プラリネット
天海島
プラリネット。
寝て起きたら、そんな名前の星に不時着していた。
「ええそうですわ、ここはプラリネット。お菓子の星」
ミトンをぱたぱたと叩き鳴らす少女。目の前でくるくると踊る彼女を眺めながら、僕は途方に暮れた。
靴底で土を削ってみる。なるほど地表はチョコレートである。蹴り飛ばした小石もざらめ糖の塊だった。ならば、きっと星の核はナッツなのだろう。
「そいで、君は?」
目の前でステップを踏んでいる女の子に問いかけた。
「私? 私はカラメリアン。ここに住んでるの」
ここ、と彼女はスカートを揺らし、パンプスの先で地をつつく。上品なふるまいをする女の子だと思った。周りを見渡すと、随分小さな星だとわかる。
「君一人か」
「その通り。プラリネットは私だけの星」
なるほど、お姫様である。彼女は嬉しそうに笑みを見せた。
「プラリネットにお客様なんてとても久しぶり。案内してさしあげます」
そう言うが早いか彼女は僕の手を取った。
「さ、行きましょう。ああ、そう言えばあなたのお名前は?」
問われて気付く。相手に訊ねながら自分は名乗り忘れるとは、うっかりしていた。頬を掻こうとして、指がかつん、とヘルメットに阻まれた。そうだ。僕は宇宙飛行士の格好をしていたんだ。
「僕はアストロノーツ。スペースツーリストだよ」
「あすとろのーつさん、ですわね」
飴を舌で転がすように、少女は名前をとなえる。
ところで、とカラメリアンが首を傾げた。小さい額の狭い眉間に皺が寄る。
「あなたは人間ではありませんよね?」
人間は恐ろしいものですから。彼女は口にしただけで身震いする。
「あの生き物だけは許せませんわ。彼らはあればあるだけ、手当たり次第お菓子を食べてしまうんですもの。節度がありません。でもあなたは違いそうね。人間はそんなあたまでっかちでずんぐりむっくりじゃないもの。あなた、まるでマシュマロのオバケね。お顔はハッカキャンディーかしら」
僕は空を仰いだ。遠く、ポップコーンのごとき星が瞬いている。だが、宇宙飛行士服のヘルメットに隠されて彼女には僕の正体はばれていないらしい。自分もれっきとした人間だということは打ち明けられそうにない。
歩いていると、森が見えた。こんな甘味の星でも植物は生えるらしい。
「あそこには何があるの」
指を差すと、カラメリアンは慌てたようにその腕を取って下ろした。
「ダメですわ。あそこにはシュークリームバンパイアがいるの」
「シュークリーム」
「バンパイア、ですわ」
「バンパイア」
すると彼女は歯を見せ、僕を睨んでかぶりつくようなジェスチャーを取った。
「シュークリームバンパイアはとっても危ないの。噛まれたら最後、身体中のクリームを吸い尽くされちゃう。みんな、我慢できずに-分を開けてしまったシュー皮みたいに萎びちゃうの。あなたなんてイチコロよ」
それでも、人間よりはマシだけどと付け加える。彼女はどうも人間がよほど嫌いらしい。
「人間は口からお砂糖を溶かす液体を出すって言うじゃない。そんなものを浴びたらお洋服も何もかも溶けてしまうわ」
彼女の纏う布はみんな砂糖細工だという。なるほど唾液には弱そうだ。
「でも、そこまで言う程でもないんじゃない?」
「まあ、どうして?」
僕が人間の肩を持つと、カラメリアンは露骨に狼狽えた。
「だって、人間はそんなにお菓子を食べてばかりってわけじゃないと思うよ。バレンタインデーって、知ってるかい」
甘いお菓子を、大切な誰かに渡せる日がある。お菓子をおいしく思うからこそなせることだ。
「つい食べ過ぎてしまうかもしれないけど、それはお菓子が好きだからこそなんだ」
僕は胸を張ってそう言ってみるが、それでも隣を歩く少女はぷりぷりと顔をしかめている。
「お菓子だって、別に食べられたくて甘くなったわけじゃないわ」
なるほど、新説である。それにしてもカラメリアンはまさにチョコレート菓子だ。甘くなめらかに見えて、その内には苦みがあって、その味わいは割と頑固。
「そんなことよりも。見えて来たわ」
彼女が示す先には、いくつもの店が立ち並んで通りを形成している。まさに商店街だ。なんとどの店も菓子屋である。
しかし、人の気配はやはり感じられない。建物ばかりで、営みがまるでないのだ。
「アストロノーツさんはこの星のお金を持ってないですわよね」
「通貨があるの?」
住人がカラメリアン一人しかいないのに。
「ええ、仕方ないから貸してあげます。何て言うんだったかしら、そう、今の私は氷菓子」
高利貸しである。ひどい押し付けもする辺りが特に危険だ。
上機嫌な少女がポケットから取り出したのは何枚かのコインチョコ。手渡されたので、食べる気もないがつい一枚包装を剥いてしまった。
「まあ! なんてことをするのかしら!」
激怒された。
「それじゃあ通貨にならないじゃありませんの。もう!」
頬を膨らませる彼女に、頭をぺこぺこと下げて謝る。
