第10話 体温と匂い
私と純子、縁がリビングに戻ってくると、雪那は一瞬こちらに視線を遣ったがすぐに戻し、蓮太郎はピクリとも動かず寝続けた。私は純子に促されたので空いたソファーに縁と座り、純子はキッチンへと消える。初めてここに足を踏み入れたときには気づかなかったが、リビングとダイニングは扉のないアーチ形の出入り口で繋がっていた。
「テレビでも見るか?」
縁が私に顔を向けて問うてきた。私には返答のしようがないが、縁は最初からそれを期待していなかったようで、私が何かリアクションを起こす前にソファーからテーブルへと飛び移った。前足を器用に使ってリモコンのボタンを押す。突然流れ始めた音と映像に私は驚き、勢いよくテレビの方を振り返った。だが、縁はそんな私の様子は気にも止めず、前足をリモコンの上でうろうろさせる。
「えー、教育番組はー……っと」
目をパチクリさせる私の前でチャンネルが切り替わる。毛髪の薄い中年が顔を歪めて何か主張している映像から、パステルカラーをバックに踊る子どもと着ぐるみの映像になった。
『さあ、皆で踊ってみよう!』
ピンクの着ぐるみがわざとらしく言い放つと、スキップするような高くて軽い音がポロンポロンと鳴り始める。それに合わせて子どもと着ぐるみが大きな動きで再び踊る。
私はなぜ得体の知れない生物(着ぐるみ)と子どもが踊るのか、まったく理解できなかったが、その映像は私の興味を引くのに十分だった。いつの間にか、くるくる変わる動きを追うのに夢中になり、食い入るようにテレビを見る。彼らの動きにつられて、無意識に体がふらふらと揺れた。
「おお、やっぱ子ども番組には反応すんだな」
縁が私の様子を見て、感心したように言う。私は観察されているのも構わず、衝動に任せてとうとうソファーを降り、テレビの前でリズムを取り始めた。無自覚にテンションが高まり、動かずにいられない。
「おお、すげぇぞ! なあ雪那、こいつすげぇ楽しそうにしてんぞ! 相変わらず無表情だけど」
「ガキなんだし、別におかしくないだろ」
興奮する縁に、雪那が素っ気なく返す。手のひらサイズの小さい本に視線を落としたまま、騒がしいテレビ付近を見もしない。
「いや、すげぇだろ。言葉も分かんねぇし、名前も分かんねぇような環境にいたってのに、子ども番組にはしゃいでるんだぞ」
子どもの本能的な何かかねぇ、とやはり感心したように縁が頷く。
「だったら、すごいのはそのガキじゃなくて、教育番組の出来だろ」
雪那はあくまで否定的な立場を取り続ける。顔も面倒そうに歪んだ。
それから後も、私は体を揺すり続け、縁は「すげぇぞ!」と後ろから声をかけ、雪那と蓮太郎はそれぞれ読書と睡眠を続行した。やがて子供と着ぐるみのダンスが終わってアニメが映し出されると、私はテレビの前にぺたりと座り込み、じっとその動きを目で追った。
「おい雪那、アニメも見てんぞ」
「しつこいな」
縁が面白そうに雪那に報告すると、雪那は眉間にしわを寄せて顔を上げる。そのままふと時計に目をやり、時間を確認した。
「おい、蓮太郎。そろそろ起きたらどうだ」
雪那はソファーに身を投げ出して寝る蓮太郎に声をかけた。しかし、死んだように眠る蓮太郎はピクリともしない。美貌と白さが相まって、さながら石膏のようだった。
「おい、蓮太郎っ」
こちらも外見は天使の雪那が、先程より声を張り上げて呼ぶ。それでも蓮太郎は石膏のままだった。
「…………」
それを見てムスッとした雪那は数秒黙り、次の瞬間、突如として足を振り上げ、ソファーからはみ出した蓮太郎の足を思いきり蹴った。反動で蓮太郎の体がガタンと揺れる。
「蓮太郎、起こせっつったのお前だろ! いい加減起きろ!」
その叫びと蹴られた衝撃からだろうか、蓮太郎がため息のような呻きを漏らして目を開けた。数回瞬きをして、ゆっくりと身を起こす。私と初めて会ったときと同じ、頭痛を耐えるように額に手を当てた。雪那はそんな蓮太郎を見てふんっと鼻を鳴らす。
「お前、人がわざわざ起こしてやってんだからさっさと起きろよな」
今だ眠そうな蓮太郎に雪那がさらに言い募る。蓮太郎はまた、呻きで返事をした。
