第10話 初詣にて
正月の御幸神社にはやらなければならないことがそれこそ山のようにある。
暁平、政信それに要も、この三が日ばかりはボールを蹴ることより仕事を優先しなければならない。世話になっている身である以上、それは当然のことだった。
「練習よりきつい……」
麓から境内まで二百段を超える階段を、何度も往復している要が珍しく泣き言を口にするのも無理はないだろう。
普段はひっそりとした神社なのだが、正月や祭りとなるとかなりの賑わいをみせる。この正月も、鬼島地区の全員がここへ初詣にやってきたのは間違いない、と思わせるほどの人出だった。
お守りの販売、祈祷の受け付け、境内の案内、テント設営などさまざまな力仕事。出店が集まる麓から階段、境内まで含めたごみ拾い。迷子や酔っ払いの対応までこなさなければならない。
それでも三日めの午後ともなれば徐々に参拝客も途切れ途切れになっていく。
働きづめだった暁平たちも休憩をもらい、やっと正月の余韻を楽しむくらいの気持ちが持てるようになってきた。へばっていたはずの要は、さっそく政信と一緒に麓の出店へと出かけている。
社務所の裏にある縁側に腰を下ろし、熱いお茶をすすりながら暁平は誰でもやっている「願いごと」についてとりとめもなく考えを巡らせていた。周囲が枯れ木ばかりの光景は寒々しいが、それでもここは一年を通して暁平のお気に入りの場所だった。
本来、神頼みなんてものは己の努力を放棄してしまっているみたいで、暁平としては進んで何かを願う気にはなれない。けれども自分にはどうにもならないことなら神様も少しくらい力を貸してくれるのだろうか、そんな気持ちになっていた。
とにかく凜奈に会いたかった。会ってたくさん話がしたい。けれども弱音めいた感情を表に出すことを暁平は自らに許さない。これ以上仲間たちを誰も傷つけさせないためにも、暁平自身が誰よりも強くあらねばならなかった。
白い袴に半纏を羽織っただけの暁平は寒さのせいでぶるっと震える。
そんなとき、社務所の横を枯葉を踏んで歩いてくる音が聞こえてきた。足音の主は二人だが、政信と要ではない。それくらいはわかる。
参拝客ならやんわり注意しないと、と暁平は頭を切り替えて立ちあがった。
だが姿を見せた二人組、見分けがつかないくらい似ている黒のダウンジャケットを着こんだ彼らは暁平のよく知る人物だった。
「うおーす、今年の正月は冷えるな。あけましておめでとうさん」
白い息を吐きながら新年の挨拶をしてきたのは四ノ宮だ。
「あけまして、おめでとう」
隣にいる衛田も無愛想にではあるが声をかけてきた。何やら湯気の立っているコンビニの袋を手に提げて。
おめでとうございます、と暁平も先輩たちに年初の挨拶くらいは敬語で返す。
「このくらいの時間だったらおまえらも手が空いてるかと思ってな」
四ノ宮がそう言った。
その「おまえら」のなかに悠里が入っているのを暁平は承知している。いや、むしろメインであることまで。知りあって以降の四ノ宮は何だかんだと理由をつけては神社に、練習グラウンドに、試合会場にと顔を出す。
自然と親しくなった暁平にとって、いまや四ノ宮はからかいの対象ですらあった。
「ユーリはまだ仕事中だけど」
ちなみに巫女服で、と言い添えておいた。おそらく四ノ宮にとっては重要な情報だろうから。
「残念だったな。何なら見にいってくるか?」
ぽん、と衛田が四ノ宮の肩をたたいた。
「バッ、おまえ、何言ってんだよ。何でおれが榛名の巫女さん姿を拝みにいかなきゃならんのだ」
おれはキョウヘイたちに差し入れしに来ただけなんだからな、と四ノ宮は強弁する。
「差し入れってのはこれだ。榛名、好きなのをとれ」
そう言いながら衛田がコンビニの袋を縁側に置いて中身を見せる。
彼らが持ってきてくれたのは肉まんだった。もちろん肉まんだけでなく、餡まん、ピザまん、カレーまんと定番どころは揃えてくれている。
「どうも。じゃ遠慮なく」
お礼を述べて暁平が取ったのは肉まんだった。
あたりを見回した衛田は暁平に訊ねてくる。
「矢野と松本はいないのか」
「下で会わなかった? 腹が減ってるってんで出店に行ったはずなんだけど」
焼きそばやたこ焼きなどを買うのだ、と二人は言っていた。
「あいつら、口には出さないけどお節に飽きてるみたいだから、すごく喜ぶと思うよ」
「そうか。ならちょっと捜して渡してくるわ。榛名、おれがいない間そこのでかいのが榛名姉に暴走しないよう気をつけとけよ」
衛田は悠里のことを暁平の従姉だとわかったうえで榛名姉と呼ぶ。ややこしいからどちらかは下の名前にしてくれ、と頼んでも一向に聞き入れてくれる気配がない。
さらにややこしいことに、連れの四ノ宮は悠里のほうを榛名と呼んでいた。暁平としては、せめて四ノ宮が悠里にもう一歩踏みこめないものか、と常々思ってはいるが。
「するか! おまえなんざ階段で恥ずかしくこけちまえ!」
後ろ向きで手を振っている衛田に、顔を真っ赤にした四ノ宮がむきになって怒鳴っている。そう、四ノ宮は周囲にだってわかるくらい明らかに悠里に惚れているのだ。
だがことは簡単には運ばない。なぜなら四ノ宮はその熊のごとき図体に似つかわしくないほど、恋に関しては臆病な小動物となってしまうのだ。鬼島中学最強の腕っぷしも悠里相手には何の役にも立たなかった。
さっそくもらった肉まんを平らげた暁平に、おずおずと四ノ宮が言った。
「で、なんだ、その、似合ってるのか」
「似合ってるって、何が誰に」
わかっていても暁平はあえてそこを突く。
「そこはほれ、あれだよ。ほら、な、わかるだろ」
四ノ宮のそのいじらしさがさすがにかわいそうに思えてきたので、暁平も新年早々の意地悪は打ち止めにしておいた。
「別に。普通だよ。シノくんと違ってそもそもおれたちは見慣れてるしね」
言葉通り、暁平にとっては悠里の巫女姿なんてものは学生服姿と大差ない。
だが四ノ宮は天を仰いで悔しがった。
「贅沢な、なんて贅沢な。おまえは自分がどれほど恵まれてるのかわかっちゃいない」
ふざけて口にした言葉だとちゃんとわかってはいる。
それでも暁平にはどうしてもそのまま流すことができなかった。
「恵まれてる? おれが?」
思わず半笑いで挑発的な物言いになってしまった暁平に対し、四ノ宮は言外の意味をすぐに悟ったようだった。
よっこらせ、と彼は縁側にどすんと座りこむ。
「おれはサッカーっていうスポーツをそんなに深く理解できているわけじゃない。けどおまえが才能と仲間に恵まれているのはわかっているつもりだぞ」
立ったままの暁平を四ノ宮は目を細めて見つめた。
「もちろんおまえがどんな境遇にあったかは知っているさ。あの事故はここいらの人間にとっちゃ衝撃だったからな。それでもまだこの場所でボールを蹴って、チームメイトと頂点目指して戦うことができる。違うか」
「いや、違わないけど」
ぶっきらぼうに答えた暁平も四ノ宮の隣に腰かけた。
なあキョウヘイ、と四ノ宮が言う。
「レイジはな、おまえらとサッカーをしたいがためにわざわざ外から鬼島中学に入ってきたんだぜ」
思わず「はい?」と間の抜けた声が出てしまった。
かまわずに四ノ宮は先を続ける。
「いつぞやの屋上で言っただろ、レイジがおまえらとサッカーしたがってたって。ありゃ小学校のときからの話なんだわ。おまえとあのときの久我ってやんちゃ坊主は中学に上がる前にFCから誘われてたって聞いたが、レイジはその逆だ。
あいつはFCのセレクションに落とされてなあ。そのときのへこみようときたら見てられなかったさ。レイジがそんなにFCのジュニアユースに入りたがってたのは、一年後にはきっとおまえらが来るだろうって思いこんでたからだよ」
膝に手をやり、真っ直ぐ前を見据えている四ノ宮の横顔はとても穏やかだ。
「あいつの家は鬼島の外だが、一人暮らしのばあちゃんちがうちの近所なんだ。馬が合ったんだろうな、ときどき遊びに来てたあいつとはすぐに仲よくなったよ。昔のレイジはそりゃもうよくしゃべる奴でな、口を開けばサッカー、サッカーだ」
鬼島地区に暮らす人間はよその土地を「外」と呼ぶ。その内向きな表現が暁平は好きになれないでいたが、今は何も言わずにただ黙って耳を傾けていた。
「そんなあいつが大会で見かけて以来お気に入りだったのがキョウヘイ、おまえらのチームだよ。えー、なんつったっけ」
「鬼島少年少女蹴球団」
「そう、それな。あいつが行く予定だった中学校にゃそもそもサッカー部がなかったせいで、レイジは迷わずこっちに進学してきた。おれらからしてみれば悪評高いうちの中学にわざわざやってくるなんて冗談でしかないけど、あいつは真剣だった。鬼島でサッカーがやれる、って。
けど残念なことに当時はサッカー部自体がクソのたまり場みたいだったからなあ。あいつにとっちゃおまえらが入ってくるまでの一年は長すぎた。やけになってしょうもない連中とつるみだして。それを弱さだと指摘されてもおれは否定しきれん」
実際、暁平にしてみればそれは精神的なひ弱さ以外の何者でもない。
「ま、そんなわけだ。レイジみたいにただサッカーをやるだけでやたら遠回りしてしまう奴もいる。おまえに『恵まれてる』って言ったのは確かにおれの失言だ。それは謝る。自分の力じゃどうにもならない運ってやつは常に人生につきまとうもんなんだろうよ。
でもな、その運をいい方向にねじ曲げるためには絶対に前を向く、そういう強い意志が必要なんだと思う。おまえならわかるよな、おれの言いたいことが」
四ノ宮はまだ何かを言おうとしていたが、暁平が口を開いて遮った。
「悪いが、シノくん」
暁平にだって四ノ宮の真意はわかっている。今に感謝し、未来を見ろ。暁平自身、何度も考えてきたことだし、それが正しい道だということもわかっている。けれど。
「過去を振り返るなっていうならそりゃ無理な話だ。たぶんおれは死ぬまで引きずるよ。全部を抱えたままで生きていくっておれはもう決めてるんだ」
そうか、と四ノ宮は言った。
「なら、おれが説教めいたことを口にするだけ野暮だったな。だけどキョウヘイ、おれはレイジだけじゃなくおまえらがサッカーを楽しんでる姿も好きなんだ。榛名だって貝原先生だってそうだ。そんな人たちは他にもいっぱいいるんだ。自分が思っている以上におまえたちは祝福されている、そのことは忘れないでくれよ」
柔らかく微笑んだ四ノ宮のごつい手が暁平の髪をぐしゃぐしゃに撫で繰りまわす。まるで小さい子どもみたいな扱いだが、不思議と暁平はいやな気がしなかった。
◇
出そびれた、と社務所の中で悠里は自分の間の悪さを実感する。
廊下の窓は下半分が磨りガラスになっているおかげで、自分の存在が二人にばれていないのは幸いだった。窓越しなので暁平と四ノ宮の会話は途切れ途切れにしか聞こえないものの、二人がいつになく真剣なのは覗き見た表情でわかる。
男の子同士でしか話せないことってやっぱりあるんだろうな、と悠里は少し寂しく感じたが、それは仕方がないと理解はしている。何でも姉代わりの自分に頼ってほしいというのはただの無いものねだりだ。
もう一度、悠里はそっと状況をうかがう。
どういう流れかはわからないが、縁側では四ノ宮が暁平の頭を撫でていた。そろそろいいんじゃないかな、とタイミングを計る。あくまで素知らぬ顔で、二人をからかうような感じで出ていこう。
キョウちゃんたこ焼きー、というにぎやかな要の声が聞こえてきた。それを合図のようにして、悠里はいきなり窓を開け放ってやった。
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