13章 『魔法』 Super Skill

 たとえばトリックが見破れない様な手品、気付けば相手のペースに巻き込まれる話術、人体の構図を熟知し瞬時に行われる体術。なんて事のない小手先の技が、修練されて魔法と呼ばれる事がある。


 それらは特別なものではない。手順や仕組みさえ知っていれば、誰にでも出来るものだろう。しかし、その領域に達する者は、それこそ一握りだ。


 そんな彼らだが、何も始めから魔法使いだったわけではない。多少の素質はあれど、それを磨き上げる地道な努力と、飽くなき知識への欲求があったから、自慢の魔法を使う事が出来るのだ。


 たとえばトリックが見破れない様な手品、気付けば相手のペースに巻き込まれる話術、人体の構図を熟知し瞬時に行われる体術。修練された技を使う人々を、誰かが魔法使いと呼んだ。


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 私が故郷を飛び出した理由は二つ。一つは追放された母を見守ること、そしてもう一つは、魔法そのものが嫌いだったからだ。


 しかし、なぜ魔法が嫌いなのかまでは分からない。だがこのメラという人間が、まだ魔法という存在に抵抗を覚えているのには間違いなかった。


(あれからずっと、こんな事しか考えられない……またイベントが近いのか)


 先日、村での戦いにおいてキオが出会ったという「旅の魔法使い」の存在が、また私に新しい記憶を植え付けようとしていた。


 他の二人はどうか知らないが、このメラというキャラには、どうも背景が多く用意されているらしい。物語が進むにつれて情報が開示され、私はどんどんメラになっていく。


 この世界で旅を続けるという事は、メラという人物と対峙し続ける事であり、それだけ鈴木純子という人格から離れる事でもあった。


「あっ」


 キオが不意に声を上げ、足を止めた。見れば大きな帽子を被った男が、ゆっくりと歩いてくる。


「キオ君だったね。気になって戻ってみたが、やはり竜人に戻ったか」

「あ……うん」

「すまないね。今となっては言い訳にしか聞こえないだろうが、別に君を困らせるつもりはなかった。私なりに君を助けようと思っただけなんだ」

「分かってるよ。ぼくだって考えて決めたんだ、おじさんは何も悪くないよ」

「……そう言ってもらえると助かるよ」


 面識があるのか、私たちを置き去りにしたまま、キオは男と知らない会話を続ける。しかし私は男を一目見ると、頭の中に突然記憶が流れ込む。そして言葉が自然に洩れた。


「親父……」


 男は不思議そうにこちらを振り向く。私は鉄仮面を外すと言葉を続けた。


「親父! オレだよ、メラだ! メラ・ランドールだ!」

「メラ……メラか! 随分と探したぞ!」


 今度はキオを含めて、完全に置き去りになった二人に、男が口を開いた。


「紹介が遅れましたな。私はネロ・ランドール、メラの父親です」


 そう言って、ネロは深々と頭を下げた。


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「母さんはどうだ、相変わらずか?」

「ああ、懲りずに人形並べて、お山の大将やってるよ」


 親父と再会し近くの町まで歩く間も、私は夢中で話し続けた。それは不思議な事に、単なる情報収集を越えて本当に父親と話している気分だった。


「あのー、ネロさんはどうして一人旅を」


 何とか会話に入ろうと、おそるおそる爺さんが話し掛ける。


「ゴウトさん、私の妻が都市を追われ、メラが後を追った話はご存知ですか?」

「大まかには……」

「なら話は早い。私はその二人を探しにきたのですよ」


 そう言ってネロが語り出した内容は、驚く程に私の記憶と一致する。


 数多くの人形を作り、魔力を吹き込み動かす。そうして私設軍隊を持ち「人形王」と恐れられたセラ。彼女の行動と思想は危険なものと見なされ、魔法都市パステルから追放される事となった。


