第21話 最終回 「戦い終わり!」
ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
「戦争交響曲」(ウエリントンの勝利またはヴィットリオの戦い)
・・・・・さんからのお手紙
みなさん、こんにちは。
わたしは、「戦争交響曲」であります。
ひとつお伺いしたい。
わたしは、今日、「駄作」、「凡作」、「無駄」と言われ続け、けなされ続けております。
この世に存在していることすら、許しがたいというくらいに。
実際のところ、どうなのか。
わたしは、実際のところ君たちにとって必要のない、よけいな存在なのかね?
例えば、同じような趣向の作品であるチャイコフスキーさんの「序曲1812年」くんは、まあ多少そういわれることもない事もないらしいが、おおむね好感度が今でも高いようだ。
新しい録音方式が出た!とか、オーディオマニアさんむけのレコードやCDになると、何やら、妙にもてはやされていたような気がするのである。
確かに、時代の推移というか、彼の場合はでっかい大砲をぶっ放す。
わたしは、空気銃のような音で、軽くパンパン、ポンポンと撃ちあうが、彼のような迫力はない。
よって、わたしには、そうした世俗的な賞賛は、今はもう与えられないのであろう。
昔はそうではなかった。
そう、わたしが作られた当時は、すさまじい爆発的な人気を博したものなのだ。
初演の時は、第七交響曲くんがいっしょだった。
同じような、のりのり音楽なのだが、彼は名曲として今も名声をはせている。
どこが違うのだ?
わたしは、今でいえば、ステレオ効果をまで考慮し、舞台上で華々しい戦闘を演じる、きわめて独創的な作品であった。
言ってみれば、今日の映画音楽や、テレビやゲーム音楽などの超娯楽最先端ミュージックであった。
もし、わたしが、そこらへんの、並の作曲家の作品であったら、おそらくは、こうした批判の対象とはならなかったであろう。
(もっとも、とっくに消えていたかもしれないが。)
ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートヴェン氏の作品であるがゆえに、このような批判を受けるのであるとすれば、それは悲しむべきか、あるいは喜ぶべきなのか?
「そうでなければ、ならないのか?」
君たちは、音楽個々の人格など、考えることはないであろう。
しかし、もし君たちがわたしであったら、なんと感じるのであろうか?
人生には、確かに華々しい時期もあれば、やがては衰退して、消えゆくのみとなる時期もいつか来るであろう。
「すべて衰退してゆくものに、栄光あれ!
なんじは、偉大であった。」
わたしは、君たちに、こう言い残して、ここから去ることにしよう。
ありがとう。
終了
*******************************
*本当にありがとうございました♡ 筆者より
レアオン詩編集 やましん(テンパー) @yamashin-2
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます