12章 『選択』 Stage Select

 意志を持つ全ての生物は、常に選択をして生きている。今この瞬間でさえ、ありとあらゆる選択が行なわれ、人は様々な人生を歩んでいる。


「何かをする」という選択もあれば「何もしない」という選択もある。そのどちらが正解で、どちらが間違いなんてことは、後になってみなくては分からない。


 ただ、大切なのはその選択が自分で選んだものか、それとも周りに流されるままに決められたものか、それを見定め、少しでもそれを制御しようとする事だろう。つまり『意志』を手に入れる事である。


 意志を持つ全ての生物は、常に選択をして生きている。それに気付いた者だけが選択する力を持ち、何物にも流される事なく、自分の運命を支配する事だろう。


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「魔物はいつ攻めてくる? 今日か? 明日か?」


 その日の夜、村長の部屋で机いっぱいに村の見取り図を広げて、私たち三人は話し合っていた。竜を見かけないからか、村長は今日一日やけに動き回る。この会議を開いたのも村長だった。


「今すぐ、というのは無いでしょう。先日のはおそらく偵察も兼ねた少数部隊。それが帰って来ないから、向こうも慎重になっている」

「それは、向こうがより慎重を重ね、戦力を増やすという事ではないのか?」

「とも取れますな。いやはや頭の回転が速い。頼りになります」

「馬鹿にしているのか!? 貴様ら、旅人だからって……他人事の様に!」


 人は後向きであればある程、自らに襲い掛かるであろう災いや苦難を鮮明に予想する。それが防衛本能なのか単なる怯えなのか分からないが、村長の不安は正確に物事を捉えていた。


「ですからハ……いや村長。向こうが学習せず、バラバラに来る分には心配ない。連携すら取れてないなら尚更、敵ではない」

「では学習して、固まってきたら? 連携を取ってきたら?」


 村長の言葉にメラは沈黙した。気休めの言葉も出ないほど、今の彼女にも余裕は無かった。


「……爺さん、もういいだろ。嘘吐いて乗り越えられる問題じゃねえよ」

「嘘? 今嘘と言ったな、私に何か不都合な事でもあるのか!?」

「……確かに、不都合ではありますな。いいでしょう」


 村長の剣幕に私は溜息を吐いた。そして、諦めた様に言葉を続けた。


「村長さん……あまり言いたくはなかったが、いざとなれば村人の皆さんの力も借りた、すなわち『総力戦』を覚悟してもらいます」

「総力戦!? 馬鹿な、話が違うじゃないか!」

「落ち着いて聞いてください。相手は戦力不明にして……おそらく多勢です。そんな連中に二人だけで勝てるほど、この戦いは甘くありません」

「敵が未知数なのは承知している! そんな事より……『二人だけ』? 今確かにそう言いましたな、あの竜はもういないのですな!?」


 私はメラの方を見ると、彼女は諦めた様に窓の外を見ていた。


「その通り、あの竜は一身上の都合によりいなくなりました。だから私たちだけでは勝てない、それが結論です」

「やっぱり! ああ……騙されたああああ!」


 村長が頭を掻き毟ると、残り僅かな頭髪が見る見る内に刈り取られていった。


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 翌朝、村長は村人全員を広場に集めた。早朝のため中にはまだ寝呆けた者もいる。高台のように置かれた中央の大きい切り株に村長が登ると、大声で話を始めた。


「皆おはよう。朝早くにすまないが、勇者様から重要な話がある。しっかりと聞いてくれ」


 村長と入れ代わりに、私は切り株の上に立った。


「細かい話は抜きにしましょう、あなた方にも武器を持って戦ってもらいます」


 私がそう言うと、村人は最初沈黙に包まれた。そして話を理解したのか遅れて騒ぎ始めた。中には「話が違う」などと叫ぶ者もいる。私は大剣を振りかざし、地面に勢い良く突き刺すと、村人は静まり返った。


「ハッキリ言って敵は未知数、大群で押し寄せてくる可能性もある。ワシらは敵を倒せても、さすがにあんた方一人一人までは手が回らん。つまりこの村を完全に守り切る自信は無いのじゃ」