 しかし、娘であるメラは母を慕ってか、後を追ってパステルを抜け出してしまう。その後流れ流れて、ファスト王国の聖騎士団に彼女は身を置く事となった。


 それが、メラのスタート地点だった。


「とまぁ、妻と娘に逃げられちゃったわけですよ」


 そう言って笑うネロの顔は、物騒な会話の内容とは裏腹に不思議と穏やかに見えた。


「で、お役所勤めまでほっぽり出して、俺を故郷につれて帰ろうってか?」

「そういう事だな。お前ももう好き勝手に暮らせる子供じゃない。魔法と向き合い、自分がどういう存在なのかを理解する必要がある。だから……」


 ネロは急に足を止めると、真顔でこちらを見た。


「私と共に修行し直して、魔法使いになりなさい」


 それを聞いた瞬間、私は反射的に剣を抜いていた。


「嫌だと言ったら?」

「威勢がいいな。喧嘩っ早さは母さん譲りと言った所か」


 ネロは淡々と話ながら、懐から一冊の分厚い本を取り出した。あの百科事典で相手を殴る……わけもなく、やはり魔法を使う為の道具なのだろう。


「本の朗読って感じじゃないな。何だ、喧嘩っ早さはそっちも同じじゃないか」

「おやおや、せめて『話が早い』と受け取ってくれよ」


 ネロが愛想笑いを止めた。もう雑談ではない、いつでも攻防が始められる様に、臨戦態勢に入ったのだと私は理解した。


「お姉ちゃん!」

「メラ! 戦う気か!?」


 ゴウトとキオが慌てて構えを取るが、私は手の平を突き出し、二人を止めた。


「ボス戦とかそんなんじゃない。これは単なる親子喧嘩だ、好きにやらせてくれ」

「親子喧嘩ですか……だとすればメラ、子は親には勝てないものですよ」

「そんなの、やってみなきゃ分からない……だろっ!」


 私は剣を構えて突進する。ネロは難なく避けるが、私はそのまま走り続ける。


「姉ちゃん!?」

「なるほど。逃げる気じゃな」


 爺さんの言う通り、私は自分に足の速くなる魔法を掛けると、振り向かずに全力で走りだした。魔法もろくに扱えないのに、こんな相手と戦えるわけがない。ゲームで培った経験が全力でこの戦闘を拒んでいた。だが……。


「何だ、魔法は忘れてないんですね」

「ギャッ!」


 突如目の前に現われたネロを見て、心臓が飛び出る代わりに、私は奇声を上げていた。


「まだまだ未熟ですね。確かに判断力と思い切りの良さは素晴らしい。だけども、魔法使いってのは『速い』んですよ?」

「るせぇ!」


 相手が父親という事も忘れ、私はガムシャラに剣を振った。しかしネロはその場に立ったまま、僅かな動きで剣を避け続ける。まるでボクシングのスウェーだ。


(何だよ、魔法使いって大技専門の、遠距離戦闘キャラじゃないのかよ!?)

「勘違いしている輩も多いが、何も大がかりな魔法を使うばかりが魔法使いではありません。冷静で素早く効率よく動く。魔法はあくまでも肉体機能の補助、それが魔法使いの本質です」


 まるで心を読んだ様に、ネロがひとりでに語った。そして加速する攻防の中で、私はある事実に気付いた。


(これは……時間が止まっているのか?)


 きっと錯覚だ。『動きを速くする魔法』は私とネロを包み込む。そしてそれ以外のもの、人や鳥、風で煽られる草原でさえ、その動きを鈍らせている。そして私自身も、更に動きが遅くなる事を実感していた。


「まさか……」

「そう。お前は確かに速い。だけど持久力が足りません」


 ネロがゆっくりと、おそらく実際にはとてつもないスピードで私に近づく。そして私の鎧に手を軽く添えると、電撃の様なものを放った。


(強過ぎる……こりゃやってられねえや……)


 パステル屈指の魔法使いを相手に、私は文字通り瞬殺された。そして気を失う直前になって、どうして魔法が嫌いになったのかを私は理解した。


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 最初、何が起きたのかゴウトとキオには全く理解出来なかった。メラの動きが速くなり、それにネロが追従していったのは見えた、問題はそれからだ。言うなればビデオテープの映像が飛んだかの様に、過程を省略して結果だけを見せられていた。


 つまり、メラが一瞬走り抜けたかと思ったら、次の瞬間には地面へ倒れていたのだ。


「……メラ!」


 ゴウトたちが慌てて駆け付ける。メラは地面に突っ伏し、ネロがそれを見下ろしていた。


「貴様、やっぱり敵か!」


 身構えるゴウトとキオを見て、ネロは両手を開いて、ひらひらと振った。


「誤解してほしくないのだが、私たちは親子だ。それに殺し合いをする程までは、仲は悪くない」

「にしても、いささか度が過ぎる様でしたが?」

「ご心配なく。この位は日常茶飯事ですので。今、治癒魔法をかけます……」


 そう言ってネロは、倒れてるメラに向かって手をかざすと光を発した。見た限りでは、どうやら本人が言う通りに攻撃ではないらしい。


「よろしければ、治療が終わるまで、少し身の上話に付き合ってもらってもいいですか?」


 ゴウトは静かに頷いた。


「自分で言うのもおこがましい話ですが、私はパステルでも指折りの魔法使いです。そして妻も膨大な魔力の持ち主でした。ゆえに娘であるメラは、生まれついての魔法使いなのです」

「生まれついての? 魔法使いって誰でもなれるわけじゃないのか」

「一応、人間には『魔力』という、肉体とは別の精神力とも呼ぶべき力が備わっています。しかしその固体差は激しく、『魔法』を習得し駆使するとなると、長年の修行で豊富な魔力を培うか、あるいは生まれ持った才能や資質が必要なのです」

「じゃあ、お姉ちゃんは天才……って事なのかな? でも、それなら何で魔法が嫌いなんだろ」

「物事を嫌いになるのは、自分の思い通りにいかなくなるからですよ。それが天才なら尚更……ね」


 ネロは穏やかな笑顔を浮かべながら続けた。


「結論を言いましょうか。メラは私の教育が嫌になって、逃げ出したのです」

「へええー」

「何が……教育だ……」


 誰にも聞き取れない程の微かな声で、メラは静かに呻いた。


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 子供の頃、私はネロと戦っては毎回倒されていた。魔法使いの特性、強さ、恐怖というものを、骨の髄まで叩き込まれたものだ。


「魔法は選ばれし人間だけが扱える禁断の技だ。使い方一つで神にも悪魔にもなれる、ゆえにその強大な力を理解し、自らの意思で制御出来るようにならねばならない」

「……何だか難しいなあ」

「じきに分かる。魔法はあまりにも便利だが、その力を利用しようとする者も多い。そして力を悪用し罪を犯したものや、力を恐れるあまり抹殺された者もいた」

「じゃあ、魔法を使わなきゃいいんじゃ……」

「残念だが、魔法を知った人間は魔法を捨てる事はできない。その利便性と威力を思い知り、頼らざるを得ないからだ。だからこそ魔法という足枷に一生付き合わなければならない」


 ネロの教えはいたってシンプル、「体で覚えろ」。学校の授業で慎重を重ねて行なわれる「実戦」も、私にとっては子供の頃から馴れ親しんだものだった。


「受け流しがうまくなったな。戦闘は攻撃よりも防御が肝心。その調子だ」


 最初こそ向こうも手加減し、私も上達を感じ取れたのだが、やがてネロは容赦しなくなり、手も足も出なくなった私は段々と無力さに打ちのめされていった。


 だからだろう、私はよくセラに泣き付いていた。そんな私を優しく抱き止め治癒魔法をかけてくれる彼女は、私にとって「やさしいお母さん」だった。


 だから母が人形の研究に憑り付かれパステルから追放された時、私は犯罪者と知りつつも母の後を追った。母が好きだった反面、父から逃れたかったのかもしれない。


 しかしそんな母も、ある程度成長した私からは歪んだ大人に見えた。魔法ギルドを立ち上げ、裏社会で暗躍する母にも嫌気が差した私は、宛てもなく外へと飛び出していった。


(そうか、あのカジノも通ってたんだっけ)


 ネロとの特訓から逃げ出した私は、魔法使いにはならなかったものの、いっぱしの戦士になれるぐらいは基礎体力を身に付けていた。ファスト国に流れ着いた私は聖騎士団の見習いとなり、やがては正式な団員として騎士と認められた。放浪者の身としては十分出世したと言えるだろう。


 認めたくはないが、やはりここまで来れたのは父のおかげだったのだ。だからこそ認めるべきなのだろう。


(もう、逃げるのはやめよう)


