第10話 珈琲


『どうも、こんにちは。いいお天気ですね』


不意打ちを喰らった。


昼間の授業が予想以上に早く終わり、馬鹿も無口も寄って来ない、言わば自分だけの優雅な時間。

絶好のチャンス。

俺は一人でほくそ笑むと、意気揚々に行きつけの喫茶店へ出向いた。

駅の近くにありながら、電車の走る音が煩く聞こえない。むしろ心地良く響く立地にあるのだ。

雰囲気もシックで煩い客も寄り付かない。

一人で落ち着いてコーヒーを飲んで休憩するには百点満点の場所だ。


最近行く機会が無かった(と、いうよりも馬鹿や無口に知られたくなかった)ので、久し振りに足を運んでみたが、客は俺一人。もっといいじゃないか。アイスコーヒーを半分まで飲んだ辺りで、俺は初めて文明の利器を怨む事になる。

所詮現代人は、利便性を求めるあまりその高性能さに支配されているのだ。

ケータイが突然けたましく鳴り、俺の優雅な時間をぶち壊す。見た事ない番号からの電話だった。

『あ、番号合ってたみたい。良かった』


「誰」

『嫌だなあ。私ですよ、私』

聞き覚えのない声にニ、三瞬戸惑ったが、手当たり次第に名前を挙げてみる事にした。

俺の優雅な時間を邪魔するのは−−。

「相川つづら」

『うふふ。残念。つづらちゃんじゃないですよ』

予想が外れて、思わず身体が前のめりになる。続けて名前を挙げてみるが、全て『はずれ』と切り捨てられた。

俺の知り合いで、奇妙な奴で、女。

「もしや」

俺が黙ると、アイスコーヒーの氷が崩れて綺麗な音が店内に響いた。

「無口か」

『はい、私です』

相手が顔をくしゃりとさせて笑った気がした。


無口は確かに、人懐っこい笑顔や仕草は可愛い。だが一切喋らないのはどうしても気味が悪かった。

神は二物を与えない、とはまさしく彼女の事だろう。

そこまで考えて、俺の思考が違和感にぶつかった。

「待て。何でお前は今喋ってるんだ」

俺が強く言うと、今度は相手が黙り込んだ。

店内がまた静寂に包まれる。

アイスコーヒーの水滴が静かに滑り落ちた。

俺がひとつため息を吐くと、相手が息を吸う音が聞こえてくる。


『それはあなたから声を掛けてきたからですよ』


俺に問い詰められて慌てて弁解した、というよりも、仕方なく俺を宥めるような言い振りだった。

無口と一度でも俺は会話を交わしたか?

拙い記憶を頼りにしてみるが、無口を初めて紹介された時のインパクトで上手く思い出せない。

何か思い違いをしているのか−−


『ほうれん草』


無口が語りかけてくる。

『ほうれん草をお礼に渡してくる人は初めてでした。それに、昼と夜を間違えている人なんて更に予想を上回りましたよ』

「それは」

『私はあの時、ちゃんと昼だと伝えたはずです』

いつの間にか、無口は俺を責めるような強い口調に変わっていた。

『良いですか。つづらちゃんは言っていないかも知れませんが』


『夜は人間の時間ではありません』




それ以降、無口は喋らなくなった。

喫茶店にはまだ俺しか居ない。

電車の音が聞こえてくる。

電話が、切れた。

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笑うムーンナイト 重宮汐 @tokei

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