第13話
うちの高校の文化祭はいつも夕方5時には終わる。
そこから6時半くらいまで片付けをした後、生徒会主催の後夜祭が9時くらいまである。これは自由参加。
内容は、部外者も見にくる文化祭ではちょっと慎みましょうと言われるようなものばかり。男装女装コンテストとか、キャンプファイヤーを囲んでのフォークダンスとか。
で。
今、何時だっけ、と、携帯を取り出して、スリープを解除すると……19:01。
やることないなら帰ればいいのにとは自分でも思うのだが、俺は屋上のフェンスにもたれかかって、ひとり空を仰いでいた。
もう日は落ちて、あたりは薄暗い。でも、グラウンドで上がっているキャンプファイヤーの巨大な炎は、ここからでも見える。
このくらい、遠くから見ておくのがちょうどいいんじゃないだろうか、と思った。
午後の時間も、職務に集中することで乗り切る……つもりだった。
「苦情が来ました」
「苦情ですか」
「魂の叫びというか、あいつだけ異質な怖さがあると」
「異質な……」
噛んで含めるような説明と共に委員長が眼鏡を押し上げた。
「硲くん。少し、休もう」
「そんな」
どうも熱が入りすぎたらしい。
時刻は、ちょうど3時半。4時からライブ。行けてしまう。
「いや、でももうすぐ終わりでしょ。お客さんもそろそろ少なくなってきてるし。いっそ最後までやってくって」
「うん、もうすぐ終わりなんだし、もう休みにしていいかなって。硲くんずっとがんばってたでしょ? ほら、軽音楽部のライブもあるし、このへんで終わりにして遊びに行ったら」
「……」俺はそれに行きたくないからずっとがんばってたんですよね……。
なんとか教室に居座ろうとは試みたものの、委員長は100パーセントの善意で言ってくれていたので決着がつかなかった。
ライブ自体を見たくなかったわけでは……ない。たぶん。
時枝の件がなければ普通に俺も盛り上がれたと思うのだが、今はもうそんな気分じゃなかった。
だから、こんなタイミングで暇を出されると、ちょっと困る。
「あれ、もう店じまい~……? やっと接客終わったから遊びに来たのに……」
そしておまえはなぜこのタイミングで来るんだ。
心なしかよれよれになったように見えるウェイター服のエプロンを引きずるようにして、廊下の向こうから宮本がやってきた。まさかずっと一人で働いていたのだろうか。まさかな。
「ほら、宮本くんも来たし。ちょうどいいんじゃない?」
「……」
というわけで、そうなってしまった。
「……なんで俺が手伝ってんだ?」
「ごめんねー硲。上野か吹石ちゃんが持ってってくれてると思ったんだけど、二人とも忙しかったみたいで」
そういういきさつで、宮本について体育館まで行くことになってしまった。
なぜか俺が右肩にベース左肩にギターのケースを担いで。
「楽器ぐらい最初から持ってってるもんじゃねーのかよ」
「ギリギリまで練習したかったから……」
「……」なんともまあ、マイペースな男だ。そういうとこ、時枝と似て……似てるか……? そうでもないか?
持ってみると楽器は意外と重い……というか、この手のケースは一人で二つ持つようには作られていない気がする。
接客で疲れているというから俺が荷物持ちをやっているが、当の宮本はとても気楽そうに口笛を吹いて歩いている。俺はため息をつきながら聞いた。
「あー……ライブが4時からで? その前なんだっけ?」
「科学部だったかなあ。割れない風船の実験みたいなやつ」
「科学部ね……」
プログラムを書いたプリントは前日ちゃんともらっていたはずなのだが、激務の中でどこかへやってしまったらしい。
あまり遊んで回るつもりもなかったので、記憶にも残っていない。
「んじゃ、軽音部の後は」
「なんにもないよ。閉会式」
「トリかよ、おまえら」
「そのと~り。今日は俺たちがヒーローです」
「ハッ」両手を広げて胸を張る宮本の姿はどこか間が抜けていた。
でも、盛り上がるイベントを最後のほうに持ってくるってのは、そりゃそうか。
たぶん、ほんとにヒーローなんだろう。
「顧問の先生と、あと上野がねじ込んでくれたんだよね~。どうせアンコールとか色々あるだろうから、予定した時間通りで終わるはずがないー、って。
でも変に伸びちゃうと後ろの人に迷惑かかるからー、じゃあ一番最後に入れといて、もし伸びたら閉会式の挨拶は手短に済ませる感じで、覚悟しといてくださいね~……って校長に。直談判」
「へー……」
両肩のケースを背負い直すと、宮本は広げた手をそのままに、竹トンボみたいにくるくる回る。
「最初はねー、もっとあくどいことも色々考えてたんだけどねえ。絶対時間はみ出るだろうってなったときに、こっそり体育館の時計をいじるんだよ。
誰か協力してくれる人を探して、その人に、こっそり、気付かれないくらいこっそりね、体育館の時計を遅らせてもらえば、実際は時間オーバーしてるけど、気付かれないままいけるんじゃないかな~……って」
「おいおい」
「でもねー、あれ、そーいや体育館の時計ってどこで操作してるんだろうって話になって。それで時枝ちゃんに聞いてみたら……」
「……学校の時計って、だいたい全部繋がってんじゃなかったっけ」
「あ、やっぱ硲も知ってるんだ。なんだっけ、親時計と子時計、みたいな話だよね」
「それ」
親時計というのがまずひとつあり、その時計から送られる電波だか信号だかによって、その他大勢の子時計の時間を一括で調整する……というのが、学校に設置されている時計の仕組み。だと聞いた。