 私は目を開き、父と目を合わせて言った。


「オレ……なるよ。魔法使いに」

「やっと首を縦に振ってくれたね」


 もしかすると、ネロは全てを見越していたのかもしれない。私の発言に対しても特別驚く素振りを見せず、いつもの笑顔で淡々と話を進めた。


「ならば話は早い。申し訳ありませんがお二方、しばらく娘を預かりたいのですがよろしいですかな?」


 ネロはそう言ってゴウトとキオの方を振り向いた。一人で物事を把握しどんどん話を進めるのも「魔法使い」の性質らしい。


「それは……その、魔法都市とやらに連れていくという事ですか?」


 ゴウトはそう言うとこっちを振り向く、私は「お構いなく」とだけ言った。


「そうだ。もし心配なら、あなた方もご一緒に来られますか?」

「それは構わんが、ワシら部外者が首を突っ込んで良いのか? その、一般人お断りというか……」

「お気遣いなく。パステルは宙にこそ浮いてますが、外来者を拒んだりはしません」


「宙に浮いてたら誰も入れないじゃないか」とゴウトは思ったが、会話の腰を折らないよう口に出す事は止めた。


「宙に浮いてたら誰も入れないじゃん」と、キオも思ったが、誰も言わなかったので何となく口に出していた。


「そうだね。一般人は確かに入れない。だけど住人が自分の意思で降りて、誰かお客さんを招く事はあるんだよ」

「なるほど。まあ観光……と言ったら失礼か、良い経験にはなるのかな?」

「もちろん。それに魔法だけでなく、先人から受け継がれてきた情報があります。冒険の手助けになるかと」


 ネロはキオの目を見て、こう続けた。


「君の体の秘密も、全て分かるよ」


 それを聞いた途端、今一つ退屈そうにしていたキオが、急に目を輝かせて飛び上がった。


「じいちゃん!」

「トントン拍子で話が進むのう……」

「そうそう、あなた方が元の世界に戻る方法も、もしかしたら分かるかもしれませんよ」


 それを聞いて、私たちは一気に固まった。


「……オレたちの正体を知っているのか?」


 私は恐る恐る聞くと、ネロはしばらくしてこう答えた。


「君がメラじゃないのは分かる。本当のメラはね、娘じゃなくて息子なのさ」

「メラが……男……?」


 ショックで言葉が出てこない。何とか話をしようと、ゴウトが口を開いた。


「メラはその、知っていたのか?」

「いや、発売前の雑誌ではずっと『謎の黒騎士』としか……そりゃ顔を隠すから女キャラかもとか勘ぐったりして、オレも確かに誰にも顔見せてないけど……」

「言っておくが、私だって全てを知っているわけではない。ただ……」


 ネロは本を取り出しつつ、話を続けた。


「息子が何故か娘に……むしろ別人になって、本当の息子がどこかへ消えてしまった。それだけは直感で分かった」

「セラはオレを『娘』と呼んでいたが……」

「個人差があるのかもしれない。一説ではこの世界の住人は一つの記憶を与えられ、それをなぞるように生きていくらしい。だからこそ私は君がメラだという事に違和感を感じたのだ」


『この世界の住人』や『違和感』といった単語が出るたび、私はめまいを感じた。彼らは本当にゲームキャラなのだろうか?