私は雪那の行動にビックリして二人の方を見ていたが、それに気づいた蓮太郎が指の隙間から赤黒い目をこちらに向けてきた。途端、危険だという信号が再び私の中で発せられ、体が硬直する。目を逸らしたら終わりのような気がして、恐怖でぶわりと毛が逆立ちつつも、私は視線を外さずジリジリと後退した。そのまま元居たソファーまで戻り、そこに居た縁を盾にするように腕の中へ抱える。
「お、おいおい。なんだよ、俺はぬいぐるみじゃねぇぞ。こんな形なりでも一応オッサンだぞ」
いきなり抱えあげられ、私の膝に座るような格好になった縁は動揺して主張する。もちろん、私にその意味は届かない。だから私は遠慮なくぎゅぅっと縁を抱き締めた。ふさふさしたオレンジの毛に顔を埋めると、お日様の匂いにふわりと包まれる。日向ぼっこでもしたのだろうか。私は妙に安心して肩の力を抜いた。
そのまま嫌がる縁の匂いをすんすん嗅いでいると、食欲をそそる香りが漂ってきているのに気づいた。純子が消えた方向から食材の匂いがしてきているのには気づいていたが、それが今は料理の匂いに変わっている。そういえば、もう外が暗い。夕飯時なのだと私は理解した。
暗い、と意識した瞬間、部屋の明かりがパチリと点いた。いきなり眩しくなったので私は目を細めたが、その時、雪那が手を振りかざすだけで窓に掛けられたカーテンが閉まっていくのが見えた。私はパチパチと目を瞬かせる。今、手を触れずにカーテンを動かしたのだろうか、ならばどうやって、と頭が混乱した。しかし、雪那も蓮太郎も、そして腕の中の縁も特に気にした様子はなかったので、眩しいが故に見間違えたのかと一人でモヤモヤした。だが、そのモヤモヤも、純子がリビングに入ってきたことで打ち消される。
「皆さん、ご飯ができましたよ」
食べ終わった夕飯の食器が、カチャカチャと軽い音をたてながら運ばれていく。私の食事はすべてスプーンで食べられる内容だったので、難なく完食を遂げていた。今はクッションを敷いて高さを調節した椅子の上で、純子が作業をしているのを見ている。
「ご馳走さーん」
丸々一匹の焼き魚を完食してご機嫌な縁が、口の回りをペロペロ舐めながらそう告げた。それを合図にしたように、同じく完食していた雪那と蓮太郎が席を離れようとする。
「あ、ちょっと待ってください」
流しに向かっていた純子が二人を引き留めた。去ろうとしていた雪那と蓮太郎は動きを止めて、純子を見る。
「なんだ、純子」
雪那が尋ねると、純子は布巾で手を拭いながらにっこりした。
「どなたか、この子をお風呂に入れてくださいませんか?」
その言葉にまず反応したのは、やはり雪那だった。
「はぁ!?」
誰が見てもわかるほど嫌そうな顔をして、雪那が声をあげる。蓮太郎は無表情だったが、了承の声をあげる様子もない。
「嫌だよ。言ったろ、ガキのお守りは嫌なんだって」
雪那がむすっとして拒否をする。
「ですが、この子は今までお風呂を手伝ってもらっていたそうですし、年齢的にも目を離すと危険ですから」
純子が言い募るが、雪那は頑として受け入れようとしなかった。仕方なく純子が蓮太郎を見ると、スッと視線を逸らされる。それでもなお笑顔で、純子は縁にどうかと尋ねた。
「いやぁ、俺は毛が濡れちまうからなぁ」
縁は他人事のように毛繕いをしながら言う。そこまで確認してから、純子は笑顔のまま分かりましたと告げた。
「私が毎日この子をお風呂に入れましょう。ですから、代わりにその時間帯に行う家事の一切を皆さんにしていただきます」
笑顔のまま告げられたその言葉に、二人と一匹は動きを止める。雪那からは思わず「え」という声が漏れた。
「……ちなみに、どんな家事だ?」
縁も毛繕いをやめて純子に尋ねる。
「まず、食器洗いとキッチン周りの掃除と、明日の食事の仕込みですね。あとはアイロンや縫い物などの雑務と、この家の内外をざっと見回りしています」
簡単でしょう、と純子は微笑む。しかし、二人と一匹は無言で顔を背けた。それを見て純子はさらに続ける。
「雪那さん、意志疎通ができなければお仕事はできないと仰っていましたよね。私もその通りだと思います。つまり、私たちはお互いに協力していかないとならないわけです。それは一緒に生活している以上、お仕事以外の時間にも言えることだと思うのですが、違いますか?」