「仕方ありませんわね。さあ、お店に入りますわよ」
彼女に連れられたまま、立ち並ぶうちの一つに入る。ちりんちりんとドアの鈴が鳴る。当然、客も店員もいない店内はがらんとしている。ボンボンやキャンディーが山と積まれた中を彼女はスキップを刻みながら進んでいく。そしてレジの裏に回ってからこう叫んだ。
「いらっしゃいませ」
なるほど。カラメリアンはわくわくと期待した眼差しでこちらを見ている。それに応えようと手近にあったウィスキーボンボンを取ってレジまで運んだ。
「これを一つ」
「三ショコラになります」
おままごとだな、と思った。しかし彼女はにっこりだ。言われた通り、先程貰ったコインで勘定をする。
「ちょうどおあずかりします。レシートはご利用ですか?」
「結構です」
手を振って断った。
二人一緒に店を出てから、カラメリアンは困ったと唸り出した。
「あなた、そのお顔じゃチョコが食べられませんわね。代わりに私が食べて差し上げます」
結局この子も、お菓子を食べることは食べるらしい。コインチョコは破くと怒るが。
「チョコ、好き?」
すると彼女は胸を張って得意げな笑みを浮かべた。
「ええ。りんつ、みるか、りったーすぽーつ、なんでもござれですわ」
そう言って、彼女は菓子の包みを取って口に放り込んだ。もごもごと頬を動かす様を眺めていると、彼女が思いついたようにミトンの手を打った。
「そうだ、食べれないあなたにもおすそわけしてさしあげますね」
彼女は唇を舌でちろりと舐めた。口の中でとろけたチョコがルージュになる。
「はい、ちょっとお顔をこちらに」
求められて少し屈むと、反対に彼女は背伸びをした。唇の触れる、かわいい音がした。
「これがわたしたちのばれんたいんでー、なんてどうかしら」
頬を赤く染めてはにかむ少女。ヘルメットにはくっきりとチョコと彼女の跡が残った。
「とても甘いよ」
「それは何より」
二人、笑みをこぼす。しかし彼女はまだもじもじしたままだ。
「ねえあなた」
そう言って、少し潤んだ瞳で僕を見上げてくる、
「スペースツーリストって、旅人さんってことですわよね」
「そうだね」
肯定すると、彼女は僕の手を取った。握ってくるミトンは、とてもあたたかい。
「そんな旅なんてやめて、この星に住まないかしら」
私と、いっしょに。彼女の言葉がヘルメットに響く。
「どう、かしら」
それはとても甘美な誘い。だけど。
僕が答えを言い澱んでいると少女は必死になって自分の世界を誇る。
「見てちょうだい。砂糖と芥子の実だけで、お星さまだって作れるのよ」
ポケットから金平糖の瓶を出した彼女は、目に涙を浮かべて懇願する。
「小さな星だけど、二人ならたくさんお話ができますわ」
僕は気付いた。久しぶりにお客に会ったと、少女は言った。この女の子は、寂しかったのだ。おいしいお菓子に充ち溢れていても、一人ではあまりに味気ない。それこそ大切な誰かと分け合う方がよっぽどおいしい。
「ねえ」
彼女は不安げな顔で答えを待っている。首を縦に振るだけで、きっと彼女はいっぱいに笑顔を咲かせてくれるだろう。
しかし。一つ、問題があった。いつまでも隠し通せるわけではない。
「実は僕は人間なんだ」
カラメリアンが息を呑む音が聞こえた。
「そんな、だって」
「黙っててごめん」
でも、もしも。僕が人間だとしても。嫌わないでいてくれるなら。彼女が考えているような、お菓子を食べ尽くしてしまうようなことがないと誓いを信じてもらえたなら。
僕はヘルメットに手をかける。彼女のくちづけたしるしが触れたはずみで擦れて延びる。かぽっ、とヘルメットが外れた。
はじめて触れたプラリネットの空気は甘ったるさと、炒った木の実の香ばしさと、それにほんのり酒の風味が香ってくすぐったい。僕は何の壁もないまま、目の前の少女を見つめた。
「僕も、この星にいたいと思うよ」
告げた先、その言葉を聞いたカラメリアンは。
「きゅう」
気を失ってしまった。ばたり。なんだそれは。思わず僕もずっこけてしまう。
プラリネットの地面は硬い。意識のない少女の隣で、僕もそっと目を閉じた。
目が覚めると、僕は布団の中にいた。目覚まし時計がじりじりとけたたましく鳴っている。見慣れた世界。地球にある僕の家、僕の部屋だ。
なるほど。プラリネットもカラメリアンも、全部夢だったか。
カレンダーを見上げた。今日はバレンタインデーである。
起き出そうともぞもぞ動いていると、腰のあたりに奇妙なかたさがある。ポケットの中だ。
探って出てきたのは、アルミ包みを剥きかけのコインチョコが一枚。半ば溶けはじめているそれは口に入れると、とろりとして唇にはりついた。
舐めると、とても甘かった。
プラリネット 天海島 @nnkrgnh
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