たしか小学生くらいのころ、時枝が得意げに披露していた豆知識……だったはず。
校舎の外壁にかかっている時計とか、それこそ体育館に設置された時計とか、そういう見える範囲にある時計はだいたい全部子時計で、職員室かどこかにある親時計で一括管理している。
つまり、体育館の時計だけを単品でいじるのは難しく、というかそれをやるならまず職員室に忍び込まねばならない。
「時枝ちゃんそういうの詳しいから、あわよくばー、協力してもらおうーとか話してたこともあったけど、さすがに職員室はヤバいよね~。
上野はしばらく潜入作戦とか考えてたみたいで、仲間も探してたみたいだけど、さすがに冗談になんないからやめろーって吹石ちゃんが……」
「んなことまでやろうとしてたのか」
「うん、けっこーマジっぽかった。ライブ終わったあとで告白するつもりだったらしいからねー、いっぱい盛り上げたかったんでしょ」
「……青春だなあ」
そっぽを向きながら言った台詞は、そんなに吐き捨てるようなものではなかったと、そう思いたい。
なんと言えばいいんだろうか。今この瞬間、……この瞬間? どう言うべきかは知らないが。
世界は、軽音部を中心に回っているんだな――と、なんとなく、そんな気がした。
両肩にのしかかるケースの重みがいっそうそう思わせるのか……
……っていうか、ライブの後で告白か。まあ、そういうことにもなるか……。
「どしたの?」
「あー、いや、別に」
さすがに、世界がどーとかこーとか真顔で口にする歳でもない。あと、失恋を嘆く場でもない。
そういう歳でも場でもないのだが、もう少しこの状況に即した表現を思いついたので、そっちは自然と口に出てしまった。
「なんつーか、時計の針は軽音部を中心に回ってんだなー、って」
「え、なにそれ」笑われた。
「いや、なんつーの? 今日という日のために、時計までも歪めてしまう、時間までも歪めてしまう、その軽音部の輝きを見ろー! ……みたいな?」
担いだケースでうまく回らない肩を一生懸命回して、大げさな身振り手振りを交えてそんなことを言った、が、途中から自分でもわからなくなった。何が言いたかったんだっけ。
しかし、宮本は首をかしげることもなく、そこで足を止めた。
「まあ、そりゃそーでしょ?」
「あ?」なんかガラの悪い返事になったが、それは何のことかわからなかったからだ。
立ち止まった俺と向かい合い、宮本はにこにこ微笑んでいる。
「だってさあ、そうでしょ? 自分の世界はー、自分の時間の中心はー、いつだって自分に決まってるでしょ。そうじゃない?」
しばらく時が止まった。
男二人、廊下の真ん中で突っ立って見つめ合う不思議な数秒間。
左肩に担いだギターのケースがずり落ちそうになって、慌ててそれを抱え直したことをきっかけに、宮本はまた歩き出す。
それを追って歩く俺が見ていたのは宮本の背中だけで、つまりそこから続く宮本の言葉は背中で語る言葉だった。
「んーとね。俺はさー、将来ロックで食っていくー! とか思ってるわけじゃないよ、別に。でも、今こうやって、上野とか吹石ちゃんと一緒に軽音部やってる、というかやってきたってのはホントのことだし、それは別に、後になって思うと全部無駄だったー、無駄な時間だったー、ってことになるようなもんでもないと思うんだよね」
そういうもんじゃない、と聞かれたが、答えることはできなかった。答えるには、何かが足りない気がする。
しばらく考える時間が欲しかったが、宮本は別にそれを求めているわけでもないようだった。で、と急に話を切って、次の話題へと移る。
「で、結局硲はライブ来るの?」
「……あー、そーいや、結局特等席って何だったんだ?」
「ああ、それ。えーっとね、なんていうのかな……舞台袖?」
「舞台袖」なんじゃそりゃ。
「えっとね、時枝ちゃんって結構時間にはきっちりした人じゃん。だからかなー、体育館の時計いじるとかいじらないとかそんな話したときね、そーいうのはあんまよくないって言われて。
で、その流れで……だったかなあ。軽音部のアシスタント? みたいな人ってことで、舞台の脇に入れてもらえるように上野が話つけたんだよね」
「アシスタント?」
「うん。ライブがなるべく時間通りに進むようにー、押したりとか巻いたりとか、そーいう指示を横で出してくれー、って……あれ、押すと巻くって意味同じだっけ。ん? 違ったっけ?」
時枝の正確な体内時計を思えば、それはまあ、適役なのだろう。
「で、硲がその気ならー、硲もそこにいていいよ、っていう話だったんだけど」
「舞台袖って、横から見んのが特等席かよ」
「違うかなあ? すっげー近くで見れるじゃん、最前列で見るよりも、もっと」
「つってもなあ」
「まあ、そういうのはなんでもいいの。結局、来るの? 来ないの?」
「……」
沈黙を生んでしまった。
が、来るか来ないかを聞いている時点で、宮本も俺が来ないという可能性を想定に入れているわけで。のほほんとした人間に見えるが、これで意外と気は回るのか。
下のほうへと視線を落とし、少しの間考え込む。
どちらであっても構わない、と、そう言外に言うかのように、まるで天を仰ぐかのように、腕を広げて大きく伸びをする宮本――
「……自分で、持ってけ!」
の、両腕にギターとベースのケースを引っ掛けて、俺はその場を立ち去った。
重みでふらつく宮本はさながらヤジロベエのようだったが、あれで案外足元はしっかりしていたり……するのだろうか。
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