この言葉を、純子は一切変わらぬ笑顔で、穏やかな口調で言い切った。しかしそれで余計に、私以外の二人と一匹には彼女の背後に黒い影が渦巻いているように見えただろう。雪那と縁は「……はい」と観念したように言い、蓮太郎はいつもの「……ああ」という返事をした。それを受けて純子は満足そうに笑みを深める。
「今日は私がお風呂に入れますので、明日からはよろしくお願いしますね」
この言葉に、全員が是と答えざるをえなかった。
何もない私の部屋も、他の部屋と同様、トイレと浴室が付いていた。そこで純子に手伝ってもらって入浴を済ませた後、部屋の中央にぽつんと布団が敷かれ、おとなしくその中に潜り込む。それを見届けた純子は「おやすみなさい」と電気を消して部屋を出ていった。
真っ暗な部屋の天井を、夜目が利くためにハッキリと捉えることができる私はぼんやりと眺める。慌ただしく過ぎた一日のために体は疲れているはずだが、瞼はいっこうに降りてこなかった。ぼーっと一点を見つめていた瞳をキョロキョロと動かし始めた私は、落ち着かなくなってついに体を起こす。そわそわする体を持て余し、私は布団の中から完全に抜け出た。それだけでは飽きたらず、部屋の外にも出て良いだろうかと考え始める。結局、そう悩まずに高揚する体に従って扉を開けた。ひっそりと静まり返った廊下に、まるで同化しようとするかのようにそろりと足を踏み出す。暗く沈黙が支配するそこは、昼間見た場所とは少し違って見えて私の高揚を煽った。
だが、外に出たところで行き先は決めていなかった私は、さてどこに行こうかと首を巡らした。左手すぐの階段を降りれば純子たちの部屋の並びがあり、遠くの右手階段を降りれば縁と大黒さんの部屋がある。そこまで考えて、私は何となく純子に会いに行こうかと左手の階段を降り始めた。今のところ、純子が一番私に関わっているし、初対面時の信用できるという根拠のない確信が私をそうさせたのかもしれない。とにかく、眠れない意思さえ伝われば純子が何とかしてくれるだろうと彼女の部屋を目指した。
言葉は分からなかったが、案内してもらった部屋が純子の部屋だとジェスチャーで示され、私も何となくそれを理解していた。間違えたらまた探せばいいと思い、階段を降りてすぐの部屋の扉を開ける。だが、そこに純子はいなかった。昼間に入った部屋は確かにここだが、と私は思い出しながら、諦めてそっと扉を閉める。純子はまだ起きているのかもしれない。しかし彼女には気配がないし、匂いも感じなかった。だから私の鋭い聴覚と嗅覚を持ってしても、彼女の居場所を突き止めることは不可能だろう。だからといって急に眠くなるわけでもなく、部屋に戻る気も起きないので、私はどうしようかと辺りを窺った。並んだ三部屋のうち、真ん中の部屋だけ生き物の気配がする。どうせ目的もない私は、躊躇いなくそこに近づき、ドアノブを回した。顔が半分出るところまで扉を押し開ける。
途端、私は驚きと感動に目を見開いた。暗い部屋の中いっぱいに、大小様々な光が浮かんでいる。金や銀、中には赤や青などの鮮やかな色までがそこかしこに散っており、ピカピカ、キラキラと音がしそうなほどに輝いている。まるで銀河の中に迷いこんだかのような幻想的な光景に、私はほぅっとため息をついた。
と、その音に気づいたのか、こちらを見る人影があった。その人物の周りだけぽぅっと優しい明かりで照らされていたので、ベッドの上で読書をしていたその人物の顔はこちらからもよく見える。幻想的な空間で神の御業のように愛らしい顔を向けているのは、間違いなく雪那だった。
「うわっ!」
そしてその愛らしい外見には似つかわしくない叫びをあげる。もっとも、いつの間にか開いていた扉の隙間から子どもが覗いていたら、相当驚くだろうとは思うが。
「なんだよ、お前。どうして俺の部屋にいるんだ」
思わず口をついて出たというような言葉を私に向けた雪那は、読んでいた本も放り投げ、ベッドの上を後退る。一方、私は相変わらず言葉が分からなかったので、問いかけに答えることもできず首をかしげるしかない。