「でも、消えたって事はさ、今まではいたって事なの? その、本当のメラさんが」

「どうだろう、息子が家を飛び出して数年、一体何があったのか……」


 私たちが介入する事で、この世界にいたはずの主人公たちは一体どこへ行ってしまったのだろう。やはりただのゲーム世界では無い、何かが狂っている。


 だとすれば私たちは、何故呼ばれたのか? 新たな疑問を突きつけられる。


「本当のメラやゴウトやキオがどこかに……」


 言い掛ける私の前に、ネロが「黙っておけ」と言わんばかりに、そっと手をかざした。


「あまり公言しない方が良いでしょう。この事実に気付いた者は少ない。この薄っぺらな世界では、精々肉親ぐらいにしか絆は無いのですから」

「薄っぺらな世界って、まさかアンタも……」

「今は協力者、とだけ言っておきましょう。さて立ち話も疲れました。続きは上でゆっくり……」


 ネロが早口で何か呟くと、私たちの体に光の粒子みたいな物が溢れ出てきた。


 そして景色が一瞬揺らいだかと思うと、どこか懐かしい、見覚えのある様な風景が飛び込んできた。


■■■■■□□□□□


「連中が消えた? どういう意味だ!?」

「言葉通りですよ。少し目を離した間に、いきなり消えてしまいました。これも魔法でしょうかね」

「分からないからって、何でもかんでも魔法で片付けるんじゃない!」

「じゃあ国王様は何だと思いますか?」

「そんな不可解な事、魔法以外に考えられるか!」


 ヤックの報告を受け、ファスト国王は思わず口調を強める。思いがけない事態に、明らかに動揺していた。


「……仕方ない、一旦追跡は中止だ。お前も帰ってこい」

「え、良いんですか?」

「ああ。寄り道しないで真っ直ぐ帰れよ」


 そう言うと国王は、力が抜けた様に『飛声の月』を耳から離した。


「……またヤックが何かやらかしましたか?」


 頃合いを図って、ドイが声をかけた。


「報告だと、一向は旅の魔法使いと接触。そのまま消えてしまったとさ」

「消えた……まさか」

「いや、あり得る。その魔法使いとやら、おそらくパステルと呼ばれる魔法都市から来たのだろう。選ばれた術者だけが、都市と地上を行き交い出来るらしい」


 これは生前の大臣から聞いた情報だった。かつて事故により都市から転落し、かろうじて一命をとりとめた彼は、当初は故郷へ帰る為に転移術の研究を始めたという。


「都市と地上? まさかパステルとは地下に?」

「上だよ上、パステルとは天空に浮かぶ巨大都市だ」


 驚きのあまり、ドイはしばらく言葉を詰まらせた。国王はそれを嬉しそうに見る。


「やはりそうなるよな。それが普通だ」

「……正直に言えば、とても信じられません。都市が宙に浮くなど、誰も想像出来ませんよ」

「私も人から聞いただけで、実際見たわけではない。だけど信じたくもなるさ……」


 国王は握った『飛声の月』をじっと見た。


「魔法使いと呼ばれる連中が、我々の想像も出来ない技術力を持つ事、それだけは十分知っているつもりだからな」


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(思えば遠くまで来たもんだ……まあのんびり帰るか)


 夜も更け、野営の準備を始めるヤックだが、聞き覚えのある声が聞こえるとその手を止めた。


「……ク……ヤック……」

(国王様じゃない、誰だ?)

「ヤック、起きてるか?」


 飛声の月から聞こえてきたのは、国王ではなくドイの声だった。


「お前! バレたら殺されるぞ!」

「分かってる。だからその大声を止めてくれ」

「あ……すまん」


 ヤックは声を小さくした。


「で、規律に厳しい団長様が、王の私物を勝手に持ち出してまで何の用だ?」

「メラは無事か?」

「しぶとく生きてるよ。剣は二流でも、アイツには魔法があるからな」

「そうか……」


 不意に安堵の息が漏れる。それはヤックにも聞き取れる程、大きなものだった。


「そういやお前、友達いねーもんな」

「お前もだろう」


 二人はしばらくすると、クスクスと笑いだす。それは何年経っても変わらない、無二の親友にだけ晒せる心からの笑いだった。


 二人は戦災孤児である。故郷をファスト王国に攻め滅ぼされた際に、身柄をファスト国王に引き取られた。


 二人はまだ子供だったが、故郷を滅ぼされた事に怒りは感じなかった。むしろ国が吸収された事で生活水準が上がり、両親とはすでに死別していた二人にとって、貧困から救い出してくれたファスト国王は救世主の様にも見えた。


 それから二人は国王の恩に報いるため、出来る事を精一杯やり続けた。聖騎士団の見習いとして作法や武術を学び、やがては正式な騎士となり地位を上り詰めていく。血の繋がりも無い二人だったが、そこには決して消える事の無い友情と、揺るぐ事のない絶対の信頼が生まれた。


「とにかくメラは無事だ。お前もいっちょ口説いてみるか?」

「……お前、そういう趣味があるのか」

「趣味も何も、一人でも多くの女性と知り合うのは俺の生きがいだろが。ただこないだ初めて顔をしっかり見たが、あんな美人とは思わなくてなー。素顔知らなかったからなー」


 ヤックの発言に、ドイは戸惑いを覚えていた。


(メラは男だぞ、何を言っているんだ?)

「おい? 聞いてるか?」


 ドイは深呼吸をすると、ゆっくりと口を開いた。


「……ヤック、お前が会ったメラは一体誰だ?」

「メラは……そりゃメラだろ。聖騎士団のはぐれ者の」

「メラは男だぞ、その黒騎士の女は何者だ?」

「いや、だからメラだって。確かお前は見習い時代からの知り合いだよな、当時から性別不詳だったとか?」

「ふざけるんじゃない。あいつは確かに……」


 明らかに認識が分かれている。ドイはヤックがとぼけているのか、それとも自分が正常で無いのか、判断が付かなかった。

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