第7話
……そうだよな、誰かと過ごす楽しい時間っていうのは、普通早く過ぎるもんなんだよな。そのはずなんだよな。
ところで、幼馴染との帰り道っていうのは、こんなにぎこちないものだっただろうか。
「ひさしぶりだよな、こうやって一緒に帰んの」
「そうだね」
「……ゲーセンでも寄って帰るか?」
「うーん。今日は、いいかな」
「そうか……」
右手首の腕時計を見る。ちょうど、17時30分。
「あー、あー……えっと、そろそろ急いだほうがよくね? 次の電車まであと10分ないし」
「……? 次の電車? 10分?」
時枝は手首の内側に巻いた腕時計の文字盤をちらりと見た。
「……」
「39分の電車ってもう出たでしょ? もともともうちょっと後の電車乗るつもりだったけど」
「あっ? あー……あー、そうだった。ははは」
ごまかし笑いを挟みながらこっそりと携帯のディスプレイを確認。17:41。
俺の体感時間がズレている。
『で、好きな子と一緒にいる時は、その女の子の時計はもう門限の8時を指してるのに、おまえのこの時計はまだ7時10分だったり……』
「あっははははははは」
「どうしたの?」
「いや、別に」
親父さんの言葉を振り払うように側頭部をゴスゴス叩くと、時枝は少し不思議そうにしていたが「まあ、どうでもいいけど」といった表情を浮かべて歩き出す。
まさかこの幼馴染相手にこれほど心を乱される日が来ようとは。俺はその背中を追うように歩き出す――
――ところで。
さっきから、屋上で吹石の言葉を聞いたときから、頭の片隅で絶えず渦巻いているひとつの疑念。
その正体が、今、見えそうになっているのに、それがあまり喜ばしくないのは、なぜなんだろうな……?
結局、どこにも寄り道することはなく、俺たちは駅のホームで電車を待っていた。
さて。
どうも軽音部の連中が作ってくれたらしいこのチャンス。そう、チャンスのつもりで作ってくれたのだろうが、今、このとき。
解いてはいけない謎がある。
誰も幸せにしない推理がある。しかし――
さっき、ちらっと見えた時枝の腕時計。そんなにはっきり見たわけじゃないが、銀色で、しかし文字盤だけがうっすらと赤かったその時計は……
俺の右手首のこの時計と、よく似ていたような気がする。
制服の袖をぐっと引っ張って、水色の文字盤を隠すようにしてから、聞いた。
「もうすぐ文化祭だよなあ。上野、ちゃんと弾けんのかね?」
「大丈夫だと思う。上野くん、ほんとすごいんだよ」
「へー……」
「もうほんと、聴いててドキドキするくらい」
「へー…………」いつになく、嬉しそうな顔をしていますね、時枝さん……。
――あの子がいつも着けてる時計、最近調子おかしいっぽいよ。あたしが見たときいっつも遅れてたから。
吹石の台詞だが、あいつは俺たちとクラスが違って、そして軽音部員である。プライベートでどのくらいの付き合いがあるかは知らないが、時枝は最近音楽室にちょいちょい顔を出す。
つまり、『あたしが見たときいっつも』というのは、主に軽音部での話なのではないか?
上野もその場にいるであろう、軽音部の練習風景を眺めているときの話なのではないか?
自分で時計を直すことができる時枝の腕時計が、傍から見ていても気付くほど何度も何度も遅れを起こすのは、故障じゃなく、元から
「なんか食って帰るか」
「ううん、今日はちょっとやることあるから」
「……そうか」
で、体感時間が実際の時間より遅れるということは『えっ、もう一時間も経っちゃったの? まだ10分くらいかと思ってた……』という意味なわけで、つまり。
……つまり、おそらく、時枝は上野といる時間を……こう……楽しみに、感じている……わけで……ドキドキしているわけで……。
「なあ、時枝」
となると。
となると、ここまでの推理がすべて正しいとすると、そうなると……
「……今、何時?」
「今?」
時枝は手首の内側に着けた腕時計を上品に見た。
――銀色の時計。しかし、文字盤が微妙に赤い。
「5時59分。あと3分で電車来るよ」
「……そうか」
そんな言葉を聞きながら、俺はホームの時計を凝視していた。5時59分。
ポケットから携帯を取り出し、ディスプレイに映る時刻を確認。17時59分。
寸分の狂いなく一致している。
……さっきから、チラチラと横目で時枝の時計を確認していたのだが、携帯の時計や駅の時計と見比べて確認していたのだが。
さっきから、ずっと。
こいつのこの時計が、携帯や、駅のホームの時計が示す時刻と1分たりともズレることがない、正確な時刻を指し続けているのは……どういう意味に捉えるべきか……?
「なあ、時枝」
「なに?」
かなり嫌な予感がしていた。けど、確かめずにはいられなかった。
その瞬間、駅のホームが突然静かになったような気がしたのは、俺と時枝以外の存在がどこか遠くへ行ってしまったような気がしたのは、さすがに気のせいだと思う。
しかし、そんな気がするほどの覚悟をもっての質問だった。
「俺のことを……あー、おまえにとって、でいいんだけど。俺のことを一言で表すなら。俺ってどんな人間だと思う?」
「どんな……?」
ホームに迫りくる電車の、ガタン、ガタンという音すらも、その瞬間はどこか遠かった。
「……空気みたいな、どうでもいい存在、かなあ」
そこから家に帰るまでの記憶がまったくないのだが、とりあえず、人間は放心状態でも電車に乗ることくらいはできるらしい。
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