「寝たんじゃないのか。ガキはとっくに寝てる時間だぞ。ほら、さっさと自分の部屋に戻れよ」
雪那がちょっと落ち着きを取り戻して、しっしっと手を振った。しかし、私はその仕草の意味も知らない。それに、部屋の光の美しさに心を奪われて、ここを去る気など毛頭なかった。
「おい、聞いてんのかよ。自分の部屋戻れって。てゆーか、お前の目、光っててそこに居られると不気味なんだよ」
雪那の口調が、驚きと怒りが混ざった調子から、徐々に懇願する調子へと変わっていく。目が不気味なのだというのは間違っていないのかもしれない。この時の私は自分の目が暗いところでも見通せることは知っていたが、暗闇で金色に光ることはまだ知らなかった。
動かない私にしびれを切らして、雪那はまた言葉を重ねようとする。しかしその瞬間、私は盛大なくしゃみをした。ぶるりと体も震える。夜の空気が冷えていることに私は初めて気づいた。
「ほら、だから早く部屋に戻れって。それでさっさと布団に入れよ」
少し呆れた様子で雪那が言う。しかし、私は言葉が分からないのもそうだが、この美しい光景の前から去ることなど考えられなかったので、ずずっと鼻をすすりながらもその場に留まった。
「――――ったく、だから意志疎通が図れないのは嫌だって言ったんだよ」
自分の言うことを理解すらしない私に、雪那はイライラとため息をつく。扉が少し開いたまま、しかもそこから子どもが覗いたままでは、読書を続けることも眠ることも出来なかった。無理やり追い出して目前でピシャリと扉を閉めることは出来るが、その後、扉の外にまだ居るのではないかと気になってしまう。かと言って、部屋まで送り届けるのは億劫だ。
雪那がこのようなことをグルグル考えているとは私は知らなかったが、どのみち光に気をとられて気づかなかっただろう。本当は部屋の中に入って光に囲まれてみたいとウズウズしていたが、そこまで雪那との距離を詰めて良いものかと行動できずにいた。だが、それも私が再度くしゃみをしたことによって許されることになる。
くしゅんっと聞こえた雪那は諦めたように私を呼んだ。
「………おい」
その声に私は光から目を離して雪那を見る。雪那が自らの入るベッドの掛布をめくり、隣をポンポンと叩いた。来いということだろうか。言葉が分からずとも、雪那が私を快く思っていないことは何となく感じていたので、どういう風の吹き回しだろうと私は躊躇った。しかし、雪那はムッとしたように再度、隣を叩く。
「早くしろよ。いつまでもドアが開いてたら寒いだろ」
私はまだ雪那の行動を理解できていなかったが、光の中に入れるという誘惑もあり、スルリと部屋の中に体を滑り込ませた。扉もきちんと閉める。すると、完全に外と隔絶された異空間に迷いこんだかのような錯覚に陥った。だが、雪那の周りだけは相変わらず優しい光で照らされていたので、異空間でも迷うことなくベッドまで辿り着く。私がベッドに乗り上げると、雪那は有無を言わせず私を横にして、肩まで掛布を引き上げた。
「さっさと寝ろ」
そう言って自身も横になり、掛布にくるまる。ひとつのベッドに体温がもうひとつあるおかげで、中はポカポカだった。こんなに近くで人の温もりを感じることは初めてで、私は体温だけではないポカポカを胸の内に感じ、少し戸惑う。これはこのまま寝ても良いのだろうか、と雪那を見つめ続けるが、彼は私の存在を遮断するかのように目を閉じている。
仕方ない、と私は視線を雪那からひっぺがし、首を真正面に戻して天井を見た。そして再び、この部屋のドアを開けたときのような衝撃を受け、息を飲む。
この部屋自体も銀河のようだと思ったが、天井にはまさしく、満点の星空が広がっていた。一瞬、天井が取り払われて外の星空が見えているのかと思ったが、ここは二階だと思い直す。それに、星空の中でも一際輝く星々が線で繋がれ、人や動物の絵が浮かび上がっていた。私もまだ星空をそう多く眺めたことがあるわけではないが、自然の空にはこのような絵は浮かんでいなかったはずだ。一体どうなっているのかと気になって、眠るどころか目が冴えてしまう。