(もっと言えば、オレたちはここを放って逃げる事も出来るんだぜ)


 メラは衝動的に、そんな事を喋りたくなったが、じっと話を見守った。


「何も最前線で戦えと、そんな無茶を言うつもりはない。ただワシらの戦いが少しでも楽になるように、手助けをお願いしたいのじゃよ」


 少し物腰を柔らかくして言っても、また村人たちがざわめき始める。村長の制止も虚しく、本日二回目の「話が違う」が聞こえてきた頃、いきなりメラの声が響き渡った。


「おいおい、そんな態度でいいのかな? オレたちはここを放って逃げる事も出来るんだぜ」


 それは、大声で叫んだ感じではなく、あくまで淡々と語り掛ける口調だった。それがまるでメガホンの音声の様に、不思議と村全体を包み込む。どうやら魔法のようだ。


「村を置いて逃げる? 正気か!? 同胞が……人間が魔物に殺されるんだぞ!」

「その通り。あなた方の抵抗も虚しく、愛する家族は皆殺しに、生まれ育ったこの土地も蹂躙されるでしょう。でもオレたちよそ者には関係ありません。真っ先に逃げちゃいまーす」

「ふざけるな! そんな事言うと、力ずくでも村から出さないぞ」

「へえ、戦闘も冒険もからっきし、生まれた村すら出た事もないような『一般人』が言うねえ。まだ自分たちの立場が分かってないようだな」


 メラが言い切ると、いきなり村人の中へ飛び込んでいった。流れるような動きで、男たちを次々と殴り飛ばしていく。


「何も出来ないならっ! 頭を下げてでもっ! オレたちに村を守ってもらわないとダメだろっ! おらおらおら!」

「村長! そんちょおおお!」


 こうしてメラの力押しの魔法により、村はどうにか一つにまとまろうとしていた。


■■■■■□□□□□


 じいちゃんの爆弾発言と、メラ姉ちゃんの大暴れは、文字通り村全体に火を付ける事になった。大人は恐い顔でバタバタと戦いの準備を始め、そんな様子を子供たちはただただ眺めていた。


 唯一、クミだけはいつものすまし顔で、一人バケツを持って村を出ようとしていた。慌ててぼくが追い掛けると、彼女はあからさまに嫌そうな顔になった。


「こんな時でも、クミは働くんだね」

「……孤児だからね。村に置いてもらう代わりに、やるべき事をやっているの」

「みなしご?」

「私、親がいないの。泣いたって誰も相手にしてくれないわ」

「ごめん……何でもかんでも聞いちゃって」


 ぼくはそれを聞いて、思わず謝った。


「別にいいわよ。親の顔なんて覚えてないし」


 そう言う彼女の顔はあまりにもクールで、落ち着いた様子はやはり同い年の子には見えない。女子は男子よりずっと大人だと聞いた事があるが、クミの場合は何というか、もっとずっと大人の様な気がした。


「話は変わるけど、あなた勇者の子よね。ハッキリ言って、この戦いに勝てるの?」

「え、いきなり何を……」

「答えて」


 あまりの迫力に、ぼくは「勝てる」と言えず、口を開いたまま黙ってしまった。


「そう……どこまでも正直なのね」


 彼女はため息を吐くと、静かに言い放った。


「キオ、あなた勇者を連れて今日中に逃げなさい。村は滅びるわ」


 ぼくは一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。まったく想像もしなかった答えが返ってきたからだ。


「え!? そんな、村の人たちは?」

「彼らは村から離れられないわ。今日の様子じゃ抵抗も付け焼き刃になるわね、何もできずに皆殺しにされる」

「そんな! 何で、そんな冷たく言うの……皆とうまくやってきたんじゃ……」

「……孤児ってね、やっぱり天涯孤独なの。結局自分が一番可愛いから、こういう時に躊躇なく、誰かを見捨てられるのよ」


 そう言い切ると、彼女はだんだん足を速くした。慌てて追おうとするぼくを見ると、彼女は振り返って手の平を突き出した。


「……『もう結構』って事? ぼくはここまでなの?」

「飲み込みが早いわね。いい子だからキオ、あなたは勇者を連れて逃げなさい。命は大切にするものよ」


 それだけ言って、クミは全速力で走りだす。ぼくはまるで金縛りにあった様に、そこから動く事が出来なかった。


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 ぼくは肩を落としたまま、村へと帰った。今になってどうして彼女の後を追わなかったのか、そんな事ばかり考えてしまう。


