4.恋の相対性

第12話



 しかし、実際そのときが来るともう腹をくくるほかないわけで。

 ただ目の前の事態に対処することだけを考えていれば、案外なんとかなるものである。 

 というわけで、俺は文化祭の午前中を職務に集中することで乗り切った。

 そうして少し休みができたので、今はちょっと遊びに来ているところだ。

「はーい、喫茶二年五組にようこそ~。何名様でしょう?」

「……」シーツ越しに指を一本立てる。

「はいはい、幽霊様一名ご案内~」

「って、幽霊じゃないでしょ幽霊じゃ!」

「あいたっ」

 宮本はウェイター服を着ていてものほほんとした雰囲気が消えなくて、メイド姿の吹石にひっぱたかれていた。ついでに俺もシーツを剥ぎ取られた。なんだこの乱暴なメイドは。

 それまで暗いお化け屋敷の中にいたというのもあって、明るくかわいらしく飾り付けられた五組の教室はいやにまぶしく感じる。目を細めながらテーブルに着くと、吹石が渋い顔で水を出してくれた。

「……ああそう。二組の幽霊ってアンタだったのね……」

「すごいよねー、二組のお化け屋敷。めっちゃ盛り上がってるらしいじゃん」

「まあな」ふっ、と髪をかき上げる。

 自慢じゃないが、わがクラスの集客力はなかなかのものだった。客引きを受け持った上野の力も大いにあるだろうが、やはりここは俺を含むお化け役たちの熱演を誇るべきではないか。

「特に幽霊役がすごいんだってね。衣装の作りはショボいくせに変に鬼気迫るものがあって別の意味で怖いとかなんとか」

「……」

「……」

 改めて言われると、こう、なんとも恥ずかしいものがあったので、吹石からシーツを取り返して静かにそれに包まった。何も言わずに差し出してくれたあたり、吹石にも同情されている。

 何も覚えていない。いないぞ。持ち前のコミュニケーション能力で客をざくざく集めていく上野の姿に受付の時枝が熱い視線を送っていたような気がするが、その間俺は無心で役に徹していたので覚えてないんだ。

「で、注文なんにする~?」

「強めの酒を」

「ふざけてないで」メニューの角でコツンとやられた。

 二度目、三度目とコツコツコツコツ俺の頭を叩きつつ、吹石はため息を吐いて言う。

「一応言っとく。ライブは4時から体育館だから。来るつもりなら、特等席、用意してあげないこともないけど」

「……なんだよ特等席って」

「それは、来てからのお楽しみ~。今のところ時枝ちゃんしか使えない席で……って、あれ。これ言っちゃったな」

「……ま、最後のチャンスってとこよ」

「吹石……」

「……」

 ちょっと感動したので、熱烈な視線を吹石に向けてみる。ガラにもないことを言った自覚はあるのか、どこか居心地悪そうにそっぽを向いて長いスカートをいじっていた。

 ……が、しかし。

「……おまえにすら気遣われるようになると、来るとこまで来てんだなあって実感するから、やめてほしい」

「あ、アンタねえ……」

「日頃の行いって大事だよねー」

「ちょ、ちょっと宮本まで……」

「……」

 ……今の台詞も、まあ、空元気だ。

 あまり怒っていないあたり、吹石も察してくれているのだろうか。なんとも情けない姿である。

「……チョコパフェ、くれ」

「はいはい、了解~」

 甘いものが食べたい気分だった。注文を受けた宮本は少し奥のほうへ引っ込んで、給仕の準備にかかる。

 その背中を見送ると、吹石がズズイと俺のテーブルににじり寄ってきた。

「アンタさあ、ひとつ聞いときたいんだけど」

「……なんだよ?」

 そこまで客は多くないのだが、警戒するように周囲を見回し、声も極力潜めている。

 しかし、そうやって潜められていても、声にはわずかな呆れのようなものを感じ取ることができた。

「たしかに上野はかっこいいけどね、それで自分に勝ち目がないって、アンタほんとにそう思ってる?」

「……」

 正直に……答えられるわけがない。

「……。だったら、さ」

 そこでまた周囲を見回し、客がほとんどいないこと、宮本はまだカップにアイスを積み上げる作業で忙しいことを確認すると、吹石は顔をグッと近づけ、小声で、こんなことを言った。

「……なんで、あたしが上野じゃなくて……宮本……のこと、好きになったと思ってんのよ」

 宮本から後ろはほとんど囁くような声だった。

 言ってて恥ずかしかったのか、頬はほんのり赤く染まっているし、視線は左右に揺れている。

「……なんで?」

「な! なん……なんでって、……そ、そんなことわざわざ聞かないでくれる!?」

 バカじゃないだろうか。

 自分から振ってきたくせに、聞き返すと急速に赤くなっていった。それで接客できるのかってくらい真っ赤――

「はーい、チョコパフェ一丁あがりでーす」

「ちょ……ッ!!」

「ぐわッ」

 そこに宮本が戻ってきたので、吹石は胸に抱き込んでいたメニューをなんの反射かまっすぐ前に突き出した。それが俺の顔面にぶち当たった。

「わあ、バイオレンス」

「……、……、……!! あ、あたしもう上がる! 最後に一回練習しとくから! じゃあ!」

「あっ、ちょっと。えっ、それだと俺一人で接客……」

「……」

 呆然と手を伸ばす宮本、呆然と眺める俺を振り返りもせずに吹石は逃げ去った。

 あいつ、他人にあれこれ説教するより前に、やるべきことがあるんじゃないか。恥ずかしがる癖直すとか。

 しばらく宮本と顔を見合わせる。

「ま、いっか」

「いいのか」

 宮本はわりと温厚な男だ。

 なぜ宮本に惚れたのか? 惚れていること自体は見ていてわかりやすいのだが、そういえば理由までは知らない。

 しかし、考えてみれば吹石は軽音部なわけだから、宮本と過ごしたのと同じ時間、上野のことも随分近いところで見てきたはずなんだよな。

 その上で宮本のほうを好きになったのはなぜか、って話なんだろうか? つまり上野と宮本なら上野のほうに惹かれるのが普通のはずなのにって意味で、いや、それナチュラルに失礼じゃないだろうか。

「いろいろ悩むもんだよね、みんな」

「そういう年頃だからな……」

「そんなもんなのかな……」

 まあ、好みは人それぞれと言うし。宮本のこののんびりした感じは、これはこれで、こっちのほうがいいと思うやつだってそりゃいるだろう。

 でも、それにしたってなにかしら光るものがなければ話にならない。

 なにかしらの価値があって初めて「それぞれ」の土俵に上がれるというものじゃないか。

 そして、俺に、そんなものがあるか?



 

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