの気持ちに間違いはない。ならば、俺の行動は間違いない。


「まぁ、そう言うなっ……て!」


 俺は彼女に向かって、隠し持っていた矢を投げた。それと同時に彼女の銃が火を噴き、俺は意識を失った。


(……銃と機動兵器。いくら何でもありの大会とはいえ、来年から禁止されるかな)


 歓声の中、チェイミーは機体に刺さった矢を抜く。拍子で矢じりが取れると、中から小さな紙が出てきた。


【惚れた。結婚してくれ】


 一瞬、彼女は文面が理解出来なかった。少し遅れて、頭の中で一斉に自問自答が始まる。


(何なの? こいつ最初から……いや、剣士にしてはよく耐えた。それよりも、今日この場で会った見ず知らずの女に惚れる? 殺すか殺されるかって、こんな殺伐とした空間の中で? わざわざ手紙を書いて矢に仕込む? いつの間に?)


 そして、改めて倒れたヤックを見下ろす。彼は歯を剥き出しにして、幸せそうな笑みを浮かべている。それを見たチェイミーは鳥肌が立った。


(いやいやいや……)


 走り書きされたその紙をまるめて、ヤックの体に投げつけると、、チェイミーは鉄の塊と共に走り去っていった。


■■■■■□□□□□


 戦士たちが戦う中、裏方もまた戦い続ける。会場の大歓声の下で救護班への指示や、入退場する客の誘導、更に場内での飲食物の販売など、運営本部は波寄せる激務をこなす。


 何より、入場料以上に賭けで成り立っている本大会では、戦士の見極めが重要だ。試合結果で実力を判断し、倍率を微調整する。勝たせるのは本当に運の良い一握りの客で、総合的に見て客に『損』をさせるのが目的なのだ。


 一試合が終わる毎に情報が錯綜する。中にはその情報を手に入れ、配下や用心棒に加えたがる権力者の姿も見える。


 たった一つ、『強い』という揺るぎない事実が彼らを、そして世界を突き動かすのだ。


「今年も盛況だな。強い選手が山ほどいて、勝敗がまるで読めない」


 仕事の合間、係員がふと洩らした。それを聞いた一方の係員は、作業の手を止めないまま応じる。


「ああ。それに今年は『巨剣のゴウト』が来てるってんで、今も来場者が詰め掛けてるらしい。立ち見にしてもぎゅうぎゅう詰めだよ」

「賭け金は当然、入場料だけで相当利益が出てんな。ジジイ様様だ」

「……なら尚更、雑談する余裕など無いだろう」


 声に驚き、二人は同時に振り向く。背後には仮面を付けた男が立っていた。


「私は仕事について詳しくないし、口を挟むつもりもない。だが、非効率な事は分かるつもりだ」

「は、はいっ! 申し訳ありません!」


 仮面の男はそれ以上は何も言わず、足音を立てずに去っていった。


「……何だ今の薄気味悪い野郎は。気配がしなかったぞ」

「大会運営にあたっての出資者の一人だよ。貴族の中でもかなりの大物らしい」

「貴族ねえ……舞踏会でもないのに、仮面を付けて出歩くもんなのか?」

「知らねえよ。金持ちの考える事なんざ」


 二人は雑談もそこそこに、再び業務へと戻る。


(ゴウトか、こんなに早く会えるとはな)


 暗く長い廊下を、仮面の男はゆっくりと歩いていた。

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