 村ではじいちゃんやメラ姉ちゃんが大人を集めて、陣形の組み方や武器の使い方を教えていた。学校だと運動会のダンスや組体操だって、何週間もかけて覚えるのに、たった一日で戦えるのだろうか。


(何も出来ずに皆殺しにされる)


 クミの予言が頭をよぎる。おそらくそれは当たってしまうだろう。いくらじいちゃんと姉ちゃんが強くても、竜でもないぼくがいなきゃ勝てっこない。だけどぼくはそれを誰にも話せないまま、とうとう夜を迎えてしまった。


「じいちゃん、今日は起きてるの?」

「そのつもりじゃ、眠くならんからな」


 じいちゃんは大剣を構えた。


「なあに、敵が来たら大暴れして皆を起こしてやるわい」

「そ、そう」


 ぼくは言いながら、そっと部屋を抜け出そうとした。


「キオ」

「ひぇっ!」

「村の外には出るなよ」


 じいちゃんの言い付けを守る気は無かった。ぼくは外へ出ると、近くにいたおばさんに話し掛ける。


「おばさん! クミは?」

「クミ……もしかして一緒にいた女の子かい? どこの子か分からないけど」

「どこの子って……毎日水汲みしてる子だよ! ほら、井戸が壊れてるからって」

「井戸が壊れてる? あれ、今朝はちゃんと使えていたけど……」


 ぼくは驚いた。クミの話している事と違う。何より、このおばさんはクミが誰だか分かっていない。ウソをついているようにも見えない。


「よく分からないけど、今日はあまり外に出ない方が……ちょっと!」


 気付けば村を飛び出し、川へ走っていた。そして見慣れた後ろ姿を見つけると、ぼくは叫んだ。


「クミ!」


 彼女はゆっくり振り返ると、いつもの色っぽいため息を吐いた。


「……逃げなかったのね。あなたらしいけど」

「村の人は君を知らなかった! どういう事なの!?」

「そりゃあ、あの村に来たのは最近だもの。適当に仕事してるフリして、村に溶け込んでいただけ」


 そう言いながら、彼女の体はじょじょに大きくなり、声も顔つきも大人っぽくなっていった。まるで朝のヒーロー番組で、怪人が正体を現した時とそっくりだ。


「人間って案外いい加減なのよ。簡単な受け答えだけで、隣人が誰かなんて探ろうとしない。無邪気な子供なら尚更ね」

「クミ、君は……」

「私は魔族、名前はとっくの昔に忘れたわ。得技は人を騙す事で、『淫魔』やら『サキュバス』なんて呼ばれたりもするわね」


 そこにいたのはもはや女の子じゃない、背もずいぶんと高い、大人のお姉さんだった。


「おいおい、何で人間がここにいるんだ」

「村に知らせられると面倒だ。早く殺せ」


 急に声が増えると、森の奥から次々と魔物が現われた。


「クミ……」

「特技を生かすのが仕事ってものよ。騙して悪いとは思うけど、忠告を無視したから自業自得ね」


 クミが近づき、ぼくをゆっくりと抱きしめる。いきなりの事でぼくはドキドキしたが、突然衝撃が体中を走ったと思うと、ぼくの体は宙に浮いていた。


「せめて、一瞬で殺してあげる」


 見れば彼女のヒザが、ぼくのお腹に食い込んでいる。そのまま彼女はぼくを蹴り上げ、最後にがら空きになったぼくの首を、するどい爪で真横に切り裂いた。ホラー映画みたいに、ぼくののどから血がシャワーみたいに噴き出す。