私の息を飲む気配に気づいたのだろうか、雪那が目を開けてこちらを窺ってきた。すぐに私が見ているものに気づき、ああ、と納得する。
「気になるか」
消すことも出来るけど、と雪那が天井に手をかざすと、星空がすぅっと薄くなり、暗闇に溶けていく。私はショックを受けて雪那に勢いよく振り返った。せっかく見ていたのに。
「なんだよ、気になって眠れないんじゃないのか?」
不満そうな私の顔を見て、雪那が再び手を動かす。星空が復活した。私は満足して視線を天井に戻す。
「お前、寝る気ないだろ」
目を爛々と輝かせる私に、ため息をつきながら雪那が言う。しかし、あまりにも真剣に星空を見つめ続ける私に観念したのか、星空を消して無理やり寝かせるようなことはしなかった。雪那はまったく反対の行動に出た。
雪那が再び手をかざす。消されるかと思った私はまた勢いよく雪那を振り返ったが、「いいから見てろよ」と手で促され、顔を戻した。雪那がゆったりとした布を纏う女性の絵を指差すと、その女性がゆっくり動き始めた。私は驚いて、先程よりも大きく息を飲む。
「あの人は南の空を守る女神だが、その昔、東の狩人に恋をした。想いを伝えるために使いのフクロウを狩人に遣り、狩人もそれに答えた」
女性の動きに呼応するように、膝まずく男性と翼を広げた鳥もゆっくりと動き始める。
「しかし、二人の仲を知った西の神は、使いのフクロウをこの世で最も美味い木の実で買い、女神からの伝言だとして別れの言葉を狩人に伝え、女神にも狩人からの伝言だとして別れの言葉を伝えるよう、フクロウに命じた」
膝まずく男性の反対側に、別の男性の絵が現れる。フクロウはその男に近づき、膝まずく男性に近づき、女神の元へと戻った。
「狩人から別れを告げられたと思った女神は嘆き悲しみ、その隙を狙って西の神は女神に近づいた。西の神の思惑通り、今度は西の神が女神と恋仲になった」
西の神が女神に寄り添う。しかし、そこで東の狩人が女神に近づいてきた。
「だが、どうしても諦められなかった狩人は女神の元を訪れる。彼はそこで西の神に殺されたが、不審に思った女神は使いのフクロウを問い詰める。フクロウは恐怖して真実を話し、地上へと落とされた」
フクロウが下へ下へと動き、すっと消える。女神と西の神は離れ、女神は弾劾するように西の神を指し示した。
「女神は怒り、西の神にそれをぶつけた。西の神は神としての力を失い、只人として地上に落ちた」
西の神もフクロウと同様、下へと動き、消えた。
「太陽が東から上り、南の空を通り、西の空へと沈むのはこのためだという話がある。南の女神が愛した東から誕生し、女神を騙した西へと終わっていく。そしてフクロウは裏切りの象徴だとな」
最後に登場人物が全員出てきて、ピタリと動きを止めた。
「………眠くなってないみたいだな」
雪那が私の様子を見ながら言う。私は雪那が話してくれた物語を理解できなかったが、穏やかな口調と共に動く星の絵は楽しかった。だから眠くなるどころか、もっと話してくれという気持ちの方が強かった。もはや彼との距離を気にしていた思いは欠片もない。私は次をねだるように、気になっていた動物の絵を指差した。
「ああ、あれは天の川に生息する魚をとって食べる熊だ。昔――――」
そうして雪那にまた物語を語ってもらう。その夜だけでいくつのお話を聞かせてもらったかは覚えていないが、疲れて眠くなるほどに話してもらったのは確かだ。ずっと集中していた私は、さすがに疲れていつの間にか眠っていた。最後に覚えているのは、必死に降りてくる瞼と戦いながら、温もりを心地よく思っていたことだけだ。あと、雪那の匂い。人を嗅ぎ分けることができる私は、このベッドは雪那の匂いがするなとぼんやり思っていた。今まで使っていた宿のベッドは洗剤の匂いが強かったが、このベッドは違う。雪那の、たくさんの香を混ぜたような複雑な匂い。だが決して不快ではなく、深く深く安らぎに落ちていくような匂い。
私は生まれて初めて、人の温もりと匂いに包まれながら眠りに落ちた。
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