第3話


 そうして連れて行かれたのは、居間。俺と親父さんはテーブルを挟み正座して向かい合う。

「昔した約束、覚えてるか?」

 その台詞と共に親父さんが取り出したのは、手のひらサイズの紺色の箱――婚約指輪をしまっておくケースのような、あんな質感の箱だった。

「昔した約束……」時枝が俺に時計を作ってくれる、っていう――

「俺がどうやって母さんをモノにしたかという話だ」あ、そっち?

 そういえばそんなことも言っていたような記憶はあるが……はばかりなく言わせてもらうなら、今それどころじゃないからほっといてほしい。

 しかし親父さんの次の台詞はもっとはばかりないというか、パッと聞いても意味がわからないものだった。

「実はな、時枝家には代々伝わる魔法の時計……いや、魔法の時計の製法がある」

「……」

 いや、だって『魔法』だぜ。50手前のオッサンがいきなり『魔法』って真顔で言うんだぜ?

「……魔法って。いや、歳考えてもの言ってくださいよ、ははは。はははは」

「……」

「……」

 ……いつもなら、親父さんに対して年齢どうこうの話をするとブチ切れられる(おっさん、おじさんと呼ぶと怒るから親父さんと呼んでいるのだ)。

 それがまったくない、真剣な表情で押し黙っているということは……真剣マジな のか……?

「……設計図があってな。まだ部外者のおまえにそれを見せるわけにはいかないが……時枝家の人間は、その時計を作れるようになって初めて免許皆伝ということになっている。

 だが、肝心の時計については、俺の代でもまだ詳しいメカニズムが解明されていない。どういう仕組みでその時計が動いているのか、作ってる職人にすらわからない」

 だから魔法の時計なんだと、至って真面目に親父さんは言った。

「……」

「で、それがこの時計だ」

「えッ!?」

 何の前振りもなく、親父さんは紺色の箱をパカっと開けた。

 オーパーツ、ロストテクノロジー、オーバーテクノロジー……思いつく限りの怪しい単語が頭の中でぐるぐる回る――

 ――中に入っていたのは、何の変哲もない銀色の腕時計。文字盤がほんのり水色をしているが、特になんということはない、普通の時計のように見えた。

「……これが、ですか?」

 恐る恐る指差しながら言うと、親父さんはあっさり「そうだ」と頷き、箱ごとその時計を俺のほうへ突き出してきた――あっ、っていうか現存してるならとりあえずロストテクノロジーではないな。

「その時計はだな、持つ者の『体感時間』を刻む腕時計なんだ」

「……体感時間?」

 時計と親父さんの顔を交互に眺めて聞くと、親父さんは神妙にうなずいた。

「簡単に説明するとだな、退屈な時間、苦痛な時間というのはとても長く感じる。実際の時間では10分しか経っていないのに、早くこの時間が終わらないかなとか、そんなことばかり考えて過ごすせいで、本人にとっては20分経ったように感じる。そして言うんだ、なんだよまだ10分しか経ってねえのか、20分くらい経った気がしたのに、って」

「……」

 数学や物理の授業でよくある現象だ。

「一方で、好きな女の子と一緒にいる時間は短く感じるもんだ。なんたってドキドキするからな。その子の一挙手一投足にいちいち意味を考えちまって、そうしてる間にも時間は過ぎる。

 実際の時間は10分なのに、自分の中で忙しくウダウダ考えてそっちに集中力を持ってかれるから、時間が過ぎるのに気付かない。もう10分も経ってんのかよ、まだ5分くらいじゃねーの、って」

 そういう体感時間のほうを取り出すのが、この時計なんだ。

 そう言われても、いまいち意味を測りかねるところがあった。

「……というと?」

「つまり、つまんねー授業受けてるとき、この時計は9時20分を指す。教室の時計はまだ9時10分なのに。本人は20分くらいに感じてるからそうなる。

 で、好きな子と一緒にいる時は、その女の子の時計はもう門限の8時を指してるのに、おまえのこの時計はまだ7時10分だったり。もう1時間も経ったのかよ、まだ10分くらいじゃないのかって。そういうことが起きるわけだ」

「……」

 しばらく、言われたことの意味を考えていた。

 その間にも親父さんは話し続ける。

「おもしろいだろう? 俺も長いこと研究を続けているが、未だにどういう仕組みで動いてるのかわかんねえんだ。ただ、この時計を作れるようになる、その条件はハッキリわかってる――」

 そこで意味ありげに言葉を切り、チラチラと、質問を促すように俺に視線を送ってきていたが、俺が黙りっぱなしだったので仕方なく親父さんは続けた。

「設計図だけ見てれば作れるってもんじゃない。――――必要なのは、『愛』だ」

「……」

「時枝家の人間は、愛を知り、理解して初めてこの時計を作ることができるようになる。そしてな、時枝家の人間は生涯にこの時計を二つだけ作るんだ。ひとつは自分用に、もうひとつは生涯愛する相手と定めた相手に送るため作る……そう、俺はプロポーズの前日ようやくこの時計を作れるようになったんだ。そしてあの日――」

「あ、その話はいいんですけど……」

 たぶん理解したと思うのだが、どうしても気になることがあった。

「えっと、どういう時計なのかはわかったんですけど、その……」

「なんだ?」

「……勝手にズレる時計って、それ、なんか役に立つんですか?」

「……」

「……」

 若干の沈黙があって、それから親父さんの目が泳ぎ始めた。

 その間に『オーパーツ』も『オーバーテクノロジー』もどこかへ行ってしまって、入れ替わりにやってきたのは『無用の長物』ただ一言……。

 愛だなんだと語るのはいいが、愛を育むにあたってこの時計は一体どう役に立つんだ? 聞くかぎりだと普通の時計として使うのも難しそうな時計だが。

「まあ、なんだ。その、うちの娘ともうまく行ってくれないとまあ親としても不都合があってな。だからなんだ、その……」

 ゴホン、とそこで咳払いをして、親父さんは低い声を作った。

「その答えは、おまえが自分で見つけるんだ」

「……」

「……」

 しょっぱい魔法使いだなあ……。

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