 だけど、ぼくは不思議と落ち着いてこの状況を受け入れていた。こんなムチャクチャなやられ方だからこそ、かえってゲームなんだと思い出させてくれたのかもしれない。


「ウソつきは……お互い様だよ」


 床に叩きつけられたぼくは、震える体で、道具袋から一本の注射器を取り出した。あの夜、魔法使いのおじさんがくれたものだ。ふと、おじさんの忠告を思い出す。


「君の体はもう人間だ。だけど、もう一度竜にならなきゃいけない時、この注射器を体に打つといい」

「じゃあ、人に戻るときは?」

「人には決して戻れない。人のまま平和に過ごすか、竜になって戦うか、よく考えるんだよ」


 もしかしたら、おじさんはこうなる事が分かっていたのかもしれない。このまま死にたくないなら、やるべき事は一つしかない。


(なに、休憩時間が終わっただけさ)


 ぼくは最後の力を振り絞り、注射器を腕に刺した。得体の知れない液体がどくどくと注入される。そして痛みの代わりに、抑え様のない悲しみがぼくの全身を走り抜けた。


(竜になるんだ……ぼくはまた人間をやめるんだ)

「キオ、何をする気なの? お願いだからもう……」


 服がビリビリと破ける音が聞こえたときには、ぼくの体は見慣れた姿に戻っていた。誰かが射った矢は堅い皮膚に阻まれ、飛び掛かる敵を鋭い爪で一撃で引き裂き、巨大な翼ではばたけば、風で森が騒ぎだす。ぼくの体は完全に竜に戻っていた。


「竜化……私も騙されてたのね。お見事」

「クミ、君にだけは嫌われたくなかった。これだけはホントだよ」


 ぼくは四つんばいになると、思い切りおたけびを上げた。


「女! 話が違うぞ、竜はいないんじゃないのか!?」


 誰かの怒号にクミは叫び返した。


「予定が少し狂っただけよ! 何のために切り札を用意したと思っているの!」


 クミが口笛を吹くと、奥から大きな音を立てて、ぼくより一回り大きい竜が現われた。全身が赤色で、目つきがとてもおっかない。いかにも強そうだ。


「当初の予定通り、竜は竜に任せて、私たちは村を攻めるわよ!」

「あ、ちょっと!」


 クミを追おうとしたぼくを、竜が立ちふさがった。掴み掛かろうとする竜と、ぼくは自然と手を握り合う形になった。


「邪魔するな!」


 両手に力を込めると、向こうも負けじと握り返す。そして力比べが始まった。


 一方で、キオのおたけびは周囲一帯へと響き渡たり、人々に戦いの時を知らせた。


「今の声は……魔物が来るのか!?」

「皆起きろ! 配置に付け!」


 不眠不休だったゴウトとメラが騒ぎたて、村人を叩き起こす。広場に集められた木々に火を付けると、瞬く間に燃え盛る炎が村中を照らす。


「いいか! 教えた通りにやるんだ。敵はよく狙え! なるべく近付くな! 絶対に一対一で戦うんじゃないぞ!」


 メラの『拡声の魔法』が、村人全員に響く。大人たちは弓や槍を持ち出すと、指示された場所へそれぞれ移動した。


「一応はホームグラウンド。少しは罠も用意したし、地の利はこちらにあるはずだが……」


 ぼやくメラに、ゴウトが肩を叩く。


「あくまで気休めなんじゃろ? 構わんさ。どうせまともに戦えるのはワシら二人だけ。当たって砕けろ、じゃ」

「砕けちゃダメだろ。まあ、やる事やったら逃げるけどな。ところでキオは?」


 メラの問い掛けに、ゴウトは口を開いたまま固まった。


「……まさか、見てないのか?」


(始まりやがった! 早めにやって正解だった!)


