第11話 ケルベロスは歌う
「レイジー! ナイスプレーだったぞー!」
交代してベンチへと下がってくる衛田に、離れた場所から四ノ宮が大きな声でねぎらいの言葉を叫ぶ。サッカーのことなどあまりわかっていないだろうに、と悠里は思う。
小さく衛田は左手を上げた。どうやら四ノ宮の声が届いたらしい。
「いやー、必死で応援した甲斐があったってもんだぜ」
「どこがよ。あんた、ずっとしょうもないことをしゃべってただけじゃない」
「そうだっけ?」
とぼけているのか本気でそう思っているのか、判断のつかない表情で四ノ宮は悠里の毒舌を受け流す。
「でもまあ、あの子もほんと更生したよね」
「レイジは元々気のいいやつなんだよ。ちょっとひねくれてた時期があっただけで」
「はん、友達想いだこと」
気がいいのはあんただよ、とは思っていても悠里は言わない。それくらい素直な性格であったなら暁平にだってもっと優しく接しているに違いなかった。
終盤を迎えた試合は特に盛りあがりというべき箇所もなく、淡々と進行していく。まるで時計の針を進めるための形式的な演技を観ているかのようだ。そんな感想を悠里は抱いていた。
そんな演出の中心である暁平は、思い出したように時折繰り広げられるケルベロスからのブーイングにも動じることなく、事務的に姫ヶ瀬FCの攻撃を潰し続けている。
観客としてはつまらない、眠気を誘われる類の試合だったろう。だが暁平たち鬼島中学はただ勝利だけを目指して真剣にプレーしているのだ。無責任な立場の傍観者から文句を言われる筋合いはない。
悠里はひたすら試合終了のホイッスルが吹かれるのを待ち、スコアが動くこともなくすんなりとその瞬間はやってきた。
終了と同時に姫ヶ瀬FCジュニアユースの選手たちが疲労困憊の様子で膝に両手をやり、がっくりとうなだれている。天を仰いでいる選手もいた。
その光景を見た悠里は率直な感想を口にする。
「まあ、無名だと侮っていた学校に負けたらショックでしょうね」
「うちの場合、無名ってよりは悪名なんだけどな」
「あんた、自分と衛田がその悪名を高めるのに手を貸したって自覚はあるの?」
「ええ、おれぇ? おれは街なか歩いてるだけでしょっちゅう喧嘩売られるから、それに付きあってただけだぜ? かかる火の粉は振り払えっていうじゃねえか」
今は仏の四ノ宮です、と彼は目をつむって拝む仕草をする。
「ふーん。あたしが神社の娘だってこと、忘れてない?」
しまったという顔をした四ノ宮は、合わせた手を開いて今度は拍手を二度打つ。
そんな四ノ宮のあまりの調子のよさにあきれた悠里が、彼をほっといて鬼島中学のベンチへと向かいだそうとしたとき、下手くそな節回しの歌がはじまった。
♪みなしごハルナ、調子に乗るな
鬼島の猿ども、山へとおかえり
二度と里にはでてくるな
つまらぬサッカー、とてもじゃないが見ちゃおれぬ
臆病者の親なし子、垂れたおっぱい恋しいぜ
♪きっと来世はマザーファッカー
そんなくだらないオリジナルチャントを歌っていたのは、もちろんケルベロスの連中しかありえない。リズムをとる裸の上半身に合わせ、それぞれに描かれた三つ首の犬のタトゥーが揺れていた。
眩暈に似た足元のおぼつかなさが、凜奈がいなくなった日のことを悠里に思い出させてしまう。突如として世界が暗転する、あの感じだ。
「――ねえ、あいつらぶち殺してもいいよね」
度を超した怒りで、彼女の肩は小刻みに震えている。
決して踏みこんではならない場所を悪意に満ちた土足で汚そうというのか。
「待て、落ち着け榛名」
駆けだそうとしていた悠里の細い腕を、四ノ宮のごつい手がしっかりと握り締めた。
「放して」
「いーや放さん。あんなつまらないやつらを相手にしてどうする。ガキすぎる行動が目に余って、ドッグスのなかで唯一トップチームの応援から弾きだされたような連中なんだぞ。気持ちはわかるが、キョウヘイたちのためにもこらえてやれ」
四ノ宮はずるい。暁平のことを持ちだされると、悠里が暴走するわけにはいかないことをよくわかっている。
ちっ、と悠里は大きく舌打ちをした。
「わかったから放して。痛いのよ」
「ん、おお、すまん」
慌てて四ノ宮は力を抜いて手を開く。悠里の腕には、強く握られていた箇所が赤く痣となって残っていた。
しかし悠里がどうにか堪えたところで、ピッチ上の鬼島中学イレブンはそうもいかないようだった。暁平を筆頭に、気の長くない面々は明らかに殺気だっているのが遠目からでもわかる。
そしてもう一人、姫ヶ瀬FCの久我健一朗も。
調子に乗ってまだ下品なチャントを歌い続けているケルベロスへ、暁平がゆっくりと近づいていく。
「あのバカ。せっかく立て直したサッカー部を台無しにする気か」
珍しく四ノ宮が語気を強めて吐き捨てる。だが暁平がケルベロスの元へたどり着くより先に、その場所には久我がいた。
暁平たちのほうに目をやることなく、久我はケルベロスの説得を試みる。
「なあ、応援してくれるのはありがたいんだが、その、なんだ。恥ずかしい真似はやめてくんねえかな。普通でいいんだ、普通で」
彼にしてはだいぶ言葉を選んだのだろう、らしくないほどに朗らかな呼びかけだった。なるべく騒ぎにならないように、という久我の気持ちがそこに透けて見えた。
「なんだ、あの子もちゃんと成長してるじゃない」
嬉しくなった悠里の口からもついそんな感想がこぼれてしまう。
周囲がざわつきだしているなか、テンションの上がっている半裸の群れはおもむろに再びチャントで応えた。
♪裏切り者がいるらしい
仲間なんてどうでもいい
我が身がいちばん可愛いぜ
誇りをなくしたアンダードッグ
おれの名前はユダ、ユダ、ユダ
♪おおークガケンイチロウー
その下品さには悠里も四ノ宮も愕然とするほかなかった。
まさか自分たちが応援しているチームの選手をこうまでこき下ろすとは。
激情を必死に抑えているのだろう、顔を伏せた久我に代わって別の少年が前へと進みでた。様々な視線を集めながら、彼は力いっぱい叫ぶ。
「何もできねえクズどもは黙ってろ! おまえらみたいな口先だけの弱いやつらに価値なんざクソほどもないんだよ!」
その雷鳴みたいな怒声の主はもちろん暁平だった。
ここまで激高している暁平を目にするのは悠里も初めてだ。
一瞬、その迫力に圧されてあたりも静まり返ったあと、再び騒然としだした。
悠里には我慢できなかった暁平を責められない。耐えるべき場面だとわかっていても難しいときはある。暁平にとって、家族と仲間は絶対に他者の手出しを許すことができない領域なのだ。
暁平とケルベロスが睨みあい、もはや乱闘は避けられないかに思えた一触即発の空気のなか、誰かが気を利かせて呼びに行っていたであろう警備のスタッフがあちらこちらから駆け足で集まってきていた。
結局ハニウラカップは混乱のためこの試合で途中終了となり、後味の悪い幕引きにならざるをえなかった。
そして、最後にとってしまった自分の後先考えない行動の結果を、いずれ暁平はいやというほど思い知らされる。
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