 村から離れた場所にいたヤックは、作業の手を急いで切り上げると橋の上へと登る。


 この山道から村へ行くには、巨大な川を越えなければならない。そのために人は橋を作り、ヤックはその橋の下に爆弾を取り付けたばかりだ。


(おやじさんからもらった貴重な『爆弾』……こんなに早く使う事になるとはな)


 ヤックは茂みに隠れると、弓を取り出し、矢に油の染みた布を巻き始める。


(他に道は無い。俺の読みさえ合っていれば、連中が素直に橋を渡ってくれれば……!)


 準備は整った、後は待つだけだった。大群が一斉にあの橋へ群がる瞬間を。


■■■■■□□□□□


「ぐぎぎぎ……」


 竜の姿に戻ったとはいえ、キオはまだ子供。成人と思わしき竜を相手に、体格差で苦戦を強いられていた。


「同じ竜だってのに! 何だってジャマするんだよ!」


 キオの声に対して返事はない。その代わりに敵意だけは、腕力という形で嫌というほど伝わってくる。キオは会話を諦めた。


(力じゃダメだ、絶対かないっこない。何か別の……!?)


 その時、相手の竜が突然手を離した。キオはバランスを崩し、両腕をバンザイさせたまま前のめりに倒れそうになる。


 その一瞬の隙を突いて、竜の手がキオの首を捕らえた。凄まじい力で締め上げられ、瞬く間に体力が減り始める。


(せっかく竜に戻ったのに! こんなんじゃ大きいだけ損じゃないか!)


 もう一度人間の姿に、そんな身勝手な事を思うと、キオは体が急に軽くなり、相手の拘束から逃れた事に気付いた。


「え!?」


 体を見回す。さっきまであった巨体も、緑の皮膚もない。見慣れた貧相な自分の肉体があった。しかし背中に羽と尻尾だけは残されている事に、キオは気付いた。


(もう人には戻れない)


 ふと魔法使いの言葉が頭をよぎる。人でなく竜でもない、そんな自分は何なのだろう。そんな疑問も目の前に迫る爪を見て、すぐに吹っ飛んだ。


(あれ……何だろう。さっきと同じ攻撃なのに)


 不思議と恐怖はなかった。底から湧いてくる力がキオを突き動かす。体こそ人間の子供だが、何だか竜の力が残されている様な、そんな都合の良い力だとキオは感じた。そして何より……。


「!?」


 キオと竜は同時に驚いた。目前まで迫った必中であったはずの爪が、十分な加速と広大な攻撃範囲で不可避であるはずの爪が、キオではなく空を切り裂いたからだ。そして竜の爪から更に離れた場所にキオはいた。


 そして、この不可思議な出来事が、どうやらとんでもない加速によるものだと、キオは考えてみた。


(やれる……このスピードなら負けない!)


 少し昔の、マンガやアニメに出てくるヒーローみたいに、キオは両手を突き出して飛んだ。それは銃から発射された弾丸の様に、目で捉えきれない速度だ。そして竜の動きを縫い止める様に、何度も何度も竜に体当たりを仕掛ける。


(やっぱり!)


 キャラが持ちうるステータスと、ほんの少しの勇気が結び付いたこの瞬間、キオはまた一つ強くなったのだ。


 竜は両腕を振り回すが、高速で飛び回るキオにはかすりもしない。一つの攻撃を避けられた後に十の反撃が襲い掛かり、全身に打撃を受け続ける竜は、やがて疲労と目眩でその動きを完全に止めた。


(今だ!)


 キオはまた竜の姿に戻り、ダメ押しの攻撃を加えようとしたが、相手が手の平を突き出しているのを見て、攻撃を止めた。


「もういい! 勘弁してくれ! 降参だ!」


 不意に声をかけられ、キオは驚いた。


「しゃべれるの?」

「ああ、俺も竜の端くれだ。アンタが竜人でも話せるさ」

「竜人? 竜とは違うの?」

「……竜人は人と竜の二つの形態を持つ、最強の生物だ。俺が逆立ちしたって、勝てる相手じゃない」


 竜はそう言うと、よろよろと歩き始めた。


「俺は単なる傭兵だ、身勝手ではあるが約束は守る。この戦いから降りるから、頼む。見逃してくれや」

「別に良いけど……もう悪さはしない?」


 キオの言葉に、竜は一瞬体を止めた。


「いや、また別の悪さをするのさ……」


 そう言って去っていく竜を、キオは追撃する気になれなかった。彼自身は気付いてないが、それはもう戦う事しか出来ない竜に対し、同情を覚えた瞬間だった。


 その頃、クミが率いる前線部隊は、橋を爆破されて混乱していた。仲間が一気に死に、進路が断たれ、後続の竜が来ない。そんな不安と動揺をクミが必死に抑えつける。


「うろたえるな! まだ負けたわけじゃない! 兵力はまだまだこっちが上よ!」

「出鼻をくじかれて何を言う!? いないはずの竜が出てくるわ、橋は爆破されるわ、散々じゃねえか!」

「死ぬならテメエ一人で死ね! 何が知略のサキュバスだ、何が諜報活動に自信があるだ! この惨状でまだ勝ち目があると思ってんのか!?」

「待って、待ってよ! まだ手は打てる! お願いだから……私を信じて!」


 言って、クミはハッとなった。『信じて』? 誰かを騙して生きてきた自分が、今頃『信じて』と言ったのか? 心の底から、誰かを求めてしまったのか?


(たった……たった一匹の竜のせいで……!?)

(女……? 明らかに周りから浮いている。アイツが頭か!)


 クミが思考を止め、その場で立ち尽くす。それは丁度、ヤックが弓の狙いを付けた瞬間と同調した。


■■■■■□□□□□


 ひどい光景だった。破壊された橋、川に沈んだ魔物の死体、そして地面に倒れたクミの胸には矢が刺さっている。ぼくは混乱した。


「クミ! クミ!」


 何度も呼び掛けると、クミは薄く目を開いた。


「……キオなの? かわいらしいものが見えるけど」


 クミの視線に気付き、僕は慌てて股間を片手で隠した。


「ねぇ、何があったの!?」

「見ての通り、私がやられて仲間はバラバラ。誰の仕業か知らないけど、惨敗よ……」

「は、早く村で傷を……」

「こんな姿で?」


 突き刺さった矢からは、青い血がどくどくと流れる。それが人間のものでないのは明らかだった。


「これが本当の私。人の皮を被った、何者にもなれない怪物よ……何もかも騙していてごめんね」

「いいから! ぼくはそんなの気にしないから!」


 ぼくはクミの体を持ち上げた。随分と軽く感じるのは竜人の力のおかげが、それとも……。


「そうそう……クミって名前、聞かれてとっさに出た名前だけど、呼ばれて悪い気はしなかったわ」


 言いながら、クミは少女の姿になった。


「この姿も、嫌いじゃなかった。あなたの事だって……」

「クミ……お願いだからもう……」

「……キオ、嘘を吐くってのはね、自分も騙される覚悟があって、真実から身を遠ざけるって事なの。よっぽどうまくやらないと、私みたいに……」


 言い掛けて、クミはぼくの腕の中でゆっくり消滅した。代わりにコインが空中に現れ、足下に落下する。


(全部で1000ジャラ……クミの命が、たったの……)


 ぼくは拾ったコインを握りしめると、両腕で地面を叩きつけた。いくら叫んでも、どれだけ悲しくても、ぼくの目からは涙は出ない。そして『選ばれし者』でもない、ただの敵キャラに過ぎないクミは、もう二度と生き返りはしない。


 何より、クミという女の子がいた事を、ぼく以外に誰も知らない。だから村の人は、誰一人死なずに済んだと思うだろう。


 だから、この戦いは勝てたけど、でもそれはクミが知らせてくれたからで、でもクミを倒さなきゃこの村は……。


「誰かいるのか!?」


 じいちゃんの声が聞こえ、ぼくは慌てて竜の姿に戻り、つぶやくように言った。


「もう……終わったよ」


 その時、現実世界で身動き一つ取れない学の肉体に、小さな変化が起きていた。


 目に浮かべた一粒の涙、それは誰にも気付かれる事無く、頬を伝って枕元へと消えていった。

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